〔物井(ものい)〕のお紺(2)
「お紺さんの悩みにも、こころが動かされます」
銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)が洩らした、剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 22歳)と、〔物井(ものい)のお紺(こん 28歳)の色ごとの経緯(ゆくたて)に、お仲(なか 33歳)がため息まじりの感想をもらした。
雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕の、お仲が宿直の夜にいつもあてられている離れの部屋である。
(鬼子母神脇の料理茶屋〔〔橘屋〕忠兵衛)
【参照】2008年8月8日[ちゅうすけのひとり言] (22)
雑司ヶ谷からは、江戸湾はかなり遠い。
だから、秋、陽がおちるとともに、冷気が、にじむようにひろがる。
松虫たちが鳴ききそっている。
銕三郎とお仲は、薄物ごしに肌をあわせている。
枕元には、いつものことながら、婀娜(あだ)っぽい姿態を描いた絵草紙がひろげられていた。
「いちど、そこが悦びを究(きわ)めると、ほかの男の人の指でもそうしてみてもらってたしかめてみたくなるく気持ちも、わかるんです」
「お仲も、そうか?」
「以前は---嫉妬(や)けます?」
「いまは、違うのか?」
「あなたと、こうなってみて、躰の触れあいだけではないって、わかりました」
「うん---?」
「言葉です。いえ、言葉と言ってしまってはいけない---、いまの、あなたの『うん---?』とか、『ここだね---? こうか---?』といった問いかけに、とたんに反応してしまうんです」
「うれしいことを言ってくれる」
「でも、ほんとうにそうなんですもの。手妻(てづま)のようなささやき---」
お仲の背が反(そ)りはじめた。
(歌麿『葉奈婦舞喜』部分 イメージ)
有明行灯(ありあけあんどん)の灯芯がチリチリと音をたてた。
薄着に腕をとおしただけで、ひももつけないお仲が、けだるそうにのろのろと立ってゆき、灯油を足した。
明かりをうけて薄着から透けた、お仲の躰のまるみのある線に、銕三郎は、目を細めている。
(すこし太ったようだ。胴のくびれも少なくなっている。ここの水があっていたんだ)
「もう、眠るだけなんだから、消しては?」
「いいえ。秋の夜は長いのです。躰、拭きます? 手桶、もってきましょうか?」
「あとで、いい」
灯芯をあげたのか、部屋の明るさがすしこし増した。
前をかきあわせながら戻り、横に添うと、ぱっと開いて、抱きついた。
「それで、岸井さまとお紺さんは、どうなるんですか?」
銕三郎の乳首をふくむ。
「〔名草(なぐさ)の嘉平(かへい 50前後)爺(と)っつぁんが、お紺をどこかへ、引き込みに入れて、引き離すようだ」
「うーん」
唇を離し、
「おみねちゃんとかって子はどうなるんです?」
「おみねは足利に送られて、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の一味で、所帯持ちのところへ預けるとか---」
「うちの、お絹(きぬ 12歳)は、運よく、あなたのお母上に面倒をおかけしましたが---おみねちゃんは7歳でしょ。可哀そう---」
「可哀そうは可哀そうなんだが、おんな好きの〔法楽寺〕の直右衛門(40がらみ)が、お紺との出事(でごと 性交)の現場をおみねに見せていなければいいんだが---」
【ちゅうすけ注】22年後の寛政元年(1789)のことだが、『鬼平犯科帳』文庫巻4[おみね徳次郎]p214 新装版p224 で、おみねをたいそうな男好きに仕込んだのは自分だと、〔法楽寺〕の直右衛門が嘉平に告げている。
「どういうことです?」
「お仲は、これまで、お絹の見ているところで、濡れ場を演じてはいまいな」
「それはなかったと、おもいます」
「いつだったか、お絹は見馴れていますから---って言ったろう?」
「このことの現場ではありません。手をつないだり、腰に腕をまわしたりってぐらいのことです。どうして?」
【参考】2008年8月3日[〔梅川〕の仲居・お松] (3)
「大人の出事を見た子は、このことに早熟(ませ)る」
言われてあれこれ考えはじめたが、おもいあたることでもあったのか、銕三郎にのしかかった。
「いや、いやです」
【参照】[〔物井(ものい)のお紺] (1)
2008年4月29日~[〔盗人酒屋〕の忠助 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2008年7月22日[明和4年(1767)の銕三郎] (6)
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