貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(9)
「銕(てっ)つぁん、銕っつぁんはいるかえ---」
内庭先で呼んでいるのは〔〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)であった。
一度訪ねただけで、もう、わが家のように自在に振舞うのが特技である。
その声に、銕三郎(てつさぶろう 28歳)と久栄(ひさえ 21歳)が顔をだすと、
「奥方にはかかわりがねえんで---」
銕三郎の袖を引いて、表と役宅をしきっているくぐり戸の外へ連れだし、
「早く助けねえと、銕っつぁんのびっくりの人、あぶない---って、子鹿が、今朝方から、しきりにわめくんでさぁ。そいで報らせにきやしたが---}
「びっくりの人---?」
「なにしろ、まだ世間知らずなもんで、口跡(こうぜき)がはっきりしねえんで---」
「比丘尼だ。貞尼(ていあま)だ!」
部屋へとってかえし、袴をつけ、大小を腰に、
「彦十どん。いそぐんだ。仲筋町だ」
「仲筋といわれても---」
「ついてくればいい。待て---」
若党・松造(まつぞう 22歳)にも支度をいいつけ、さらに表役所から小者を一人借りて、誠心院(じょうしんいん)へ向かった。
道々、彦十に庵主(あんじゅ)・貞妙尼(じょみょうに 26歳)が近く還俗(げんぞく)することになっていることを告げた。
「還俗するのに、あぶねえってことでもありやすんで?」
「還俗をさせないで、破戒にしたがる輩が懲戒(ちょうかい)の集まりを開いているかもしれない」
誠心院の本堂前て、60がらみの寺男がうろうろしながらぶつぶつつぶやいていた。
銕三郎たちが駆けつけた姿をみると、奉行所の小者に、本堂の中を指さして、
「ご庵主はんが---」
雪駄のままかけあがると、白い法衣のあちこちがやぶれ、白い肌もみえている貞妙尼が須弥壇(しゅみだん)の前で正座したままうつぶせていた。
長い黒髪が頭の前方にすだれのようにひろがっていた。
法衣の背中には、紅で卍がえかがれいている。
銕三郎が油小路・二条上ルの2軒家でわたした口紅を、大切に房へ持ち帰っていたのを見つけた犯人たちが描いたらしい。
貝殻が割れて床に散っている。
そっと抱きあげたが、すでに息をしていない。
「松(まつ)。〔左阿弥(さあみ)の元締に報らせろ。お前は奉行所へ戻って浦部与力を呼んでこい。彦どん。寺男を押さえて、つれてくるんだ」
寺男が、おどろおどろに言ったことをまとめると、昨夜、数人の僧たちがやってきて、房で寝ていた貞妙尼を本堂へ引きだし、みんなでとりかこんで責めはじめたという。
寺男は、口ぎたない怒号しか聞いていない。
「淫行の相手をいえ」
「邪淫女め」
「淫戒の罪で地獄へ行け」
「淫女(いんにょ)とはお前のことや」
「淫法(いんほう 性交)の味をいうてみ」
「淫欲臭い」
合間々々に肌を撃つ音、蹴ったりの音がしたとも。
明け方には、
「それでも相手の名をいわんか」
布がやぶれる音がし、まもなく、僧たちは引きあげた。
ふせた庵主は、ぴくりとも動かなかった。
「僧たちのなかにも、見知ったのは?」
寺男は、しばらく黙っていたが、消えいるような声で、
「西迎寺の暁達(ぎょうたつ)はんらしいお人が---」
「房をあらためる。立ちあえ」
房内は、暗い中で何かをさがしたらしく、荒らされていた。
銕三郎は、庵室の三衣筥(さんねばこ)の法衣も乱れていたが、白い大衣をえらび、彦十に、
「躰に触らないようにして、覆ってくれ」
房中をぐるりと観察し、風炉に目を留めた。
掌でならした跡があった。
灰を掘ると、紺色の紙入れがでてきた。
2両ちょっとと紙切れがあった。
---銕どのにお返しする分
浦部与力たちが来るまえに、寺男に命じた。
「父が町奉行だ。暁達の名は、証人調べのときにはいうな」
〔左阿弥〕の円造(えんぞう 60すぎ)と2代目の角兵衛(かくへえ 42歳)が息をきらして駆けつけたき、本堂の貞妙尼を見るなり、
「誰が---」
と絶句した。
つづいて与力・浦部源六郎が和田貢(みつぐ 24歳)同心を伴ってやってきた。
【参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10)
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4)(5) (6) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
いづれは江戸へ帰る人、どんな別れが待っているのかと思ってましたが、突然の悲報ショックです
銕三郎と愛し合う人は次々と亡くなりますね。
お阿記さんは病死、お竜さんは事故死、そして貞妙尼は惨死。どうして????
銕三郎って「おんな泣かせ」と思ってら「おんな・・・」でもあるのですね
投稿: みやこのお豊 | 2009.10.28 12:07
どうしてでしようね?
書き手にもわかりません。
池波さんも、伊三次が刺されて死んだとき、死ななかったらウソになると書いていますが、このブログの場合も、そうなってしまうとしか、いいようがありません。
そうはいっても、お芙佐もお静も健在で、久栄もさっそうとしています。お仲もお豊もどこかで生きているはずだし、お勝も精一杯生きています。
お阿記、お竜は不運なものを背負っていたんでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.28 18:58