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2009.11.12

奉行・備中守の審処(しんしょ)(7)

役宅の庭の紫陽花(あじさい)が咲き、京都は梅雨iにはいっていた。

その庭へ勝手にはいってきた〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)が
(てっ)つぁん。そろそろ---」
久栄(ひさえ 21歳)の耳を気にした銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、目くばせするのもかまわず、
「ゆんべ、ダチが久しぶりにやってきて、この雨は、ホトケが泣いてるんだって、せかしてやしたぜ」

あわてて傘ももたずに塀の外へ連れだし、
「いま、父上が詮議をすすめておられるから、もすこし、様子をみてからでも、遅くはない」

彦十は、山伏山町(錦小路通り・室町通り)の家で待っているといいおいて、尻からげした下帯にはねをあげなら引きとっていった。

銕組(てつぐみ)〕には、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)の手くばりによる新顔が加わっていた。
今働きの〔牝誑(めたらし)〕・〔梅津(うめづ)〕の由三(よしぞう 32歳)がそうであった。

源七に伴なわられてきた由三に会ったとき、この男が{狐火きつねび)〕や〔蓑火みのひ)〕といった名門盗賊が必要とするときに口をかけるすご腕の〔女誑〕とは、一瞬、信じられなかった。
色黒の丸顔で團子鼻、脊も5尺4r寸(1m62cm)あるかなしのずんぐりむっくりなのである。
世にいう優男(やさおとこ)とはほど遠かった。

ところが、あいさつされて、驚いた。
なんとも透明な響きで、こちらの腹の底へとどくような快い声なのである。
(男のおれが聞いてさえこれだから、おんなだと、下腹の芯がしびれる声とでもいうんだろうな)

源七が口をそえた。
由三どんの小唄で、帯をときたくならなかったらおんなじゃねえ、っていわれてます。65の婆ぁさんでも腰をもぞもぞしはじめるってぐえのもんで---」

「雌犬がよってきて困ったこともありやす」
彦十が大真面目に、
「鹿はどうかね?」

由三の役割は、富小路(とみのこうじ)五条のきせる問屋〔松坂屋〕の後家・お(さと 30歳)に近づき、このあいだまで肌身をあわせていた破戒僧・元賢(げんけん)について、しるかぎりのことを訊きだすことであった、それも短時日のうちに。

に近づくために、〔松坂屋〕へ後妻に入る前にはたらいていた五条橋下の料理茶屋〔ひしや〕で仲のよかったのがお常(つね 32歳)たということは、彦十がしらべずみであった。

さしあたっておのなじみ客になった由三が、おを誘いだそうというわけであった。

もう一人の老〔牝誑〕・〔千本(せんぼん)〕の世之介(よのすけ 60すぎ)は、東山・源泉院の門前の花屋に泊り込み、老躰にむちうって女主人・お(とき 57歳)の夜伽をつとめながら、寺の小坊主・賢念(けんねん 13歳)から、前の住職・元賢の生地やらなにやらを問いただしていた。

小坊主・賢念は山科・花山村の生まれ。
元賢も同村の出ということで、源泉寺へ修行にはいった。
元賢の母親は、村の取り上げ婆ぁで、父親は、本山の事務方らしいということしかしらなかった。
その事務方の引きで、源泉寺の住持になれたと、寺男・五平(ごへえ 59歳)から聞いたことがあると。

元賢は気まぐれなところのある性格で、何かに熱中したかとおもうと、いつのまにやらあきて、ほかのことしに熱中している。おんなのこともそうで、賢念が寺へきたときは、3日にあげずの感じでちょうちん問屋{鎰屋(ますや)〕の後家・お(こう 30歳=いま)を寺町五条上ルに呼びにいかされたが、半年ほど前、ふいと、きせる問屋〔松坂屋〕のお(さと 30歳=いま)に変わったこと暴露(ばら)した。

賢念は、おが水子をして、躰をこわしたことまではしらなかった。


参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] () () () () (5) () (7

2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () () (10


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003長谷川備中守宣雄」カテゴリの記事

コメント

お奉行備中守と息子の銕三郎のコンビによる裁判の進行具合が絶妙ですね。
お奉行はおおきく網を打ち、銕組は知恵と技巧のかぎりをつくして下調べ。
つい勝手に、映画の場面を想像してしまいます。

投稿: tsuuko | 2009.11.12 06:02

>tsuuko さん
うれしいコメント、ありがとうございます。
江戸期の町奉行所は、公事(くじ)ごとのうち、刑事事件については、警察の捜査、裁判での検察側、判事側の3者を兼ねていましたね。
銕三郎は、いってみれば警察捜査の代行、備中守は判事役でしょう。

史実の平蔵宣以は、父から多くのことを学んだと言っています。その一つが、刑量を一段軽くしてやるような情状酌量もあります(『御仕置例類集』の火盗改メ初期の宣以の伺い)。

ということは、宣雄がそうしていたろう、と見、それを貞妙尼事件にあてはめてみまた。

投稿: ちゅうすけ | 2009.11.12 11:01

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