里貴(りき)からの音信(ふみ)(4)
「堺の佐野備後(守 政親 まさちか 47歳 1200石)からの継(つぎ)飛脚便がとどいた」
田沼(主殿頭意次 おきつぐ 60歳 相良藩主 3万7000石)の木挽町の中屋敷である。
2年前にも会ったことのある美貌の召使い・佳慈(かじ 28,9歳)が、目元にかすかに微笑をうかべながら、平蔵(へいぞう 33歳)に酌をした。
「里貴に薬料を送ってやってくれたこと、主殿(とのも)からも礼をいわせてもらう」
「とんでもございませぬ。麦の畝づりでご老中から下賜された報賞をまわしただけでございます」
「それが、並みの者にはできがたいことよ。金銭は、あったからといって困るものではないゆえな」
意次が嘆息した。
「殿さま。例のことを---」
佳慈がせかした。
西丸の若年寄・鳥居伊賀守忠意(ただおき 62歳)から出た噂だが、化粧(けわい)指南師という女性(にょしょう)が幕閣の役宅へ出入し、奥向きのおんな衆の人気をあつめておるらしい。
その指南師を呼ぶには、一枚噛んでおる町駕篭の〔箱根屋〕の主(あるじ)の許しが要(い)り、その主の裏にはさらに幕臣の某が控えておるとのこと。
「長谷川うじは、その某を知らぬか?」
「そのようなことまで侯のお耳に達しておりますとは---。某は知りませぬが、〔箱根屋〕の主・権七(ごんしち 46歳)とは、15年越しの知己でございます」
「それは重畳。しかし、顔がひろいの---」
「たまさかでございます---」
「その〔箱根屋〕に、ここの佳慈をはじめ、神田橋門内の役宅奥のおんな衆が待ちわびていると伝えてくれまいか?」
「造作もないことでございます。日取りは指南師から佳慈さまへお報らせさせます」
「佳慈。聞いたとおりじゃ。あとは、よきに取りはからえ」
平蔵は、その化粧指南師は、京都の禁裏役人の不正の手がかりをえるために発案したものだが、実はあがらなかった---顛末をかいつまんで話した。
「やはり、そうであったか。長谷川うじが金銭(おたから)がらみで考案するはずがないとはおもっていた。はっははは」
【参照】2009年9月20日~[御所役人に働きかける女スパイ] (1) (2) (3)
2009年9月20日~[『幕末の宮廷』 因幡薬師]
2009824~[化粧(けわい)指南師のお勝] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
意次は、佳慈をさげ、里貴が江戸へ戻ってきたら、〔貴志〕のような茶寮をやらせたいが、こんどは、町人たちの風向きを知るために、開発がすすんでいる深川に店をだしたい。
江戸でこれから伸びるのは深川を措(お)いて考えられない。
それというのも、物の荷動きは、これからさらに船に頼ることになろう。それには堀が縦横にはしっておる土地でなければならない。
つまり、深川ということになる。
そう話したあと、
「化粧指南師に、幕府の重役たちの役宅の奥向きのおんな衆のうわさ話で、気になることがあったら、ひそかに通じてもらいたい」
声をひそめて、依頼した。
| 固定リンク
「147里貴・奈々」カテゴリの記事
- 奈々の凄み(2011.10.21)
- 奈々の凄み(4)(2011.10.24)
- 〔お人違いをなさっていらっしゃいます」(3)(2010.01.14)
- 茶寮〔貴志〕のお里貴(りき)(2)(2009.12.26)
- 古川薬師堂(2011.04.21)
コメント
里貴の復帰で、平蔵と田沼の関係がさらに強まり、危険水域へ。
しかし、西城の主の家基の急死も近いし、一橋の動きも油断めさるな。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.11.10 06:21
>左兵衛佐 さん
危険シグナル、ありがとうございます。
田安家の賢丸が久松松平(陸奥・白河藩)へ養子にだされたことを田沼の陰謀と邪推して恨んでいることも、一橋の治済がなにやら策謀していることも承知しています。注意おさおさ怠ってはおりませぬが、なにせ、浅学なので、手さぐりですすんでいます。
里貴が戻ってくることで、政治情勢が平蔵の耳にもとどきやすくなるのではないでしょうか。
もちろん、里貴の特異な体質にも執着していることは変わりはないみたいですが。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.10 07:26
里貴さんが帰ってみえることになり、平蔵さんも、さぞ、嬉しいこととおもいますが、わたしもうれしいのです。
里貴さんと平蔵さんの閠室での会話、感触の確かめあい、里貴さんの肌の色の変化---こういう愛しあい方もあったんだと、楽しんでいます。
2人を早く会わせてあげてください。
投稿: tomo | 2010.11.10 09:28
>tomo さん
平蔵と里貴のあいだがらを認めていただき、ありがとうございます。
ただ、史実の妙、久栄は賢く、宣雄、宣以に、脇腹に子をつくることに合点していなかったようです。宣雄の「隠し子」は、小説だけのものです。
いつまでつづくかは予想もできませんが、平蔵と里貴は、しばらく、心の安定を確かめあうとおもわれます。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.10 18:56