〔真浦(もうら)〕の伝兵衛
日本橋川に架かる江戸橋の東から南へ分かれる堀が楓(かえで)川である。
その西側の河岸が本材木町一丁目---人びとは木更津(きさらづ)河岸と呼んだ。
内房総・木更津湊への往還船が発着したからである。
人と荷を運ぶ往還船は、通称を〔木更津船〕といい、木更津側の特権であった。
大坂の陣に徴発された木更津の水主(かこ)の半数が死亡した補償として、船主たちに近隣の幕府領の米のほか、人と荷を運ぶ独占権を与えたといわれている。
船着きの茶店で、火盗改メ・永井組の同心・有田祐介(ゆうすけ 31歳)と茶をすすりながら出船を待っていた銕三郎(てつさぶろう 26歳)は、前を横切って桟橋へおりていった揚げ帽子のおんなの横顔に、おもわず茶碗を床机(しょうぎ)に落としそうになった。
〔中畑(なかばたけ〕のお竜(りょう 32歳)にそっくりだったからである。(清長 お竜のイメージ)
付きそっていた商人風の細面の色の黒い小ぶりな三十男は、〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち)にちがいない。
亀吉に会ったのは3年前、小浪(こなみ 29歳=当時)の店だったが、油断のならない盗賊として記憶に焼きついている。
【参照】2008年10月9日~[五井(ごい)]の亀吉] (a) (b) (c)
(それにしては奇妙だ。亀吉は〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)一味の2番手の小頭だし、お竜は〔蓑火〕から初代・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50がらみ)にゆずられて、上方へ移ったはずだが。
いや、先日の文(ふみ)では、相方(あいかた)のお勝(かつ)がまたぞろしくじって、一味にいられなくなるかもしれないと書いてきていたから、〔蓑火〕へ戻ったのか?)
【参照】2009年4月30日~[お竜(りょう)からの文] (1) (2) (3)
それとなく、船のほうへ視線をやりながら、
「有田どの。そろそろ、乗りますか?」
「急ぐにはおよびませぬ。われらの席は、すでにおさえてあります」
野袴すがたの有田同心は、すでにお上(かみ)のご用風をふかせて、上席をとらせたらしい。
茶のお代わりをいいつけている。
「有田どの。水気をとりすぎると、木更津湊までに尿意をもよおしますぞ」
「なに、5年のあいだに1男2女をもうけた名刀を、江戸前の魚どもに見せてやりながら、艫(とも)で放つまでのこと」
「下(しも)つ者たちの上に立つ同心どのがそれでは、しめしがつきますまい」
冷やかしながら、銕三郎は、供の松造(まつぞう 20歳)に、
「先に乗って待つように---」
言いつけ、茶代をはらおうとすると、
「あ、長谷川うじ。ここは気づかいは無用です。では、そろそろ、乗りますか」
有田同心は、茶店の爺に手で合図して、立った。
(火盗改メがこれでは、町方の者が迷惑する。おれが頭になったら、きびしく締めつけよう)
【参照】2006年4月26日[水谷伊勢守が後ろ楯?]
2006年6月17日[町々へ触れを出したとき]
乗船するとき、銕三郎は客席に視線をやったが、屋根の下には陽がとどかず、艫(とも)の近くは薄暗かった。
(他人の空似かなあ。それにしても---)
船方が有田とその小者、銕三郎と松造のためにあけておいた座席は、乗りあいの客たちからやや離して、舳先(へさき)にもっとも近かった。
船は、日本橋川から大川へでると、帆をはって風まかせになった。
「風が冷とうございましょう」
船方が刺し子の上掛けを4人に渡してくれた。
木更津までは海上15里(約60km)、順風だと2刻(4時間)から2刻半(5時間)である。
そのあいだ、銕三郎は背中に注がれているにちがいないお竜の視線が気になり、話しかけてくる有田同心にも、生ま返事をつづけた。
有田も途中からそれに気づいて、話しかけるのをおもいとどまったようである。
沖合いに出、筑波山のかわりに、上総の低いなだらかな山なみが望めるようになると、舳先が南へ向く。
風までが柔らかくなったようだ。
あきらめた銕三郎が、乗客に聞こえないように、
「〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(でんべえ 28歳)は、木更津あたりに潜んでいますかな」
有田同心の耳元でささやくと、びっくりしたように、
「長谷川うじは、どこと見当をつけておられますかな?」
逆に訊きかえしてきた。
「他(よそ)者が潜むのに、在方(農村)は無理でしょう。木更津なら、荷積みこみ人足たちの宿にもぐりこめますが---」
「手前も、そこをかんがえておりました。木更津の村々の村役人たちへは、すでに達しがとどいているはずです」
船が木更津湊へ着き、渡り板が置かれると、われ先にと乗客が下船口へ寄ってきた。
船方が、
「待った、待った。お役人衆が先だ」
乗客たちがざわめいた。
有田同心は馴れたもので胸をはり、小者をしたがえて真っ先に渡り板にのぼった。
銕三郎は、目の隅にお竜の姿を認め、松造を先に行かせる。
銕三郎が動いたとき、左手になにかが押し込まれた。
横にお竜がいたが、目は、あらぬほうを見ている。
下船し、番屋で茶をふるまわれたとき、厠を借りて掌の中の紙切れを開いてみた。
「今夜、桜井村 下すわ神社」
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コメント
江戸時代小説を読んでいると、木更津河岸という文字をよく目にしていました。どこなんだろうとおもっていて、きょうのブログで氷解しました。江戸橋の南詰西河岸だったんですね。
木更津まで4時間か5時間の船旅だったてこととも分かりました。
便船が残っていたら、乗って、房総の山並みを望見してみるのもおもしろそう。
投稿: kayo | 2009.05.21 04:58
>kayo さん
じつは、いまから6年ほど前『御仕置例類集』16巻18万5000円が欲しくて、揃えていた江戸の技術書20数巻にいろいろ添えて交換したのです。
技術書の中には、架橋工法とか航海術もありました。
あれがあったら、もっと早く、銕三郎を木更津へ行かせられたのです。
世の中、うまくいきませんね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.05.21 09:23