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2009.06.03

火盗改メ・中野監物清方(きよかた)

その年---明和8年(1771)7月29日、火盗改メの本役が交替した。

先手・鉄砲(つつ)の10番手の組頭であった石野藤七郎唯義(ただよし 65歳 500俵)が、1年ちょっとで無事に任免となり、弓の4番手を統率していた中野監物清方(きよかた 49歳 300俵)が、同日づけで引き継いだ。

銕三郎(てつさぶろう 26歳)の父で、6年ごしに先手・弓の8番手の組頭をつとめている平蔵宣雄(のぶお 53歳)と、鉄砲の10番手とのかかわりでいうと、組屋敷が隣りあっていたことぐらいであろうか。
弓の8番手組は市ヶ谷本村町だが、石野の10番手組は、市ヶ谷本村のあとに鍋弦町がついた。

たしか、石野家の曾孫にあたる鹿之助唯善(ただよし)が、『寛政重修l諸家譜』のために幕府に呈上した「先祖書」に、唯義が火盗改メをやったことを落としていたと、当ブログに書き留めておいたような気がするのだが、ぬかっていたかもしれない。

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(石野藤七郎の[個人譜})

書いているとすると、浅草田原町の質商〔鳩屋〕の盗難事件を記した、

【参】2009年4月7日[先手・弓の2番手] () () () () (

だとおもうのだが---。
浅草あたりは本役の石野組の持ち場だから、とうぜん、出張っているはすなので。

さて、『徳川実紀』は、明和7年(1770)6月27日の項に、

先手頭松田彦兵衛貞居盗賊考察をゆるされ、石野藤七郎唯義是にかはる。

また、翌8年(1771)7月29日のところに、

先手頭石野藤七郎唯義是捕盗の事をゆるされ、中野監物清方これにかはり命ぜらる。

とにかく、石野組のために、銕三郎が知恵と力を貸したことはなかった。

ところが、中野組が盗賊考察を命じられた10日もしないうちに、筆頭与力・村越増五郎(ますごろう 50歳)から招きの使いがやってきた。

そうそう、書き忘れていたが、中野組の直前の組頭は、菅沼摂津守虎常(とらつね 57歳 700石)であったと書けば、ああ、御徒町とおりに屋敷があった---と思いだしていただけようか。

参照】2009年3月19日~[菅沼攝津守虎常] () () () (
2009年3月23日~[〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代] (1) () () () () (

村越どののお招きとあれば、行かざるをえないな)

下城してきた父・宣雄に、中野組の与力・村越筆頭から招かれたことを告げると、
〔昨秋、ご宿老(田沼意次 おきつぐ 53歳)の下屋敷で、あのお方がお尋ねになったことを覚えておるか?」
「はい。よく覚えております」

参照】2009年5月6日[相良城・曲輪内堀の石垣] (

有徳院殿(将軍・吉宗)さまにつきそって城内へおはいりなった紀州勢の方々が、いまにいたっても優遇されすぎていると、古くからの幕臣たちに妬(ねた)まれてはいないか、とのお尋ねでした」
「こんど、火盗改メを拝命された、中野監物うじもそのお一人なのだ」
「と、申しますと---」

50年ほど前の享保元年(1712)に、はからずも江戸城入りをした吉宗の警護として、赤坂藩邸から二の丸へ入った紀州藩士の名簿が『南紀徳川史 第一冊』に載っていることは、いつかも報じた。
その130人ほどの紀州藩士の中に、奥小姓・中野喜三郎(200石)の名がある。

寛政譜』にある中野清房(きよふさ)の名は喜太郎である。
喜三郎喜太郎が同一人物である確率は、かなり高いとおもえる。
紀州藩士時代に200石の家禄の者が、幕臣となって300俵というのは、いかにも少ない。
代わりに、清房には出羽守の称呼がゆるされたとあるが、『寛政譜』はそれを記さず、次男・定之助清備(きよとも 300俵)が称している。

寛政譜』の清房の項は、

喜太郎 竹右衛門
紀伊家にをいて有徳院殿につかへたてまつり、小姓をつとめ、享保元年本城へ入らせたまふのとき従ひたてまつり、御家人に列し、六月二十五日廩米三百俵をたまひ、御小姓となる。(以下略)

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(清房・清方の[個人譜])

清房どのは、お小姓というお傍近い職にありながら、300俵のまま、据え置かれてなさった」
宣雄がつづける。
「嫡男・清方どのの代になっても家禄はそのままであった。6年前にやっと小十人頭に登られて、役料1000石がついた。そして、今春、役料1500石の先手の頭にあがられた。お齢は49歳と聞いておる。ご本人も、どうしてこんなに遅かったのだと、ご自身を恨んでおられよう」
「どうして遅かったのですか?」
「人事のことは、傍目とは違う。ただ、弟の清備うじがお小姓に登用され、300俵を給されているから、あわせると600俵にはなる。中野うじの役宅へお伺いするときには、このあたりのことをこころしておくように」

「そうそう、も一つ。清方清備うじのお妹が大奥へ召され、老女職から竹千代君(家基 いえもと 10歳=当年)のお乳人(めのと)に登られている」
「ほう---美男美女系ですか」


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