〔うさぎ人(にん)〕・小浪(6)
主要な用件が無事におわり、気がゆるんだのか、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)と、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)には、酒がほどよくまわっていた。
本所・四ッ目の通りに近い〔盗人酒屋〕である。
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、もともとはたしなまなかったのだが、付きあう者たちのこともあり、このところ腕がややあがってきたとはいえ、だいじな場ではひかえている。
だから、さほどには呑んでいない。
〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 46歳)は、これから店をやらなければならないので、酌をするばかりで、杯には手をふれもしていない。
話題が一段落したところで、銕三郎が〔狐火〕に問いかけた。
「お頭は、京都が本宅でしたね?」
勇五郎は、機嫌よく、
「さようですが---?」
「もし、よろしければ、京・荒神口で太物(木綿の着物)の店をだしていた〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 49歳)という仁の、その後をご存じでしたら、お教えください」
「〔荒神」のが、どうかしましたか?」
「あの仁の、箱根の関所抜けを手伝ったために、職をうしなった知り合いがおりまして---」
「なんと。助太郎どん、関所抜けまでやりましたか。あは、ははは---」
【参照】[於嘉根(おかね)という名の女の子] (1) (2)
[荒神(こうじん)の助太郎] (8) (9) (10)
「いまの住まいをご存じですか?」
「御所の東の荒神口ではないのですか?」
「店は抜け殻同然になっているのです」
「源七どん。なにか耳にしているかな?」
「いいえ。一向に---」
どうやら、虚言をつかっている気配でもない。
「三島か沼津のあたりに別宅を構えているという噂はお聞きになっていませんか?」
「はて---」
銕三郎は、脈なし、とふんであきらめた。
「長谷川さまは、なにゆえに、〔荒神〕ののことを?」
逆に、〔狐火〕のほうが訊きかえしてきた。
「〔中畑(なかばたけ)のお竜(りょう 29歳)どのがらみでおもいだしたものですから---」
「これは聞き捨てにできませんな。お竜がらみといいますと---?」
しばらくためらってから、銕三郎が答えた。
「賀茂(かも 27,8歳=当時)というおんなおとこ(女男)に、ややを孕ませたらしいと聞いたもので---」
ぷっ、とむせた勇五郎が、
「失礼。おんなおとこにややを孕ませたというので、つい---で、そのややは、男の子、それとも---」
「そこまでは---」
「いや、他人ごとと笑ってはいけません。手前もお静に産ませておりますからな。〔荒神〕のが知ったら、齢甲斐もなく---と笑っておるかも---」
【ちゅうすけ注】ご推察のとおり、、〔荒神〕の助太郎が賀茂に産ませた女の子が、のちに、2代目を襲名した〔荒神〕のお夏(なつ)である。お夏は、おまさが忘れられなくて、未完[誘拐]で、おまさを攫(さら)わせた。このブログは、おまさの無事の救出をもって終わる予定である。20数年先の話なので、ゆっくりとすすめている。
「お竜どのには、ありえないと?」
訊きかえした銕三郎に、忠助が、2階への階段を気にしながら、
「銕っつぁん。お頭の中には、ご存じの〔法楽寺(ほうらくじ)の直右衛門(なおえもん 42歳)お頭のように、配下のおなごの躰を熟させて、おもうように操るお人も少なくはありません。しかし、〔狐火〕のお頭と〔蓑火〕のお頭、それに〔乙畑(おつばた)のお頭は、それをなさらないということで、仲間内でとおっております」
(つまり、お静は、囲われているだけで、盗みの道はしこまれていないということか)
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻4[血闘]で、天明8年(1788)10月の初旬、30歳をすぎたおまさが10数年ぶりに火盗改メ・本役に任じられたばかりの平蔵宣以(43歳)を訪ねてき、「密偵」になることを申しでる。そのとき、おまさが属していたのは〔乙畑〕の源八(げんぱち)一味であった。が、じつは、これは2度目のお勤めで、おまさは17歳のときに父・忠助と死別するのだが、遺言のようなかたちで、「お前が盗みの道にはいるなら、おれやお紺(こん)さんとのかかわりから〔法楽寺〕のお頭の配下ということだろうが、躰を自由にされるのが嫌なら、〔乙畑〕のお頭のほうににつくんだ」と言いのこしたために、おまさは、最初のお頭として源八を頼った。
「お頭。おさしつかえなかったら、もう一つ---」
「なんですかな?」
「小浪(こなみ 29歳)どのが、一味に加わった経緯(いきさつ)を---」
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コメント
おまささんが、最初に乙畑のお頭の配下になったのは、そういうことだったのですか。たしかに、法楽寺に直右衛門はおみねを女に仕込みましたものね。
ちゅうすけさんのように読んでいくと面白さが10倍になりますね。
投稿: tomoko | 2008.10.28 06:04
おんな好きの首領は、〔法楽寺〕の直右衛門にかぎりませんよね(おんなは怖い---という男性はいても、女が嫌いという男性は、あまり知りませんが)。葵小僧はのは異常としても、[浅草・鳥越橋]の〔傘山〕の瀬兵衛、〔夜針〕の音松、〔白根〕の万左衛門、〔妙義〕の団右衛門---その好きぶりもいろいろで、空想してみるだけでも、面白さは倍化します。
『鬼平犯科帳』は、料理もそうですが、読み手の空想を触発する要素が多いですね。
おんなおとこの〔中畑〕のお竜も、〔白蝮〕の津山薫からヒントを得ました。
tomoko さんも、ご自分なりの楽しみ方を発見なさったら、教えてください。
投稿: ちゅうすけ | 2008.10.28 07:45