日光への旅(4)
「そうか、それほどに絢爛豪華か」
一足先に帰府した井関録之助(ろくのすけ 24歳)の旅ばなしを聞いていた平蔵(へいぞう 28歳)は、話題が東照宮におよんだとき、あいづちをうった。
「平蔵どのも、ぜひ、おのれの目で見るといい。当時の徳川どのの財力のほどがしのばれますよ」
「ご老職・田沼主殿頭(意次 おきつぐ 55歳)侯が、お上の参詣の費用づくりをなさっておられるようだ。3年先との風説がもっぱらだが、それまでに書院番士として出仕し、供に加えていただければ、拝観できよう」
「ぜひ、選ばれるように動きなされ」
【参考】日光東照宮
「ところで、粕壁(現・春日部市)宿の脇本陣の亭主におさまっている亀之助(かめのすけ 24歳)の願いごとはどうなりました?」
「どうなったって、録さん、帰りに、亀公に会わなかったのか?」
「ちょっと、急いだもので、あそこを素通りして、越ヶ谷宿泊まりにしたもので---」
平蔵は、録之助がなにか手づまをつかったなとは感じたが、さりげなく、
「火盗改メの庄田組の与力・同心たちが録さんとすれちがったのは、千住大橋あたりとおもうよ」
「手くばりしてくださったのですね」
「同門の録さんと亀公の頼みだから、無碍(むげ)にはできない。これでも、友情には篤いほうでな」
「助かった---」
おもわず、洩らしてしまった。
録之助は、宇都宮城下で〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 65歳前後)に出会ったことも話した。
「その盗賊一味が、駿府と掛川で妙な仕事(つとめ)をしてな」
【参照】【参照】2008月15日~[与詩(よし)を迎えに] (16) (17) (18) (19) (20)
20091年1月15日~[銕三郎、三たび駿府へ] (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
2009年1月21日~[銕三郎、掛川で] (1) (2) (3) (4)
経緯(いきさつ)を話してやりながら、4年前にi掛川から小川(こがわ)〔中畑(なかばたけ)〕へ、お竜(りょう 30歳=明和6年)とすごした4泊の旅をおもいだしていた。
(お竜が生きていたら、〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛の仕事ぶりや、〔荒神〕の助太郎が宇都宮にひそんでいるわけをどう読みとったろう)
助太郎が宇都宮城下にいたことは、太作が飛脚便で報せてよこし、土地(ところ)で十手をあずかっている者にさぐらせているから、今市での竹節(ちくせつ)人参の植え場の見学がおわったら、後便をだすといってきていたが、そのことは録之助の顔を立てて伏せている。
「お元(もと)さんに、5夜も一人寝させて悪かったな」
お元(37歳)は、日本橋室町の茶問屋〔万屋〕の北本所の寮で、店主・源右衛門(げんえもん 52歳)の隠し子・鶴吉(つるきち 12歳)の乳母をしている。
録之助はその用心棒として住みこみ、たちまち、お元とできてしまっていた。
【参照】2008年8月22日|~[若き日の井関録之助] (1) (3)
「40近いおんなの空:閨のうめあわせ欲は、すさまじいですよ、先輩」
「ばかは休みやすみにいうものだ」
「昨夜は、いや、もう---」
「鶴吉(つるきち)は幾つになった?」
「12歳です」
「耳ざとい齢(とし)ごろだ。おぬしたちの睦言がこころの傷になることもあろう」
そこは、お元もこころえていて、昨夕は、眠り薬を鶴吉に飲ませたのだという。
「眠り薬?」
「なんでも、とけい草とかいう蔓草の茎葉の干したのを煎じた湯を飲ませると、深く寝入って、地震がきても目をさまさないからって、お元が請けおいました」
「なんてご両人だ---」
にがりきった平蔵が、すぐに真顔になり、
「おい。いま、とけい草---といったか?」
「ええ」
「お元さんは、どこで手に入れたといっていた?」
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