隣家・松田彦兵衛貞居(8)
しかし、〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 27歳)にしても、女将・小浪(こなみ 30歳)にしても、なんというあけっぴろげな応対であろう。
策をこころに秘めている銕三郎(てつさぶろう 24歳)は恥ずかしくなった。
武家同士では、このように腹から相手に打ち解けることはない。
失点をしないか、どこかで足をすくわれるのではないか、裏を読むことに気をつかっている。
こんどの件を依頼してきた、隣家の松田組の土方(万之助 まんのすけ 50歳)筆頭与力でしてもそうだ。
(拙に頼んだことを、組頭の松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)どのに報告しているかどうか、わかったものではない)
うまくゆけば自分の手柄にし、まずければ他人のせいにしてしまう。
まずかったら、町人は体面にこだわることなく、すっぱりと謝るだろう。
町人---そういえば、これまで躰のかかわりができた4人の女性たち---14歳のときの三島宿のお芙沙(ふさ 25歳前後-当時)、芦ノ湯小町で縁切り前だった人妻の阿記(あき 21歳=当時)、盗賊に囲われていたお静(しず 18歳=当時)、雑司ヶ谷の料理茶店の座敷女中だったお仲(なか 34歳=当時)---みんな、自分の意思で肌をあわせた。
【参照】2007年7月17日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
2007年12月31日~[与詩(よし)を迎えに] (11) (12) (13) (14) (15) (41)
2008年6月2日~[お静という女](1) (2) (3) (4)
2008年8月6日~[〔梅川〕の女中・お松] (6) (7)
まてよ。武家のむすめ・久栄(ひさえ 17歳)も、婚儀の前に処女のしるしをくれると言った。
そういえば、父上・平蔵宣雄(のぶお 26歳)を誘って、知行地・上総国武射郡(むしゃこおり)寺崎村(現・千葉県山武市寺崎)の庄屋のむすめであった母上・妙(たえ 20歳)が、拙を身ごもったが、母上も元はといえば、里人。
いや、そういえば、父上だって、部屋住みが産ませた、また部屋住みの、2重の厄介者だったではないか。
(つまり、拙には里人の血と、厄介者の濃い血が流れているということなんだ。気ばることなんか。ありはしない)
しかし、こんどの〔蓑火(みのひ)〕一味の件は、先方から---というより、〔殿(との)さま〕栄五郎と称する浪人から、知恵くらべの挑戦状をつきつけられたようなものなのだ。
武士の格式のどうのこうの話ではない。
受けて立たなければ、男が廃(すた)る---と、力むことはないが、知恵くらべ、やってやろではないか。
銕三郎は屋敷へ戻ると、久栄(ひさえ 17歳)に、ちょっと母屋へ行って、与詩(よし 12歳)と世間話でもしていてくれ、と言い、父ゆずりの『孫子』をぱらぱらとめくった。
最初に目に入ったのが、[虚実篇]---
先んじて戦地に処(お)りて敵を待つ者は佚(い)っし、
後(おく)れて戦地へに処(よ)りて戦いに趨(はし)る者は労す。
善く戦う者は、人を致すも人に致されず。
「遅れて---のう」
【参照】2008年10月1日~[『孫子 用閒篇』] (1) (2) (3)
つまり、投げ文の日付は、遅らすためのものなのだ。
前々日か、前夜に、油断をみすまして押し入るということか。
どこへ?
しかし、間にあうか?
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 9)
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