平蔵、これまでの盗賊体験(2)
〔荒神(こうじん)〕の助五郎(すけごろう)・お賀茂(かも)は、その遺児・お夏(なつ)まで平蔵(へいぞう)とかかわる。
銕三郎時代にかかわりができた盗賊は数が多い。
年代順に紹介というテもあろうが、ここは、大物中の大物ということで、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)お頭から---。
最初の出会いは、明和4年(1767)、銕三郎(22歳)が阿記(あき 25歳)の病気見舞いの道中で。
【参照】2008年7月25日~[明和4年(1767)銕三郎] (9)
次に、銕三郎が、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の名を耳にしたのは、
【参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16)
ここで、2人のキャラを補足しておかないと、理解がはんぱになる。
まず、お仲(なか 33歳)が雑司ヶ谷(ぞうしがや)の〔橘屋〕の座敷女中になり、宿直の夜に銕三郎が訪れることになった、盗人がらみの経緯。
これには、〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ)と、その軍師・〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへえ)がからんでいた。
〔初鹿野(初鹿野)〕の音松] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
賊が持っていた印伝の革袋のこをおぼえていた座敷女中のお留(とめ 33歳)の命が危なくなった。
銕三郎が父の縁を頼って、お留(のち、お仲と改名)を、雑司ヶ谷の〔橘屋〕に入れたはいいが、同行していたとき、舟酔いしたお留を休息させた。
2008年8月3日~[〔梅川〕の仲居・お松] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)
お松も女賊(おんなぞく)だから、省略しないであげておいた。
上に引いた〔蓑火〕の項目(5)(6)に記した、高輪の牛小屋の騒擾事件で、お竜(りょう 29歳)に興味をいだいた銕三郎は、
2008年10月21日[お勝というおんな] (5)
つなぎ(連絡)がついた。
2008年9月13日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (7) (8)
2008年11月16日~[宣雄の同僚・先手組頭] (7) (8) (9)
2008年11月24日[〔蓑火(みのひ)〕一味の分け前]
2008年11月24日[屋根舟]
2008年11月26日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (3)
〔蓑火〕の配下の幹部の2人を紹介しておく、
2008年10月8日~[〔尻毛(しりげ)]の長右衛門] (1) (2)
2008年10月10日~[〔五井(ごい)〕の亀吉] (1) (2)
2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2010年7月19日~[〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵かにの書状] (1) (2)
2009年1月27日~[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)] (1) (2)
自然に〔狐火(きつねび)〕の初代・勇五郎(ゆうごろう)が並んだ。
次は、〔狐火〕とのかかわりにしたい。
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コメント
>mine さん
お初でしたね。
コメント、ありがとうございます。
聖典と史実のあいだを綱わたりしています。
池波さんのころには、史実が少なく、ご苦労されたとおもいます。
小説とは異なる史実を、鬼平ファンの方にどうこ理解いただくか、いろいろと湯悩みます。
あと10年もすれば、学会でも認められる史実がふえるとおもっていますが。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.13 12:34