先手弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿(7)
「長谷川うじは、煙草を喫するや?」
酒食が果て、茶を手にした贄(にえ)越中守正寿(まさとし 39歳 300石)が、平蔵(へいぞう 34歳)に問うた。
心得ていた料亭〔美濃屋〕の亭主・源右衛門が、茶とともに煙草盆を運ばせていた。
「いたって不調法でございまして---」
傍らに置いていた煙管(きせる)入れから抜きだした、小ぶりの銀煙管の雁首に薩摩(きざみ煙草)をつめながら、
「いまどき、珍しいの。実はわれが覚えたのは、伽衆として竹千代ぎみに近侍しておった14歳のときでの---」
{上さま(家治 いえはる)もお嗜みでございますか?」
「公けの席とか、人前ではお遣(や)りにはならないから、藩侯たちのほとんどは存じおるまいが、薩州侯や長谷川うじが伺候しておる西丸の少老・鳥居丹波(守忠意 ただおき 63歳 下野国壬生藩主 3万石)侯などは、定例の時献上(ときけんじょう)とは別に、領内産の煙草を呈しておられる。なに、大奥では老女たちも嗜んでおる」
ただ---と、正寿はつけ足した。
家治が上に立つ者の自戒の資となしている『貞観(じょうがん)政要』に、「嗜欲喜怒の情は賢愚皆同じ。賢者は能(よ)く之を節して度に過ぎしめず。愚者は情を縦(ほしいまま)にして、多く所を失うに至る」とあり、自らを律することひととおりではない。
火壷は真鍮の器にかぎり、煙管は銀づくりまでしか用いないと。
太宗は即位してすぐに、侍臣たちにいっている。
「人、明珠有れば、貴重せざるは莫(な)し。若(も)し以て雀を弾ずれば、豈(あ)に惜む可きに非ずや」
雀を撃つのに宝石を飛ばす者を正気の沙汰とはいわない。
ものに執着しないことが肝要である。
煙草といえぱ---と、平蔵は、12年ほど前に、東海道・六郷の渡しで出会い、煙草をすすめてくれた小柄な40男の述懐を話した。
【参照】2008年6月25日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (9)
「しかし、煙草というのは便利なものですな。いままで存じあげてもいなかった、お逢いしたばかりのお若いお武家さまへ、煙草をおすすめしただけで、このように話の糸口がほぐれます。お武家さまが煙管におつめになるのは、1文するかしないかの寸量です」
話している平蔵も、聞いている正寿も、その男が大盗・〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 57歳)と知ったら、どれほど驚いたことであろう。
「そのような功徳もあろう。試みますか?」
「いえ。亡父の遺訓でありますので---」
「備中(びっちゅう 守 享年55歳)どのは、火盗改メとして、われの目標でもある」
「恐れいります。父が聞いたら、どれほど喜びましょう」
【ちゅうすけ注】聖典では、宣雄が京の西町奉行時代に、新竹屋町寺町西入の煙管師・後藤兵左衛門に50両(800万円)で替え紋の釘抜きを彫った煙管をつくらせたとある。
ちゅうすけは、愛煙家であった池波さんが創作の一つと推測していることはたびたび書いた。
その一つ---、2005年10月16日[名工・後藤兵左衛門作の煙管]
【参照】2010年12月4日~[先手弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8)
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