田中城しのぶ草(3)
下城して着替えた平蔵宣雄(のぶお)が書院で茶を喫していると、銕三郎(てつさぶろう 家督後、平蔵宣以 のぶため)が疲れきった顔でもどってきた。
きのうに引きつづき、麻布桜田の縁者・永倉家へ行き、武鑑を調べていたのだ。
「ただいま、もどりました。この調べ、一筋縄ではまいりません」
「苦労であった。が、また、そのような言葉を口にする」
「は?」
「一筋縄---じゃ。それは、その方が火付盗賊改メにでも任じられたとき、強情で白状しない盗賊に対して用いる言葉。きょう、その方がいたした、お歴々に対しては、失礼千万なもの言いになる」
「お教え、ありがとうございます」
「うむ」
宣雄の口は厳しいが、目は笑っている。なにしろ、銕三郎は長谷川家のただ一人きりの嗣子である。
「父上。ただいま、火付盗賊改メと仰せられましたが、わが家にそのような役がふられましょうか?」
「本家の小膳(のちの太郎兵衛)正直(まさなお)どのならともかく、小禄で、実績もないわが家には、まず、あるまいな」
「はあ---」
そのときの宣雄は、自分や銕三郎が火盗改メとして後世に名をのこすことになろうとは、露、思ってもいなかった。
「調べは、難儀であったらしいの」
「はい。申しわけございませんが、一日では終わりませんでした」
「そうであろう。明日も頼む」
「きょうは、ご一門が多い松平さま、酒井さま、内藤さま、水野さまをつめ、そのあとで、西尾さま、土屋さまへ向かいました。
明日にのこしましたのは、太田さま、堀さま、土岐さま、北条さまです」
「上乗、上乗」
「しかし、北条さまは断家なさったと、永倉の叔父上がおっしゃっていました」
「うむ。あれは、不思議な事件であったと聞きおよんでいる」
「どのような---?」
「いずれ、話して聞かすときがこよう。それまで待つことだ」
宣雄は、銕三郎が書き留めてきた奉書紙を受けとってから、いった。
「母者から教わったことがある。『論語』の、<慎んで其の余を言えば尤(とが)め寡(すく)なし>についての教訓であったがの。
男に、味方が100人いれば、敵も100人いると覚悟しておくことが肝要。しかし、その100人、味方にしないまでも、敵にまわさないことを考えるべきだ。それには、言葉を慎むこと。言葉が相手を傷つけること、太刀にもまさると。
先刻の<一筋縄ではいかない>も、聞きようによっては、太刀にまさるかもしれない」
「承りました」
宣雄は、銕三郎が去ってから、彼が書きとめてきた奉書紙を開いて、「よう、ここまで、やった」とつぶやき、微笑みをうかべた。
松平大膳亮忠告(ただつぐ)殿 18歳 4万石
酒井河内守忠佳(ただよし)殿 74歳 5000石
内藤紀伊守信興(のぶおき)殿 40歳 棚倉5万石
水野織部中忠任(ただとう)殿 26歳 唐津6万石
土屋能登守篤直(あつなお)殿 33歳 土浦4万5千石
西尾隠岐守忠尚(ただなを)殿 71歳 横須賀3万5千石
北条出羽守氏重(うじしげ)殿 断家 3万石
松平(桜井)家譜の一部
田中城主となった松平大膳亮忠重(ただしげ)
【参照】2007年6月19日~[田中城しのぶ草] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25)
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