義父・大橋与惣兵衛親英が布衣(ほい)
「父上。なぜ、ことしは3回も大橋のおじいちゃまのところへごあいさつにあがるのですか?」
あと10日で8歳になる銕五郎(てつごろう)が、袴と紋付羽織を召使に着せてもらいながら、不平がありげな口調で、父・平蔵(へいぞう 42歳)に問いかけた。
「今日は、大じいさまが布衣(ほい)をお許されになったお祝いなのだ」
「父上は布衣のお祝いはなさらないのですか?」
「われは銕(てつ)が4歳の暮れにすませた」
「覚えておりませぬ。ご納戸町の栄(えい)叔父上は?」
「正満(まさみつ 43歳 4070石)どのは布衣ではなく、もっと位が上の装束をお召しになる」
納戸町の長谷川家へは、10年後に銕五郎が養子に入った。
いま、父子が話題にしている大橋与惣兵衛親英(ちかひで 74歳 200俵)は、平蔵の妻・久栄(ひさえ 35歳)の実父であった。
銕五郎が今年3回目の訪問といったのは、正月と、7月26日に新番の組頭から船手頭に栄進したときに、少ない親類が寄って祝った。
3回目の今日は、船手頭ならよほどのことがないかぎり暮れにゆるされることがわかっている布衣の祝宴であった。
【参照】2007年5月8日[「布衣(ほい)」の格式]
大橋家はむすめばかり、養女もふくめて5人だが、尋常な内室としてつづいているのは久栄だけであった。
それだけに親戚が集まってもなんとなく白々しい雰囲気がぬぐえない。
そのことは、子どもながら銕五郎にもわかるらしい。
久栄のそばから離れようとしない。
【参照】2008年9月19日[大橋家の息女・久栄(ひさえ)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
もっとも、当の親英は、もともと人ぎらいなのか、寂しい集まりを苦にはしていない。
大橋家は、和泉橋通りを北へ2丁ほどいったところにあった。
禄高が低いために門も両柱のみの簡単なもので、常駐の門番もいないが、布衣となったらそうはいくまい。。
親類といっても野間家からの養子・千之丞親号(ちかな 28歳)の実家と黒田家からの2人、それに後妻の実家・井口家ぐらいであった。
平蔵が祝辞を述べ祝賀の金包みをわたすと、親英が廊下へ連れだし、耳元へ口をよせ、
「陸奥(むつ)風はこともなかったか?」
「陸奥風? ああ白河おろしですか。こちらは両番(書院番と小姓組番 武官系)ですからね。むこうさんにとっては、痛くも痒くもない存在ですよ」
「気をつけろよ。相良侯へのうらみは相当に深いという噂だからな」
「ご忠告、ありがたく承りました」
宴会の部屋へ戻っても、親しく話しかけてくる者いないし、しょうこともなく辰蔵(たつぞう 18歳)と盃の応酬をしていると、久栄が告げた。
「非常の知らせとかで、同心の鈴木重平太(じゅへいた 26歳)どのがお見えです」
玄関にでてみると、
昨夜、熊谷宿であった盗みの:件は、長谷川組であつかってもらいたいと、堀組の筆頭与力・佐島忠介(ちゅうすけ 50歳)からこちらの館(たち) 朔蔵(さくぞう 38歳)筆頭へ申しいれがあったが、引き受けていいものか、お頭のおゆるしをいただいてこいとのことで……と、この寒さに汗をぬぐいながら告げた。
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