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2010.08.13

平蔵、これまでの盗賊体験(2)

荒神(こうじん)〕の助五郎(すけごろう)・お賀茂(かも)は、その遺児・お(なつ)まで平蔵(へいぞう)とかかわる。

銕三郎時代にかかわりができた盗賊は数が多い。
年代順に紹介というテもあろうが、ここは、大物中の大物ということで、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)お頭から---。

最初の出会いは、明和4年(1767)、銕三郎(22歳)が阿記(あき 25歳)の病気見舞いの道中で。

参照】2008年7月25日~[明和4年(1767)銕三郎] (

次に、銕三郎が、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の名を耳にしたのは、

参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] () () () () () () () () () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16


ここで、2人のキャラを補足しておかないと、理解がはんぱになる。

まず、お(なか 33歳)が雑司ヶ谷(ぞうしがや)の〔橘屋〕の座敷女中になり、宿直の夜に銕三郎が訪れることになった、盗人がらみの経緯。
これには、〔初鹿野はじかの)〕の音松(おとまつ)と、その軍師・〔舟形ふながた)〕の宗平(そうへえ)がからんでいた。

〔初鹿野(初鹿野)〕の音松] (1)  (2) (3) (4)  (5) (6) (7) (8) (

賊が持っていた印伝の革袋のこをおぼえていた座敷女中のお留(とめ 33歳)の命が危なくなった。
銕三郎が父の縁を頼って、お(のち、おと改名)を、雑司ヶ谷の〔橘屋〕に入れたはいいが、同行していたとき、舟酔いしたおを休息させた。

2008年8月3日~[〔梅川〕の仲居・お松] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)

も女賊(おんなぞく)だから、省略しないであげておいた。

[〔橘屋〕のお仲] (1)  (2) (3)

上に引いた〔蓑火〕の項目(5)(6)に記した、高輪の牛小屋の騒擾事件で、お(りょう 29歳)に興味をいだいた銕三郎は、

2008年10月21日[お勝というおんな] (

つなぎ(連絡)がついた。


2008年9月13日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] () (
2008年11月16日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (8) (9) 
2008年11月24日[〔蓑火(みのひ)〕一味の分け前
2008年11月24日[屋根舟
2008年11月26日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (

〔蓑火〕の配下の幹部の2人を紹介しておく、

2008年10月8日~[〔尻毛(しりげ)]の長右衛門]  () (
2008年10月10日~[〔五井(ごい)〕の亀吉] () (

2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () () (

2010年7月19日~[〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵かにの書状] () (

2009年1月27日~[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)] () () 

自然に〔狐火(きつねび)〕の初代・勇五郎(ゆうごろう)が並んだ。
次は、〔狐火〕とのかかわりにしたい。

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コメント

>mine さん
お初でしたね。
コメント、ありがとうございます。
聖典と史実のあいだを綱わたりしています。
池波さんのころには、史実が少なく、ご苦労されたとおもいます。
小説とは異なる史実を、鬼平ファンの方にどうこ理解いただくか、いろいろと湯悩みます。
あと10年もすれば、学会でも認められる史実がふえるとおもっていますが。

投稿: ちゅうすけ | 2010.08.13 12:34

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