浅野大学長貞(ながさだ)の憂鬱(3)
ことが果て、ならんで横たわっていた。
今宵は事前に、里貴(りき 31歳)が秘蔵していた艶絵をいくつも眺めたせいで、里貴の愉悦が高まりも大きかった。
庭をへだてた隣家に洩れたのではないかと怖れもしたのだが。
「躰のはしばしから、霜が朝日にとけていくみたいに、悦びがゆっくりと消えていくしばらくの刻(とき)が、おんなでよかったとおもうのです。まだ、間(ま)はあるのでしょう? お湯で拭くのは、しばらくお待ちになって---」
内風呂がないため、情事の臭いを湯にひたした布でぬぐいとるのが、この家での里貴のこころづかいであった。
手は、平蔵(へいぞう 30歳)のものをいとおしんでいる。
横目で瞶(み)ると、乳房のあたりは、淡い桜色が退(ひ)いて、透きとおるほどの白い素肌に戻りかけていた。
平蔵の指も、下腹の茂みを軽くなぶってやる。
つまんで引いたり、溝にそわしたり---。
頭では、盟友・浅野大学長貞(ながさだ 29歳 500石)の家の中の憂患におもいをめぐらせていた。
すぐ下の異母弟・周五郎(しゅうごろう 25歳)と、婚家先の夫が逝ったために出戻っていた異母妹の於喜和(きわ 24歳)が、3年前から男女の仲になってしまっていたという。
於喜和の言い分は、なかなか養子先に恵まれない周五郎のことが(かわいそう)におもえたと---。
そうだろうか。
夜、いつものように男との睦みをおもっていて、暗い手洗いでたまたま躰がぶつかった瞬間、欲情の堰が切れたのではなかろうか。
いや、厠の前というのは、話ができすぎている。
男の躰をしっている於喜和から、部屋へ誘ったのではなかろうか?
躰が求めたとなると、おんなは世間体が見えなくなるという。
(里貴とおれの場合は---)
提灯を借りるために、つい、つき従ってこの家までき、上がりこんだ。
里貴は、躰の線が見える衣に着替えた。
【参照】2010年1月18日~[御宿(みしゃく)稲荷脇] (1) (2)
あのとき、里貴は言った。
「男とおんなのあいだこと、いつ、どのようなひょんなことになっても、不思議はありません。まして---」
妻子のいる平蔵は、男とおんなのしがらみにとりこまれた。
於喜和と周太郎も、ひょんなことなった。
2人の場合は、若い後家と独り者の男とのあいだのことだから浮気という言葉は適当ではない。
(おれの場合は、いざとなれば、里貴を側妾にできる)
【ちゅうきゅう注】今日と違い、江戸時代の武家社会では、戦力や姻戚関係を強める子どもをたくさんつくるために、側妾は公然とみとめられていた。
しかし、母親は違うとはいえ、周太郎と於喜和は、兄妹だから世間は許すまい。
世間が認めないなら、別れるか、道行心中しかない。
大学長貞の心懊も、道行にあるのであろう。
大々伯父・内匠頭長矩(ながのり)の事件以上に不謹慎な珍事として、騒ぎ立てられるであろう。
それを防ぐには、お喜和に、なるべく早く、まっとうな男をつなげるしかないであろう。
夫が逝って7年後に剃髪というのも、世間の耳目を引き、古傷があばかれる。
(いや、尼になったとしても、貞妙尼じょみょうに)の例もある。
【参照】2009年10月11日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))]
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
尼になったからといって、情欲を沈静しきれるとはかぎらないのだ。
世間の目と口の牙は、決してやさしくはない。
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