〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵・元締(2)
「音羽の元締もお待ちかねです」
飯倉神明宮から愛宕社一帯を縄張りとしている香具師の元締・〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 43歳)の息子・伸太郎(しんたろう 20をこえたばかり)が、平蔵(へいぞう 28歳)を座敷へいざなった。
前もって、〔音羽(あとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 41歳)へも、声をかけておいたのである。
【参照】2009年7月1日〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵・元締
北新網町のこの家は、いつきても、小ぎれいに片づいている。
裏庭の盆栽の棚が見える部屋では、当主の伸蔵の前に、巨躰の〔音羽〕の元締と小頭・〔大洗(おおあらい)〕の専二(せんじ 35歳)が待っていた。
亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)が京都西町奉行に抜擢されたのは、目黒・行人坂の大円寺に放火し、江戸の半分近くを焼失させた犯人の逮捕に、〔愛宕下〕一家の助(す)けがあったからともいえる。
【参照】2009年7月2日~[目黒・行人坂]の大火と長谷川組] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
生前の宣雄は、伸蔵元締からうけた恩義を忘れず、京都奉行所の役宅で病床に臥せていたときも、熱がひくと、
「銕(てつ)。われがこうして町奉行にひき立てられたのも、〔愛宕下〕の元締どのの刺しがあったればこそ。帰府したら重々に礼をつくしてくれ」
「なにを仰せられます。回復なされて、ご自身の口からお述べください」
けっきょく、父の伝言を平蔵が、いま、こうして伝えることになったのだが---。
父が京で求めた来(らい)国長(くになが)の短刀を風呂敷からだし、「
「武家方でもない元締めにはぶしつけと存ずるが、父からの志です。お納めくだされ」
伸蔵はうやうやしく拝領してから、
「〔音羽〕の元締とも話しあっていたのですが、長谷川さまが京の〔左阿弥(さあみ)の元締と組んでおやりになった〔化粧(けわい)読みうり〕を、この江戸でもお出しいただくわけにはまいりませぬか?」
〔音羽〕の重右衛門ものりだし、
「浅草・今戸の〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 26歳)どん、上野山下の 〔般若(はんにゃ)〕の元締、深川の〔丸太橋(まるたばし)の源次(げんじ 57歳)元締にも声をかけ、ほかにも2、3の元締衆が乗ってきましょう。が、とりあえずは5つのシマがそろえば、1万枚の刷りはかたいでやしょう。お考えいただけませんか?」
〔左阿弥〕の円造(えんぞう 60がらみ)から、かなりくわしい話がもたらされているらしい。
平蔵は、
(妙なことになった)
しばらく、思案の刻(とき)をかせいだ。
〔音羽〕の重右衛門に声をかけておいたのは、預かってもらっている〔左阿弥〕のところの若い者---万吉(まんきち)と啓太(けいた 20歳)を、ちょっとま、借りたかったためであった。
【参照】2009年11月17日[三歩、退(ひ)け、一歩出よ]
京でやってうまくいったのは、化粧指南師のお勝(かつ 32歳)がいたことも大きい。
府内にはそうした手づるがない。
【参照】2009年8月22日~[〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛] (1) (2)
2009年8月22日~[化粧(けわい)指南師のお勝] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
しかし、〔左阿弥〕への義理もあるから、お勝を江戸へ呼びもどすのははばかられる。
「〔愛宕下〕の元締をお引きあわせくださった〔音羽〕の元締のお言葉だから、案は、練ってはみますが---」
答えた平蔵の頭にひらめいたのは、両国広小路の〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)の存在であった。
(いつか独りだちしたい---と申していた)
【参照】2008年4月26日~[〔耳より〕の紋次] (1) (2)
2009年2月3日~{高畑(たかばたけ)の勘助] (2) (3)
2009年月3日
(こんなことになるのがわかっていたら、都板の[化粧読みうり]の実物わ3、4枚、懐中にしてくるんであった)
実物を示すのはこの次---とあきらめた平蔵は、おんなおとこになっていることは伏せて、お勝の美しさにたいする感覚のよさを説明し、それぞれの元締めのシマうちで、化粧(けわい)指南師になりうる女性(にょしょう)を見つけておいてほしいことと、元締一家は板元にならないでお披露目枠の扱いとシマうちでの配布にかぎること、板元は〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)という深川の町駕篭〔箱根屋〕とすること、自分は出仕が近いので表には立たないことなどを手短に告げた。
(こういう、金がからんだ話は、あまりくわしく説明しないほうが、聞き手の思惑がひろがるから、いいのだ)
とりあえず20日後に、4人の元締と小頭が〔愛宕下〕の元締の家へ集まることでまとまった。
伸蔵があらたまって、
「長谷川さま。ご相続、おめでとうございます。つきましては、〔愛宕下〕の手前からのお祝いの真似事をさせていただきます。気持ちよくお受けくださいませ」
そういって手を打つと、隣の部屋から息子・伸太郎が、いつのまに整えたのか、来国長を奉書紙で巻き、熨斗をつけたのを捧げてあらわれた。
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コメント
こうして名前をあげられてみると、銕三郎は、いつのまにか、けっこう、香具師の元締衆と知り合いになっていたんですね。
香具師たちって、盗賊でわないけど、すれすれのところで闇の世界につじているでしょうから、盗賊の情報もとれるし、つなぎはかかせません。いいところと手をむすんだとおもいます。
投稿: tomo | 2010.01.08 05:19
>tomo さん
『犯科帳』では、銕三郎は相続するまでぐれていた---いうことになっていますが、本家の伯父が火盗改メをしているのに、博打場などへ出入するはずがない---と見たのです。
また、盗賊とつきあうのも、不自然におもえます(まあ、〔狐火〕の勇五郎はお静とのかかわりがありますから別として)。
で、闇の世界を知るには、香具師の元締かなと考えましたが、彼らにしても、トクにならない付き合いはしないでしょう。
それで、〔化粧(けわい)読みうり〕の広告枠の扱いをまかしてみたら---とおもいつきました。定期に広告を出してくれる先がシマ内にあれば、定期収入になるわけです。
広告を出す側にしても、元締に恩を売っておけばイザってときに役に立ってくれましょう。
投稿: ちゅうすけ | 2010.01.08 07:20