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2010.08.27

〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛

高崎行きを承諾した平蔵(へいぞう 32歳)に、高崎藩の江戸藩邸から用人が金包みをとどけてきた。

「首尾よくいきました折りに、いただきましょう」
押し返したが、老齢の秋池某と名のった用人は、
「そのときはそのときに。藩主・右京太夫さまのご存念は、絹市につどう商人(あきんど)衆に、安んじて滞在できる城下とわかってもらえれば、それでよろしいのです」
無理に押しつけた。
10両(160万円)という半端な金額が包まれていた。

「あと3日ののちに、ご藩邸へ書状をおとどけします。公用の早飛脚を仕立ててお国元へお送りいただき、高札へ写し、ご城下への出入りの辻々へお立ておきを願います」
「いともお易(やす)いこと---」

火盗改メ・土屋帯刀守直(もりなお 46歳 2000石)の組下同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)が作図のひと組を持参してきた。

作図は、盗賊・〔船影(ふなかげ)〕一味が、高崎城下あら町の旅籠〔越前屋〕に押しいったときに残していった宝船の雛形を採寸した精緻なものであった。

参照】2010年8月7日~[安永6年(1777)の平蔵宣以] () () () () () (

それを手に、平蔵は今戸橋際の料亭〔銀波楼〕に、元締の今助(いますけ 30歳)を訪ねた。

「浅草寺の仲見世に、さまざまな手遊び(玩具)や人形を商(あきな)っている店の納め先の工匠なら、この図面どおりの宝船を、2日のうちに組み立てられようか?」
今助(いますけ 30歳)が貫禄をみせ、太鼓判をおして引きうけた。

参照】2009年6月20日~[〔銀波楼〕の今助] () () () () () 

その晩、〔木賊(とくさ)〕の今助が、白髪の男を伴い、三ッ目通りの長谷川邸へやってきた。
男は、時次郎(ときじろう 68歳)と名と齢を告げ、宝船の作図を示し、実物がどこにあるかと質(ただ)した。
火盗改メの役宅---と答え、高崎城下で手に入れたものだと教えると、大きくうなずき、
「おもったとおり、佐次(さじ 70歳)兄ィの技(わざ)でござんしたか」

時次郎の兄弟子---佐次郎は腕利きの手遊び工匠であったが、15年前、55歳を過ぎたときに流行り病いで女房を逝かせると、さっさと工房をたたみ、上州・沼田の在へ引っこんでしまった、とつぶやくように打ちあけ、
「これだけの細工ができるのは、佐次兄ィのほかにはおりませんです。およばずながら、弟弟子の意地にかけても、あすの晩までにやってみます」

金づくではないと謝絶する時次郎に、平蔵は無理やり包んだ1両を押しつけた。
かたわらで、今助も元締らしい口ぶりで、
さん、長谷川さまのお志しだ、いただいておきねえ。長谷川さまが、もし、高崎で佐次兄ィさんにお会いなさるようなことがあったら、なんと託(ことづ)けてもらうかね?」

その夜、平蔵はおそくまで案を練り、

あら町の旅籠〔越後屋〕へ押しいった賊の片割れを逮捕したから、2月20日の四ッ(午前10時)、見せしめのために、烏川(からすがわ)の洲(す)で、磔(はりつけ)の刑に処する。

認(したた)め終わると、にんまりと笑みをうかべ、冷酒をあふって床へ臥(ふ)した。


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () (

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