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2008.08.12

〔菊川〕の仲居・お松(11)

〔舟形ふながた 50歳がらみ)〕の一党を、江戸から去らせる手妻(てづま 細工)があります」
銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)が言った。
たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)が長身をのりだし、
「ほう。どのような---?」

首領・〔初鹿野はじかの)〕の音松(おとまつ 35,6歳)の愛妾の一人であり、引き込み役をやっているお(まつ 30歳前)に大恥をかかせ、入りこんでいた柳橋の料亭〔梅川〕に居られなくする、忠助の案が大あたりしたばかりである。

忠助がやっている〔盗人酒場〕は、昼下がりなので、客はいない。
銕三郎に、耳もとでささやかれた忠助が、
「ぷッー」
吹きだした。
「失礼しました。いや、みごとな案とおもいます」
「ご亭主が認めてくださったのだから、手くばりしてきます」

銕三郎が現われたのは、竪川にかかるニ之橋(ニッ目の橋ともいう)北詰、大身旗本・本多備後守忠弘(たたびろ 40歳 書院番第5組々頭 7000石)の辻番所である。
そこで、火盗改メ・遠藤源五郎常住 つねずみ 51歳)組の横山>(時蔵 31歳)同心を待った。

参照】2008年8月10日[〔梅川〕の仲居・お松] (9)

ちゅうすけ注】本所・相生町4丁目に面した本多邸について、『鬼平犯科帳』巻12[見張りの見張り]p118 新装版p124 に「五郎蔵夫婦と宗平の家は、本所・相生町四丁目の裏通りにめんしている。道をへだてた北側には、大身旗本・本多家の宏大(こうだい)な屋敷の土塀(どべい)であった」

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(青〇=本多邸 寛司とあるのは江戸後期図だから。 当時=備後守忠弘)

火盗改メの役宅になっている麻布竜土材木町の遠藤お頭の屋敷を訪れた翌日、本所・尾上町の料亭〔中村屋〕で会った2人は、たちまち、意気投合した。

横山同心は、両番の家柄で出世が約束されているような銕三郎なのに、気取りがなく、わけへだてなく丁寧に応対する人柄に感激した。
そのころ、お目見(めみえ)以上の家格のほとんどの幕臣だと、30俵2人扶持の同心などにこころを開かなかった。
彼らにすれば、そのあたりの下級の者と真面目に付き合うより、上に顔を売ることのほうが大事だったのである---というのも、七代将軍・吉宗の幕政改革で、家格よりも能才登用の道がひらかれたからである。
才能などというものは、表から見通しにくい。
ひろく顔を売っておけば、だれかが推薦してくれるという算段なのである。

銕三郎は、自信があるのか、欲がないのか、そういうことに恬淡としていた。
話のついでに、おんなのことをだしてみたら、はっきりとは言わないが、経験はどうやら、町方育ちの---それも、先方から誘われてのことにかぎられているらしい。
おんなが見抜いているのであれば、これほどたしかな証(あか)しはない---横山同心の評価である。

先手組の同心なんて、火盗改メなどというのは手当がでているうちだけの職務---と割り切って適当にやっている輩(やから)が多いのに、横山同心は、毎日、真面目に担当区内を見回っている。
そこが銕三郎の気に入った。
盗賊の手口についても、かなり勉強している。

それで、3日にいちどの割で、本多邸の辻番所で待ちあい、ニ之橋をわたって弥勒寺斜め前のおくま 44歳)の茶店〔笹や〕で休む。

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(青〇=本多邸の左上角にある□が本多家の辻番所)

それなら、最初から〔笹や〕で待ちあわればよさそうなものだが、銕三郎の友たちということで、お横山同心にまで粉をかけはじめたので、閉口して、かならず2人つれだってでお茶を喫することにしたのである。

それと、同心は見廻り中、辻番所を通るときには、
「遠藤組同心、横山、見廻り」
と声をかけるきまりになっていた。
それなら、待ちあわせに顔を見せておいたほうが辻番所の日誌にのこる。

きょうは、打ち合わせを辻番所ですませた。
案を聞いた横山同心は、
「うまくひっかかるといいですな」
笑いながら合点した。

銕三郎はその足で両国橋を西へわたり、米沢町2丁目西路地の仕舞屋(しもたや)の表から、
紋次どのはおられるか?」
と声をかけた。
紋次(もんじ 23歳)は、『読みうり』--いわゆる瓦版の記者---本人のいうところでは〔ネタ集め人〕である。

【参照】2008年4月28日~[〔耳より〕の紋次] (1) (2)

翌日に売り出された『読みうり』は、

美人女盗(にょとう)の玉門、糞(くそ)まみれ
居たたまれずに、江戸から逃げだす

腕っこきの美人盗賊・お杉(26歳)が、柳橋の高名の料亭に仲居に化けて潜入していることを、火盗改メ・遠藤組の某同心(31歳 今後の捜査のためにとくに名を秘す)が探りだした。
市中見廻り中、両国広小路ですれ違った女が、手配中の女賊・お杉の似顔絵にそっくりだった。
尾行(つ)けて、入っていった柳橋の高名料亭をつきとめた。
お杉は座敷名で、生まれた武州・大里郡(おおさとこおり)の村での名はお定(さだ)。

とはいえ、証拠がなければ召し取れない。白洲でシラをきられたらせっかくの逮捕が水の泡。拷問などしようものなら、人権無視と、正義の味方を気どった『読みうり』などがウルサく騒ぐ(当紙ニ非ラズ)。
女の背後には凶悪な一味が牙をといで高名料亭への押し込みを練っているに違いない。、某同心は一計を案じた。

お杉が好物の、下谷・長者町の京菓子司 〔永田因幡大掾(じょう)〕の黄粉おはぎに目をつけ、黄粉に朝顔の種を挽き粉をまぶしたおはぎを、囮(おとり)客にもたせて料亭へ。案の定、お杉はおはぎをねだった。
ひと晩に5個も食らったからたまらない。

ピーピー、ザーザー、白い尻(けつ)から、とめどなく下水が流れ出る。看板仲居だから店は休めない。26にもなったおんながおむつをあてがって座敷へ出たが、おむつごときでふせげるものか。陰門を汚しておむつからあふれたでた下水が、客のお膳に散ったからたまらない。店はクビ、一味からは責めにられて江戸を売る始末。

匿名の某同心談。「お杉とつなぎ(連絡)をつけに来たものたちは、盗人宿は調べがついた。仕事に動いた途端にご用だ」
一味の一斉逮捕もまじか。

この『読みうり』は大当たり。なんといっても、美人のおむつ姿というのが好奇の空想をくすぐった。
読み手とすれば、おだろうとお杉だろうと、名前なんかどうでもいいのである。

とともに、〔笹や〕のお熊のような町内放送局が、「店は〔梅川〕、お杉ことお松」---と耳から耳へ。
醜聞(スキャンダル)の脚は、駿馬よりも速い。
そうなると、広いようでも、江戸は狭い。

〔盗人酒屋〕では、この『読みうり』を中にして、忠助彦十ひこじゅう 32歳)、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 35歳)、〔樺崎(かばさき)〕の繁三(しげぞう 35歳前後)、おまさ(11歳)、お(12歳)が大笑い。

おまさとおには、岸井左馬之助(さまのすけ 22歳)が読んでやった。

「それにしても、30歳近い大年増を、26歳とは---っつぁんも人が悪い」
左馬之助がひやかすと、
「おんなは、若いほど、人目を引くって、紋次どののすすめでね」

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(栄泉『すすみなか』 お松のイメージ)

銕三郎が舌をまいたのは、おを暗示する美女の大首絵とは別に、京菓子舗 〔永田因幡大掾〕と両国米沢町の〔橘屋〕のお披露目(ひろめ 広告)がちゃんと紙面をかざっていたこと。
紋次兄(あにい)、ちゃっかりして稼いでいる。

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(菓子舗〔橘屋〕と〔永田因幡掾〕のお披露目(広告))

しかし、銕三郎は、なぜか、こころがはずまない。おがここにいないからである。

【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) 

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