〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)(4)
その晩、平蔵(へいぞう 33歳)は、京都の米屋町の上品骨董商〔風炉屋〕の主人・勇五郎あてに書状をしたためた。
【参照】200736[初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎]
2009年7月20日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (1) (2)
下野(しもつけ)国河内郡(かわちこおり)戸祭村生まれの九助(きゅうすけ 22,3歳)のこころあたりはないか。
容姿は小太り、鼻が太めで、上唇に小豆(あずき)大の黒子(ほくろ)がある。
宇都宮城下といっていい荒針村は、〔狐火〕のお頭(かしら)の生地---笠間村からもさほど遠くないからご存じとおもうが、あの村の大谷寺(おおやじ)の大谷石の岩窟仏。
その釈迦像の台座の蓮花を1片はぎ取るという罰あたりなことをして出奔した者である。
もし、蓮華の1片を売りにきたら、住いや、したがっている頭領(かしら)も訊きだしてほしい。
捕らえるというわけではなく、蓮花を1片を取り戻したいだけである。
ついでだが、〔盗人酒屋〕の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年54歳)どんのひとりむすめ、〔狐火〕のお頭(かしら)も面識のあるおまさ坊が、〔乙畑(おつばた)〕の源八(げんぱち 40歳あたり)の世話になっておるらしい。
もし、お頭のところに顔をみせたら、拙がどんな相談にものると伝えてもらいたい。
封をし、表紙に宛名を書き、筆を洗ったところへ、次女・清(きよ 3歳)を寝かしつけた久栄(ひさえ 26歳)が寝衣すがたに、箱枕とはさみ紙を持って入ってきた。
「灯火(ともしび)の明かりが見えましたので---」
「ちょうど、いま、伏せようとおもったところであった。せっかくだから、しばらく休んでいけ」
「子守歌でも、歌いましょうか」
「久栄の歌声に眠るどころか、かえって、いきり立ちそうだわ」
「また、宇都宮でございますか?」
「寺社の戸田因幡侯の頼みでな」
「いい、なじみおなごでも、できましたか?」
「おお、3人ほどな」
「どれ、責めてみましょう」
「これ、もそっと、お手やわらかに---な」
「殿こそ、そこは、指より舌で---」
寺社吟味役見習い・小室兵庫(ひょうご 25歳)が、馬で迎えにきた。
宿泊は、宇都宮の池上町の下本陣・篠崎伝右衛門方であった。
大谷寺(おおやじ)は、日光道中を1里半(6km)ほど行った左脇にあった。
【参考】大谷寺、大谷公園
岩窟の巨大な半球形の入り口は、人を呑みこむように開いていた。
その手前で、小室見習いが用意の龕灯(がんどう)に、庫裡から火をもらってきた蝋燭を立て、1ヶを松造(まつぞう 27歳)に持たせた。
龕灯に照らされた案内の僧の影が大屋石の窟壁に大きく動き、説明声がひびきとなって反射した。
こそぎ取られていたのは、第2窟の釈迦三尊像の、まんなかの主尊・釈迦の坐像のうてな(台座)の二段目左端の花弁であった。
「素人が、どうのようにして岩片をはぎとったのであろう?」
平蔵の疑問に、
「このあたりの百姓や水呑みの中には、岩石切り人の組合に組みしているものが少なくないのです。九助は戸祭村の水呑みでしたが、岩石切り人でもあったので、工具を有しておったのです」
小室見習いが応えた。
「洞窟の入り口は、夜も閉めないのかな?」
「ご覧いただいたように、巨きな入り口なので、手がまわりかねます」
これは、案内の寺側の苦労談。
(赤大○=宇都宮城下 赤小○=大谷寺 青小○=荒針村
緑小○上かに新里(iにっさと)・岩原=宇都宮藩の大谷石切り出し場
下の緑小○=戸祭村)
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