〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門
「あ、あれは長助」
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)がつぶやいたので、頭巾姿の久栄(ひさえ 16歳)が、
(え?)
といった目で見上げてきた。
風が強い。
(清長[風の強い日]部分)
〔盗人酒屋〕で、おまさ(11歳)の手習いをみてやった帰りで、銕三郎はいつものように久栄を和泉橋通りの大橋家まで送っていく途中であった。
両国橋を本所側から西へ渡りきったところで、その男の横顔をたしかめたのである。
男が橋の西詰を柳橋のほうへ曲がったとき、青々とした顎の剃りあとをさらした。
「久栄どの。お願いしてよろしいか?」
「私にできることでした、なんなりと---」
「あの2人づれの行く先を確かめていただきたいのです」
「薄茶の極細縞の着物の男と、紺地に小紋をちらした男ですね。どちらがお目当てなのでしょう?」
「極細縞の、手の甲まで毛むじゃらの男のほうです。ただし、浅草の今戸橋より先へ行ったら、あきらめてください。経緯(ゆくたて)は、文にして、下僕にでも、そこの米沢町の裏道の、よみうり屋の紋次(もんじ 25歳)というのに、拙あてとどけるようにことづけて---」
「わかりました。では、吉報をお待ちください」
久栄は、頭巾姿のまま、長助を尾行(つ)けにかかった。
男は、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の手下で、長助(ちょうすけ 24歳)と呼ばれていた。
出会ったのは、東海海道・六郷(ろくごう)の渡し舟でいっしょになった。
(六郷の渡し場 『江戸名所図会』 塗り絵師]:ちゅうすけ)
銕三郎が、去年、阿記(あき 享年25歳)の病気見舞いに芦ノ湯へ向かっていたときのことである。
手の甲の指にまで目立つほどの毛がのびていたので、覚えていた。
【参照】2008年7月25日 [明和4年(1767)の銕三郎] (9)
裾をなびかせて尾行(つ)けている久栄の後ろ姿を見て、銕三郎は、すぐに、
(危(や)ばい)
とおもった。あまりにも、近づきすぎている。
とっさに、久栄のあとを尾行(つ)けることにした。
長助と顔を会わせたことがあるので警戒されてはと、つい、久栄に頼んだが、16や17の素人むすめにさせることではなかった。
柳橋の篠塚稲荷(現・台東区柳橋1丁目)前をとおって、蔵前通りから鳥越橋を渡っても、久栄は振り返りもしない。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻9[浅草・鳥越橋]で、〔押切(おしきり)〕の定七にだまされた〔風穴(かざあな)〕の仁助が、女房・おひろを寝取られたとおもいこみ、首領〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛を刺殺するのが、この鳥越橋。p202 新装版p210
駒形堂もすぎた。
(駒形堂 『江戸名所図会』 ぬり絵師・ちゅうすけ)
【ちゅうすけ注】『剣客商売』の名脇役・長次とおもとが出している酒飯店〔元長]は、この駒形堂の横手にある。
と、久栄が立ち止まって、きょろきょろとあたりを見回している。
その久栄を、着くずした若いのが3,4人、取かこんだ。
久栄は、首をふっている。
一人が、久栄の腕をつかもうとした。
銕三郎か走るように近寄り、
「お女中、どうかしましたか?」
声をかけた。
「あの---」
久栄の声は、震えてている。
男たちを見渡すと、その中に、今戸の香具師の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)のところの、今助(いますけ 21歳)がいた。
「おや。今助どのではありませんか。こちらのお女中がどうかしましたか?」
今助は、照れて、
「長谷川先生がいらっしゃるたぁ、存じませんで---」
若い連中に去るように目で合図し、
「先生。ちょっと、そこの茶店まで、おつきあいくだせえ」
「わかりました。お女中。この今助どのは、拙の稽古仲間ですから、もう、何もおきません。どうぞ、お行きなさい」
久栄は、銕三郎とは赤の他人ででもあるように、丁寧に礼をのべて、三間町の方へ左へ曲がって行った。
「今助どの。奇遇でしたな。では参って、話をうかがおう」
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