おまさ、[誘拐](2)
さて、聖典『鬼平犯科帳』でおまさが誘拐されたのは、寛政なん年であったろう?
この特定は、じつは、難事である。
史実の長谷川平蔵は、寛政7年(1795)5月10日(旧暦)に50歳で歿したと、菩提寺の戒行寺の霊位簿にある。
『寛政重修諸家譜』には同年同月19日となっているが、これは公けの忌日である。
平蔵は現役の火盗改メ(先手・弓の2番手組頭)のまま病死しているから、退職願いを幕府に提出し、許可された日が公の歿日として認められ、記録されるきまりであった。
聖典『犯科帳』の130余篇の物語を、書かれている季節を追って並べていくと、寛政7年(1795)5月の事件は、文庫巻13の[熱海みやげの宝物]がその時期にあたる。
ということは、[熱海みやげの宝物]以降の物語は、じつは、平蔵歿後のことになり、未完の[誘拐]も当然以降にはいる。
というわけで、平蔵の[誘拐]での年齢を50歳とすると、おまさは38歳となり、平蔵の死の前年49歳の篇とみなすとおまさは37歳でなければならない。
[熱海みやげの宝物]以後の篇で作中キャラクターは、加齢しては理があわなくなる。
そういう事情だから、平蔵49~50歳、おまさ37~38歳として考察をすすめることにしたい。
ほかのキャラも上にならえ!
[誘拐]では、〔荒神(こうじん)〕のお夏(なつ)当人はまだ姿をあらわしていない。
が、前篇の[炎の色]で25歳とあるから、[誘拐]では26歳とみておく。
聖典では、〔荒神〕のお夏の父・助太郎(すけたろう)は13年前に歿したことになってい、その残党でお夏をかついで関東の盗賊{峰山(みねやま)〕の初蔵(はつぞう)一味と組む、〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助(せんのすけ)、〔袖巻(そでまき)〕の半七(はんしち)らは一網打尽、処刑されてしまう。
当ブログでは、未完[誘拐]とのかかわりを前提にして、〔荒神〕の助太郎と銕三郎を34年前に会わせた。
【参照】2007年7月14日~[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] (1) (2)
2007年7月16日[仮初(かりそめ)の母・芙沙(ふさ)〕
2007年7月17日~[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] (3) (4)
2007年12月28日~[与詩をむかえに] (8) (9) (10) (11) (12)
2007年7月14日~〔荒神〕の助太郎] (5) (6) (7) (8) (9) (10)
2022年2月23日[〔荒神(こうじん)〕の助太郎の死]
助太郎にこだわったのは、お夏のおとこおんなの性癖が母親・賀茂(かも)の血をひいているのではないかと推察したからであった。
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