寺島村の寓家(2)
「例の〔荒神(こうじん)〕のお人の噂ですが、京師ではまったく耳にしませんが---」
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 53歳)が声をひそめて、又太郎(またたろう 11歳)とおまさ(13歳)をうかがう。
又太郎は、銕三郎(てつさぶろう 24歳)と源七のことはまったく気にしていない様子で、真剣な表情でおまさ(13歳)との会話に余念がない。
「こっちへの途中、藤枝宿で、〔牛尾(うしお)の太兵衛(たへえ 39歳)お頭---あ、名前は聞かなかったことにしておいてくだせえ」
「聞かなかった」
「なんといいましても、あっしも、藤枝在の出なもんで、宿場に草鞋をぬいでいながら、お頭にごあいさつもしねえでしらんぷり、というのもなんでやすから」
「そういうものかもな---」
「で、ごあいさつついでに、〔荒神〕のお人のことを、〔牛尾〕のお頭にも、それとなくうかがってみたのでやす。そしたら、あそこの若い---三之助(さんのすけ)とかいいましたかなあ、その若いのが、風のたよりだけど、去年の師走あたりに、駿府で盗(おつとめ)をなさったとかいうのですよ」
「なるほど」
銕三郎は、知らぬふりをきめこんだ。
【ちゅうすけ注】〔牛尾〕の太兵衛のことは、『鬼平犯科帳』巻9[泥亀(すっぽん)]に、藤枝宿で呉服太物屋〔川崎屋太兵衛〕が仮の姿として描かれている。24年後の寛政5年(1793)12月の事件である〔泥亀〕では、中風で逝ったことになっているが。
〔通り名(呼び名とも)〕の〔牛尾〕は〔潮(うしお)〕が転じた地名であることが多いそうで、海底が盛り上がったときに閉じ込められた塩水が湧く土地につけられると。
静岡のSBS学苑パルシェの〔鬼平クラス〕の村越一彦さんによると、藤枝市の青山八幡神社の裏手が「潮」村であったと。池波さんは、太兵衛をその村の出身のつもりで名づけたのかもしれない。
(藤枝宿 左;瀬戸川 右端下:青山八幡神社
『東海道分間延絵図』 道中奉行制作)
「ただ、〔荒神〕のお人が生ませたおんなの子が、秋口に病死して気落ちなさったらしく、ずいぶん弱気な仕事(おつとめ)だったと---」
「弱気な?」
「流れづとめの者にも声をかけねえで、身内の衆2人だけをおつかいだったらしいんで」
〔荒神〕の死んだおんなの子の話題がでたついでに、銕三郎は、お静(しず 23歳)が産んだという〔狐火(きつねび)〕の勇五郎の子のことを訊いてみた。
なんと、去年の春に、風邪がもとで死んだというではないか。
銕三郎は、お静(しず 23歳)の悲しみの深さをおもいやったが、口にはしなかった・。
【ちゅうすけ注】お静の最初の子を病死としたのは、文庫巻6{狐火}に登場する、荒川・新宿(にいじゅく)の渡し場・亀有の茶店で店を手伝っているお静の忘れがたみ・お久(ひさ)の齢が、17,8とあるからである。[狐火]は、寛政3年(1791)---いまの明和6年(1769)から22年後の事件である。あと5年後に生まれた第2子か第3子にしないと平仄があわない。
お久という名も、なんとなく、健康に育てという親の願いがこもっているようにもおもえる。
ことのついでに、源七は、又太郎は小田原での妾が産んだ子で、本妻が逝ったので、いまは母とともに京都に呼ばれ、本妻の遺児・文吉といっしょにも育てられているが、なんにでも好奇心を示す又太郎とちがって、文吉は自分の中にとじこもりがちで、父親のこともさほどに敬っていないようだと話した。
「文吉坊という子は、実の母ごが3つのときに亡くなり、小田原からのお吉姐(あね)さんに育てられてる、それも気にいらないらしいんで、〔狐火〕のお頭も、手をやいとられやす」
「その文吉という本妻の子は、幾つです?」
「又太郎坊より20日遅れの生まれでやすから、おない齢の11で---」
「又太郎坊との仲は?」
「あんまりうまくねえみてぇで---」
「拙はひとり子ですが、腹ちがいの兄でも弟でもいてくれたらと、おもいます」
さて---と、源七が腰をあげたとき、又太郎が意外なことを言った。
「源七おじ。坊、帰らへんえ」
「え?」
「おまさ姉(いと)はんのとこに泊まる」
「なんてことを---」
あわてて声をあらげた源七に、板場からでてきた亭主・忠助(ちゅうすけ 50歳前)が、
「源七どん。子ども同士の話しあいだ、きょうのところは大目に見てやんなせえ」
又太郎とすると、きちんと相手をしてくれる同じ齢ごろの友だちに出会ったのは、初めてだったのであろう。
おまさも、気にいった者には、おもいやりの情をかけるおんなの子であった。
【参照】2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
2009年1月8日~[銕三郎、三たび駿府へ](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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