おまさのお産(2)
いつもなら昂ぶりがひくと、身づくろいをととのえてい自室へ引きあげる久栄(ひさえ 30歳)が、その夜にかぎって離れなかった。
考えこんでいるふうなので、
「どうした? 珍しいではないか---」
横ざまになり、平蔵(へいぞう 37歳)の腰に手をのせ、
「独りっきりでお産をした、おまささんが可愛そうです」
向きあった平蔵も久栄の乳首をなぶりながら、
「困れば、なんとかいってくるであろうよ」
「いいえ。おまささんは、殿さまに迷惑がおよんではいけないとおもいこんでいるのです」
「迷惑---?」
「そうでございましょう?」
「しっていたのか?」
「妻でございます」
「うむ」
抱き寄せた。
「私、酒々井(しゅすい)、とやらへ出向いてみてもよろしゅうございますよ」
「突然、なにをいいだすやら---」
太股へのびた平蔵の手をおさえ、
「本気です。いけませぬか?」
「一と晩おいて、話しあおう」
甘えて、
「あら、明日のご出仕にさしさわらなければおよろしいのですが---」
「いやか---?」
「いいえ、うれしゅうございます」
あくる朝---。
出仕を見送った久栄は、だれの目にもうきうきしているように映った。
辰蔵だけが、ひそかに舌うちし、
(まるで20代に戻りでもしたかのような)
胸のうちでつぶやいていた。
いずれ明かすことになるが、辰蔵の嶋田宿での体験は、吉で終わらなかったらしい。
登城した平蔵は、同朋(どうぼう 茶坊主)に、西丸・若年寄の井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 36歳 与板藩主 2万石)に、
「寸時、お割きいただきたい」
伺わせた。
ご用部屋の控えの間で待っていると、気さくにあらわれ、
「その後、賊は出現しないようだ」
去年の冬の入り口に越後まで出向き、盗賊・〔馬越(まごし)〕の仁兵衛(にへえ 30がらみ)一味を二度と与板へ戻れないように手くばりした。
【参照】2011年3月5日~[与市への旅] (1) (2 (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
「侯の威光でございます」
「長谷川はいつからお世辞をつかうようになったのかな?」
「恐れいります」
「用件をいってみよ」
【参照】2011年6月29日~[おまさのお産] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
下総(しもうさ)の佐倉藩主・堀田相模守正順(まさあり 38歳 11j万石)とは入魂(じっこん)かと伺うと、
「おお、奏者番の師匠役をやった仲だが---相模侯になにか?」
年寄格の人へ顔つなぎをしてほしいと頼むと、さいわい寅年で在府中だから、3ヶ日のうちに用が達せようと請けおった。
2日目に、数寄屋橋内の上屋敷に佐治茂右衛門を訪ねるようにと伝わってきた。
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コメント
そういえば、おまささんが産んだという女の子、「血闘」に書かれたきり、その後、いちども登場していません。「血闘」のとき、7歳でしたよね。
投稿: tomo | 2011.06.29 05:44
>tomo さん
そうなんです、文庫巻6[狐火]で佐倉の在(酒々井?)の叔母おかねの葬式に戻っても、10歳に育っているむすめに会った形跡がありません。養女に出してしまったんだから---と解釈はしていますが。
そういえば、平蔵も、芦ノ湖村の佐記に産ませたお嘉根に会っていません。これもこのブログの不思議の一つです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.07.01 08:23