お竜(りょう)からの文
「銕(てつ)兄(にい)さん。お父(とっ)つぁんが、文(ふみ)を預かっているから、ついでのときに立ち寄ってくださいって---」
おまさ(14歳)が、陽ざしの強い中を急いできたのか、額の汗を拭きふき、高杉道場の玄関で告げた。
「どこからの文だ?」
少女からおんなの面ざしと躰つきに変わりはじめているおまさなので、銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、妹をあしらうような、ふっきらぼうな口調になる。
なんとなく照れくさいのである。(清長 少女おまさのイメージ)
「おりょう(竜)とだけ、だって」
「お竜から? はて?」
おまさの手前、わざととぼける。
おまさは疑うように目つきで瞶(みつめ)てくる。
そんなときのおまさは、気持ちだけはもう、一人前のおんなになりきっている。
おんなの勘は、男とおんなのあいだのことにかけては、するどい。
銕三郎は井戸端で双肌をぬいで稽古の汗を流し、おまさは銕三郎の躰を目にいれないようにしながら、冷水で手ぬぐいを冷やした。
冷やした手ぬぐいを袂から入れ、片方の手で襟元をおさえ、ふくらんできている乳房のあたりの汗を拭いているのがいじらしい。
「おまさは、竜という字が読めるのか?」
「馬鹿にしないでください。銕兄さんといっしょに萩寺の竜眼寺へ行ったでしょ」
【参照】2008年6月14日[明和3年(1766)の銕三郎] (6)
並んで歩いているといっても、こころなしか離れぎみのおまさに、
(そうだった。萩看に行ったころは、おれも若く、おまさも幼く、手をつなでいても人目が平気だった)
お竜(りょう 31歳)は、初代・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50歳)一味の軍者(ぐかんしゃ 軍師)格で、京都へ呼ばれた。
最後に会ったのは、掛川城下で計りごとをめぐらせているときであった。(歌麿 お竜のイメージ)
【参照】2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30)
手紙には、いま、どこにいるとも書いてなかった。
お静(しず 22歳)の最初に産んだ女の子が、この春先に悪い風邪で逝ったこと。
お静はもとより、お頭・勇五郎の落胆もかなりのものだが、お静はまだ若いのだから、またさずかればいいと慰めていること。
【参照】 [お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
なにかの便りで、あなたさまの奥方に男のお子ができたことをしり、ひそかに成長を祈念していること、
【参照】2009年4月22日[嫡子・辰蔵の誕生] (1)
お勝(かつ 29歳)がまたも、名古屋で失敗(しくじ)ったので、〔狐火〕一味にいられなくなりそうなこと---などをしたためたあとに、
【参照】2008年10月12日~[お勝というおんな] (1) (2) (3) (4)
2009年1月23日[銕三郎、掛川で] (3)
2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)〕 (2)
名古屋で、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50すぎ)を見かけたこと。
【参照】2007年7月14日[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
連れの30がらみの痩せぎすのおんながお賀茂(かも)ではないかとおもうが、大きな腹をしていたことが書いてあった。
おしまいの文句を報らせるていで、これまであきらめていた文を寄こしたと、銕三郎は、お竜の気持ちを察してやった。
しかも、〔狐火〕の一味の者でもある小浪(こなみ 31歳)をとおさないで、面識のない〔盗人酒屋〕の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50がらみ)気付にした気持ちもいじらしかった。
【参照】2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
小浪を避けたのは、おんな同士の意地から、無意識のうちに、銕三郎に小浪を近づけたくないとおもったからのようだ。
おんなおとこのお竜にすると、一瞬、自分の気持ちが自分で納得できなかったのではなかろうか。
(歌麿 小浪のイメージ)
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