〔名草(なぐさ)〕の嘉平
銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、先刻から、その茶店を観察している。
茶店は、千駄ヶ谷村の日蓮宗の名刹・法雲山千寿院門前にあり、農家を改造した風雅な構えをしていた。
(新日ぐらしの里といわれた千寿院 〔『江戸名所図会』)
銕三郎がいるのは、納戸町の長谷川久三郎正脩(まさひろ 61歳 4070石 小普請支配)の先祖が家光から賜っていた別荘地(2万3000坪)の千寿院側の片隅である。
塀はまわされておらず、矢来の柵が道路とへだてているにすぎない。
だから、茶店の表が見わたせた。
【ちゅうすけ注】この別荘地は、のちの切絵図では出羽・山形藩の抱え地となっているが、銕三郎のころは、長谷川家の拝領地であった。
銕三郎は、通行人があると、樹木の具合を確かめているふりをし、怪しまれないような所作をくりかえしたが、いずれにしても2本差しの若侍には似合わない。
あきらめて、.留守番の番人に声をかけてから、供の松造(まつぞう 22歳)を番人小屋に待たせ、独りで茶店に向かった。
なんとなく、松造の顔を伏せておきたかったのである。
「あら。長谷川の若さまではございませんか」
声をかけてきたのは、赤い前掛けをつけて、給仕女をよそおっているお紺(こん 34歳)であった。
【参照】2008年4月30日~[〔鶴(たずがね)〕の忠助] (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2008年8月27日~[〔物井(ものい)のお紺] (1) (2)
「やあ、お紺さん。足利ではなかったのかね?」
「お白っぱくれになっては、嫌。おまささんを探しにいらっしゃったんでしょ?」
「見破られたか、はっははは」
「ほ、ほほほ」
奥から、〔名草(なぐさ)〕の嘉平(かへえ 56,7か)も姿を見せた。
「〔名草〕の爺(と)っつぁん。正直に答えてくれ。おまさを足利へやったのか?」
「いいえ。〔法楽寺(ほうらくじ)〕のお頭のところにはいません」
「もし、〔法楽寺〕の直右衛門(なおえもん 50歳前)が、おまさに手をつけていたら、ただちに火盗改メを足利へむかわすからな」
「ご安心なさって。うちのお頭は、そこまでご不自由はなさってはおりやせん」
「言ったな。で、おまさはどこだ」
(清長 おまさのイメージ)
「訊いてどうなさろうってんです?」
「おまさは、うちの奥方の手習い子だ」
「そんな古い話を---都はいかがでごさんした?」
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんぞ、おりやせん。その、火盗改メとやらに、〔乙畑(おつばた)〕の源八って盗人のことをお訊きになってごらんなせえ」
「〔乙畑〕の源八だな」
「へえ。嘘も隠しもいたしやせん。ところで、長谷川の若さま。〔狐火(きつねび)〕のお頭はおかわりございやせんか?」
「なぜ、拙に訊く?」
「あれ、〔中畑(なかばたけ)のお竜(りょう)どんは、〔蓑火(みのひ)〕のお頭から〔狐火〕のお頭にゆずられたんじゃ、なかったんではやせんかい?」
(この盗賊たち、どこまで通じているのか?)
(歌麿 お竜のイメージ)
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