お静という女
どうして、こういう仕儀(しぎ)になってしまったのか、銕三郎(てつさぶろう 21歳)は、まだ、納得がいっていない。
蚊帳の中では、銕三郎の隣りに臥(ふせ)っているお静(しず 18歳)も、すっかり安心しきって、全裸の腰のあたりに浴衣をかけいるだけだ。
腕は、銕三郎の下腹にあてたまま。
お静は、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 45歳前後)という盗賊が、1年前から、隅田(すだ)村のこの家に囲っている女(こ)である。
大川ぞい左岸の隅田村は、梅若塚のある木母寺(もくぼじ)に近い。
〔狐火〕は、愛宕下の水茶屋の茶汲み女として働きに出たばかりの、すれていないお静がいたく気にいり、相応の支度金を水茶屋にわたして引きとり、ここに囲った。
水茶屋への交渉も、法泉寺の前の納所の頭(かしら)の妾宅だったこの家を買う手つづきも、お静の病気の父親への手当ても、〔狐火〕から頼まれた〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)が、中にはいってすすめた。
お静は、深川・平井新田のそばで漁師をやっていた金兵衛(きんべえ)のひとりむすめだが、母親の病死につづきtrong>金兵衛も倒れたので、若い女が手っとりばやく金をつかめる芝の水茶屋へ出た。
(木場の東の埋立地・平井新田は数十万坪、黄〇=大名の下屋敷。
緑○=町屋、漁師・金兵衛の家はその堀っぷちにあったろう)
憂い顔というのか、お静本人はべつに意識はしていないのだが、たおやげなその風情を見かけた男性に、なんとか支えてやりたいという気持ちを起こさせてしまうらしい。
40歳も半ば、京都には本妻と8歳の実子、小田原宿にも妾・お吉(きち 31歳)を囲って男の子をもうけていた〔狐火〕が、お静にころりとまいったのは、女の子をほしがっていて得られなかった代償だったのかもしれない。
その証拠に、囲ってからのこの1年というもの、着せ替え人形もどきに、お静に髪型や衣装をとっかえひっかえさせ、変容を楽しんでいた。
そうはいっても〔狐火〕は、京の河原町に上品で小じんまりした高級骨董屋も構えているし、盗(おつとめ)の地盤は京坂と近江、越前、飛騨、美濃、三河、遠江、駿府である。
江戸へ出てくるのは1年のうちに2,3度、大仕事のあとの骨休めだから、ひと月もは滞在しない。
小田原宿に置いていた妾・お吉(きち)は、本妻・お勢(せい 没年26歳)が病死したのを機に、3歳の又太郎ともども京・川原町の骨董店へ呼び寄せ、本妻が産んだ文吉も育てさせていた。
そのとき小田原の家は、老僕夫婦にあずけたままにしてあり、江戸への往還に宿泊していた。
お吉は、又太郎・文吉が16歳の年に病没した。行年38。
銕三郎が、〔狐火〕の勇五郎と右腕の〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 50歳近く)を盗賊と見やぶったのは早かったが、火盗改メのお頭(かしら)の大伯父---長谷川太郎兵衛正直(まさなお 58歳 1450石余)には告げなかった。
〔狐火〕一味が、江戸と近郊ではお盗(つと)めをしていないことがわかったからである。
勇五郎と源七を引きあわせたのは、〔盗人酒屋〕の主(あるじ)・忠助である。
まだ、居酒屋が店をあけない昼間で、銕三郎がおまさの手習いに朱墨をいれいているところに来合わせた。
もちろん、京の骨董店の主人と一番番頭というふれこみであった。
銕三郎のほうは、旗本の次男として。
銕三郎が忠助のひとりむすめ・おまさに手習いを教えているとわかると、〔狐火〕は、
「うちのお静の面倒も見てもらえないですか。わたしは、ほとんど京都の店のほうにおります。お静とともにすごせるのは年のうち、2,3ヶ月あるかなしです。この齢になって、お静の手による恋文がもらえたら、これほどの幸せはありません」
そういうことで、銕三郎は、月に3回ずつほど、隅田村のお静が暮らしている妾宅へ出向いた。かならず、〔相模(さがみ)〕の彦(ひこ)十がつきそった。
彦十もお静とおなじ手本を銕三郎からもらい、朱墨の手直しをうけた。
おまさとちがい、2人は、漢字からはじめた。
いうまでもないが、彦十の手習いのあゆみは、お静の半歩にもおよばない。
彦十は、監視役としての手当てを、〔狐火〕から過分にもらっていた気配があった。
明和3年(1766)4月(旧暦)下旬---入梅前の蒸すこの日にかぎって、彦十が呑みすぎで供につかなかった。
高杉道場の稽古を終え、法恩寺橋ぎわの船宿〔秋本〕から、横川、源森川、大川とたどり、橋場の渡しの向島側の舟着きについたころから、空を真っ黒い雲が蔽い、下流の月島のほうで雷が鳴った。
妾宅に着き、
「雨がきそうだから、洗たくものを取り入れたほうが---」
と告げた瞬間、ザッーときた。
「お里がきょうはきてくれていなくて---」
2人で取りこんでいるうち、ズブ濡れになった。
お里(さと 15歳)は、隣り村の関屋ノ里から通っている小女である。
座敷へ上がるまえに、2人とも着物を脱いで水をしぼる。
銕三郎は下帯一つ、お静は湯文字だけ---顔を見合わせて笑った。
着物を衣紋架けにつるし、下帯も湯文字もとって、風呂場で躰をふく。
寝室になっている部屋には、蚊帳が半分吊ってある。
沼が多いので、4月になると、蚊がひどいのだ。
用がないときは、蚊遣りを焚くか、蚊帳の中にいる。
眼もくらむほどの雷光とともに家をふるわせるほどの大きさで雷が鳴った。
お静が耳をおさえながら、はずしてあった蚊帳の片側の吊り手をかけ、銕三郎の手を引っ張って蚊帳に入れた。
「雷の時は、蚊帳っていいますから---」
さっきより強い雷光につづき、ドカンと近くに落ちたような雷音に、お静が悲鳴をあげ、銕三郎に抱きつく。
銕三郎も、おもわず、お静の背中に手をまわした。
(栄泉『艶本ふじのゆき』 お静と銕三郎のイメージ)
じっと待つ。
また、雷光と耳がやぶれそうな雷音。
お静の乳頭が銕三郎の胸で動いた。
顔をあげた。
憂いをふくんだといわれている瞳が、銕三郎を睜(みつめ)る。
形のいい唇がふるえた瞬間、光と雷鳴。
「えっ?」
聞きなおす銕三郎の口を、お静の唇がふさぎ、銕三郎に抱きついたまま、自分から仰向けに倒れる。
曲げた膝で、上の銕三郎の両脇腹をしっかりとしめつける。
腰が小きざみにうねりはじめた。
「あ、止まらないのです。どうして?」
「こわがらないで---」
また雷光と爆音。
お静が銕三郎をつかんで、導き入れた。
どちらも、熱いほどに熟しきっている。
終わって、お静がつぶやいた。
「お金のやりとりなしで、自分の気持ちにしたがった時って、こんなに高まるのですね。ふつうのむすめが好きな男の人とする時の自然な感じは、きっとこうなんでしょう、初めて知りました」
雷鳴は遠ざかっていた。
どちらからともなく、ふたたび抱きあい、むさぼった。
いま、お静は、くずれた髪をほどいて、横たわっている。
(向島・大川ぞい 隅田村も鐘ヶ渕も切絵図下(北)部
尾張屋板)
【ちゅうすけのつぶやき】
『剣客商売』の主人公の一人---秋山小兵衛とおはるの隠宅は、綾瀬川が大川にそそぎこむ鐘ヶ渕である。池波さんが隠宅をここにロケーションを決めたのと、『鬼平犯科帳』文庫巻6[狐火]で、先代・勇五郎がお静を隅田(すだ)村の妾宅に囲ったのと、どっちが早かったのだろうと、疑問が湧いた。
『剣客商売』の第1話[女武芸者]は、『小説新潮』1972年(昭和47)新年号に掲載。
[狐火]は『オール讀物』1971年(昭和46)4月号に掲載。
単純に比較すると、勇五郎のほうがさきに妾宅を構えたともいえる。
しかし、『鬼平犯科帳』の連載がきわめてあわただしく始まったのに対し、『剣客商売』のほうはかなり早くからノートがつくられ、隠宅の間取りなども設計されている。
ということで、決めがたいのだが、まあ、常識的に判断すると、お静が先に住みついたと見たい。
【参照】[お静という女 (2) (3) (4) (5)
[瀬戸川)(せとがわ)〕の源七 (1) (2) (3) (4)
[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)
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