隣家・松田彦兵衛貞居(7)
高杉道場からの帰り、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、かねておもいついていた、御厩河岸・船着き前の茶店〔小浪〕へ出かけた。
石原橋の乗り場の渡し舟で、まっすぐに御厩河岸へ着く。
まだ七ッ半(午後5時)をすぎたばかりで、大川は陽を照り返して、白波がひかっいてるというのに、厚化粧で小じわをかくした辻君が3人も同舟していた。
(生活がかかっているのだ)
武士は渡し賃がただ、というのことさえ気がひけた。
女将・小浪(こなみ 30歳)には、さすがに目尻にすずめの足跡さえない。
苦労の質がちがうらしい。(歌麿 小浪のイメージ)
【参照】2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
案の定、かねて顔なじみの〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 27歳 のちに独立して長右衛門)がきていた。
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 47歳)のところの小頭(こがしら)の一人である。
もう一人の30歳半ばらしい新しい顔を、長吉が、
「〔駒屋(こまや)〕の万吉(まんきち)っつぁんでやす」
と紹介した。
万吉は、どこかの大店の番頭といってもとおりそうな温和な顔つきで、きわめて地味なものを着ていた。
「お初にお目にかかります。上州生まれの万吉と申す田舎者でございます。長吉どん同様によろしゅうお願い申します」
あいさつぶりも、馬鹿丁寧で念がいっている。
【ちゅうすけ注】〔蓑火〕一味の〔駒屋〕万吉は、『鬼平犯科帳』巻14[尻毛の長右衛門]p73 新装版p75に、喜之助がたっぷりたした退き金(ひきがね)で、生まれ故郷上州・妙義山の麓で旅籠をいとなんでいるとある。
〔蓑火〕は、商人旅籠をあちこちに持って情報源としていたから、のち、その一つをまかされて仕法を身につけたのであろう。
これだけの幹部級が江戸に来ているということは、投げ文の予告も虚言ではあるまい---銕三郎は腹の中でそうおもいながら、軍者(ぐんしゃ 軍師)が代わり、新たに浪人〔殿(との)さま〕栄五郎が加わったことに注目していた。
「長吉どの。〔蓑火〕どのも江戸へくだってきておいでですか?」
長吉は、ちらっと万吉を気にしながら、
「長谷川さまのお隣が、火盗改メの任にお就きになったそうですな」
「そのようですが、拙とはかかかりはありませぬ」
小浪が、お茶を給仕しながら、
「〔尻毛〕のお人はん。長谷川はんは、つい、せんまで、花嫁ご寮はんと、〔狐火(きつねび)〕のお頭がお持ちの寺嶋のお家で、あまぁい毎日をすごしていやはりましたんどすえ」
「それは存じませんで、失礼いたしやした。いずれ、お頭と相談して、お祝いを---」
「いや、お置きください。寺嶋村の家の件も、お竜(りょう 30歳)どのがたってと勇五郎どのにおすすめになったので、つい、甘えてしまったようなものなのです」
小浪が、すごい流し目くれて、
「長谷川の若はん。せっかくの初めての夜が、温泉の宿でのうて、花嫁ご寮はんも、うらめしゅうおもうてはりましたんとちがいますか」
「おすすめの、木更津往還の船旅ができなくて、こころ残りでした」
銕三郎も、軽く受けながす。
たしかに、寺嶋村での初夜の久栄は、なにかを気にしているふうであった。
しかし7日目あたりから、ほのぐらい湯場での肌あわせもすすんで愉しむようになっていた。
(梅里 湯場でのたわむれ イメージ)
(いかん。いまは〔蓑火〕に集中し、栄五郎のやり口の手がかりなとつかまねば---)
「掛川城下で聞かせてもらいましたが、お竜どのの信玄流の軍学には、心をすっかりうばわれましたよ」
長助が乗ってきた。
「おや、お竜姐(あね)さんはいま掛川にお住まいですか。狙いどころに、内通者をつくる姐さんの腕もすごかったなあ。でも、もっとすごい術(て)が---」
「長吉どん」
万吉が袖をひいた。
気づいた長吉が口をとざす。
(もっとすごい術(て)だと?)
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