奉行・備中守の審処(しんしょ)(11)
「父上。いまのままの吟味ですと、元賢(げんけん 43歳)は、島送りとなりますな」
表の役所から役宅へもどり、夕餉(ゆうげ)の席についた西町奉行・備中守宣雄(のぶお 55歳)に、銕三郎(てつさぶろう 28歳)が話しかけた。
晩酌はしない宣雄は、はやくも箸を手にしていた。
銕三郎の膳には、銚子が1本添えられているのは、いつものとおりであった。
書院での夕餉は、ずっと前から、2人だけである。
もっとも、辰蔵(たつぞう 4歳)が元服すれば、3代そろっての食事になったはずだが。
「決裁は、まだ、してはおらぬぞ」
「しかし、拝聴しておりますかぎり、死罪はないと---」
「不満のようじゃな?」
「いえ。流島となれば、どの島であれ、囚人として生きていくのはきわめて困難でしょうから、これから先、10年、15年の苦難をかんがえれば、当人にとっては、死罪にもまさる刑かと存じます」
宣雄は、慮外な---といった面持ちで銕三郎を瞶(みつめ)た。
「銕(てつ)は、人の生死を、そのように観ておったのか」
「は------?」
箸を置き、両こぶしを膝にそろえた宣雄は、
「人はだれも、死後の世界を看(み)てはおらぬ。つまりは想像の国にすぎない。とはいえ、仏道では、極楽と地獄を絵巻にしておる。元賢に死罪を申しわたせば、地獄図をおもいうかべるは必定であろう。そこへおちるよりも、いかになる苦難が待っていようと、流島のほうが苦しみがすくないと推察するのではなかろうか」
「あの者が、そのようにかんがえましょうか?」
「元賢は、自分勝手な男である。自分に都合がいいようにかんがえるは必定じゃ。島で生き延びられるほうを選ぶであろう」
銕三郎は、元賢がきせる問屋〔松坂屋〕の後家・お里(さと 30歳)との出事(でごと 情事)のときの好みを、ためらいながら父に洩らした。
宣雄は深く嘆息し、
「銕は、そのような細事まで、探索しておるのか?」
「探索したわけではなく、たまたま、知りえましたことで---」
「人には、知られたくない秘事というものがある。たとえ、公事(くじ)であろうと、明かしてはならないものは、そっとしておいてやるのが人情というものである---」
「承りました。爾後、肝に銘じておきます」
「ところで、銕。だいぶ、酒の腕があがったようであるな。今宵から、銚子は2本にしてよいぞ」
「かたじけのう、ございます。久栄(ひさえ)!」
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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