〔盗人酒屋〕の忠助(その2)
「あっ、〔助戸(すけど)〕の---)
板場から忠助(ちゅうすけ)が、倒れた男にすばやく駆け寄り、おまさに命じた。
「お紺(こん)さんに、報らせに行け!」
おまさが飛び出して行く。
【参照】 〔鶴(たずがね)〕の忠助
三和土(たたき)に、仰向けに倒れている、〔助戸〕のと呼ばれた太めの男は、かすかにいびきをかいているが身動きもしない。
頭の近くに、落ちて割れた深盃が散っている。
「ご亭主。動かしてはいけねえ。卒中のようだ」
〔風速(かざはや}の権七(ごんしち)が、抱きおこそうとした忠助をたしなめ、まげたままの右足を、そっとのばしてやった。
「箱根の荷運び雲助で、このように呑み屋で倒れたのを何人も見ておりやす。そっとしておいて、医者を待ちやしょう」
権七に、忠助がうなずいた。
「ご亭主。近まに本道(ほんどう 内科)の医者は?」
岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)が訊く。
「すぐそこの、柳原6丁目の田中稲荷の西隣に、了庵先生がおられます」
「あい分かった。連れてくる」
左馬之助も店を出た。
「ご亭主どの。この〔助戸〕どのの家は、ここから---?」
「前の道を竪川(たてかわ)沿いに3丁ばかり東へ行って、旅所(たびしょ)橋をわたった左手、清水町の裏長屋で---」
「むすめごは、おまさどのと言いましたな。迎えに行ってこよう」
(田中稲荷西隣の了庵医師 旅所橋、清水町 尾張屋板)
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が2丁も行かないうちに、向こうから提灯も持たないで駆けてくるおまさと、新造風と5,6歳の女の子に出会った。
「おまさどの」
「あ、お客さん。お紺おばさんと、おみねちゃんです」
【参照】 [女賊おみね]
「急いで。いま、左馬が了庵先生を迎えに行っております」
銕三郎は、息をきらしているおまさの手を引っぱるようにして、〔盗人酒屋〕へとって返す。
〔盗人酒屋〕の行灯の下で見ると、細面のお紺は27,8歳らしかった。
こころを乱してはいるが、場所柄はきちんと心得ている。
母親に手をにぎられているおみねは、勝気そうな表情で父親を見下ろしている。
医師の了庵が、左馬之助に導かれて入ってきた。
おまさ が、〔助戸〕の顔のまわりに散っていた深盃の破片をつまんで板場へ持ち去り、代わりに新しい行灯に灯(ひ)をいれ、〔助戸〕の顔の近くに置く。
(齢端(としは)もいかないのに、よく、気のまわる子だな)
銕三郎は、さっき、握って走った掌(てのひら)にのこっている、おまさの小さな指の感触を思い出しながら、
(こんな時に、不謹慎な---)
と自戒する。
みんなが見守るなか、了庵は〔助戸〕の鼻に掌をかざし、さらに左首の脈をたしかめ、首をふった。
「お前さんッ!」
お紺が悲鳴のような声をあげた。
しかし、泣かない。
くいしばって悲しみに耐えている。
おみねは、母親にしがみついて、亡骸(むくろ)となった父親から目をはなさない。
忠助を見習い、銕三郎なども仏になったばかりの遺体に合掌する。
「お紺さん。突然、気の毒なことになった。まあ、うちで仏になったのがせめてもの慰めだ。〔法楽寺(ほうらくじ)〕のほうへは、〔名草(なぐさ)〕のから報らせてもらおう」
【参照】 〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門
さらに、おまさに、
「深川・扇町の繁三どんのところは知っているな。夜道ですまないが、このことを告げ、手配を頼むと、わしが言っていたと伝えてきてくれ」
おまさは、殊勝にも、こっくりうなずいた。
「亭主どの。夜道には堀川もあって危ない。拙がつき添っていこう」
銕三郎が申し出た。
「初めて来ていただいたお武家さまに、そのようなご迷惑ごとは---」
「かまわぬ。このあたりの地勢には通じておる」
「では、お言葉に甘えさせて貰います。行っておいで、おまさ」
「銕っつぁん、ちょっと待ってくれ」
左馬之助が声をあげ、忠助に、
「ご亭主。いま、法楽寺とか耳にしたが、仏の菩提寺かな?」
「いえ。仏は、下野(しもつけ)国足利郡(あしかがこおり)の助戸村の出です。その隣村が法楽寺と聞いております。そうだったな、お紺さん?」
お紺が意志のない人形のようにぎこちなくうなずいた。
「客商売のここへ、仏をこのまま置いておくわけにはいくまい。内儀。荼毘(だび)に付すまで、内儀のところへ移すか、それとも寺へ預けるか?」
「さすがに、寺へ寄宿している左馬さんらしい気の利(き)きようです」
「うちには無理です。しかし、お寺さんといわれても、ご府内には知り合いはございませんし---」
お紺が眉を寄せた。
「ご亭主は---?」
「生憎と、この近所には、お寺さんがなくて---」
「それでは、どうであろう。手前が寄宿している寺は日蓮宗だが、そのつながりで、深川・猿江のご公儀の材木蔵の先の慈眼寺の住持を存じておる。よろしければ、扇町への道すがらなので、これから、内儀も、銕っつぁんといっしょに、そちらへ参ろうではないか」
【ちゅうきゅう注】慈眼寺は、明治45年(1912)に谷中・妙伝寺と合併して、豊島区西巣鴨4の8へ移転。寺号は未詳。
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