奉行・備中守の審処(しんしょ)(10)
「きょうの取り調べは、正式のものである。そのつもりで、よく考えて答えるように」
白洲に引きすえられた元賢(げんけん 43歳)に、吟味方の次席与力・入江吉兵衛(よしべえ 48歳)が申しわたした。
梅雨の晴れ間の白洲ではあったが、1ヶ月をこえた入牢(じゅろう)暮らしと、庵主(あんじゅ)面責の顔ぶれの大半が割れていること、さらには言いよった僧たちの証拠も奉行所がつかんでいるらしいことをにおわされてきた元賢は、眠られない夜をつづけているらしく、顔色もさえず、憔悴しきっていた。
「「その前に、報せておくことがあろう」
奉行・備中守宣雄(のぶお 55歳)が上座からうながした。
ふつう、奉行は口述取りの席には立ち会わないのだが、この日は、とくに着座した。
入江次席与力がかしこまったふうで、
「「その方と親しかった竜土寺の照顕(しょうけん 39歳)と、延命寺の秀涌(しゅうゆう 32歳)は逐電しおった」
元賢が疑うような目で吟味方与力の表情をうかがった。
「逐電の理由(わけ)は、近所の噂の耐えきれなくなったのであろう。
誠心院(じょうしんいん)の庵主(あんじゅ)を問責、死にいたらしめた者たちの一味であったことを奉行所に知られ、吟味を恐れたためとおもわれる。
むろん、奉行所からすべの代官所はいうにおよばす、寺院へも手くばりがまわっておることゆえ、どこを頼るわけにもいくまい。
あわれであるが、いずれ、盗人と化すか、野たれ死にすることになろう」
「これ、吟味役どの。元賢坊がおびえるようなことまでいうでない」
奉行がたしなめたが、入江与力はこころえたもので、ちょっと頭をさげただけで受け流した。
「元賢坊。きょうの吟味は、暁達(ぎょうたつ 36歳)坊の死は、自分からご坊の包丁にぶつかってきたものか、ご坊のほうが刺したものかを決めることが主題で、貞妙尼の問責殺しは、別の日の裁きとなるから、暁達坊の死因に集心するように---」
奉行は子どもをさとすようにいうが、それなら、照顕や秀涌の逃亡を告げることはなかったのである。
「暁達が庫裡(くり)にかけこんできて、なんとわめいたのだ?」
しぱらく思念している体(てい)であったが、
「なんで発覚(ばれ)たんや、と---」
「なんと答えた?」
「11両、盗んださかいに、奉行所が動いたんや、と。そしたら---」
「そうしたら---?」
「淫乱尼(いんらんあま)は、殺してぇへん。引きあげるときには、生きとった、と」
「生きておった?」
「確かに、そない、わめきよりましてん」
「おかしいな。庫裡(くり)の軒下に潜んでいた密偵は、そのわめき声は聞いてはおらんぞ」
奉行・備中守が手で書役(しょやく)を制し、
「庵主のことはおき、ご坊は、いつ、出刃包丁を手にしたかの?」
「暁達の剣幕がはげしかったゆえ---」
「暁達坊の剣幕は、最初からはげしかったのではなかったのか?」
「はい。そやよって、暁達が駆けこんできてすぐに---」
「出刃は、いつも庫裡に置いておるのか? 仏に任える身で、魚を料理する出刃を---とは、どういうことかな?」
「護身用に---」
「護身用なら、短刀でもよいのではないのか?」
「--------」
「厨(くりや)にあったものを、つい、庫裡へ持ってきてしまったのであろう?」
「そうどした---」
「うむ。与力どの。つづけられよ。この場は、破戒裁きどころではないゆえな」
奉行は、おだやかに微笑み顔で元賢をながめた。
暁達を威嚇する出刃をどのように構えたかを訊いた与力に、元賢は、腹に刃先を相手側に向けて---と答え、備中守が首をかしげ、
「おかしいな。暁達の傷はもっと上方で、あれだと胸のあたりにあげていないと、符合しない」
「あげたかもしれまへん。興奮してましたよって、よう、覚えておりまへん」
「あげたんだな」
「ええ」
「あげて、突きだした。それに暁達がかぶさるように突っこんできた」
「たしか---そないどした」
「しかし、ご坊は、その出刃を抜いている」
「おもわず---」
「ふむ---」
入江与力が代わって訊いた。
「出刃が暁達の心の臓を突き刺したとき---」
奉行が訂正を求めた。
「吟味与力どの。元賢坊は、突き刺したとは申してはおらぬ。向こうが出刃へぶつかってきたのだ」
与力が訂正した。
「出刃に暁達が心の臓をぶつけてきたとき、なんと言ったか?」
「おぼえてぇおへん」
備中守宣雄の後方でやりとりを聞いていた銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、尋問の呼吸、安心した罪人にしゃべらせるコツを学んでいた。
それと同時に、
(父上は、殺人の死罪から、裁決を、なんとかして事故殺人にして流島へもちこもうとなさっている)
と感じた。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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コメント
京都町奉行としての備中守宣雄は、死罪反対論者だったのでしょうか?
だとすると、ずいぶん、すすんだ考え方のお人だったのですね。
投稿: tomo | 2009.11.15 03:39