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2010.02.16

〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(6)

「〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ)さん、おもっているより、はるかに思慮深いお人のようですな」
まわりにどのような耳があるか知れたものではないので、長谷川平蔵(へいぞう 28歳)は、知人のことを噂してでもいるように、敬称つきで話した。

本所・二ッ目橋北詰のしゃも鍋屋〔五鉄〕で、心得た三次郎(さんじろう 24歳)が、入れこみ座敷のいちばん奥まった仕切りに席をつくってくれた。
2階にしますか、と指で天井を指したのを、平蔵が首をふって断ったからである。

指定した時刻の六ッ(暮れの6時)に、火盗改メ同心・脇田祐吉(ゆうきち 29歳)が、のっそりと〔五鉄〕へ入ってき、平蔵の手招きで席についていた。

「さようですな。万端、ぬかりがありませぬ。で、こんどは、どのような所作を?」
脇田同心もこころえて、調子をあわせた。

鍋と酒を注(つ)げたあと、帰りに肝の甘醤油煮をと、指を3本立てた。
うなずいた三次郎が板場へ引いた。

脇田どのは、さんに左官のことを噂なさりましたか?」
わざと、〔木曾甚〕の屋号をはぶいた。
「左官?」
「新蔵づくりには、左官が大きくかかわります」
「見すごしていました」

火と鍋が2人の膳のあいだに置かれ、燗酒もそれぞれの膳に配されたところで、献杯のやりとりがあり、
長谷川さま。じつは、お願いしたことを悔いております」
「-----?」
「お頭が、春にお役ご免になったらと、もう、次の職席を上ッ方へ働きかけておられるとの噂を耳にしたのです」
「それはお気が早い。しかし、いまのお席(先手組頭 1500石高)は、お役不足ではあります」

脇田祐吉のお頭・庄田小左衛門安久(やすひさ 41歳 2600石)の先手組頭は、足(たし)高なしの持ち高勤めなのである。

「しかし、先任の---」
と口にしたところで、平蔵が首をふり、
「あちらも、持ち高勤めでしたな」
笑いながらうなずいた。
脇田同心が口にしようとしたのは、この7月まで加役(かやく 火盗改メの冬場の助役(すけやく))であった島田弾正政弥(まさはる 37歳)も2500石の高碌での持ち高勤めをしていたということであった。

参照】島田弾正政弥は、2010年2月11日[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (

鍋をつつきおわると、平蔵三次郎に肝の甘醤油煮をもってこさせ、一つを本所・南割下水ぎわの組屋敷へ帰る脇田同心にもたせた。

それから、通路をへだてた向こう北側で鍋を賞味していた松造(まつぞう 22歳)に、
「ゆっくり呑んでゆけ。帰りにこれを持ち帰り、奥方へ渡せ。もう一ヶ所、確かめておきたいところへまわる」

三次郎から提灯を借りて、でていった。
提灯の灯は、新大橋をわたったのち、、どうやら、三河町の御宿(みしゃく)稲荷を目ざしているようであった。

ちゅうすけ注】三河町2丁目(現・千代田区内神田1丁目6)にある御宿(しゃく)稲荷は、『鬼平犯科帳』巻22長篇[迷]p113 新装版p108 で、平蔵おまさが待ち合わせの場所---御宿(しく)稲荷として登場。
 
参考御宿稲荷神社

【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] () () () () () () () 

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