〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵の年譜
〔大滝〕の五郎蔵の年譜
6尺余の大男 [4-7敵]p239 新p251
元文3年(1738)
生? 秩父郡最奥の大滝村の出?
東近江の犬上川上流の大滝?
初登場[4-7敵]のときに52歳として。
安永3年(1774) 〔簑火(みのひ)〕の喜之助一味から
(37歳) 〔五井(ごい)〕の亀吉ととともに独立
[4-7敵]p241新p253
安永8年(1779)秋 駿府城下の笠問屋〔川端屋〕彦兵衛方へ
(42歳) 押込んだあと、〔ならび頭〕の〔五井〕が
行方知れずに。 [4-7敵]p242新p254
天明元年(1781) 手ぐせの悪い遠州無宿の熊治郎を追放
(44歳) [6-6 盗賊人相書]p222 新p233
上州高崎の薬種問屋〔近江屋〕へ〔長尻〕
のお兼を引き込みに
[24 二人五郎蔵]p88 新p84
〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉が〔万福寺(ま
んぷくじ)〕の長右衛門の下から五郎蔵の
配下 のち一人ばたらき
[12-3見張りの見張り]p123 新p130
〔岡ノ井(おかのい)の弁五郎〕
[12-4 密偵たちの宴]p179 新p189
天明8年(1788)春 上州沼田城下の材木商〔須田屋〕伊左衛門
方へ押込み 200両余盗む。
(51歳) [4-7敵]p244 新p256
高崎在、大庄屋:萩原忠兵衛方へ忍び入
った時、〔砂井(すない)〕の鶴吉が下
女を冒したので、追放。
[7-4 掻掘のおけい]p113 新p119
平塚の宿場はずれの隠れ家にいたとき、
〔和尚(おしょう〕の半平の使いの〔黒
灰(くろはい)〕の宗六が訪ねてきた。
[7-4 掻掘のおけい]p128 新p134
寛政元年(1789)晩夏 (50男) [4-7敵]p239 新p251
〔坊主〕の湯の番人 嘉六
[4-7敵]p243 新p256
富治、千次郎など〔坊主〕の湯へ
[4-7敵]p243 新p255
右腕〔牧原(まきはら)〕の富治
[4-7敵]p243新p255
福太郎 [4-7敵]p255 新p268
〔小妻(こづま)〕の伝八
[4-7敵]p247 新p259
密偵となる [4-7敵]p271 新p285
師走 [5-1深川・千鳥橋]p21 新p21
寛政2年(1790)秋 日本橋南 1丁目の呉服屋〔茶屋〕新四
郎方へ押込む予定。
[4-7敵]p243 新p255
寛政3年(1791)盛夏 五郎蔵が 6尺余の巨体を、粂八と共に役
宅へあらわす。
めっきり増えた白いもの。
[6-6 盗賊人相書]p222 新p233
寛政4年(1792)正月 両国橋で〔井尻(いじり)〕の直七を
見かける
[7-2 隠居金七百両]p62 新p65
初春 〔大亀(おおがめ)〕の七之助を見か
けて宗平とともに役宅へ
[7-3 はさみ撃ち]p84 新p89
晩夏 50をこえた
[7-4 掻掘のおけい]p111 新p116
平蔵から〔砂井〕の鶴吉を密偵に仕込む
ように、と。
[7-4 掻掘のおけい]p143 新p150
寛政5年(1793)夏 〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛逮捕に
[8-3 明神の次郎吉]p116 新p122
晩夏 もんどり(もんどり)の亀太郎逮捕
[8-5 白と黒]p221 新p233
晩秋 〔雨引(あまびき)〕の文五郎の手札を
[9-1 雨引の文五郎]p12 新p13
10月 30をこえたおまさと結ばれる。
[9-2 鯉肝のお里]p71 新p75
12月 相生町の家へも帰らず
[9-3 泥亀]p95 新p99
寛政6年(1793)1月 三好屋幸吉の面体を、じつは
〔白駒(しろこま)〕と見破る
[9-5 浅草・鳥越橋]p187新p195
[9-6 白い粉]p208 新p217
夏の終わり 弥勒橋上で虚無僧姿で彦十を打つ。
[10-5 むかしなじみ]p198 新p219
寛政7年(1794) [12-4 密偵たちの宴]
春から10月
寛政10年(1798)残暑 (40をこえ)きりっとした顔立ち
[20-7 寺尾の治兵衛]p262 新p262
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