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2011.11.10

月輪尼の初瀬(はせ)への旅(9)

第3泊は、高崎の手前の落合新町の脇本陣〔三俣(みつまた)屋〕に宿をとった。
江戸から23里14丁(94km)。

月魄(つきしろ)は幸吉(こうきち 20歳)をせきたてるようにし、宿の裏手の烏(からす)川へ青草を食(は)みにいった。
もちろん、辰蔵(たつぞう 16歳)は宿主へ3日分の飼料の手くばりを頼んだ。
明後日の碓氷峠越えにそなえたのである。

宿への手前もあり、風呂をいっしょするのはひかえていた。
月輪尼(がちりんに 24歳)は下帯などを洗うために長湯になるから、投宿するとまっさきに湯をつかった。

部屋で道中案内をめくっていると、来客が告げられた。
「誰だ?」
告げにきた番頭がいいよどんだ。

「誰だと、訊いておる---」
「城下の九蔵町(くぞうまち)の元締でございます」
「九蔵町の---?」
「お会いになりますか?」
「拙を訪ねてきておるであろう?」
「できますことなら、ほかでお会いいただきとう---」
「あいわかった」

玄関へでてみると、引退した相撲取りともおもえる巨躰が待っていた。
長谷川です」
「8年前にお父ごどんに世話になった〔九蔵屋〕の九蔵でやす」
41歳とはおもえないほど高い声であった。

「連れがいるので---」
断って、番頭から聴いた小料理屋へ案内しようとすると、
「わしの宿で呑(や)りやしょう」

〔三俣屋〕から3軒上手の旅籠〔笛木屋〕へ案内された。
部屋には若い者が2人待ちまえており、上座に座布団を2枚並べた。
「〔音羽(おとわ)の元締から、お連れの姐(あね)さんのことはうかがっとりやす。本陣の番頭にご案内するようにいいつけときやした」

九蔵は、息子の十三蔵(とさぞう 18歳)を〔音羽〕の重右衛門(じゅうえもん 58歳)のところへやり、〔化粧(けわい)読みうり〕の中仙道板の板行の支度の修行をさせていると説明した。
深谷と浦和の元締の息子も預かってもらっていると話したところへ、九蔵が「姐さん」と呼んだ尼がみちびかれてきた。

膳がはこばれ、酒がすすめられた。
月輪尼が仏につかえる身なのでと謝絶すると、
「般若湯でやすから、形だけでも受けてくだせえ」
辰蔵も、不調法でと断ったが注がれた。

それでは、お父ごが高崎城下でのみごとりなお手並みをお聴かせしやすと、8年前の宝船の張りつけ刑の一幕を、とつとつではあるが、あちこちでいくどもしゃべっていたらしく、よどむことなく語った。

参照】2010年8月11日~[安永6年(1777)の平蔵宣以] () () (
2010年8月19日~〔〔銀波楼〕の女将・小浪] () (
2010年8月26日~[西丸・書院番3の組の番頭] (
2010年8月29日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () (

辰蔵は、父・平蔵(へいぞう 40歳)の妙智に驚嘆しながらも、盗人・仁三郎を独断で見逃したり九蔵のような裏社会の大物と平気でつきあう理不尽さに反発しながら聴いていた。
しかし九蔵は、姐さんが双瞳(りょうめ)をかがやかして聴きいっているのに気をよくし、
「お父ごどんのご配慮は、てめぇのような半端者をきちんと藩の役職のかたがたへつなぐところまで及んでいたことでやす」
辰蔵を気づかった月輪尼は、瞳だけで九蔵へ合意を送り、口では、
「因果いうもんでおますなあ」
つぶやいただけであった。


宴がおわり礼をのべると、
「高崎城下からここまで2里半(10km)ちょっとでやす。高崎でお待ちしようかともおもいやしたが、お引きとめしてはかえってご迷惑と断じ、かように押しかけてめえりやした。お会いできて満足でやす。よいお旅を---」

脇本陣へ戻っても、敬尼(ゆきあま)は平蔵の名を口にしなかった。

辰蔵が湯から上がってくる前に、湯文字ひとつをまとい、灯芯をさげて寝床で待った。


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コメント

初めてコメントさせていただきます。
仁三郎の事件のころからこのブログにアクセスするようになりました。
平蔵が火盗改の長官に就任する前にも事件にかかわっているように工夫されているので、『鬼平犯科帳・前記』と自分流になっとくして読ませてもらっています。
【参照】というかたちで過去の関連事項にリンクがはられているので、スタート時点からアクセスしているような気分です。
これからも楽しませてください。

投稿: 三次郎 | 2011.11.10 05:44

>三次郎 さん
ようこそ。このブログ、もうすぐ7年になるかな。
ですから、過去コンテンツにリンクをはらないと、ストーリイがつながってこないところも多いのです。ブロガー自身(ちゅうすけのこと)がわすれっぽい気質なので、リンクは自分のためでもあります。
これからも、平蔵といっしょに好女にであいましょう。

投稿: ちゅうすけ | 2011.11.11 06:07

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