与板への旅(10)
藤太郎)と並んで歩くと、向うからくる里人が、丁寧にお辞儀をした。
はじめは武家に対する里人の慣(ならわ)しとおもい返礼したが、すぐに〔備前屋〕の将来の主(あるじ)である藤太郎へのあいさつとわかった。
「藤太郎どのは偉いのだな」
「私への尊敬ではありません。〔備前屋〕の金倉へ頭を下げているのです」
「悟っておる---」
「ご先祖が、飢饉のときに米麦をふるまったり、田畑を質にとってやったりしているのです」
「藤太郎どのもそうするつもりかな---?」
「もちろんです。そうしなければ里人がいなくなり、〔備前屋〕もやっていけなくなります。里人あっての〔備前屋〕です」
「えらい! ところで、お茶をのませてくれる店はないかな?」
〔備前屋〕から馬越村までは10丁(1km強)だが、左は昨夜樹々がうなった山裾で、右は先へいって信濃川へ合流する黒川であった。
「馬越村は、与板村と同じ三嶋郡(さんとうこおり)ですぐそこですが、牧野駿河守忠利 ただとし 29歳 7万4000石)さまのご領内で、私の顔がききません。塩ノ入(いり)峠への辻の稲荷町の爺ィの茶店なら---」
爺ィは、藤太郎が8歳まで〔備前屋〕で下僕をしていたが、父・藤左衛門(とうざえもん 享年40歳)が店の権利を買ってやったのだという。
「坊んちさま---」
爺ィは、もう涙目になっていた。
「江戸からお見えになった長谷川さまとおっしゃる---」
「いや、おかまいなく---ひとつ、聞かせてもらいたい。このあたりで、若い男が遊ぶとすれば---」
爺ィが藤太郎を気にしながら、平蔵の耳にささやいた。
「渡船場に近い原町に、そういうおんなをおいとる店---〔阿弥陀(あみだ)屋〕ってバチあたりな屋号をつけやがって---」
「かたじけない」
馬越村のとっかかりの光源寺へ平蔵は躊躇しないで入っていき、訪(おとな)いを乞うた。
60歳を越えている住職は、江戸から火盗改メの手の者とのふれこみできた平蔵に、考え考え応えた。
まとめて記すと、馬越村の檀家は30戸に欠ける。
仁兵衛の名をだすと、
「やっぱり、な」
「なにが、やっぱり---かな?」
「盗賊改メのお役人がわざわざ越後くんだりまで見えたからには、仁兵衛は他国で盗人をしておるのでしょう。母親は、仁兵衛は出稼ぎにいっておると村人にいっておるようじゃが---」
「人別(にんべつ)は、ご坊が---」
「墓があるでのう。それに盆と彼岸のお布施もきちんともらっておるしの」
「じつは拙が参ったのは、与板侯(井伊兵部少輔直朗 なおあきら 35歳 与板藩主 2万石)のご依頼でな。こんご、昼夜を問わず、与板領内で見かけ次第、捕縛することになった」
【参照】201135~[与市へのたび] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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