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2011.10.09

日野宿への旅

「寺社(奉行)の右京亮(うきょうのすけ)侯も、いたくおすすめでな」
江戸城・西丸の少老(若年寄)の用部屋の間で、話しかけているのは井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 39歳 矢板藩主)であった。

右京亮とは、上野(こうづけ)国・高崎藩主の(大河内松平輝和(てるやす 36歳 8万2000石)である。
この時---天明5年(1785)2月初旬(旧暦)には、寺社奉行は5人いたが、偶然であろう、30代と40代前半の俊英な若手大名がそろっていた。

堀田相模守正順(まさなり 41歳 11万石 下総・佐倉藩主)
阿部備中守正倫(まさとも 40歳 10万石 備後・福山藩主)
井上河内守岑有(みねやす 32歳 6万石 遠江・浜松藩主)
(本庄)松平伯耆守資承(すけつぐ  37歳 7万石 丹後・宮津藩主)

用件は、武蔵・多摩郡(たまごおり)、甲州路の日野宿に近い百草(もぐさ)村にある松蓮寺という黄檗(おうばく)宗の大和尚の縁者の子どもが行く方(かた)しれずになったと、村役人を介して代官・江川太郎左衛門英征(ひでゆき 46歳 150俵)に届けがあった。

百草(もぐさ)村の300余石は代官所の支配地であったからである。

江川代官の府中詰め手代は伊豆・韮山の駐在している江川代官と八王子陣屋へ報じ、両者が直属の勘定奉行所へまわして指示をあおいだ。

勘定奉行所の公事(くじ)方は、訴訟ごとではないということで、寺社奉行へまわした。
役人とすれば、子ども一人のことにかかずらわってられるか、ということであったろう。

うけた寺社奉行は、黄檗宗の松蓮寺が、宇治の総本山・万福寺とつながっていることをしっているだけに、後難をおもんぱかった。
とりわけ、大和尚はさる公家の5男が仏門へはいった者とわかっていた。

月番の寺社奉行であった松平右京亮輝和が、補佐役の藩士の意見を求めたところ、
「先君・右京大夫輝高(てるたか 享年57歳)さまのおり、ご城下でおきた絹市商人宿ねらいの盗賊をみごとに追いはらった、西丸の書院番士・長谷川某へ依頼なされては---」
9年前の事件の詳細を語って聞かせた。

参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () () (

その模様を執務部屋で傍聴していた堀田相模守正順侯が、
「それは、いま、西丸で徒組の頭をしておる長谷川平蔵宣以(のぶため 40歳)という男でしてな。じつは、わが城下でも先年---」
猿使いによる犯罪を解決した一件を説明し、強くすすめた。

参照】2011年6月29日~[おまさのお産] () () () () () () () () () (10

右京亮輝和から、親しい井伊兵部少輔直明へつながったという次第。

「さいわい、ご幼君のご遊覧の予定も3月の初放鷹までないから、5日や6日、おことが留守をしても大事あるまい」
若年寄・直朗侯の言葉は、
「やってやれ。勤めのほうは、予が責任をもつ」
請けおったに等しい。

寺社奉行所が包んできた金包みは1日1両(16万円)の計算で7両(112万円)であった。
さらに5両(80万円)が、西丸・若年寄の志(こころざし)ということで別に渡された。

退出ぎわに、
長谷川うじ。日野宿から帰ってきたら、高崎侯佐倉侯とともに、深川の〔季四〕とやらで一献、やろうじゃないか」
与板侯にいわれたと奈々(なな 18歳)に告げると、
「口がおごっておいでてはる殿はんらに、おほめいただくお膳をつくらんと---」

「それは考えちがいだとおもうぞ。口がおごっているから、かえって素朴な料理がめずらしがられよう。どうだろう、紀州の貴志村に伝わっている百済風の家庭料理は---?」
多紀先生のところの奈保(なお 22)さんの知恵をかりよっと。貴志村からきてる包丁人見習いの百介(ももすけ 21歳)の出番やわぁ」

参照】2010130~[貴志氏] () () (

里貴(りき 逝年40歳)や奈々奈保が貴志村は、百済から集団移住してきた人たちが、故郷の生活やしきたりをかたくなに伝えていた不思議な村落であった。
里貴は、貴志村から3,年前に頼まれて百介を板場へ入れていた。

奈々。先だってえらんでおくようにいっておいた、座敷女中の頭(かしら)と頭並(なみ)は決まったか?」
「うん---あい。貴志村からきたお(なつ 20歳)を頭、信州むすめのお(ふゆ 21歳)を並にしたん」

参照】2011,年8月15日[蓮華院の月輪尼(がちりんに)] (

「みんな、納得したんだな?」
「あい。でも、なんでぇ?」

「明日から、2日間、奈々は月魄(つきしろ)と旅にでる」
「え? ほんと? (くら)さんもいっしょよね?」


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(月番寺社奉行 松平右京亮輝和(てるやす)の個人譜)


参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] () ) () () () () () () () (10) (11) (12


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