奈々という乙女(6)
天明3年(1783)5月8日五ッ(午後8時)ちょっと前---。
半鐘が早鐘(はやがね)を打ちはじめた。
腰丈の寝衣で右膝を立てて呑んでいた里貴(りき 39歳)が、
「近いそう---」
つぶやき、盃代わりの小茶椀を置き、
「奈々(なな 16歳)、2階から見てきて」
平蔵(へいぞう 38歳)も同時に立った。
「奈々では、土地勘がおぼつかない」
2階で起居している奈々を先に上がらせた。
里貴ゆずりの腰丈の寝衣だけの真っ白い太腿が、平蔵の目の前でゆれた。
意識しているのであろう、奈々はわざとゆっくりの足運びにしていた。
2階は、明かりが消してあった。
西側の障子に映った薄紅の明かりが目じるしになった。
暗いのをいいことに、奈々は平蔵の腕にすがった。
障子をあけ、たしかめた。
「大川べりの佐賀町あたりかな」
炎のほうを見たまま、
「お店は大丈夫やろか?」
「7丁(800m)は離れておるし、店とのあいだには 樹木の多い海福寺や心行寺といった寺々や、油堀川の支堀(えだぼり)もあるから、まず、大丈夫とおもうが---」
【ちゅうすけ注】茶寮〔季四〕は冬木町寺裏という地名のごとく、油堀川の枝堀をはさんだ向うに、平蔵や忠吾が好物にしている一本うどんの〔豊島屋〕が門前にある海福寺、文庫巻6[盗賊人相書]で住職が絵師・石田竹仙に肖像画を描かせた心行寺p218 新装版p228 などの寺院群がそれぞれの広い墓域をさらしている。
奈々が階段の降り口から下へ大声で、
「佐賀町あたりやってぇ。そんでも、おっちゃ---おじさまが、持ち出すもんをまとめておけってぇ---」
告げると、平蔵の横へきて右腕をかかえこみ、左の胸のふくらみへあてた、
「荷をまとめておけ、なんていってないぞ」
「そやけど、そのほうがええやん」
見あげるように瞶(み)つめる双眸(りょうめ)に、ちらりと紅炎が映った。
「悪い子だ」
「なら、お尻(いど)、たたいて---」
右手で腰丈の寝衣の裾をまくった。
暗い部屋の中に白い臀部(でんぶ)があらわになった。
「尻が風邪をひくぞ」
平蔵が裾をつまみ、そっとおろした。
「あ、おっ---おじさまの指、触った」
「触れてなんかいない」
「里貴おばちゃんにいいつけようっと」
「いいかげんにしなさい」
くっくっと笑う奈々がすがりついた。
階段に足音がし、手提げ行灯をもった里貴が上がってきた。
奈々がすばやく離れ、ゆれていた大きな影が割れた。
「見て。炎がすごいの」
2人のぎこちない挙動を感じた里貴は、冷静に、
「銕(てつ)さま。三ッ目通りのお屋敷でも、心配しておられましょう。とりあえず、ご帰館なされたほうがよろしいかと---}
「いや、そうはいくまい。屋敷には家士どもや総領の辰蔵(たつぞう 14歳)もいることだ。ぬかりはあるまい。しかし、ここは里貴と、ところ不馴れな奈々のみである。われが護ってやらなければ、ほかに護る者がいない」
寄りそった里貴が、平蔵の手をにぎりしめた。
「おじさまとおばゃんは、そういう仲やったんや」
奈々が、しみじみとつぶやいた。
【ちゅうすけ注】この天明3年5月8日の火災を『武江年表』は、「深川邊大火」とのみ記している。
昭和32年(1957)と平成9年(1997)刊の『江東区史』はどちらも記録していない。昭和30年(1955)のガリ版刷り『江東区年表考』が『武江年表』をそっくり転写しているのみである。明治31年(1898)12月の『風俗画報』の「江戸の華」も記載してない。あとは消防博物館をあたるしかないか。
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