〔菊川〕の仲居・お松(10)
それから6日後---。
浅草・柳橋の料亭〔梅川〕で、2人の客が、座敷仲居・お松(まつ 30歳前?)の酌を受けている。
村夫子然とした50男を、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)が見たら、〔名草(なぐさ)〕の嘉平(かへえ)と指摘するはずである。
お松が料理と酒をはこんできたとき、とつとつと話しかけたものだ。
「お貞(てい)さんが、こんな立派な店で働いとるちゅうようなこたぁ、下石原村のもんは、だあれもしってはおらん。えろう、出世なさった。村の自慢だがや」
お貞というのが、お松の生まれた村での名らしい。
いまの盗賊仲間はだれも知らない幼な名で「お貞」と呼びかけた嘉平を、いまのお松の元・お貞は、すっかり、信用してしまった。
嘉平は、下野(しもつけ)国足利郡(あしかがこおり)名草村の出のはずだが、この日は、武蔵(むさし)国大里郡(おおさとこおり)熊谷宿はずれ・下石原の村人と称している。
もう一人の、商家の番頭ふうにつくった35歳前後の男は、足利の在の出の〔樺崎(かばさき)〕の繁三(しげぞう)だが、この日は、深川・熊井町の水油仲買店の番頭と名のった。
(深川熊井町の油仲買人 『江戸買物独案内〕』1824刊)
「熊谷あたりが、お松さんのような麗人の産地とは、知りませんでしたよ」
如才のないお世辞づかいも、いかにも商人らしい。
繁三の横には、深川・佐賀町の銘菓店〔船橋屋織江〕と刷った化粧紙をかけた箱が2個置いてある。
【参照】2008年8月9日[〔梅川〕の仲居・お松] (8)
4,5杯差されたお松のお貞---お松でとおす---が、箱に目をとめ、
「あら。〔船橋屋〕さん」
「黄粉(きなこ)おはぎですよ。わたしゃあ、あの店の黄粉おはぎに目がなくてねえ。それで、久しぶりで嘉平さんとお食事ができるというので、おみやげにと、求めてきたんです。〔船橋屋〕さんは羊羹(ようかん)が名代だが、わたしゃあ、黄粉おはぎのほうが数段、おいしいとおもっていますのでね」
「わあ。あたしと同じに、お舌の肥えた人がいたんだ」
「おや。お松さんもですか。舌が肥えているのか、下(した)が越えているのかはともかく、黄粉おはぎは絶品ですよねえ。わたしゃあ、店が近くだから、また買えばいい。一箱は、お松さんに進呈しましょう」
「いただいちゃってよろしいのかしら? いいえ、遠慮はいたしません。とっても嬉しい。ありがとうございます。今夜が愉しみ」
「ご相伴したいものだ」
「なにか、おっしゃいましたか?」
「いえ、いえ」
〔樺崎〕の繁三は、じつは、きのう、熊谷から帰ってきたのである。
(中仙道・熊谷宿あたり 下石原村は熊谷宿の先 『五街道細見』付録)
(中仙道 熊谷-久保嶋間の街道ぞいの村々 岸井良衛『五街道細見』)
熊谷まで出かけたのは、もちろん、お松の生家を内偵するためである。
ついでに、熊谷なまりも仕入れてきて、〔名草〕の嘉平に、半日かけて伝授し、それから、〔梅川〕へ乗り込んだ。
店には、同郷だから、お松をつけてほしいと、前もって指名しておいた。
お松が、〔梅川〕を辞めざるをえないような大失策を演じたのは、嘉平や繁三がきた、翌日の座敷であった。
朝から下痢で、半刻(はんとき 1時間)おきに厠(かわや)へかけこんでいた。
(北斎 下痢に悩むお松のイメージ)
店へはおむつをあててでた。
ところが、客に配膳したとき、派手な音とともにおむつからあふれ、裾からながれだしたのである。
引き込みがしくじったために、〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへえ)は、〔梅川〕への押し入りの企みをあきらめた。
お松には、しばらく、温泉へでも行って、養生してこいと命じた。
下したのは、食べた黄粉おはぎだけではなかったのである。
孕(はら)んでいたお頭の子まで、流してしまっていた。
「ご亭主。〔船橋屋織江〕の黄粉おはぎに仕掛けをしたとはわかっているのですが、黄粉に何をまぜたのですか?」
「朝顔の種を石臼で挽いて、くちなしで黄色に染めたのです」
忠助が答えたのは、銕三郎が初めて耳にする、朝顔の種の薬効だった。
「便秘がちだったお松なのに、みごとに効きすぎましたね」
「効きすぎってこたあありません。座敷でど派手にやるところまで、企んだとおりでしたよ」
お松のおはぎ好きか推(お)して、ひと晩のうちに5個入りの1箱全部を食べきることも想定していたらしい。
おはぎ1個でも、ひどい下痢になるほどの薬効が秘められているというのに、5個も食べたのだから、効くとともに、その分がすべて水っ気となってくだるのだから、たまったものではない。
「最初は、いまごろ咲いているドクダミの干したのを、煎じて飲ませようとかんがえたものの、飲ませる手立てをおもいつきませんでした。鳶尾根(えんびこん)は薬種(くすりだね)問屋で買わないと手に入らない。足がそこからつきそうで---」
「鳶尾根って?」
「菖蒲(しょうぶ)に似た花の根ですよ」
「詳しいんですね」
「おまさの死んだ母親・美津(みつ 享年=26歳)も便秘がちで、いつも家の薬箱にあったんですよ。朝顔の種はきつすぎてちょっと危険でもありましたが---。
ほんとうは、南蛮仕入れの千菜(センナ)がほしかったのです。しかし、長崎へ行っても手に入るかどうかって薬草ですからね。
ま、こんどのことは、長谷川さまが、お松の、〔船橋屋織江〕の黄粉おはぎ好きを探索してくださったおかげです」
「つまり、お仲どの自身が自分の命を---」
「お仲って?」
忠助(ちゅうすけ)は問うてから、銕三郎の顔を見た。
「お留どのの、〔橘屋〕での名です。しかし、〔初鹿野(はじかの)〕の一味が、江戸でのおつとめをあきらめて去れば、お仲どのは、お留に戻れるわけですね」
銕三郎は、あらぬほうに目をやって答えた。
「まだ、油断は禁物です。しかし、困っている人を助けるって、気分のいいものですな。繁三さんも嘉平爺(と)っつぁんも、いい気分だって笑っていましたよ」
忠助も銕三郎も、お松が、〔初鹿野〕の音松(おとまつ)の子を流したことまでは、気づいていない。
おまさ(11歳)が訊く。
「お絹さん(12歳)、また、〔中村屋〕さんへ戻っちまうのですか?」
「事は、まだ片づいたわけではない」
【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (11)
【ちゅうすけからのお願い】熊谷近郊の鬼平ファンの方---熊谷なまりのつもりでしゃべっている嘉平の言葉つきを、正調・熊谷弁に書き換えてください。
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