奉行・備中守の審処(しんしょ)(6)
「わざわざ呼びだして、すなまない。一つだけ、訊かせてもらいたいもとがあっての」
西町奉行・備中守宣雄(のぶお 55歳)が、尋問部屋へ連れてこられた元賢(げんけん 43歳)に、にこやかに話しかけた。
法衣あつらえ司〔岡屋〕の後家・お陸(りく 34歳)が弘法寺の順慶(じゅんけい 30歳)和尚の子を産んだことを、に告げた翌日である。
東山のふもとの源泉院の住職であった元賢は、同宗派の僧・暁達(ぎょうたつ 36歳を刺殺した疑いで入牢しており、本山から滅擯(めっぴん)の罰をうけていた。
滅擯の罰とは、僧籍を剥奪されて宗門から追放される、もっとも重い処分である。
もちろん、奉行所の刑とは別の、仏門の戒である。
元賢が入れられている六角獄舎から西町奉行所までは6丁ばかりある。
縄をかけられて往還するのは、元賢にとっては屈辱的な6丁であるにちがいない。
思いやりということまだ知らない子どもたちが、伸びかけた坊主あたまの元賢に、
「乞食坊主!」
「やーい、盗人坊主」
罵声をあびせるのである。
「昨日の話した、山端(やまはな)の奥、一本松の弘法寺の順慶坊が、本山へ納める奉恩金(ほうおんがね)は、年にいかほどかの?」
どうして奉行がそんな宗門内のことを訊くのかと、一瞬にうかんだ怪訝な顔をかくすように、
「檀家が少ないあのような寺やと、年に3両(48万円)ほどかと---」
「ほう、檀家が50軒として、1軒割で、年に金子で1万円とは、きびしいものよの」
「お奉行。拙僧の---」
いいかけて、僧籍がなくなっていることに気づき、
「源泉院のように、檀家に商家をかかえとる寺やと、年に9両(144万円)もおさめななりまへん」
「それはことよのう。ては、五条通り毘沙門町の竜土寺では、いかほど?」
「あこも、うちと同格で、9両---」
答えてから、はっとおもいあたったらしく、顔色が青ざめた。
かまわず、宣雄が追い討ちをかける。
「延命寺は?」
元賢の目がつりあがり、うつぶせた、肩を小刻みにふるわせ、慟哭をはじめた。
その姿を冷ややかに見下ろした奉行は、
「大儀であった。退(さ)がって、ゆっくり休むがよい」
警備の小者に目で連れてゆけと指示した。
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、感嘆して、部屋をでていく奉行の父の後ろ姿に礼をした。
横で、浦部源六郎(げんろくろう 51歳)・与力が、たのもしげにその銕三郎をみていた。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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