〔五井(ごい)〕の亀吉(5)
(〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 41歳)は、おれの素性をしっていたのだった)
そのことにおもいいたったとき、平蔵(へいぞう 35歳)はハッとなった。
13年前、〔尻毛(しりげ)〕の長助(ちょうすけ 24歳=当時 のち長右衛門)を尾行(つけ)させた久栄(ひさえ 16歳=当時)が、逆に茶店〔千浪(ちなみ)〕に連れこまれ、そこで亀吉に会った。
【参照】2008年10月8日[〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門] (1) (2)
亀吉は、亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)の青春時代のことをしっていた。
ということは、火盗改メ時代のことも承知していたはずである。
首領の〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 59歳)がそのあたりの風評集めに手ぬかりをするはずがない。
(しかし、{蓑火〕一味の軍者(ぐんしゃ 軍師)格の一人---〔殿さま〕栄五郎(えいごろう 40すぎ=当時)を痛めつけたのがおれだったとは、気づいているはずはない。
武士なら、自分のぶざまな負け方を恥じ、死んでも他言はしないものだ)
あのときの峰打ちで、〔殿さま〕栄五郎が歩行もできない躰となり、そのまま逝ったことを平蔵は、しらない。
もちろん、〔草加屋〕への押し入りが亀吉と栄五郎が練ったものであることも、平蔵はしらなかった。
〔蓑火〕側も、〔草加屋〕への押しこみを挫折させたのが、平蔵の手くばりであったと気づいているとはおもえなかった。
【参照】201071[〔殿(との)さま〕栄五郎] (2) (3) (4) (5) (6) (7)
すると、亀吉が〔三文(さんもん)茶亭〕でお信(のぶ 39歳 いまは日信尼)の行方を訊いたのは、亀吉のまわりで手がたりなくなり、お信(のぶ)に助(すけ)っ人に頼みたかったのか?
{盗人酒屋〕の主(あるじ)であった故・〔.鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年53歳)から生前に聞いたところでは、〔蓑火〕の頭が育てた盗賊は20人や30人ではきかない。
手が足りなくなれば、独りだちした元配下の者のところとか、盟友の〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 60歳)のところから借りられよう。
すると、単に同郷のいよしみで消息を訊いてみただけなのかもしれないではないか。
贄(にえ) 越前守正寿(まさとし 40歳)に同心の見廻りを念入りにしてもらおうかともおったが、火盗改メとつながりがあることが亀吉側に洩れたら、かえってお粂(くめ 39歳)やお通(つう 12歳)に危害の手が向けられるかもしれないと危惧した。
松造(よしぞう 29歳)に、お粂とお通を迎えに寄り連れだって帰るのをひかえるように申しわたすだけにした。
もっとも、〔於玉ヶ池(おたまがいけ〕の伝六(でんろく 39歳)に、それとなく見廻ってくれと頼むことは頼んでおいた。
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コメント
五井の亀吉は、文庫巻4[敵(かたき)]に登場しているだけですが、ちゅうすけさんの肉付けにより、大滝の五郎蔵とのならび頭コンビがなぜ組まれたか、わかってきました。
蓑火のお頭は、五郎蔵の大様なリーダシップ、五井の小才の利かせようと凄みをお互いに補いあうように考えたのですね。
聖典を読み返す道筋がつかめてきました。
ありがとうございます。
投稿: miine | 2011.01.13 05:20
>mine さん
そうおもっていただけるだけで、有頂天です。五井の亀吉という人物は、池波さん゛淡彩でしか描いていないので、息子の与吉の性格から推測しました。
投稿: ちゅうすけ | 2011.01.13 10:35