お通の祝言(2)
医師・多岐安長元簡(もとやす 31歳)に平蔵(へいぞう 40歳)が頼んだことは、もう一つあった。
渋塗り職・弘二(こうじ 22歳)の母親の病因の診立てであった。
弘二が半日仕事を休み、お濃(のう 44歳)を無理やり、石島町から外神田,佐久間町の躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)へ連れだした。
お濃は頭痛持ちであった。
亭主の弘造(こうぞう 享年43歳)が3年前に逝ってから、頭痛がはげしくなったといって昼間っから,寝こむ日が多くなった。
元簡の診断では、躰には異常が見つからなかった。
中年の後家にありがちな性的欲求が満たされない精神的なものと判断せざるをえなかった。
「安っさん。人助けとおもって相手の男を見つけてやってよ」
平蔵が気軽にいいつけた。
44歳といえばお通(つう 18歳)の母親・お粂(くめ)も同齢であるが、こちらには松造(よしぞう 34歳)という生きのいい齢下の亭主がついていて、そっちの不満はない。
不満があるとすれば、お通が同居しているので、閨声(ねやごえ)があげられないことぐらいだ。
お通と弘二の祝言の媒酌役の小浪(こなみ)も、職業がら若づくりをしている46歳だが、8歳下の今助(いますけ38歳)にそっちのほうは不自由していないから肌にも張りがある。
ずっと独身だったお勝(かつ)も44歳だが、30すぎまではお竜(りょう)という立役がい、そのあとは自分がその役につき、18も齢下のお乃舞(のぶ)とこのあいだまで睦んでいたから水っ気を失っていない。
ほかならぬ平蔵から橋わたし役を押しつけられた元簡は、お濃と同じ本所・石原町の菓子舗〔美濃屋]の隠居・墨卯(ぼくぼう 52歳)に目をつけた。
墨卯は俳号で、隅(墨)田川の卯(東)の住人としゃれたつもり。
〔石原おこし〕と名づけたおこしの本舗を軌道にのせていたが、半年前に連れあいを亡くしたのを機に店を息子にゆずり、盆栽いじりと句吟の風流ごとに打ちんだものの、このところ目がかすむようになったと、町医から紹介されてきた。
(〔美濃屋〕の石原おこし 『江戸買物独案内』1824)
〔美濃屋〕墨卯とお濃が同時刻に診察にくるように計らい、
「おや、濃の字つながりで石原町ご近所同士とは奇遇ですな。濃(こ)い仲(恋仲)というご縁かも。〔美濃屋〕さん、お帰りに池の端(いけのはた)あたりでお茶にお誘いになったら---?」
暗示をかけた。
魚ごころに水ごころ---その日のうちに池の端の出合茶屋でできあった。
させたいと したいは直(じき)に できるなり
まさか、墨卯の句ではあるまい。
夕刻になると隠居部屋へ通い、かすみ目に効くといわれた人参に竹節(ちくせつ)人参の小片をまぜて擂鉢(すりばち)ですった汁をせっせと呑ませては泊まりこむものだから、お濃の頭痛も霧散してしまった。
【参照】2010年2月18日~[竹節(ちくせつ)人参] (1) (2) (3) (4)
弘二の祝言の翌日には、新夫婦をおっぽって箱根の湯へ2人で湯治にいく約束もできていた。
そうだ、祝言の2日前、お通(つう 18歳)と弘二への、多岐元簡先生の名講義のつづきがあった。
弘二の玉棒をつまみ、陰唇をみずからひらいてみちびき入れる---お通の顔が赤林檎のように火照っていたところでお茶がはいった。
「玉門に入っても、弘二どの、先へすすんではならぬ。しばらく、入り口で待て。お通も腰をあげて求めてはならぬ」
「なぜですか?」
「お通が乙女(おとめ)だからだ。乙女から一人前のおんなになる関所があってな」
「奈々(なな 18歳)さんに聴きました。ちくっと一瞬だそうです」
「覚悟していれば、耐えられる痛みだ。弘二どのはお通どのに覚悟を訊け」
「なんと---?」
「しあわせにするから、通っていいか?---と」
「通って---」
お通が悲鳴のような声をあげた。
【ちゅうすけ注】元簡先生がさらに、2010年12月17日[医学館・多紀(たき)家] (6) に引いた「第五章 臨御(---房事におよぶ前---(前戯))]読んできかせたことはいうまでもない。ご参考までに。上のオレンジ色の数字をクリック。
【参照】多岐安長元簡と長谷川平蔵の関係。
2010年12月12日~[医学館・多紀(たき)家] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
2010年12月18日~[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2010年12月31日~[〔三ッ目屋〕甚兵衛] (1) (2) (3)
2011年7月27日[天明3年(1783)の暗雲] (7)
2011年9月4~日[平蔵、西丸徒頭に昇進] (4) (5)
2011年10月12日[日野宿への旅] (4)
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コメント
相生町のお藍(らん)です。
「しあわせにするから、通っていいか?」
そんなこと聞かれなかったなあ。いきなり、でしたよ。
もちろん、しあわせにしてくれると思ったから侵入を許しましたが。
でも、披露宴の晴れ晴れしさもいいですが、こういう一生をきめるマナー、もっとひろまっていいですね。
投稿: 相生町のお藍 | 2011.12.19 12:58
乙女の徴しに重きをおいていた人たちがいた時代の物語ですから。
いまは、それより、人柄をもっと重視しているのではないでしょうか。
投稿: ちゅうすけ | 2011.12.20 08:39