お静の死
5日後の夕方、竹屋の渡しで今戸へ着いた平蔵(へいぞう 32歳)は、今戸橋脇の〔銀波楼〕を訪ねていた。
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 61歳)と会うためであった。
3年ぶりの源七は、60歳をこえて、鋼(はがね)のような筋肉質の躰つきのかつてのおもかげはなく、皺がふえ、真っ白な頭はうすくなっていた。
女将・小浪(こなみ 38歳)の酌の盃を干し、
「その後、川原町米屋町のほうはお変わりなく---?」
あいさつ代わりI訊いた。
川原町米屋町には、〔狐火(きつねび)〕一門の首領・勇五郎(ゆうごろう 57歳)が表の家業としてやっている高級骨董の〔風炉(ふうろ)屋〕があった。
【参照】2009年7月8日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (1) (2)
返事は、おどろくべき報らせであった。
「お静(しず)姐(あね)さんがお歿(なくな)りになったことは、お耳に達しておりましょうか?」
「えっ?」
平蔵ばかりでなくでなく、〔狐火〕のうさぎ人(にん)・小浪も亭主・今助(いますけ 30歳)も仰天した。
お静(享年26歳)は、〔狐火〕の勇五郎の内妻同然の愛妾であった。
源七が語ったところによると、去年の師走に風邪をじらせ、あっけなく逝ってしまったのだという。
【参照】 2008年6月日~[お静という女](1) (2) (3) (5)
「お静姐さんまで---」
ようやく声をだした小浪に、
「---までとは? 親父さんはお静どのの死を---?」
「いえ。平井新田のお父はんのことやおまへん。一作年(おととし)、お吉(きち)姐はんが逝(い)かはったばっかりやったんどす」
お吉(享年 38歳)は、小田原で勇五郎に囲われていたが、本妻のお勢(せい)が3歳の文吉を残して逝ったので、文吉と同年に生まれた又太郎ともども京都へ引きとられた。
銕三郎(てつさぶろう 27歳=当時)が京都Iにいたときは、蛸薬師通りの家に、ともに16歳の2人の男の子たちと暮らしており、お勝(かつ 32歳=当時)が居候していた。
「それでは、〔狐火〕のお頭もお気をお落としであろう」
「それが、人間、いつ、なにがどうなるものわかったものではないと、お仕込みに熱がはいってきまして---」
「それはよかった---と、拙が言ってはお上(かみ)に申しわけが立たぬが、知友としての言葉と受けとってもらいたい」
小浪も今助も笑って聞き流した。
平蔵は、小粒を懐紙に包み、
「ほんの気持ちだ。仏壇のお静どのに線華をたむけていただきたい」
「お預かりいたします。ところで、長谷川さまのご用の向きは---?」
〔蓑火(みのひ 56歳)のお頭のことで、なにか耳にはいっておらぬかな?」
源七は、探るような目つきを向け、平蔵が視線をそらさないで受けとめてうなずいたのをたしかめ、
「軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人---〔殿(との)さま栄五郎(えいごろう 30代半ば)どんが自死なさったとかで、大きく落胆なさっておられました」
「自死---?」
「身動きが不自由になったのを悲観してのこととか---」
「それは気の毒---」
「竪川(たてかわ)の南本所側の河岸に倒れていなさったのを、戻り駕篭が見つけたんだそうですが、怪我はなかったのだとか---」
「〔蓑火〕のお頭とは、不思議なご縁があってな---」
平蔵は遠くを見るように眼差しになった。
【参照】2008年7月25日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (9)
「〔蓑火〕のお頭に、長谷川さまのご弔辞をお伝えいたしますか?」
「いや。それには及ばぬ。先方も、拙のことなど、お忘れであろう」
「〔中畑(なかばたけ)のお竜(りょう 享年33歳)どんをお手放しになったことが凶とでたようだと、一番小頭の〔大滝(おおたき)の五郎蔵(ごろうぞう 40歳)どんがひそかにこぼしているそうで---」
源七の口調には平蔵をなぐさめる気持ちがこめられていたが、小浪は、お竜の名がでても銕三郎時代に躰の深いかかわがあったことまでには気がついていなかった。
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コメント
お静さんが亡くなりましたか? 原作に従うと、そういう時期なんですね。
でも、最後はむすめお久にも恵まれ、狐火の勇五郎にみとられたんですから、まあ、幸せだったといえます。
さらに、瀬戸川の源七にお久を託すこともできたし。
読み手にこういう感情移入をさせるこのブログも立派なものです。
つづきましたねえ、原作につかず離れずで5年ですか。鬼平ファンの一人として、お礼を述べます。
投稿: 左衛門佐 | 2010.08.22 05:44
>左衛門佐 さん
聖典の年齢計算や経年が、かならずしも正確とはかぎりませんが、いろんなデータを勘案して、妥当な線を推測するようにしていますが、もし、ご納得がいかないようなことがありましたら、どうぞ、ご指摘くださいますよう。
いつも、お励まし、大きな励みになっています。ありがとうございます。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.22 13:44
ちゅうすけさまのこのブログでは、人物のほとんどに年齢が明示されているので、とてもわかりやすいでのです。
こんな親切なブログはほかにありませんよ。
投稿: mine | 2010.08.22 14:09
>mine さん
年齢あわせにも苦労していますが、大名や幕臣の石高や役職、住居、その敷地の広さなどのデータ集めには苦心を要しています。
やはり、アクセスしてくださる方へのサーピスと心得てやっており、認めてくださると、胸のつかえがとれたようにスッーといたします。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.22 16:07