札差・〔東金屋}清兵衛(4)
3日後にまた、〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(40歳まえj)が、平蔵(へいぞう 40歳)の下城の時刻(ころあい)をみはからってやってきた。
用心棒の相談であった。
平蔵の忠告にしたがい、組の店々に奥印金(おくいんきん 高利の貸し金)をやめるようにさせたら、暮らしの金に困った旗本衆が、浪人を蔵宿師(くらやどし)として雇い、店頭でわめかせるのだという。
蔵宿師をうわまわる腕利きの浪人を数名、高給を覚悟のうえで、組で抱えたいと、今戸の元締・〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 38歳)に相談をもちかけたところ、
「なんと、長谷川さまのお名がでまして、世間の狭さと申しますか、縁の深さに驚いた次第いでございます」
「{銀波楼〕の今助どんからふられるまでもなく、長谷川家の勝手方(かってかた 財政)師範ともいえる〔東金屋〕さんがお困りとあれば、なにはさておいても---」
平蔵はある人物をこころに描いていた。
その人物とは---浅田剛二郎(ごうじろう 47歳)であった。
15年ほども前に知りあったのも、今助をとおしてであった。
【参照】2009年3月30日~[〔風速(かざはや)〕の権七の口入れ稼業] (1) (2) (3) (4)
2009年4月3日~[用心棒・浅田剛二郎] (1) (2) (3) (4)
2009年4月7日[先手・弓の2番手] (1) (2) (3) (4) (5)
200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] (1) (2) (3) (4) (5)
元締となった今助の手くばりにより、浅草の禅宗妙心寺派の名刹・大雄山海禅寺の裏に小さな道場をかまえ、その道場開きに岸井左馬之助(さまのすけ 27歳=当時)と招かれた。
(いま、どうしておられるか?)
「清兵衛どの。遣いだてしてすまぬが、店のだれかに、今助どんに質(たず)ねに行かしてくれまいか。浅田剛二郎どのはどうしておられるかと」
「わかりましてございます」
「ゆすり屋の浪人どもの対談方(たいだんかた)にはもったいないほどの人品なれど、〔東金屋〕に組の蔵宿衆の守り神として、ぜひとも腰をあげていただきたいのだ」
「長谷川さまがそれほどにおっいゃるお方なれば、組合としても、それだけのものは用意させていただきます」
浅田道場はさほどにはやってはいなかったらくしく、稽古は高弟にまかせ、浅田剛二郎はしばらく、〔東金屋〕へつめることになった。
2、3人の蔵宿師を苦もなくつまみだしたことで、蔵前通りをぶらぶらと往来するだけで、店先でわめいていた浪人たちは、しばらく姿を消したのだが、後日談はいずれ---。
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コメント
秘剣・仏頂の達人の浅田剛二郎さんの久しぶりの登場です。
平蔵人脈の豊かさに、わたくしも見習わなければとおもっています。
投稿: tomo | 2011.09.24 06:47
お祝いの鰹節は、背筋2本に腹筋1本だなんて、初めてしりました。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.09.24 06:51