ちゅうすけのひとり言(57)
物語の進行中の時制(安永4年)から1年後---安永5年(1776)4月13日に首途(かどで)した将軍・家治(いえはる 39歳)の壮挙である日光参詣に供奉(ぐぶ)の選抜をめぐる、幕臣のあいだの一喜一憂のはしばしを報告している。
とりあえず、長谷川家の本家・太郎兵衛正直(まさなお 67歳 1450石)がからんでいる、先手30組の選抜のリストを公開しよう。
(このリストは、本邦初出のはず)
弓組10組の組頭
(○選抜。 年齢は安永4年。1番組から順)
○平岡与右衛門近敬(ちかよし 74歳 300俵)
菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2024石)
○長田甚左衛門繁走尭(しげたけ 55歳 1300石)
蒔(まい)田八郎左衛門定賢(さだかた 39歳 1800石)
○能勢助十郎頼寿(よりひさ 72歳 300俵)
遠山源兵衛景俊(かげとし 68歳 400石)
○長谷川太郎兵衛正直(まさなお 67歳 14350石)
○嶋田弾正政弥(まさはる 39歳 2500石)
橋本阿波守忠正(ただまさ 65歳 500俵)
篠山吉之助光官(みつのり 60歳 500石)
鉄砲(つつ)組20組の組頭(同上)
三浦五郎左衛門義如(よしゆき 57歳 500俵)
大岡忠四郎忠居(ただおき 45歳 1430石)
杉浦長門守忠興(ただおき 55歳 620石)
○大久保弥三郎忠厚(ただあつ 55歳 550石)
○倉橋三左衛門久雄(ひさお 66歳 1000石)
○小笠原兵庫住甫(すみやす 38歳 300石)
荒木十右衛門政為(まさため 52歳 1500石)
○安部兵部信盈(のぶみつ 52歳 1500石)
○遠藤源五郎常住(つねずみ 59歳 1000石)
○松田善右衛門勝易(かつやす 53歳 1230石)
○浅井小右衛門元武(もとたけ 66歳 540石)
○山本備前守義詔(よしみち 59歳 300俵)
松本仁右衛門近富(ちかとみ 75歳 1,500石)
牧野内匠資成(すけしげ 1500石)
○織田図書信方(のぶかた 58歳 1500石)
戸田五助勝房(かつふさ 52歳 1500石)
市岡左兵衛正軌(まつのり 82歳 400石)
○熊倉兵庫頭茂政(しげまさ 47歳 300石)
○松下隠岐守照永(あきなが 52歳 700石)
こうしてリスト化してみると、選抜の基準はあってなきがごとし---ともいえる。
このさい、高齢者に華をもたせてもいないし、永続勤務を賞しているわけでもなさそうである。
基準がないところには、情実がはびこるともいえる。
さらに調査・考察を要する。
このリストが、以上の30名の後裔の方々のお目にとまり、ご先祖さまの日光随伴についてのエピソードが伝わっていたら、お聞かせいただきたいもの。
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コメント
そうでしょう、あの膨大な『寛政譜』から30人もの組頭の一人ひとりの経歴をあたり、日光へ供奉したかどうかを調べるだけでも大変なのに、組潤や年齢、禄高まで添えるというのは、なみたいていのことではないとおもいました。頭がさがりました。
投稿: 左衛門左 | 2010.05.29 06:11
>左衛門佐 さん
『寛政重修諸家譜』はすぐに繰れるように、本棚からおろして、椅子の上ら重ねていますから、それほど、面倒ではありません。
『柳営補任』も手近のところに置いていますから、組の番手を見たりすのはラクなのですが、氏名の誤記がときどきあるので、その確認に手間どります。
まあ、誰かがやっておかないと、鬼平学がすすみませんから、やっているようなものです。
すぐには、お役にたたないことばっかり、やっていると、自分でもあきれています。
投稿: ちゅうすけ | 2010.05.29 07:59