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2005年6月の記事

2005.06.30

〔雨彦(あまびこ)〕の長兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻16に載っている[白根の万左衛門]のタイトルは、そのまま本格派盗賊の首領(72歳)の名前である。
(参照: 〔白根〕の万左衛門の項)
江戸で稼ぎまくってずいぶんと名前を売っていたものだが、鬼平が火盗改メに就任すると同時に、ぴたりと活動をやめた。といっても、盗めをやめたわけではなく、仕事の場を上方から中国すじへ移しただけである。
久しぶりの江戸でのお盗め先(数寄屋橋門外の文具舗〔大和屋〕)の準備がととのった、との知らせが名古屋へ届き、万左衛門は老巧の〔灰谷(はいだに)〕の菊松とむすめ婿の〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉をまず下向させ、つづいて自らも麹町6丁目の鞘師の家へ落ち着いたところ、死の病いにとりつかれた。
(参照: 〔灰谷〕の菊松の項)
長くはなさそうというので、配下の者が気をきかせて、名古屋から小頭の〔雨彦(あまびこ)〕を呼んだ。

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年齢・容姿:60がらみ。顔は陽にやけているが、足取りは達者。
生国:「通り名(呼び名)」の〔雨彦〕は、ムカデに似た小さな虫のことである。どこでも見かけるから、生国の推理の手がかりにはならない。
〔白根(しらね)〕一味のNo.2ということなので、地縁を考えた。
万左衛門を信濃(しなの)国上高井郡(かみたかいこおり)白根山麓(現・長野県上高井郡白根山の西麓)の出とした。その近隣の村---小さな虫にかけて、上高井郡の千曲川右岸・小布施(おぶせ)町小布施としてみた。

探索の発端:平河天満宮の鳥居のところで、2人づれの男女を、〔白根(しらね)の万左衛門のむすめのおせき(24歳)と、その婿の〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉(30がらみ)だと、密偵〔馬蕗(うまぶき)〕の利平次が鬼平へ告げた。
尾行がつき、麹町の鞘師・梅之助の店が割れ、つづいて下向してきた長兵衛の身元がつきとめられた。
(参照: 〔馬蕗〕の利平次の項)

結末:万左衛門は死の床で、隠し金1,500両ほどの遺(のこ)し金を京都のさる家の仏壇の下へ隠してると、むすめ夫婦と小頭の長兵衛へ告げた。
遺し金を一人占めしようとしたおせきがまず締め殺され、ついで鶴吉が殺されかけたところで、〔雨彦〕グループは尾行していた火盗改メに縛られた。

つぶやき:これまで、右腕とか左腕とか、軍師役などと呼んできたNo.2が、この篇ではじめて「小頭」という呼称を与えられた。
これは、『雲霧仁左衛門』(新潮文庫)へそのまま転用されることになった。

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2005.06.29

〔有馬(ありま)〕の久造

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[隠居金七百両]で、首領の〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)から、3代目をゆずられることになっている痛みの幹部。
太四郎は、隠居金七百両を、4年前に病気で足を洗い、雑司ヶ谷の鬼子母神境内で茶店の亭主におさまっている[掘切(ほりきり)〕の次郎助に、隠居金700両を預けておき、近く妾おせいと江戸で隠居生活に入るつもりだった。
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)

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年齢・容姿:どちらも記載されていなが、40歳後半の気力充実の年代と推察。
生国:摂津(せっつ)国有馬郡(ありまごうり)有馬(現・兵庫県神戸市北区有馬)。
「有馬」は「有間」と書いた。「アリ(山)」と「マ(土)」、すなわち山間(やまあい)の土地との説がある。その証拠に「有馬」「有間」と名づけられている土地は、日本中、いたるところに存在する。
もっとも、この篇の場合、〔白峰(しらみね)〕の太四郎が上方から大和、播州へかけてを縄張りとしているので、有馬温泉の有馬と確定した。
文庫巻13[熱海みやげの宝物]でも、かつて彦十が、有馬の湯で湯治している〔馬蕗(うまぶき)〕の利平次へ見舞金をとどけたとあるから、池波さんの頭の中では、「有馬」といったら、まっさきに神戸市の有馬温泉が浮かんだはず。

探索の発端:この篇は、上方にいる〔白峰(しらみね)〕の太四郎一味を探索する物語ではなく、隠居金700両を奪おうとする〔奈良山(ならやま)〕の与市と[掘切〕の次郎助の抗争が表の筋だから、〔有馬〕の久造はチラっと名が出るだけである。

結末:太四郎の隠居金の預け先を〔奈良山(ならやま)〕の与市へ洩らしたのは、彼の姉で太四郎の妾のおせいだったというおそまつ。

つぶやき:池波さんの金銭感覚として、『鬼平犯科帳』の結末近くでは、1両を20万円とみている。
隠居金700両というと、1億4,000万円である。
子もいない72歳の〔白峰(しらみね)〕の太四郎と妾のおせいが、江戸の片隅---通勤などないのだから、芝居小屋としゃれた小間物屋や呉服屋に便利な町---の家を求めても、200両(4,000万円)もすまい。あと、何年生きて500両(1億円)を使うつもりだったのだろう。

元首領の〔瀬音(せのと)〕の小兵衛が、岡部宿の〔川口屋〕のおすみに、死に水ふくみの食い扶持として預けたのは100両(2,000万円)だった(もっともこの篇の発表時期---『オール讀物』1970年9月号---での池波さんの換算率は1両6万円だから、発表当時の金銭感覚だと、小兵衛が預けたのは600万円相当)。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
池波さんの頭の中でのインフレ進行は、20年たらずで3倍強になっていた。

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2005.06.28

〔白根(しらね)〕の三右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[鯉肝のお里]が仕えている首領。水戸城下の旅籠屋〔黒木屋〕を本拠にして、常陸から野州・上州へかけて跳梁している。

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。ただ、上州・沼田の酒問屋〔丸屋〕へ女中となって引き込みを務めた〔鯉肝(こいぎも)〕のお里に、盗んだ1,050余両のうちから分け前として50両(ほぼ5パーセント)も与えるほど気前はいい。
(参照: 〔鯉肝〕のお里の項)
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがごうり)白根(しらね)山麓(現・栃木県日光市湯元あたり)。
旅籠屋の屋号〔黒木屋〕から、磐城国宇田郡黒木村(現・福島県相馬市黒木)の線もありうる。

探索の発端:一仕事が済んで、50両もの分け前を貰った配下の〔鯉肝(こいぎも)〕のお里〕が、博打場からの帰り、あることで一膳飯屋の女将に1両小判を投げつけたところを、女密偵おまさ(35歳)に見られ、住いまで尾行(つ)けられた。
(参照: 女密偵おまさの項)
隠れ家が見張られ、つなぎに現れた30男が尾行されて一味の盗人宿が割れた。

結末:次のお盗めの打ち合わせのために集まった三右衛門以下18名が、水戸城下はずれの木沢村の妾宅でもあった盗人宿で全員逮捕された。

疑問:聖典に「水戸城下外れの木沢」p76 新装版p79 とあり、『旧高旧領』で検索したら、行方(なめかた)郡八木沢がヒットした。水戸城下外れの木沢、あるいは八木沢について、地元の教育委員会の方のご教示をいただきたい。

つぶやき:彦十の爺つぁんがいう。「女賊の息ぬきは、男を買うのがいちばんいいそうで---」
女性優位時代の現代の、ホストクラブの隆昌がうなずける。それにしても、池波さんの眼光は鋭い。

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2005.06.27

〔青田(あおた)〕の文四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収まっている[密告]は、娘時代に恩義をうけた〔珊瑚玉(さんごだま)〕のお百(41歳)が、わが子ながら畜生ばたらきをやめない〔伏屋(ふせや)〕の紋蔵(25歳)の一味が、「今夜、深川・仙台掘の足袋股引問屋〔鎌倉屋〕を襲う」と密告。
(参照: 〔珊瑚玉〕のお百の項)
(参照: 〔伏屋〕の紋蔵の項)
浅草・今戸の盗人宿に残っているお百の監視役をつとめたのが〔青田(あおた)〕の文四郎である。

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年齢・容姿:どちらもの記述はないが、20代であろう。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかごうり)小金牧野付村牧野(現・千葉県流山市青田)
【参考】千葉県流山市青田の地図
〔伏屋〕の紋蔵の義父〔笹子(ささご)〕の長兵衛も下総の笹子の出であったから、紋蔵も下総出身者で一味を固めたろう。
下総にはもう1村、青田という地名がある。新治郡(にいはりごおり)のいまは八郷(やさと)町に組みこまれている(あおだ)である。が、池波さんは(あおた)と濁らないでルビをふっているので、流山市の北東端の青田をとった。

探索の発端:〔珊瑚玉〕のお百の密告で捕縛された紋蔵は、鬼平から「お前の実の父親はおれだ」といわれて態度を一変、お百の隠れ場所を白状し、捕縛をのがれた〔青田〕の文四郎の弟の半助がお袋の命を狙っていると訴えた。

結末:盗人宿である今戸・長昌寺門前の茶店へ鬼平と彦十たちが駆けつけてみると、文四郎は、お百に毒殺されており、半助とお百は刺し違えて2人とも息絶えていた。

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浅草・今戸 長昌寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

つぶやき:この篇も、ぐれてはいても芯は人情味が厚かった、銕三郎の若きころの姿をフラッシュ・バックしてみせる。
こうした一つひとつのエピソードが積み重なって、鬼平という壮大な人間像になっていく。
エピソードを創作する池波さんはたいへんだろうが、読み手は旧知の仁のようにさらになじんでいく。

話変わって。『図会』で示した長昌寺だが、ここの開基・日寂(にちじゃく)上人は、元は浅草寺の僧。下総国中山妙法華寺の日常上人と法論をたたかわし、浅草寺を出て身延山へあがって日蓮上人の弟子となり、草庵を結ぶ。

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中山妙法華寺(『江戸名所図会 塗り絵師:)

浅草寺を出るとき、寸余の聖観音像を持ちだしたとの説も。現在地(台東区今戸 2-32-16)の同寺には、宗論の芝生と観音堂も設けられている。

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2005.06.26

〔野尻(のじり)〕の虎三

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されたいる[兇賊]の首魁である〔網切(あみきり)〕の甚五郎一味の幹部級の配下。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
江戸へ帰るために、倶利伽羅峠の頂上にある地蔵堂で休んでいた〔鷺原(さぎはら)〕の九平は、「鬼の平蔵の血を見なくちゃあ---」と話しあいながら峠をくだって行く3人づれの男たちを見てしまった。そのうちの1人が〔野尻(のじり)〕の虎三。
(参照: 〔鷺原〕の九平の項)

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年齢・容姿:34,5歳。商人風。
生国:越中(えっちゅう)国砺波郡(となみごうり)野尻野村(現・冨山県東砺波郡福野町野尻)。
「野尻」とは、野の端っこの意だろう。そんな土地は日本中いたるところにあるはず。事実、ほとんどの県に「野尻」という地名は現在する。
で、当初は、野尻湖でよく知られている長野県を考えたが、倶利伽羅峠を北からのぼってくるという記述にあわない。それで、石川県か冨山県と見当をつけたら、なんと、東砺波郡に池波さんのご先祖が出た井波町の名が見え、つづきの福野町の大字に「野尻」があった。

探索の発端:鬼平を尾行して逆に注意を向けられてしまった〔鷺原〕の九平は、青山・久保町
で飯屋をやっている〔板尻(いたじり)〕の吉右衛門のところへ転がりこんだ。
(参照: 〔板坂〕の吉右衛門の項)
ある日、倶利伽羅峠で聞いた声の客が飯を食っていたので、尾行し、梅窓院の横道を南へ行ったところにある盗人宿をつきとめた。そこには、〔文挟(ふみばさみ)〕の友吉もいた。
(参照: 〔文挟〕の友吉の項)

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梅窓院の泰平観音堂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

かれらが、向島の料亭(大村)で鬼平の始末をたくらんでいるらしいと知り、火盗改メへ急報しようと---。

結末:料亭〔大村〕での危地を出脱した鬼平は、〔網切(あみきり)〕一味を捕縛。甚五郎は獄門であろう。〔野尻〕の虎三らは死罪。

つぶやき:この篇は、『オール讀物』1970年11月号、すなわち、連載満3年目まじかに掲載された。松本幸四郎丈(白鴎さん)によるテレビも1年前から始まり、人気も急速に高まってきていたときである。
それだけに、編集部へもかなり自由がきき、原稿枚数もふだんの篇の倍近い。芋酒などもあしらって、話はゆったりとすすめられている。

『木曾路六十九次』に[野尻・伊奈川遠景](英泉)がある。現・長野県大桑村野尻。
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英泉の傑作のひとつだし、池波さんはこの画集を愛好していた気配もあるので、「ハッ」と思ったが、〔網切〕の甚五郎との地縁で、やはり、越中国説を捨てきれない。

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2005.06.25

〔嶋田(しまだ)〕の惣七

『鬼平犯科帳』文庫巻20に収録の[顔]の主人公。
銕三郎(家督前の長谷川平蔵の名)と岸井左馬之助が高杉道場で竜虎と呼ばれていた当時、2人よりもさらに剣技がすぐれていたのが、やや年長の井上惣助であった。惣助は20数年前に幕府から切腹をいわれ、家名も断絶していた。

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年齢・容姿:60歳に近い。白髪で歩行にも老いがみえる。
生国:江戸。5,6歳のとき、母親の故郷の駿河の嶋田へ移り、17歳で家出。そのまま、盗みの世界に。

探索の発端:高輪の太子堂(現在は高輪神社)に詣でた鬼平が、東海道筋で20数年前に切腹したはずの井上惣助を見かけた。後を尾行(つ)け、品川寺・鐘撞堂の南側に住んでいることがわかった。

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高輪 太子堂・稲荷・庚申堂
(『江戸名所図会より 塗り絵師:ちゅうきゅう)

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品川(ほんせん)寺(『江戸名所図会より 塗り絵師:ちゅうすけ)

と、怪しげな浪人(30がらみ)と2人の町人がその家を見張っていた。

結末:3人の不審者が惣助の家へ踏み込こもうとしたので、鬼平と元ご用聞・富五郎が捕らえたが、惣助に似た老人は、宗助の父・惣右衛門が茶汲み女を妾にして生ませた子で、長じて〔嶋田(しまだ)〕の惣七を名乗り、上方がテリトリーの〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門の軍師といわれるまでになったが、2年前に仲たがいし、500余両を持ち逃げしていた。襲ったのは〔稲谷〕一味の者たち。

つぶやき:他人の空似---もっともこの篇の場合は、父親が同じだから「他人」とはいいがたいが、空似や1人2役の、舞台の見せどころの一つでもある。
戯曲から出発したから、とこじつけるわけではなく、池波さんは少年時代から芝居や映画に親しんでいたというから、発想の根元のところに、空似や早変わりがあるのだろう。

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2005.06.24

〔棚釜(たなかま)〕の重四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に所載されている[白蝮]のヒロイン・津山薫こと初子と組んで盗みをしている浪人くずれの男。

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年齢・容姿:30男。容姿の記述はない。
生国:播磨(はりま)国多可郡(たかごうり)多棚釜(たなかま)村(現・兵庫県多可郡加美(かみ)町棚釜)
多可郡は兵庫県東北で、棚釜は杉原川の支流の多田川の中流ぞいにある。
古くは、多田中間村と呼ばれたと。「多田」は鉱業用語の「たたら」で、その仲間---つまり多田の隣村といったほどの意。勝浦銅山にちなむ。
池波さんは、1976年に文藝春秋主催の講演で福知山市へまわっている。多可郡はそのときに認知したか。

探索の発端:谷中・天王寺の門前に遊所・いろは茶屋が軒を並べている。その1軒、〔近江屋〕の妓娼お照に、鬼平の息・辰蔵は夢中だった。
そのお照を52両2分で見受けしていった若武者ふうに男装した女がいた。女おとこ剣客が辰蔵に投げつけた白扇を、鍛冶町(橋の誤植)門外・五郎兵衛町の小間物屋〔丁子屋〕が上方から仕入れている品で、昨今、押し入った賊がついでに持ち去った10本のうち1本と鬼平がみて、探索がはじまった。

結末:同心・沢田小平次が白山権現社に近い指ヶ谷町2丁目に印判師の看板を出していることをつきとめ、2軒の盗人宿にいた一味ともども、検挙された。お初は、同門だった沢田小平次が殪した。
〔棚釜(たなかま)〕の重四郎は、指ヶ谷の家で逮捕。死罪であろう。

つぶやき:〔棚鎌〕は姫路藩(15万石)の領内であるが、重四郎が藩士だったとはおもえない。
要衝の地・姫路を城下町とする同藩は、しばしば藩主が変わっている。移封されてきた藩士で浪人となった者が、わさわざ辺境の地「多棚倉」の村名を「通り名(呼び名)」とすると考えるのはむずかしい。「多棚倉」村の郷士ででもあったか。

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2005.06.23

〔桑原(くわはら)〕の喜十

『鬼平犯科帳』文庫巻19では[引き込み女]に、巻20に所載の[怨恨]ではかなり重要な役どころを受け持つ、いまは足をあらって、南八丁堀5丁目(じつは4丁目。5丁目は近江屋板の切絵図の誤植)、京橋川に架かる中ノ橋の南詰で煮売り酒屋〔信濃屋〕をいとなみながら、盗人情報をこっそり、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵にだけ洩らしている〔洩らし屋〕。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

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年齢・家族:57歳。10年前に足をあらい、いまの店を開いた。女房のおときは20も年下。むすめのお光は7歳。
生国:屋号の〔信濃屋〕から推定。信濃(しなの)国諏訪郡(すわごうり)下桑原(しもくわばら)村(現・諏訪市四賀桑原)

探索へのかかわり:煮売り酒屋をつづけながら、かつて2度ほど助(す)けて、その人柄に好感をもっている〔大滝〕の五郎蔵にだけ、そっと情報を洩らす。五郎蔵も心得ていて、鬼平へは、喜十のことは告げていない。

つぶやき:人と人のまじわりの中で、信義というものの大切さを悟らせる一編である。喜十と五郎蔵、喜十と〔今里(いまざと)〕の源蔵の信頼関係、そして源蔵から受けた旧恩に報いようとする喜十---「恩は着せるものではなく、着るものだ」との、池波さんが長谷川伸師からうけた人生訓をみごとに小説化している。
(参照: 〔今里〕の源蔵の項)

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2005.06.22

〔黒坂(くろさか)〕の伝右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻7を彩っている魅惑的な女賊は、一編のタイトルにもなっている[掻掘のおけい]である。
40を越えていようかというのに、「なんともいえない色気があって---」と、70をすぎた〔舟形(ふながた)〕の宗平が嘆声まじりに、着物ごしに触れても、まるで生身にさわったように「指にぴりっときた」と洩らしたほどの、女躰の持ち主。
そのおけいに若さをしゃぶりとられ、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵に泣きこんだのが〔砂井(すない)〕の鶴吉である。いぜんに五郎蔵の下にいたとき、上州・高崎でのお盗めのさなかに下女を犯した。それで追い出されて〔黒坂(くろさか)の伝右衛門の配下となったこともあった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔砂井〕の鶴吉の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:本拠は駿河(するが)国とあるが、『旧高旧領』に「黒坂村」はない。
駿河に流れてきて定着しそうな「黒坂村」としては、甲斐(かい)国八代郡黒坂がもっとも近いが、池波さんが座右に置いて重宝していた『大日本地名辞典』(冨山房)からさがすと、越中国砺波郡、北陸道にかかる砺波山の「黒坂」とも呼ばれる倶利伽羅峠は、池波小説の定番の山坂である。

探索の有無:ない。

結末:ない。

つぶやき:ほんの1行しか顔を見せない人物にまで、きちんと「通り名(呼び名)」を与える几帳面さよりも、「さあ、この土地を当ててみろ」といった茶目っ気のほうを、より強く感じる。
というのも、わざわざ「駿河の黒坂の伝右衛門」とミス・リードをさそっておいて、じつは「黒坂」は、おなじみの「倶利伽羅峠の別名ということを知っておるかの?」といいたげに、いたずらっぽく笑っている池波さんの顔が思い浮かぶのである。
さいわい、『大日本地名辞書』を調べていたので、池波さんの詭計に落ちずにすんだ。

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2005.06.21

〔峰山(みねやま)〕の初蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻23に収録されている長篇[炎の色]で、しっかり者の密偵おまさにしては珍しく、ふらふらと湯島天神の境内に踏み込こんだところで、50男から声をかけられた。盗賊の首領〔峰山(みねやま)〕の初蔵であった。
(参照: 女密偵おまさの項)
おまさは、流れづとめをしていたころに〔峰山〕一味のために、小田原と越後で引き込みを務めたことがあった。

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年齢・容姿:50男。血色がよい。
生国:丹後(たんご)国中郡(なかごうり)峰山町(みねやままち)(現・京都府中郡峰山町)
『鬼平犯科帳』とのつながりでいうと、峰山藩(11,000余石)の藩主で若年寄の京極備前守高久は、鬼平の後ろ盾ということになっている。
ほかに、奈良県山辺郡山添村峰山と、香川県高松市峰山もあるが、両方とも『大日本地名辞書』(冨山房)にも『旧高旧領』にも載っていないから、丹後国のここを採らざるをえなかった。

探索の発端:先記のように、湯島天神の境内で、〔峰山(みねやま)〕の初蔵のほうかに声をかけてき、〔荒神(こうじん)〕の2代目を継いだ女賊お夏一味との合同の盗めを助(す)けてくれるように、頼まれた。
いま、だれに属しているかと訊かれて、おまさは「〔大滝〕の五郎蔵お頭の下で」と答えておき、すぐさま、鬼平の指示をあおいだ。
(参照: 〔荒神〕のお夏の項)

結末:日本橋箱崎町2丁目の醤油酢問屋〔野田屋〕を襲った〔荒神〕と〔峰山〕一味は、待ち構えていた長谷川組に捕縛されたが、〔荒神〕のお夏だけは、どこをどうかいくぐったものか、姿を消した。
捕縛された賊たちは全員死罪。

つぶやき:若年寄・京極備前守の領内から盗賊をだすとは---と、しばらくは信じられなかった。
『よい匂いのする一夜』(講談社文庫)の[丹後峰山 和久伝]を読んで、池波さんが3回、峰山町を訪れていることを知った。

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講談社文庫

1970年ごろ(昭和45 47歳)と、1975年(昭和50 52歳)の文藝春秋主催の文芸講演会、そして雑誌『太陽』連載のための1979年(昭和54 56歳)の旅がそれである。
〔峰山〕の初蔵の『オール讀物』への登場は1986年8月号だから、京極備前守が峰山藩の藩主だったことはとっくに承知していたはずである。
ちなみに、激務の鬼平をいたわる若年寄・京極備前守高久の『鬼平犯科帳』への初登場は、『オール讀物』1972年6月号[流星]で、史実の高久は、このとき65歳であった。

ぼくと峰山町とのつながりは、『町史』をめぐって、きわめて学究肌の2人の郷土史家とつながりができ、相互に教授しあったことである。
最近では、藩主の末裔の京極さんがひょっこり、〔鬼平〕クラスを受講され、知己をうることができた。しかも、すまいが隣組とわかり、えにしの不思議におどろいた。

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2005.06.20

〔熊倉(くまくら)〕の惣十

『鬼平犯科帳』文庫巻4で、おまさが初登場する[血闘]で、かつておまさが引き込みをしていたお頭の一人であることを、〔吉間(よしま)〕の仁三郎があかす。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔吉間〕の仁三郎の項)
仁三郎のような卑劣な盗人を配下にしていたのだから、〔熊倉(くまくら)〕の惣十という首領の品性も知れようというもの。もっとも、仁三郎が畜生ばたらきに転じたのが〔熊倉〕一味を離れて以後とすると、話はちがってくるが。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:上野(こうずけ)国甘楽郡(かんらごおり)熊倉(くまくら)村(現・群馬県甘楽郡南牧村熊倉)
聖典巻4p149 新装版p156には、いつもと異なり、「熊倉の惣十(そうじゅう)」と、「通り名(呼び名)」にはルビがふられていないで、名前のほうにふられている。
「熊倉」を(くまくら)と読むか、(くまぐら)と読むかで生国が違ってくる。(くまくら)なら、南牧村のほかに栃木県真岡市熊倉があるが、ここを採らなかったのは、鬼平が活躍した寛政年間に、熊倉某が開拓した土地で、『鬼平犯科帳』のころにはまだ地名となっていなかったと判断したからである。
いっぽう、(くまぐら)だと、福島県喜多方市熊倉、同県南会津郡只見町熊倉などがある。

探索の発端:おまさが〔熊倉〕一味の引き込みをしたのは、天明5年(1785)か6年で、鬼平はまだ火盗改メの役についていなかった。

結末:これも記述がない。その後、おまさは、〔吉間(よしま)〕の仁三郎のほかには、〔熊倉(くまくら)〕の惣十一味の者に出会っていないから、この一味は、主に上州・信州・甲斐のあたりで仕事をしてい、捕縛・処刑されたとしたら、そちらでだったろう。

つぶやき:、〔熊倉〕の惣十のの本拠や盗人宿を、おまさが鬼平へ告げなていかったのはどういうわけがあったのだろう。
もっとも、[血闘]は、おまさが密偵になって2,3カ月目の事件だから、直前まで属していた〔乙畑(おつばた)〕一味のすべてを告げるだけで精一杯だったかもしれない。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
(この〔乙畑〕の源八とおまさの間柄には未解決の疑問点がいくつかあるのだが)。

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2005.06.19

〔大亀(おおがめ)の七之助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[はさみ撃ち]で、かつて〔墓火(はかび)〕一味にいて運よく捕縛をまぬがれた2人のうちの1人。もう1人は〔女だまし〕が専門の〔針ヶ谷(はりがや)〕の友蔵(32歳)。
(参照: 〔墓火〕の秀五郎の項)
その友蔵が本郷1丁目の薬種屋〔万屋〕小兵衛方の女房おもん(31歳)をたらしこんで、彼女の寝間へ忍んでゆき、押し込みの当夜は、内側から戸をあける算段をしている。
そんなことができるのも、おもんの亭主・小兵衛は齢が40も上で、寝床にもう女を必要としなくなり、4年前から別の部屋で寝ているためである。
もっとも、この小兵衛老人、只者ではない。50年前に盗みの世界へ入り、亡父の跡目である〔猿皮(さるかわ)を継いで2代目となり、7年前に引退したご仁である。本拠は芸州・広島、テリトリーは中国筋から九州へかけてだったから、江戸の火盗改メは〔猿皮〕一味については知らない。

207

年齢・容姿:31,2歳。記述はないが、上背のある友蔵に比し中肉中背と推察。
生国:陸前(りくぜん)国黒川郡(くろかわこうり)大亀(おおがめ)村(現・宮城県黒川郡冨谷(とみや)町大亀)
町内の標高115メートルの大亀山の頂上に、亀のような形をした「亀石」がかさなっているためについた村名と。

探索の発端:両国橋上で七之助が、7年ほど前に流れづとめで助(す)けたことのある〔初鹿野(はじかの)〕の音松一味の元幹部---〔舟形(ふながた)〕の宗平(73歳)に出会い、急ぎの助(す)けばたらきを5人ほど頼んだ。
(参照: 〔初鹿野〕の音松の項)
そのことはもちろん鬼平につつぬけとなったが、七之助を尾行した〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が雨の柳原で見失ってしまった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
そこで、鬼平(47歳)以下、木村忠吾(25歳)、小柳安五郎(26歳)、山田市太郎、五郎蔵(55歳)が盗人に化けて一味に加わることになった。

結末:当夜、〔針ヶ谷〕の友蔵が内側からしまりを外そうとしたとき、目つぶしと薪が飛んでき、友蔵はほううほのていで転がりでて計画の中止を告げたが、助ばたらき人に化けていた鬼平らに取り囲まれてあっけなく逮捕。死罪であろう。

つぶやき:『鬼平犯科帳』に登場する盗賊のお頭の中でも、ユニークさ、喜劇性の点で5指に入るご仁。女房の寝取られ房事の些細を、襖ひとつへだてて耳にしながら、「退屈しのぎの楽しみ」と割り切っている。
(女の躰をいじくりまわすことなぞ、ばかばかしくて---)
とうそぶかせたときの池波さんは、48歳。

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2005.06.18

〔男川(おとがわ)〕の久六

『鬼平犯科帳』文庫巻24に所載、池波作品としては永遠に未完の長篇[誘拐]に登場する、〔三河(そうご)〕の定右衛門(2代目)の配下。3年前に病没した初代の定右衛門の時代からのその下にいた。
(参照: 〔三河〕の定右衛門の項 )
おまさの監禁場所である、品川宿はずれの旅籠〔日野屋〕に姿を見せたところを、彦十が認めた。
(参照: 女密偵おまさの項)

224

年齢・容姿:40男。身のこなしに隙がない。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたごおり)男川(おとがわ)村(現・愛知県岡崎市大平町)
池波さんは(おとこがわ)とルビをふっているが、地元では(おとがわ)と呼んでいる。
明治22年(1889)から昭和3年(1928)まで額田郡、男川(おとがわ)・乙川(おとがわ)ぞいの、欠(かけ)、小美(おい)、高隆寺、丸山、大平、洞(ほら)の6カ村が合併しての自治体名。小美をのぞく5カ村名が町名として残っている。「大平町」としたのは、合併村の役場がおかれたところというにすぎない。
青森県下北半島にも「男川」があるが、京都には遠すぎる。

探索の発端:〔相川(あいかわ)〕の虎次郎が、お熊婆さんの茶店〔笹や〕へ、おまさの所在を聞きにきて以来、おまさは〔荒神〕のお夏からさしむけるし暗殺者を覚悟していた。
その矢先、密偵たちが見張る中、おまさが両国橋の上で、〔相川〕の虎次郎と面識のある浪人・神谷勝平ほかに誘拐された。

結末:全鬼平ファンが気にしているが、いまのところ、不明。別人の手で、その後の経緯と解決策が示されるかも。

つぶやき:読み返してみて、池波さんの構想が、いくぶん、読みとれそうな気がしてきた。
以前にも、何度も読んでいたのだが、そのころは五里霧中だったのに。
たとえば、p147の5行目 新装版p140の4行目の「大川橋」は「両国橋」でないと辻褄があわない、というところも見えてきた。

2005年12月6日(月) 取材リポート

宿泊した岡崎ニュー・グランド・ホテルの前を流れている大きな川が乙川(おとかわ)だと、タクシードライヴァー氏から教わった。
この乙川と同じ読みをするが、こちらは「男川」と書く。どちらも矢作川(やはぎかわ)の支流である。
名鉄名古屋本線の「東岡崎」駅から1駅東の、普通しか停車しない小駅。
1114
名鉄「男川」駅

昼間の普通電車は30分に1本の運行なので、時間を節約して、車窓から駅名標識板を撮影しただけで、下車取材はしなかった。

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2005.06.17

〔三河(そうご)〕の定右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻23は、ページのほとんどが長篇[炎の色]にあてられている。〔荒神(こうじん)〕のお夏(25歳)と密偵おまさの2人がヒロインである。
(参照: 〔荒神〕のお夏の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

223

その〔荒神〕のお夏は、首領〔荒神〕の助太郎の隠し子で、女ながら2代目を継いでいる。彼女を一人前の盗人に仕込んだのが、上方がテリトリーで、助五郎の盟友の巨盗〔三河(そうご)〕の定右衛門なのである。

年齢・容姿:どちらも記載されていないが、ハイティーンのお夏を父親・助太郎からあずかって盗法を仕込んだとすると、去年没したときは50代そこそこだったろう。
生国:丹後(たんご)国加佐郡(かさこうり)三河(そうご)村(現・京都府加佐郡大江町三河)
舞鶴市の西、三河川流域の谷間。鬼退治の大江山連峰の麓。

探索の発端:〔三河(そうご)〕の定右衛門そのものは、昨年病没しているので、探索のやりようもない。
お夏と密偵おまさの出会いの経緯は、〔荒神〕のお夏の項に記してあるから、省略。
〔三河(そうご)〕の定右衛門のことをお夏がおまさに打ち明けるのは文庫p146 新装版p141。

結末:病没。50代と山家(やまが)育ちにしては若死にすぎる。日本海側の寒い土地育ちのせいで、塩分摂りすぎと心労による心臓発作か。

つぶやき:[炎の色]の続編ともいえる文庫巻24の未完の長篇[誘拐]で、池波さんは〔三河(そうご)〕の定右衛門の仕込み方、そしてお夏が性倒錯者になった経緯もあかす予定だったのではなかろうか。

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2005.06.16

〔神戸(かんべ)〕の柿六

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[雨引の文五郎]は、タイトルにもなっている一人ばたらきの〔雨引(あまびき)〕の文五郎と、こちらも一人ばたらきの〔落針(おちはり)〕の彦蔵との、盗人同士の決闘の物語。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
(参照: 〔落針〕の彦蔵の項)
決闘の種となってのが、〔神戸(かんべ)〕の柿六である。
文五郎と彦蔵はもとは、飛騨から甲信をテリトリーとしていた〔西尾(にしお)〕の長兵衛の右腕と左腕だった。それが、彦蔵が桑名城下で藩士を殺害、長兵衛の盟友の〔初鹿野(はじかの)〕の音松に預けられているうちに、文五郎が長兵衛の信頼を一人占めしてしまった。
戻ってきたが、おもしろくない彦蔵は、一味を抜けて凶悪な一人ばたらきに。
〔西尾〕の長兵衛が没すると、文五郎も2代目への要請をふりきって、一人ばたらきに。
〔落針(おちはり)〕の彦蔵が、大坂・心斎橋筋の足袋屋〔形名屋(かたなや)〕で畜生ばたらきをしようとした寸前に、〔雨引(あまびき)〕の文五郎が店へ投げ文をし、凶行を未然に防いだ。
彦蔵が雇った助っ人の柿六が親友の文五郎へ企みを報らせたのである。

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年齢・容姿:どちらも記述されていないtが、〔雨引〕の文五郎と格別親しかったというから、30代か。
生国:播磨(はりま)国宍栗郡(しそうこうり)神戸(かんべ)村(現・兵庫県宍栗郡一宮町伊和(いわ))
三重県亀山市出身の〔落針〕の彦十とのからみや伊賀忍者関連でいうと同県鈴鹿市、松阪市、上野市、津市の神戸町も考えられる。静岡県引佐(いなさ)郡、愛知県東春日井郡、奈良県宇陀郡などの神戸もある。
大きな神社があれば神戸があり、(かんべ)(こうべ)と呼ぶ。
浅野内匠頭や大石内蔵助関連の取材をすすんめていたことや、播磨国一の宮・伊和神社(祭神・大己貴神 おおなむちのかみ、少彦名神 すくにひこなのかみ)にことよせて、一宮町を採った。

探索の発端:大坂・心斎橋筋の足袋屋〔形名屋〕の事件が、未然に防がれた経緯は、上記のとうりである。

結末:処刑の記述もないし、所在も不明。したがって、文五郎の自裁も知らされない。

つぶやき:こういう脇役の探索がもっとも手こずる。リサーチ資料ばかりがいたずらに増えていく。伊和神社からも「由緒略記」を取り寄せた。

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2005.06.15

〔今里(いまざと)〕の源蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻20に収録されている[怨恨]は、〔今里(いまざと)〕の源蔵と〔磯部(いそべ)〕の万吉(50がらみ)という一人ばらきの盗人同士の怨恨ばらしの物語である。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項)
5年ほど前、〔今里〕の源像が采配をふるい、一人ばたらきの仲間10人ほどで駿府(現・静岡市)の呉服屋へ押し入り、1,200両を盗みだし、それを大井川の上手の笹間の山の中へ隠した。
その隠し家を襲ったのが一味に加わっていた〔磯部〕の万吉で、見張りの者を切り殺して1,200両をそっくり奪った。
万吉が安心してネコばばをきめこむためには、源蔵を殺すしかない。万吉は浪人・杉井鎌之助(40前後)に源像暗殺を50両で請け負わせた。
(参照: 浪人くずれ・杉井鎌之助の項)

年齢・容姿:51,2歳。顴骨(かんこつ)の張った、年齢にしては皺の深い顔。微笑むと何ともいえない人懐かしげな顔に変わる。
生国:駿河(するが)国駿東郡(しゅんとうこうり)今里(いまさと)(現・静岡県裾野市今里)
武蔵野国荏原郡、下野国河内郡、信濃国佐久郡、相模国高座郡などにもあるが、大井川の上流の笹間が推理の決め手となった。
もっとも、煮売り酒屋〔信濃屋〕の喜十(57歳)との仲を考えると、信濃国佐久郡の今里の出でもおかしくはない。

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探索の発端:南八丁堀5丁目の中ノ橋のたもとの煮売り酒屋〔信濃屋}の亭主は、10年前までは〔桑原〕の喜十と呼ばれた盗人で、密偵〔大滝〕の五郎蔵への隠し〔洩らし屋〕となっていた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
その喜十の家へ、体調をこわした源蔵がかくまってくれ、ところがりこんできた。
1カ月近くたち、足ならしの散歩をしている源蔵を、〔磯部〕の手下の勇七(32,3歳)が見つけて〔信濃屋〕をつきとめた。
同じころ、五郎蔵は、喜十のいつもと違う応対に不審感を抱いた。

結末:〔信濃屋〕を襲って源蔵を惨殺しようと、南八丁堀3丁目、〔信濃屋〕のはす向かいの宿屋〔山重〕に泊まりこんでいた万吉と勇七は簡単に逮捕、浪人・杉井鎌之助は鬼平の十手に倒れた。

つぶやき:文庫巻19の[引き込み女]では、〔信濃屋〕の喜十に〔洩らし屋〕という肩書きはつかわれなかった。〔怨恨〕を書く2か月のうちに池波さんは、この種の仕事人についてのネーミングをあれこれ考えて〔洩らし屋〕としたのであろうが、この〔洩らし屋〕は、その後、2度とつかわれることなく、池波さんは生涯を終えた。残念至極。


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2005.06.14

〔牛滝(うしたき)〕の紋次

『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[兇剣]で、実兄の〔闇鴨(やみがも)〕の吉兵衛とともに〔虫栗(むしくり)〕の権十郎(2代目)の配下だったが、一味が捕縛されたときは河内へ出かけていてまぬがれた。
(参照: 〔虫栗〕の権十郎の項)
実兄の〔闇鴨〕は鬼平を襲って斬り殺されたので、報復をすべく、〔猫鳥(ねこどり)〕の伝五郎(30男)から紹介された、大坂の元締〔高津(こうづ)〕の玄丹に、400両の大金で鬼平の暗殺を依頼する。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)

203

年齢・容姿:「若い」とだけ。物堅そうな服装(みなり)。
生国:和泉(いずみ)国泉南郡(せんなんこうり)牛滝村(現・大阪府岸和田市大沢町)。
市の南端。牛滝川にそった町で、町域の大部分が山地。

事件の展開:〔牛滝〕の紋次が〔高津〕の玄丹を訪ねると、玄丹は紋次を、〔そえ状〕をつけて〔白子(しらこ)〕の菊右衛門へまわしてしまった。
菊右衛門は、[麻布・ねずみ坂]の事件で、〔川谷(かわたに)〕の庄吉から鬼平の花も実もあるあつかいを聞いて鬼平の人柄に惚れこんでいるので、鬼平を暗殺することなどおもいもよらないが、400両もの大仕事をまわしてきた〔高津」の玄丹の腹の底が読めないので、とりあえず、紋次を歓待して、時間をかせぐことにする。
(参照: 〔川谷〕の庄吉の項)

結末:: 大和の大泉の大庄屋・渡辺喜左衛門方への押し込みに〔高津〕の玄丹一味が失敗した噂を聞いた〔白子〕の菊右衛門は、〔牛闇〕の紋次の始末を、右腕の〔桑名(くわな)〕の新兵衛にいいつけた。

つぶやき:この篇でもっとも笑えるのは、〔白子(しらこ)〕の菊右衛門が、
「ひとつ、ぜひとも、長谷川さまにお目通りをしたいものだが---」
右腕の〔桑名〕の新兵衛が、すかさず、
「それは元締、むりというもので」
とうけたので、菊右衛門がむっつり、
「こいつ、あんまりはっきりというな」
と不興がるシーン。

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2005.06.13

〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。〔猫間(ねこま)〕の重兵衛こと、かつての御家人の息子・木村源太郎が陰の主人公で、さまざまな手段を使って鬼平を悩ます。
それというのも、鬼平が銕三郎時代に、源太郎の父で無頼漢として悪名の高かった惣市(50を超えていた)を砂村の海辺で斬って殪したことがあった。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
もっとも、源太郎は「親父がくたばって、せいせいした」と銕三郎に接近してき、2人して無頼に明けくけれていたとき、〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵の「盗みばたらきに手を貸してくれ」といった。
断りきれなかった銕三郎は、盗みの当夜、見張りをつとめた。

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年齢・容姿:どちらも記されていない。なにしろ、20数年も前のことである。
生国:武蔵(むさし)国幡羅郡(はたらこうり)久保島(くぼじま)村(現・埼玉県熊谷市久保島)
幡羅郡に(はら)とルビをふっているリファレンス本(平凡社『日本歴史地名大系 埼玉県篇』)もある。
池波さんは(くぼしま)とにごらないでルビをふっているが、地元では(くぼじま)とにごっている。
江戸期の初期までは「窪島」と書いたが、幕臣・大久保氏の知行地となって「久保島」としたようである。

探索の発端:押しこんだのは南新堀の傘問屋で金貸しもしていた〔大坂屋〕だが、探索もなにも、銕三郎自身が参加したのだから、逮捕劇もない。ただ、銕三郎のつよい要請で、血をみることはなかった。

結末:銕三郎は、吉蔵がくれた割り前金をそっくり、〔相模(さがみ)〕彦十と〔鶴(たずがね)〕の忠助へわたした。
(参照: 〔鶴〕の忠助の項)

つぶやき:文庫巻7の[泥鰌の和助始末]では、20になるかどうかの銕三郎が〔相模〕の彦十に誘われて、〔泥鰌(どじょう)〕の和助のお盗めを手伝おうとしたことがあったが、松岡重兵衛にさとされて手を汚さずにすんだ話が書かれている。
ところがこの長篇では、〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵に実際に手を貸したことになっている。なんとも割り切れない。


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2005.06.12

〔清洲(きよす)〕の甚五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]の主人公。「濃い眉と眉の間にも、もじゃもじゃと毛が生えているのだ。つまり、眉毛と眉毛つながっている。二つの眉毛が一すじになって見える」
名古屋、京都、大坂に盗人宿を置き、江戸では湯島天満宮裏門に近い煮売り酒屋〔次郎八〕がそれ。

452
湯島天満宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

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年齢・容姿:50男。中肉中背。尋常な目鼻立ちだが、眉毛だけが上記のとおり。
生国:尾張(おわり)国春日部郡(かすかべこうり)清洲村(現・愛知県西春日井郡清洲町清洲)。
『日本歴史地名大系』(平凡社)は「清洲村の区域は清洲の城下が慶長末年に名古屋へ移り、そのあとに開墾された地域」と記す。

探索の発端:元飯田町中坂上の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕が賊に襲われ、主人夫婦と使用人のほとんどが惨殺された。
かねて〔清洲(きよす)〕一味が狙いをつけていた店だが、賊は〔清洲〕一味ではなかった。甚五郎の下命で下女となって引き込みに入っていたおみち(32歳)が、座頭〔茂の市〕の名を賊が口にしたのを聞いた。
(参照: 引き込み女おみちの項)
(参照: 座頭・茂の市の項)
〔清洲〕一味は〔茂の市〕を見張り、やってきた〔野柿(のがき)〕の伊助を尾行、板橋宿の〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味の盗人宿---料理・貸し座敷〔岸屋〕の所在を割りだした。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

411
板橋の駅(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

〔岸屋〕へ夜襲をかけた〔清洲〕一味は、〔倉渕〕の佐喜蔵をはじめとして一味のほとんどを殺し、2名と女5人を柱へ縛りつけて引きあげた。
翌日、火盗改メの役宅へ、「名無しの権兵衛」よりとして、板橋の〔岸屋〕の次第が記された投書が投げこまれて、〔栄寿軒・亀屋〕の犯人たちがあきらかになった。

結末:〔清洲(きよす)〕の甚五郎は、江戸での盗めをいっときあきらめて、引き込みのおみちを伴い、上方へ。

つぶやき:正統派の盗賊が、畜生ばたらきの盗賊を懲らしめるという、ちょっと趣向の変わった物語。
池波さんによる忍者ものの2作目『忍者丹波大介』(新潮文庫)p155に、〔一本眉〕と呼ばれる下忍が出ている。
『忍者丹波大介』は、『鬼平犯科帳』の[一本眉](『オール讀物』1975年12月号)に先立つこと11年、昭和39年(1964)『週刊新潮』5月11日号から8月17日号まで14回連載され、のち、650枚が書き加えられて長篇となった。

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2005.06.11

〔吉間(よしま)〕の仁三郎

『鬼平犯科帳』文庫巻4の[血闘]は、おまさが初登場の篇として、鬼平ファンにはよく知られている。
(参照:女密偵おまさの項)

おまさが自分から密偵を志願してきたのは、長谷川平蔵が火盗改メの本役に就いた翌日か翌々日、すなわち天明8年(1788)10月3日か4日である。

テレビでおまさ役をやっている梶芽衣子さんのぱっちりした瞳とおちょぼ口の美貌と、少女時代から抱いていた鬼平への思慕の気持ちを抑えて鬼平に接するいじらしさに同情するせいか、おまさにひそかに岡惚れしている男性の視聴者は少なくはない。
まあ、映像をとおしてのことだから、いくら想いを寄せようと人畜無害ではあるのだが。

そのおまさを、不逞の浪人たちに輪姦をそそのかすのがこの〔吉間(よしま)〕の仁三郎なのだから、人気が得られるはずがない。
(参照:〔吉間(よしま)〕の仁三郎の項)
おまさと仁三郎の接点は、3,4年前に2人が〔熊倉(くまくら)〕の惣十一味に属していたとき。
(参照: 〔熊倉〕の惣十の項)

204

年齢・容姿:中年。書かれているのは声のみ。
生国:常陸(ひたち)国真壁郡(まかべこうり)吉間(よしま)村(現・茨城県筑西市明野(あけの))
農業地の吉間]村は明治22年(1889)に村田村に合併。昭和29年に村田村はほかの3村と合併して明野町が成立。

探索の発端:どこかの盗賊一味を密偵していたらしいおまさが、「しぶ江村、西こう寺うらのばけものやしき」の書き置きをのこして誘拐された。
鬼平は、渋江村(現・葛飾区四つ木)の不逞の浪人たちがたむろする西光寺裏の化けもの屋敷へ飛んだ。援軍を待つうちに陽が落ちはじめる。

627
渋江村 西光寺(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
池波さんは、この絵で、舞台を渋江村に決めた。

おまさが危ない!
一人で乗りこむと、〔吉間〕の仁三郎が次の浪人にすすめている。
鬼平は、やにわに、仁三郎の首に腕をまきつけていた。

結末:遅れていた佐嶋与力や山田市太郎同心、酒井祐助同心ら捕方がかけつけ、浪人どもも仁三郎も逮捕。死罪。

つぶやき:時代小説に、おまさ役は定番である。
ヒーローに岡惚れしているのが鳥追い女であったり、女掏摸(すり)であったり、水茶屋の茶汲女であったり、売れっ子の芸者であったり、小唄のお師匠であったり---いずれも男性経験の豊な女性たちである。
おまさとてそこのところは同じだが、おまさがほかの女たちと異なるのは、胸の内を告白してヒーローを困らせない点といえる。
もちろん、代弁者はいる。おまさの少女時代を知っている相模無宿の〔彦十〕がそれ。このあたりの配慮も、これまでのありふれた時代小説と一線を画しているとおもう。


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2005.06.10

〔関本(せきもと)〕の源七

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されている[火つけ船頭]で、南伝馬町の畳表問屋[近江屋〕を襲ったが、たまたまその夜、〔加賀や〕の船頭・常吉が裏塀に放火。火の番が燃えている板塀を発見して騒ぎたて、町火消しがかけつけて消火にあたたったが、その騒ぎで〔関本〕一味は盗みをあきらめて逃走する。
(参照: 船頭・常吉の項)
船頭・常吉のむ放火癖は、黒江町の同じ裏長屋に住んでいる浪人・西村虎次郎と女房おときの不倫を目にしたことから始まった。
(参照: 浪人盗賊・西村虎次郎の項)
西村虎次郎を〔関本〕の源七へ引き合わせたのは、口合人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門である。
(参照: 〔塚原〕の元右衛門の項)

216

年齢・容姿:どちら記載されていない。
生国:常陸(ひたち)国真壁郡(まかべこうり)関本(現・茨城県筑西市関本)
*=関本肥土(あくと)、関本上(かみ)、関本上中(かみなか)、関本下(しも)、関本中(なか)、関本分中(わけなか)。
『旧高旧領』には、常陸国多賀郡(たがこうり)関本(現・茨城県北茨城市関本町*)もあり、捨てがたいが、〔関本〕一味の本拠・草加宿からはいささが離れすぎていると判断。
こちらの*=関本町小川、同才丸(さいまる)、同関本上(かみ)、同関本中、同八反(はったん)、同福田、同富士ヶ丘。

探索の発端:〔塚原〕の元右衛門の項から再録。深川・黒江町の裏長屋を見張っていた密偵〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、浪人・西村虎次郎のもとを訪ねてきた顔見知りの口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門を見かけたので、おまさと彦十が尾行して、橋場の真崎稲荷裏の隠れ家をつきとめ、ひとりばたらきの盗人たちの所在がつぎからつぎへと明らかになっていった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
と同時に、〔関本〕の源七が隠れ蓑にしている草加宿の旅籠〔吉田屋〕もあきらかになった。

結末:草加宿の旅籠のほか、2カ所の盗人宿で、一味全員がお縄となった。死罪。

つぶやき:火盗改メの任務には放火犯の検挙もあるが、現行犯でないかぎり、探索がきわめて困難らしい。
明和9年(1772)に、行人坂の大円寺から出火して江戸の半分を焼失する大火となった、いわゆる「行人坂の大火」の放火犯の逮捕は、鬼平の父・長谷川宣雄が火盗改メに就いていたときの大手柄である。
検挙のきっかけは、高位の僧衣をきている若造のかかとがひび割れていたのを不審におもって逮捕してみたら、大円寺放火の犯人であった。
この功で宣雄は、京都西町奉行へ栄転したといわれている。

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2005.06.09

〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻19に所載の篇[引き込み女]のヒロインお元とは、密偵おまさがかつて〔乙畑(おつばた)〕の源八の下にいたとき、仲が45よかった。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
〔乙畑〕一味が解散した後、お元がその情婦となって引き込みをつとめてきたのは、〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎という首領であった。
喜太郎は常陸(茨城県)の浪人くずれで、上信2州から北陸へかけての盗みばたらきが多い。

219

年齢・容姿:45歳。容姿の記述はない。
生国:常陸(ひたち)の浪人---とあるが、国許で浪人になって江戸へ出て、両国橋北詰めの入り堀に架かる駒止橋の近くに住んでいたので〔駒止〕を「通り名(呼び名)」にしたか。浪人なら苗字があったはず。
深川に下屋敷を置いていた常陸国の藩は多い。麻生藩、笠間藩、志筑藩、下館藩、下妻藩、土浦藩、石岡藩、水戸藩、谷田部藩。つまり、上のどの藩士であっても「駒止橋」になじみがあったといえる。池波さんがそこまで承知していて、〔駒止〕の「通り名」をつけたとはおもえないが。
岩代(いわしろ)国大沼郡(おおぬまこおり)の山中の「駒止峠(こまどとうげ)」あたりに盗人宿をかまえており、それを「通り名」に---とかんがえるのは、あまりに突飛すぎよう。

探索の発端:〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎の情婦のお元が、南鍋町2丁目の袋物問屋〔菱屋〕彦兵衛方へ、引き込みに入っていることを、おまさがつきとめた。
お元は、〔菱屋〕の手代あがりの入り婿店主・彦兵衛に駆け落ちをもちかけられて、悩んでいた。

結末:お元は単独で失踪。それを知らずに押し入りをかけた〔駒止〕一味は、開かない戸の前で立ち往生しているところを逮捕されたが、助(す)けばたらきの〔磯部(いそべ)〕の万吉だけが巧みに逃走。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項。
一味は死刑。

つぶやき:首領の〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎が主役の物語であるなら、彼が浪人した経緯(ゆくたて)や苗字を捨てた理由などが述べられ、転落の詳細があかされるのだろうが、この篇は、おまさがお元の女としての悩みの聞き役になることでストーリーが展開する。
いってみれば、テレビ映画化したときの、女性視聴者向けの一編として創作されたのであろう。

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2005.06.08

〔板尻(いたじり)〕の吉右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録の[兇賊]で、「芋酒」の〔加賀や〕の亭主〔鷺原(さぎはら)〕---じつは〔鴛原(おしはら)〕の池波さんの誤読---の九平が鬼平の目を恐れて、青山の久保町の居酒屋〔いせや〕へころがりこむ。この〔いせや〕の亭主が、かつて九平に盗みの手ほどきをした金沢出身の〔板尻(いたじり)〕の吉右衛門である。
(参照: 〔鷺原〕の九平の項)

205

年齢・容姿:70歳。大黒さまそっくりの顔かたち。
生国:加賀(かが)国石川郡(いしかわこおり)坂尻(さかじり)(現・石川県石川郡鶴来町(つるぎまち)坂尻)。
Photo_95
明治20年ごろの石川郡の赤○=坂尻村 緑○=鶴来村 上は金沢市

学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスの堀 眞治郎さんが、金沢市近辺の地図を探索、同市の南に隣接する鶴来町に「坂尻」を発見し、〔板尻(いたじり)〕は池波さんの筆がすべったか校正ミスと断じた(ホームページ[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図会』]
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/board/index6.html
ぼくも堀説に賛成。

探索の発端:〔加賀や〕で「芋酒」や「芋なます」を賞でた武士が、火盗改メの長官と知り、すねに傷をもつ九平は身を隠した。
その後、吉右衛門の〔いせや〕へ来た客が、倶利伽羅峠で見た盗人の一人だったので尾行し、〔網切(あみきり)〕一味の姦計を知るが、このことは〔坂尻〕の吉右衛門とは関係ない。

結末:〔網切〕一味は御用となるが、これも吉右衛門とは関係ない。

つぶやき:キー・パースンでもない〔坂尻〕の吉右衛門にリアリティをつけるために、池波さんは、吉右衛門が浅草・田原町の仕出し屋〔木むら〕で板前をしていたと書き添える。〔木むら〕はもちろん架空の店だが、実在の「浅草・田原町」が頭にふられているために読み手は、あたかも実在していた店のようにおもいこんでしまう。池波手品の一手である。

ついでにいうと、九平の〔鷺原(さぎはら)〕は、金沢市内の現存する〔鴛原(おしはら)〕の誤記であることを発見したのも堀 眞治郎さんである。

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2005.06.07

〔磯部(いそべ)〕の万吉

『鬼平犯科帳』文庫巻19に納められている[引き込み女]は、お元という女賊の物語だが、密偵のおまさがお元を見かけるとっかかりとして、〔磯部(いそべ)〕の万吉が配置される。
(参照: 女密偵おまさの項)
鉄砲洲あたりで〔磯部〕の万吉を見かけたという情報を〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵へもたらしたのは、南八丁堀で煮売り屋〔信濃屋〕をやっている元盗賊〔桑原(くわはら)〕の喜十である。五郎蔵は、喜十の存在を鬼平にもらしていない。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔桑原〕の喜十の項)

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鉄砲洲から前方右に石川島(人足寄場)を望む
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

ところで、〔磯部〕の万吉だが、おまさは〔乙畑(おつばた)〕の源八一味にいたときに手伝いにきていた万吉を見知っていた。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
もと、自分の一味を束ねていた〔大滝〕の五郎蔵は、盗めの経験も豊富な万吉に、二度ほど助(す)けてもらったことがあった。
〔小房(こぶさ)〕の粂八は粂八で、〔野槌(のづち)〕の弥平のところにいた現役時代に、万吉を知っていた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
〔磯部〕の万吉は、それほどに盗みの世界では顔が広く、諸方のお頭からたしかな腕を買われていた。
とにかく、そのとき、密偵のキー・メンバー3人が万吉を追っていたのである。

219

年齢・容姿:50がらみ。細身で小柄(文庫巻20 [怨恨])。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)磯部村(現・愛知県岡崎市磯部)
『旧高旧領』にはほかに、相模(さがみ)国高座郡、下総(しもうさ)国葛飾郡、常陸(ひたち)国久慈郡、磐城(いわき)国宇多郡、越前(越前)国今立郡に、「磯部」があげられている。
このうちのどこでも該当しそうだが、助(す)けられたお頭の顔ぶれから東海道筋にくわしそうなので、愛知県を採った。

探索の発端:前記したように、〔信濃屋〕の喜十が鉄砲洲あたりで見かけたことから、密偵たちの探索が始まった。
そして副産物のように、おまさが、〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎一味として、お元が南鍋町2丁目の袋物問屋〔菱屋〕彦兵衛方へ、引き込みに入っていることをつきとめた。

結末:お元は、いまは〔駒止〕一味は逮捕されたが、、〔駒止〕一味を助(す)けた〔磯部(いそべ)の万吉だけは、網をまくぐりぬけて逃げおうした。
その万吉は、押し込みの前に役目を放棄して逐電したお元を許さず、刺殺し、三十間堀に捨てた。

つぶやき:〔磯部〕と名乗るからには、海岸ぞいか、大きい河川ぞいの村であろう。
「生国」の項で、候補にあげたそれぞれの郡にある「磯部村」が、海岸ぞいなのか、河川ぞいなのかを、それぞれの土地にお住まいの鬼平ファンの方々にコメントしていただけると、うれしい。

コメントの仕方は、この記事の下のほうに、赤っぽいオレンジ色で、

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2005.06.06

〔神子沢(みこのざわ)〕の留五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録の[いろおとこ]で、女賊のおせつが小娘ながら引きこみとして仕えていたお頭。そのとき、のちに密偵となった〔堀切(ほりきり)〕の彦六も一味を手伝って顔見知りになった。
その後、〔舟見(ふなみ)〕の長兵衛一味の引きこみをしていたところを彦六に見つけられて、火盗改メ・同心の寺田又太郎、のちには弟の金三郎とも関係をもつことになる。
(参照: 女賊おせつの項)
つまり、この篇での〔神子沢(みこのざわ)〕の留五郎は、おせつと彦六との結び役的に顔を見せたにすぎない。
(参照: 〔舟見〕の長兵衛の項)

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(しんかわごおり)神子沢(みこのざわ)村(現・冨山県下新川郡入善(にゅうぜん)町神子沢)
享保18年(1733)の家数22。舟見とは近い。

探索の発端:記述がない。

結末:探索もされていないので、逮捕の記述もない。

つぶやき:先祖の地である冨山県を旅行した池波さんが、黒部川下流、海岸ぞいの、このいわくむあれげな地名に興味をそそられて、この篇で使ってみたのであろう。
篇中で(かみこざわ)とルビをふったのは、現地を知らない編集部だったか。

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2005.06.05

〔神崎(こうざき)〕の弥兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録されている[あばたの新助]は、兇盗〔網切(あみきり)〕の甚五郎の妾で甘酒屋の茶汲みをしている女賊の豊満な色香にまよった同心・佐々木新助の物語だが、ストーリーが展開する中に、こんな1行が挿入された。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
「この間、長谷川平蔵は別の事件を追って、武州・越ヶ谷(こしがや)へ出張り、目指す盗賊・神崎(こうざき)の弥兵衛一味を捕らえている」
これっきりで、ある。

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年齢・容姿:上記でご覧のとおり、記述がない。
生国:下総(しもうさ)国香取郡(かとりこうり)神崎本宿(こうざきほんしゅく)(現・千葉県香取郡神崎町神崎本宿)
神社に近いあたりを「神崎」と名づけていいるところは多い。その「神崎」を、(かんざき)と読むところと、(こうざき)と読む土地がある。この篇では(こうざき)とルビがふられていし、埼玉県の越谷へもさほど離れていない千葉県の「神崎」を取った。

探索の発端:記載されていない。

結末:追捕されたのだから、全員、死刑は間違いない。

つぶやき:この篇では、越谷(埼玉県。郵便番号簿の表記による)まで、長谷川平蔵が出張っているが、火盗改メの守備範囲はどのあたりまでかというと、池波さんも座右に置いていた松平太郎著『江戸時代制度の研究』(1919)の第14章第6節[火附盗賊改]によると、江戸市中の巡邏が主ではあるが、「広く関八州を巡行」とも書いている。
蕨宿の村役人や九十九里村の者を召還した史料も目にしたことがある。

吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)、に『江戸慶長見聞集』から引いたおもしろい記述があった。「下総の国向崎といふ在所のかたわらに甚内といふ大盗賊有りしが、訴人に出て申けるは、関東に頭をなす大盗賊十人もニ十人も候べし、是皆いにしへ名を得しいたづらもの、風間が一類、らっぱの子孫其他、此者共の有所、のこりなく某好知たり、案内申すべし、盗人がりし給ふべしと云々」

乱波(らっぱ)者といえば、忍者だ。池波さんは、この記述を読んで、〔神崎〕の弥兵衛を創造したのかも。


長谷川伸師に、昭和初期に書かれた[頼まれ多九蔵]に、〔羽斗(はばかり)〕の紋次郎という旅人が登場する。
下総国香取郡羽斗村の生まれで、近くの神崎(こうざき)村の網師で彫ものの上手---宗八に、殺された恋人おみねの姿を背中に葬い彫りしてもらう。その紋次郎と約束した多九蔵が神埼を訪ねるが、紋次郎は着いていなくて、代わりにおみねの亡霊が渡し場に現れるという佳品。

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2005.06.04

〔荒神(こうじん)〕のお夏

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『鬼平犯科帳』文庫巻23のほとんどを占める長篇[炎の色]で、密偵おまさを気に入ってしまう、女ながらに〔荒神(こうじん)〕を引きついだ2代目。
(参照: 女密偵おまさの項)
仕事を助(す)けたこともある初代の〔荒神〕の助太郎には、流れづとめをしていたおまさが可愛がられた。お夏は助太郎の隠し子である。

年齢・容姿:25歳。黒い、大きな瞳。肌は浅黒い。躰は少女のように細く嫋(しな)やか。洗い髪をうしろへたらし、先端を白縮緬でつつんでいる。
生国:山城(やましろ)国京都・近衛河原(現・京都府京都市上京区荒神町あたり)。
『大日本地名辞書』は「荒神社」について、「京極東、近衛条の護浄院境内に在り、古は此辺近衛河原と云ふ。慶長五年(1600)此に荒神社を立てたるより荒神口荒神町の名起る(後略)」。

探索の発端:湯島天神の境内で、密偵・おまさは、かつて連絡(つなぎ)役をつとめたことのある〔峰山(みねやま)〕の初蔵に声をかけられた。〔峰山〕一味と〔荒神〕の2代目が組んでやる盗めを手伝えというのである。
「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに承知したおまさは、〔荒神〕の2代目お夏に引きあわされ、躰の奥がじんと痺れるような、かって感じたことのない奇妙な感覚を覚えたのである。

結末:日本橋・箱崎町2丁目の醤油酢問屋〔野田屋〕を襲った〔峰山〕と〔荒神〕一味は、待ちかまえていた火盗改メに逮捕。全員死罪。お夏だけは一人、巧みに逃亡し、おまさが復讐を恐れている。

つぶやき:池波さん、落合恵子さんらと、読売映画広告賞の審査員を10年以上もつとめた。審査前の雑談時に、池波さんに、
「火盗改メは、その職名のとおり、盗賊ばかりでなく放火犯も捕まえるんですよね。その割りに『鬼平犯科帳』には放火犯を追尾する話が少ないですね」
と、余計なことをいってしまった。
「ぼくは、火事が嫌いでねえ。それに、火事の場面の描写はむずかしいんだよ」
池波さんの答えであった。

それから、ほんの2,3か月後に、この[炎の色]が掲載され、生意気いってしまったぼくへのリベ゜ンジと受け止めた。
そればかりか、未完の[誘拐]はその続編である。
たいへんなご負担をおかけした。

蛇足を加える。台所の守り神と一般におもわれている荒神は、「三宝荒神」の略。仏、法、僧の三宝を守るという神である。盗めの3ヶ条の掟てにかけているのかも。日蓮宗などで深く信仰。
ついでだが、日蓮宗は女性の信仰を集めるプロモーションが巧みだ。安産・子育ての鬼子母神といい、台所の守護神の荒神さんといい。

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2005.06.03

〔高津(こうづ)〕の玄丹

『鬼平犯科帳』文庫巻3の[兇剣]に登場する、大坂の暗黒街の元締。高津五右衛門町(現・大阪市中央区高津町)に居をかまえているので、〔高津(こうづ)〕の玄丹と称している。
世間向けの顔は、道頓堀川の東、下大和橋の南たもとで、〔讃岐・金毘羅出船所・諸国御宿〕の看板を出している〔出雲屋〕の主人・丹兵衛。
鬼平の殺害を決めたのは、偶然に玄丹の悪事を見聞きしたむすめ・およねの口を封じるため。

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年齢・容姿:60をこえている。よい体格、てらてらと光る禿頭。あいきょうをたたえた顔貌。
生国:出雲(いずも)国松江。松江藩から浪人。
「高津」の地名は、仁徳天皇を本座に、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后などを祀った高津宮による。

探索の発端:愛宕山へ参詣し、帰りに一の鳥居ぎわの茶屋で鯉料理と田楽を肴に腹をみたした鬼平と木村忠吾が、嵯峨野へさしかかると、「おねがいでござります。お助けを---」と、鬼平にすがりついてきたむすめがあった。
追手を追い払って、三条白川の宿へ連れもどり、いろいろ聞いてみると、〔高津〕の玄丹の秘密の悪事を見てしまったという。

結末:大和・大泉の大庄屋・渡辺喜左衛門屋敷へ押し込もうとした玄丹一味を、近隣の藩から人手をた出してもらって探索。吉野の貴志の盗人宿にひそんでいたところを捉えられた玄丹だが、牢内で食を断って死亡。

つぶやき:連載第18話目にあたるこの篇は、ふだんの分量の倍もある中篇となっているのは、『鬼平犯科帳』の人気がようやく高まり、池波さんの裁量が『オール讀物』編集部内であるていど許されてきていたと見る。
まあ、人気といっても、発行部数もそこそこに限られた『オール讀物』の読者のあいだで---との注釈つきだが。
鬼平人気がブレイクしたのは、この篇から数か月あと、松本幸四郎丈(白鴎)=鬼平のテレビがはじまってからである。

ついでだが、『鬼平犯科帳』が、その雑誌でもっとも人気のある小説に与えられる場所---巻末、いわゆる「とり」に据えられたのは、『オール讀物』1970(昭和45年)の新年特大号の[密通](文庫巻4に収録)のからで、連載満2年目、第23話からである。

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2005.06.02

〔福住(ふくずみ)〕の千蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録の[女賊]で、かつての盗め仲間で、駿州・岡部に引退している〔瀬音(せのと)〕の小兵衛に、息子の幸太郎が女賊[猿塚(さるづか)〕のお千代に、たらしこまれていると告げ、すぐに上方での仕事へ急いだ現役(いまばたらき)の盗人。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)

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年齢・容姿:50男。商人風。
生国:播磨(はりま)国明石郡(あかしこうり)福住(現・兵庫県加西市福住)。
名古屋市中川区、岐阜市の福住も候補にはあげたが、滋賀県甲賀市生まれの〔瀬音〕の小兵衛と30年にもわたって気のあったつきあいをしているというし、上方での盗めに出かける途中に岡部へ立ちよっているから、近畿圏を優先した。
兵庫県出石(いずし)郡出石町、同県多岐郡篠山町のは(ふくすみ)と濁らない。それで加西市の(ふくずみ)を採った。

探索の発端:この篇の主役は、〔瀬音〕の小兵衛と女賊の〔猿塚〕の落千代、それに父親が〔瀬音〕をよく手伝っていたことから、事件にかかわりをもつことになった女密偵おまさである。
(参照: 女密偵おまさの項)
〔福住(ふくずみ)〕の千蔵は、〔瀬音〕へ見たことを告げるだけ告げると、そのまま舞台から消える。

結末:舞台から消えたままで、その後のことには触れられない。

つぶやき:聖典には、魅力的な女賊が幾人も登場するが、躰をはっては以下を統率する〔猿塚(さるづか)〕のお千代もそのひとり。40を越えていて28,9にしか見えないというのだから、現代女性なみで゛ある。
ところで池波さんが、「女賊(おんなぞく)」という呼称を与えたのは、このお千代が最初。文庫巻3の[艶婦の毒]のお豊は[女盗(にょとう)]であった。
「女賊」という呼び方が考案されてから、魅力的な女盗人(おんなぬすっと)が創造されたともいえそうである。

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2005.06.01

〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛

『鬼平犯科帳』も後半になると、本格派はほとんど影をひそめ、凶悪な畜生ばたらきの盗賊たちが跳梁する。そうした中で、文庫巻21の[討ち入り市兵衛]にいたって、本格派の〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛とその一味に出会うと、白い花ぴらに紅色の花芯の槿(むくげ)の花に出会ったような、すがすがした気分になる。
筋書きは、〔壁川(かべかわ)〕一味からの協力要請を、畜生ばたらき派とは組めないといって、〔蓮沼〕の市兵衛が拒絶したため、使いに立った〔松戸(まつど)〕の繁蔵が〔壁川〕一味に斬られた。
市兵衛は少人数で、その復讐戦をいどむ。

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年齢・容姿:70もなかば過ぎか。道端の石の地蔵さんのような顔。真っ白な髷(まげ)。品のよい老女のような物やわらかな声。
生国:武蔵(むさし)国豊島郡(としまこうり)蓮沼村(現・東京都板橋区蓮沼町)。
上野(こうずけ)国那波郡(現・埼玉県深谷市)、常陸(ひたち)国真壁郡(現・茨城県協和町)などの蓮沼も考えたが、テリトリーが江戸中心ということから、板橋区蓮沼を採った。

探索の発端:本所・弥勒寺前の植木屋〔植半〕の庭で血を流してうめいている男を、隣の茶店〔笹や〕の老女主人・お熊がみつけ、〔五鉄〕へ弥勒寺の若い僧を使いに走らせた。

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本所 弥勒寺。正面の楼門向いが〔笹や〕
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

密偵・彦十と運よく〔五鉄〕にいた鬼平が駆けつけた。
彦十は、男を見るなり、〔蓮沼〕の市兵衛の右腕の〔松戸〕の繁蔵とわかった。
意識がもどった繁蔵は彦十に、神田・鍋町の鞘師・長三郎あての結び文を依頼。彦十はその家で〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛に会い、事情を話した。

結末:〔壁川(かべかわ)〕の源内一味へ討ち入りをかけた市兵衛は斬り死の直前に、鬼平の添え手で源内にとどめを刺す。〔蓮沼〕一味を裏切った〔鹿間(しかま)〕の定八は捕縛。
(参照: 〔鹿間〕の定八の項 )

つぶやき:火盗改メ方の長官・鬼平も、〔蓮沼〕の市兵衛のさわやかな人品と3ヶ条の掟を守り抜く古風さに、その復讐劇につい、手を貸してしまう。
その幕切れの所作は、まさに舞台での見せ場である。
しかも、二段底が用意されている。市兵衛が鬼平へ渡した助っ人料を、鞘師・長三郎へ返し、
「その五十両で、市兵衛ほか、斬死にした者たちの墓を建ててやるがよい」

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