銕三郎、膺懲(ようちょう)す(7)
暁達(ぎょうたつ 36歳)は、啓太(けいた 20歳)が予想したとおり、毘沙門町の竜土寺へはいっていった。
彦十(ひこじゅう 38歳)たちが前門の暗部でうかがっていると、暁達ともう一人の僧がでてき、暁達は五条通りをきた方角へ、この寺の住職らしい僧は西の桂川のほうへ別かれた。
当寺の住職のほうは、また、啓太が尾行(つけ)、行く先をたしかめることになった。
暁達は、彦十と万吉が追う。
行き先は源泉寺とわかっている。
〔大文字町(だいもんじまち)の藤次もまようことなく、東行きのほうを選んだ。
〔千本(せんぽん)〕の世之介iに吹きこまれたとおりのことを源泉寺の元賢(げんけん)の耳にいれたお時(とき 57歳)は、意気揚々と戻ってくるや、ふくみ笑いをしながら表戸をしめはじめた。
「お時。戸を閉めるのんは、ちょっと待ちィ。夜は長いのんや、あせるでない」
「そやかて---もう、腰がうずいとるよ」
「万吉はんがきよる。裸で出会うわけにもいかんやろ」
「なんで、今夜、きィはるの?」
科(しな)をつくっているつもりで腰をふり、鼻をならした。
「それより、元賢少僧正の様子をきかせてんか」
元賢は、お時の耳打ちに、真っ赤になって、
「どこのど奴がいうてんねん」
あまりのどなり声に、お時は、さっききた客の口からでた話だとごまかし、あわてて庫裡(くり)を飛びでてきたと打ちあけた。
お時が床を延べおわったとき、万吉が、
「〔千本〕の---〕
顔をだした。
お時は、鼻をしかめてお茶の用意に立った。
世之介に、世話女房らしいところを見せたかったのである。
万吉は、世之介を手招きし、耳元で、
「暁達がワナにはまりよった。これから、庫裡で修羅場がはじまりよる。彦十の旦那も、長谷川はんも、向かいの寺にひそみはった」
世之介は、賢念(けんねん)小坊主が描いた見取り図をわたし、
「長谷川の若はんに、早く、これを。わてもすぐにいきますよって」
聞きとがめたお時が、
「世之はんの舞台はこっちやでぇ---」
悲鳴に近い声であった。
ほんとうの悲鳴は、庫裡からあがった。
「ぎゃあッ」
どうすれば、人間にそんな声がだせるのかといえるほどの恐ろしげな悲鳴であった。
銕三郎(てつさぶろう 28歳が飛びこんだ。
つづいたのは、別のもの陰にいた藤次---。
元賢は、略衣の胸から裾にかけて返り血にそめ、うわごとのように、
「自分がへまをしといて、ひとをゆすりおって---阿呆が---金子になど、手をつけよってからに---」
繰り返していた。
その足元に、暁達が伏せたおれていた。
銕三郎がいった。
「藤次どの。元賢のいい分、聞きましたね」
宗派は、さっそくに、殺人と姦淫の破戒により、元賢を破門に処dqしたと、西町奉行所にとどけてきた。
錦布の巾着にはいっていた貞妙尼(じょみょうに)の11両(176万円)は、そっくり西迎寺の庫裡の手文庫にあった。
奉行所から本山に、その11両は、〔化粧(けわい)読みうり〕の板元名代料として貞妙尼個人にわたされたものであって、誠心院への寄進ではないとの、〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すぎ)元締の言葉を伝えると、処分はそちらのおもうままに---との返事がかえってきた。
奉行・備中守宣雄(のぶお 55歳)が空咳をし、
「銕(てつ)。そういうわけで、この11両、貞妙尼の母親へわたすが、異存あるまいな」
銕三郎は、深ぶかと頭をさげ、
「お気のままに---」
山伏山町の家に集まった彦十、万吉、啓太に、銕三郎がはっきりと告げた。
「貞妙尼を責め殺した数人の僧たちへの膺懲(ようちょう)は、まだ終わっていない」
{おもろい。やってこませまひょ」
啓太が応じ、あとの2人もしっかりとうなずいた。
源泉寺門前の花屋では、連日、夜おそくまで表戸をしめないで、お時がなんども五条坂のほうをすかしてみていたという。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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