火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)(4)
「長谷川どの。新大橋広小路の藤次郎(とうじろう 12歳)がこと、よろしゅうにお願いしますぞ」
突然、話題を変え、菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2040石)は、火盗改メとはかかわりのない、藤次郎の名をだした。
【参照】2010年5月20日[菅沼藤次郎の初恋]
一族とはいえ、定亨は田峯(だみね)菅沼だし、藤次郎は野田菅沼の直系であった。
(於津弥(つや)どののことが伝わってしまっているのか)
咄嗟(とっさ)にひらめいたのはそのことであったが、菅沼定亨の表情からは、そのことではなく、まっとうに、野田菅沼の嫡男の成長を、一族の一人として案じ、眼前に剣の師・平蔵(へいぞう 30歳)がいるので、話題の最後として、口にしたにすぎないようであった。
【参照】2010年4月6日~[菅沼家の於津弥(つや)] (1) (2)
藤次郎の名が出たとき、里貴(りき 31歳)が眦(まなじり)で、一瞬、平蔵(へいぞう 30歳)の表情をうかがったようだが、すぐに隣の脇屋筆頭与力(47歳)への酌でごまかした。
(四ッ目の別邸へ誘われたが、行かなくてよかった。行っていたら、於津弥を抱くことになっていたかもしれない)
遅ればせの安堵であった。
【参照】2010年4月6日~[菅沼家の於津弥(つや)] (1) (2)
20104月18日[お勝と於津弥]
色恋のことで他人からとやかく言われたくない。
理屈がとおらない道であることも少なくない。
たとえていうと、両掌を打ちあわせ、
「とちらの掌が鳴ったか?」
問いかけるようなものであろうか。
きっかけはどうあろうと、双方にその気がなければ、恋の妙音は発しない。
そう観じているし、これまでのおんなとの経緯(ゆくたて)を考えてみても、結果としては、魚ごころ・水ごころであった。
どちらが魚で、どちらが水とは、きめられない。
「藤次郎どのは、7000石の当主におなりなる方ゆえ、剣の道というより、人の道を学んでいただきたいとおもっております」
「異論ござらぬ。亡き新八郎定庸(さだつね 享年33歳)に代わってお願い申す」
「承りました」
菅沼織部定庸は、4年前の明和8年の12月に34歳で亡じていた。
「けっこうな味加減であった」
菅沼定亨が立った。
着していたのは、野袴であった。
脇屋筆頭が玄関へ先んじ、待たしていた馬を呼んだ。
馬は、火除け地で草を食むともなく、なぶっていたらしい。
菅沼組頭を見送ってから、部屋へ戻りながら、
「今夕は、黒船橋の権七どんに会わねばならぬ」
「遣いをだします」
「む---?」
「〔駕篭徳〕に、〔箱根屋〕の舁き手が詰めておりましょう?」
「知っていたのか?」
「あの舁き手の者たちへ、少し遅れると、告げにやりましょう」
【参照】2010年1月8日~[府内[化粧](けわい)読みうり] (1) (2) (3) (4)
2010年1月12日~[お人違いをなさっていらっしゃいます] (1) (2) (3)
「それこそ、筒抜けだ。深川の櫓下の灯が落ちるまでに行きつけばいい」
「うれしい。先にお帰りになって、お待ちになっていてくださいませ」
(「先にお帰りになって」---なんだか、夫婦気どりだな)
里貴が駕篭で帰ってきた。
いつものように腰丈の浴衣に着替え、傍らに膝をくずして坐った。
「待っていてくださる方がいるのって、ほんとうに励みになります」
「行水、なさいますか?」
手が、もう、袴の結び目にかかっていた。
「お茂(しげ 60すぎ)にいって、昼間から水をはって、温めてもらっておきました」
「それより、先に蚊帳の中であろう? その前に、菅沼うじの田中城攻めのこと、どこから聞いた?」
「蚊帳の中でお話しします」
【参照】2010年5月27日~[火盗改メ・菅沼藤十郎定亨(さだゆき)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
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