« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月の記事

2006.03.31

女賊お才(さい)

『鬼平犯科帳』巻4に所載[あばたの新助]で、長谷川組の同心・佐々木新助(29歳)を誘惑、組の夜の警戒巡回情報をききだす役目を成功させた女賊。
(参考:同心・佐々木新助

兇悪な首領〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の女房という触れこみのお才(さい)だが、どうみても20後半に入ったかどうかだから年齢が違いすぎるし、甚五郎が潜んでいるのは加賀であることが多いから、江戸へ現れたときの妾のような立場とみる。
(参考: 〔網切(あみきり)〕の甚五郎の項)

お才は、佐々木新助が甘いもの好きということで、富岡八幡宮境内の東側、二軒茶屋のうちの〔伊勢屋〕の隣で、甘酒・しる粉の〔恵比寿屋〕の茶汲み女となって網を張り、情事に初心な新助をまんまとたらしこむ。
Photo_103
上=北 富岡八幡境内の赤○=二軒茶屋の位置。
八幡宮の南正面の先が蓬莱橋。

Photo_104
Photo_105
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)

年齢・容姿:20代後半にさしかかったばかり。「躰つきに健康な女の若さがみなぎり、うす化粧の下の鮮烈な血の色が、かくそうとしてもかくしきれぬ」「くろぐろとした双眸(りょうめ)」「豊満なお才の乳房が夕あかりをうけ、ことさらにふかい陰影をつくって、むっちりともりあがり、腕や肩のあたりの産毛(うぶげ)が光って見える」
生国:不明だが、甚五郎に仕込まれた性技にたけたあたりから想像するに、武蔵野国江戸かその近郊生まれであろう。

探索の発端:偶然に深川の巡回をおもいついた鬼平が、富岡八幡宮の前の道を歩いてくる浪人姿の新助とお才を見かけて尾行し、富吉町の正源寺(江東区永代 1-8-8)裏の〔川魚・ふじや〕をつきとめた。
Photo_106
正源寺裏の〔川魚・ふじや〕

ここでお才と素っ裸で睦みあっていた新助は、〔網切〕の配下の文挟〔ふばさみ〕の友吉(406男)に恐喝され、組の見廻り順路を洩らすはめになった。
(参考:文挟〔ふばさみ〕の友吉の項 )

結末:見廻りの隙を幾たびも衝かれた鬼平は、お才逮捕の手配をしたが、そのとき新助は、〔網切〕配下の浪人と切りむすんで惨殺されていた。

つぶやき:
お才のような魅惑的な女性の性技にかかると、経験不足の若い男は、新助でなくてもたいてい参ってしまうであろう。
いや、年齢に関係なく男も女も、性技の深みには興味がつきるということがない。
それをどこで打ちどめにできるかは、自制心の強弱によろう。

小説の構成上はなんの問題にもならないような隙を。
新助の亡父・伊右衛門も、鬼平の亡夫・宣雄が先手組頭のときの組下にいたので銕三郎は顔を見知っていたとあるが、宣雄が就いていたのは先手弓の7番手、平蔵宣以が組頭となったのは弓の2番手。
7番手から移籍してきたのならともかく、2番手の組みに新助がいるのは、当時の先手組の組織からいっていささか奇妙。


| | コメント (2)

2006.03.30

〔神崎(かんざき)〕の伊之松

『鬼平犯科帳』巻10iに入っている[蛙の長助]で、かつて長助が仕えていた首領。
(〔蛙(かわず)の長助の項:未採録)。
配下でほかに名前がわかっているのは、
〔戸田(とだ)〕の房五郎(ふさごろう 42歳=処刑時)
〔祇園(ぎおん)〕の清二郎(せいじろう 41歳=同上)
〔葛間(くずま)〕の重三(しげぞう 32歳=同上 )
〔烏田(からすだ)〕四兵衛(よへえ 38歳=同上)

〔犬成(いんなり)〕の伍平(ごへえ 37歳=安永3年)は、木更津のお頭・〔笹子(ささご)〕の長兵衛(ちょうべえ 享年68歳)一味へ加わった。

女賊〔不入斗(いりやまず)〕のお信(のぶ 30歳=安永元年)。

小さい組織ながら関東一帯に出没したが、血をみることはなかった。
喧嘩っぱやい長助が剣術遣いと喧嘩して片足を失って盗みの世界から足を洗ったとき、引退(ひき)祝いとして50両与えたほど、しっかりした首領ぶりを示した。


年齢・容姿:どちらも記されていないが、いま56歳の長助がはたらきざかりの30代だったころ、40代前半か。
生国:上総(かずさ)国市原郡(いちはらこうり)神崎村(現・千葉県市原市神崎)としたのは、『旧高旧領』で(かんざき)と読むのは関東ではここ。
あとは美濃国山県郡と摂津国川辺郡、丹後国熊野郡。盗み先が関東一円というから、市原をとった。

江戸期にもっとも近い明治20年ごろの地図

あるいは吉田東伍博士『大日本地名辞典』にある常陸(ひたち)国久慈郡(くくじこおり)神崎郷(現・茨城県那加市石神外宿)

Kanzaki_map
同じく明治20年ごろの常陸国那加郡の地図
Kanzaki_map_up
同地図の本米崎あたりを拡大。神崎郷は石神外宿へ併合された

探索の発端:そのあと、伊之松のことにはまったく筆がおよばない。
話の推移は、長助をめぐってすすむ。弥勒寺門前で、借金取立てのいざこざから、長助殴りたおした御家人を鬼平が投げとばして救ってやったのを見ていた密偵〔舟形(ふながた)〕の宗平が、かつて長助が〔神崎〕一味にいたことを鬼平へ告げた。
〔神崎〕の伊之松のところから、宗平が仕えていた〔初鹿野(はじかの)〕の音松の組へ借りられてよく来ていたので、宗平が顔を見知っていたのである。
(参考:〔舟形(ふながた)の宗平の項)。
(参考:〔初鹿野(はじかの)の音松の項)。

結末:長助は、鬼平が見ている前で、むすめ夫婦のために財布を掏った瞬間、卒中に襲われてそのまま昏睡状態となり、逝った。

つぶやき:盗人の末路としては、趣向が凝られ、いっぷう風味の異なった人情劇。
もっとも、〔神崎〕の伊之松の一生も読んでみたい気もしきり。


てらさんからのHPへの書き込み--- 2003年11月06日

茨城県の神崎村について
私の友達のお祖父さんが、かつて神崎村の村長さんだったそうです。
その友達が「かんざき村」と言っていたので間違いないかと思います。
石神外宿=「いしがみとじゅく」と読みます。
現在の東海村にあります。

| | コメント (0)

2006.03.18

〔玉や〕の弥六

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[老盗の夢]は、本格派の盗賊が滅びゆく時代を象徴しているかのように、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助が畜生ばたらきの盗人たちに殺されてしまう物語。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
悪党たちは、シリーズの初篇で一昨年(天明7年 1787)火盗改メに就任早々の鬼平に捕縛された〔野槌(のづち)〕の弥平一味の生き残り---〔印代(いしろ)〕の庄助、〔火前坊(かぜんぼう)〕権七〔岩坂(いわさか)〕の茂太郎だが、同じ〔野槌〕の息がかかっているといっても、〔玉や〕の弥六は3人とはいささか異なり、四谷・伝馬町1丁目で〔貸座敷・御料理屋を営んでいる。
(参照: 〔印代〕の庄助の項)
(参照: 〔火前坊〕の権七の項)
(参照: 〔岩坂〕の茂太郎の項)

201

年齢・容姿:どちらも記述はないが、50はすぎていよう。太り気味。
生国:首魁の〔野尻〕の弥平に江戸での盗人宿をまかされるぐらいだから、江戸に通じているとみて、府内か近郊育ち。

事件の顛末:物置小屋を抜け出した〔蓑火〕の喜之助は、九段坂下で景気づけの一杯をやつている悪党3人を始末するが、自分も刺殺されることは、鬼平ファンなら百も承知。
問題は〔玉や〕弥六。その正体を知っている4人は死んでしまった。残るは座頭・彦の市だが、彼が捕縛されるのはずっと先のこと。それまではそのままいかがわしい営業をつづけていたことであろう。
(参照: 座頭・彦の市の項)

つぶやき:『江戸買物独案内』(文政8年 1824刊)に、「貸座敷・御料理」と謳っているのは、図を掲げた武蔵屋三右衛門だけである。
この「貸座敷」から「売春」を推察した池波さんは、さすがである。
2301

| | コメント (4)

2006.03.17

〔八百茂(やおしげ)〕の茂六

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録の[霧の七郎]で、〔小川や〕梅吉・〔霧(なご)〕の七郎の兄弟を盗人の世界へ引き入れた伯父。表向きは浅草橋の八百屋〔八百茂(やおしげ)}の主人・茂六でとおっているが、裏の顔は〔野槌(のづち)〕の弥平の盗人宿をやっている、歴とした盗人である。
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)
(参照: 〔霧〕の七郎の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
茂六は、幼いときに両親を疫病で亡くした梅吉・七郎兄弟を引きとって店の手伝いをさせていたが、梅吉が16か7のとき、〔野槌〕の弥平から仕込んでみてはといわれた。めきめきと腕をあげた梅吉を、5つ年少の七郎が見習った。

204

年齢・容姿:とぜちらも記述されていないが、兄弟の伯父というから、梅吉が17歳のときには、47,8歳だったろう。
生国:江戸の近郊と推定。兄弟の父親は船宿の船頭だったというから、隅田川ぞいのどこかの村の出であろう。

消息:g)兄弟が巣立っていってまもなく病死したろう。〔野槌〕の弥平が鬼平に捕縛されたときには、すでに物故していたとおもわれる。
〔霧〕の七郎が出府してきたこの篇のとき、茂六のところへ挨拶にいった形跡もないのが、そのことを物語っている。

つぶやき:『鬼平犯科帳』には、茂六のように、もちょっと書き込めば1篇の主人公になりそうな人物がいくらも放りだされている。
それを読み手が空想でおぎないながら読むのも、一歩ふみこんだ読み方といえよう。

| | コメント (1)

道場主・大河内一平

『鬼平犯科帳』文庫巻3の[兇剣]で、秘密を小間使いのむすめ・およねに知られた〔高津(こうづ)〕の玄丹が、およねを連れている鬼平を襲撃のために集めた浪人者13名の頭目格なのが、道場主で一刀流の遣い手の大河内一平。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)
玄丹の援助をたっぷりとうけている道場は、大坂の北方・王仁塚(わにつか)にあり、妻子とともにそこで暮らしている。

203

年齢・容姿:40がらみ。大男。
生国:大和郡山(こおりやま)の浪人とあるから、大和(やまと)国添下郡(そえかみこおり)郡山(現・奈良県大和郡山市本町)。

襲撃の顛末:うまく鬼平とおよねをしとめれば100両と玄丹からいわれた大河内は、浪人たちを率いて歌姫越えをして奈良へ入った。
奈良を出た柳本の半里手前で鬼平たちの姿を目にした一隊は、斬りかかったが、たちまち3人が鬼平に斬りふせられた。
大河内一平の剣が、疲れを見せた鬼平の脇腹を浅くえぐった。さらに頭上へ剛刀を振り下ろそうとしたとき、その背中に小刀が突きささっていた。岸井左馬之助が助太刀にあらわれたのである。

つぶやき:商都大坂で、玄丹の援助を受けている大河内一平と、その庇護下にある身なりも血色もいい一隊はともかくとして、そうでない浪人たちは何をして収入を得ていたろう。商家の用心棒だったろうか。
大河内にしても、道場主としての収入はほとんどなかったのではあるまいか。
浪人たちには生きにくい街であったろう。

| | コメント (1)

2006.03.16

〔貸本や〕の亀吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2におさめられている[妖盗葵小僧]の主人公は、池ノ端仲町の骨董店〔鶴屋〕佐兵衛に化けている尾張の役者あがりで、桐野谷(きりのや)芳之助こと、葵小僧である。
そのお盗めぶりは、商店の上得意の人間の声色に巧みな、これも名古屋の役者くずれの〔貸本や〕の亀吉が、くぐり戸を開けさせるというもの。

202

年齢・容姿:40そこそこ。小男。細面の女のようにやさしい顔立ち。頭はつるつるに剃りあげている。
生国:鬼平は、名古屋か上方の役者あがりと推理したが、葵小僧との地縁をかんがえて、名古屋とみる。その近辺の生まれであろう。

探索の発端:被害者のにあった筋違御門外の料亭〔高砂屋〕の若女将おきさの実家は、亀戸の料理屋〔玉屋〕である。賊が〔高砂屋〕へ押しこむとき、〔玉屋〕の料理人の吉太郎の声色がつかわれた。
吉太郎の父親の畳職・市兵衛は、たまたま〔玉屋〕の畳替えにきていて、役者の声色をあれこれと披露した亀吉に疑いをもち、火盗改メに訴えた。
亀吉の人相書がつくられ、騙られた家々との関係が調べられ、池ノ端仲町の骨店〔鶴屋〕が

結末:神田・佐久間町3丁目の傘問屋〔花沢屋〕を襲うときに、葵小僧とともに逮捕。死罪であろう。

つぶやき:推理の端緒に役者の声色をつかうとは、いかにも演劇畑出身の池波さんらしい。

| | コメント (0)

2006.03.15

密偵・仁三郎

『鬼平犯科帳』文庫巻18に収録の[一寸の虫]は、本格派の〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(52歳)の配下で、いまは火盗改メの密偵になつている仁三郎が、かつての同僚で血なまぐさい盗めをする盗人〔鹿谷(しかだに)〕の伴助(中年男)に誘われて、忠兵衛の娘(24歳)が嫁いでいる菓子舗へ押し込むが、その直後に伴助を刺殺し、自らも自裁する物語である。
(参照: 〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛 の項)
(参照: 〔鹿谷〕の伴助の項)
密偵としての初登場は、文庫巻15[雲竜剣] 。藤代へ出張る与力・小林金弥や小柳安五郎の供としてである。しかし、このときには、密偵となった経緯は説明されない。

218

年齢・容姿:40がらみ。細身で背丈が高く、頬骨の張った皺の深い顔。
生国:この道の最初の首領が〔船影〕なので、同郷とみて信濃(長野県)のどこか。

密偵となった経緯:[一寸の虫]にいたって初めて、〔不動(ふどう)]の勘右衛門の一味にいたとき逮捕され、「見どころがある」と鬼平に認められて密偵として働くことになった。〔不動〕一味の事件についての記述はないから、それが何年前のことかは不明。
しかし、先掲の[雲竜剣]では早くも「腕きき」と評されている。[雲竜剣]は寛政8年(1796)の事件と推定できるから、その1年ほど前の逮捕劇だったか。

つぶやき:タイトルの由来は、「一寸の虫にも五分の魂」からきていることは贅言するまでもないが、それが、かつて〔船影]の忠兵衛に勘当された〔鹿谷]の伴助の恨みを指しているのか、密偵(いぬ)に身を落としても忠兵衛から受けた恩は忘れない仁三郎の心根をいっているのか。
読み手としては、後者をとりたい。
仁三郎の葬儀は、古参密偵の〔小房(こぶさ)〕の粂八がすべて取り仕切った。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

| | コメント (0)

2006.03.14

〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に入っている[二人女房]で、深川の大島町の飛び地におときと妾宅をかまえている首魁が〔彦島(ひこじま)〕の仙右衛門(55,6歳)である。
(参照: 〔彦島〕の仙右衛門の項)
この仙右衛門の片腕だったのが〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎だ。
そう、だった。この夏---寛政7年(1795)に病死していたのである。
生前は、仙右衛門が一ト仕事終えて江戸や京都や温泉で骨休めをするとき、ぴったりとくっついていた。

212

年齢・容姿:62歳---というから、当時としては、まあまあ生きたほうかも。容姿についての記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよだこおり)天竜村(現・静岡県浜松市天竜・鹿島)

事件の経緯:〔彦島〕の仙右衛門が江戸・深川の大島・飛び地に妾おとき(27歳)を囲っていることを、大坂にいる本妻お増(40過ぎ)に告げたのが、岩五郎だと、小悪党で仙右衛門の嘗役もやっている〔加賀(かが)屋〕佐吉(35,6歳)はいう。もちろん、佐吉のつくりごとである。お増が50両で仙右衛門を殺してくれと頼まれたともでまかせを口にした。
それを本気にした仙右衛門は、50両でお増の始末を、佐吉に頼む。

結末:なんのことはない、佐吉が高木軍兵衛にもちかけた話は、鬼平につつぬけになっていて、仙右衛門、佐吉とも御用。

つぶやき:仙右衛門を刺殺することになった軍兵衛が泊まった夜、地響きのように家がゆれた。大男の仙右衛門と搗きたての臼の中の餅のようなおときの愛の営みが始まったのである。
いや、笑わないではいられない。池波さんの読者サーヴィスもこれほどとは。

| | コメント (0)

2006.03.13

〔数珠(じゅず)屋〕乙吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2に所載されている[谷中・いろは茶屋]は、寛政3年(1791)、愛すべきコメディー・リリーフ役の兎忠こと同心・木村忠吾(24歳)が1番手柄を立てる篇である。
忠吾は、〔いろは茶屋〕の娼妓お松の色香を忘れかねて、役宅の長屋を抜け出して谷中へ急ぐ途中で、あお盗めを終えた〔墓火〕の秀五郎(50男)一味を見つけ、善光寺坂の上聖寺(台東区谷中1-5-3)の前の数珠屋の〔油屋〕乙吉方へ消えたのを、寺の塀越しに見張る。
(参照: 〔墓火〕の秀五郎の項)

202

年齢・容姿:60がらみ。足が不自由で歩くとき躰が傾く。
生国:不明。あえて推察すると、数珠ょを商っているところから京都あたりの生まれかと。いや、三河でも越中ということもある。

探索の発端:先述したとおり、忠吾が偶然に出会い、尾行・見張りをし、急報させた。

結末:鬼平が数珠を求めに入り、金を渡すふりをして、差し出した乙吉の手を取り押さえた。それを合図に、火盗改メの面々が打ちこんだ。死罪であろう。

つぶやき:〔墓火〕の秀五郎の処世訓の一つが、「人間と生きものは、悪いことをしながら善(よ)いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている---」。
長谷川伸師ゆずりの、池波さんの人間観でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.03.12

釣具〔利根(とね)屋〕八蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められ、[尻毛の長右衛門]と、この篇のタイトルにもなっている首領の〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門は、もともとは美濃国(岐阜市)の尻毛(しっけ)の出身である。
(参考: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
江戸でのお盗めのときの宿泊は、3つある〔盗人宿のうちの、小名木川が大川にそそぎこむ川口、そこに架かっている万年橋の南詰の釣具屋、〔利根(とね)屋〕八蔵方としている。
578
左端が万年橋(。南詰は橋の右手
(『江戸名所図会 霊雲院』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つまり、〔利根屋〕八蔵は〔尻毛〕の長右衛門の配下の一人ということ。

214

年齢・容姿:60がらみ。矍鑠として諸事をこなす。
生国:下総(しもうさ)国望陀郡(まくたぜのこおり)利根(とね)村(現・千葉県君津市利根)。
10年前にいまのところで店を開き、土地の評判もよく、釣り舟も一艘持っており、客を乗せて川や海へも出るのは、若いころに利根で船頭をしていたからである。

探索の発端:長右衛門が、妾だったお新のむすめ・おすみ(19歳)を、本所・吉田町2丁目の薬種問屋〔橋本屋〕へ引き込みに入れていたのを、お新そっくりなのに、密偵おまさが目をつけた。
(参照: 引き込み女おすみの項)
(参照: 女賊お新の項)
(参照: 密偵おまさの項)

結末:八蔵の舟でずらかろうとした長右衛門は捕縛。八蔵も同然。
(参照: 女賊お新の項)。

つぶやき:八蔵の生国を房総の利根にして、操船もできるとしたところにも、池波さんの細心の配慮が及んでいる。

| | コメント (2)

2006.03.11

〔犬神(いぬがみ)〕の竹松

『鬼平犯科帳』文庫巻13に載っている[殺しの波紋]で、つい冒した犯罪を隠すためにさらに殺人を重ねた火盗改メ方与力・富田達三郎を強請(ゆす)るのが、〔犬神(いぬがみ)〕の竹松である。
3年前、属していた〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵一味が火盗改メに襲われたとき、自分はどうにかのがれたものの、弟を富田与力に斬殺された恨みもあった。
(参照: 〔下津川〕の万蔵の項)
情婦のお吉を使って強請り状を役宅あてとどけさせた。

213

年齢・容姿:年齢の記述はないが、お吉とのじゃれあいから察するに、40男であろう。濃い体毛---ということは、鬚の剃り跡も青かろう。
生国:このシリーズには、〔犬神〕という「通り名(呼び名)」の盗賊がすでに登場している。
巻10で[犬神の権三]のタイトルにもなっている権三郎がそれである。
権三郎の生国を、ぼくは近江国犬上郡富尾村(現・滋賀県犬上郡多賀町富之尾)と断じ、現地取材までした。
そのリポートは、
http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2005/05/post_8dac.html

[犬神の権三]は、『オール讀物』1973年4月号に掲載された。[殺しの波紋]は、2年のちの同誌1975年8月号である。いくら売れっ子だった池波さんでも、タイトルにもした主人公の「通り名」は覚えているはず。
それでも竹松に〔犬神〕を冠したのは、犬神伝説が全国にあるとい吉田東伍博士の説を信用したからかもしれない。
〔下津川〕の万蔵が紀伊の出身ということもあり、あえて、権三郎と同郷説をとってみた。

探索の結末:〔平野屋〕の番頭・茂兵衛が浅草・阿倍川町の竹松の隠れ家を突きとめるが、そのことで逮捕の手がのびたとは書かれていない。火盗改メが必死で探索していたとあるにしては、あっさりした扱いといえる。

つぶやき:『完本 池波正太郎大成』(講談社)の[殺しの波紋]も改めてみたが、竹松の〔犬神〕は削除も改変もされていなかった---ということは、池波さんは、あえてこの「通り名」に固執していたと断じてよかろう。

| | コメント (1)

2006.03.10

仏絵師(ぶつえし)・細金小五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録されている[高杉道場・三羽烏]に登場して、物語に艶っぽさを添えているのが〔砂蟹(すなかに)〕のおけい(40女)だが、その亭主に設定されているのが、仏絵師(ぶつえし)という一風変わった職業の男・細金小五郎である。
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
細金小五郎名義で家を借りているが、当の小五郎はいっかな姿を見せないばかりかち、どういう盗人かも、まるで池波さんが放念したように、書かれない。借りた家は、日本橋・高砂町の菓子舗〔恵比寿屋〕の持ち家で、細い路地の突きあたりの、瀟洒な二階屋である。
おけいのみごとな色事の相手は、名古屋の役者くずれの〔笠倉(かさくら)〕の太平(40がらみ)。
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)
太平を剣友盗賊・長沼又兵衛一味に引き入れるための濡れ場(?)というより、おけいはそのこと自体を楽しんでいる。亭主ということになっている小五郎はどうおもっているか書かれない。
(参照: 剣友・長沼又兵衛の項)

212

探索の発端:〔小房〕の粂八が預かっている船宿〔鶴や〕へあらわれたおけいを、粂八は〔野槌〕の弥兵衛一味にいたとき見知っていた。尾行して、日本橋・住吉町の路地の奥まったところにある住まいを見つけた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
さっそく、路地の出口にある筆・墨・硯の商舗〔木屋〕の裏二階の一と間に見張り所が設けられたが、細金小五郎の姿は依然として現れない。

結末:押し込み先の巣鴨の徳善寺(架空)で長沼又兵衛は惨殺、〔笠倉〕の太平は捕縛、おけいも住吉町の二階家で捕まったが、小五郎については書かれていない。

つぶやき:ただ単に見張り所として部屋を貸しただけの〔木屋〕について、「店舗は小さいが、扱う品物は筆にしろ硯・墨にしろ、最高級のものばかりで、京都から直接仕入れをした物が多く、顧客の中には大名も旗本もいるという」と、わざわざ注釈している。
池波さんの頭には、室町の塗物の〔木屋〕があったのではなかろうか。大正の震災で消えた大老舗で、暖簾分けされた打物の〔木屋〕は現在も盛業中。
2600
鬼平のころには「室町につらなる木屋の紺暖簾」とはやされたほど、木屋の分店は多かった。住吉町の〔木屋〕も前2店と同様に『江戸買物独案内』に広告を出している。

| | コメント (0)

2006.03.09

〔天弓(てんきゅう)〕の政五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録の[山吹屋お勝]のヒロインはタイトルどおりお勝だが、彼女の本名おしのといい、女盗人。
(参照: 〔山吹屋(やまぶきや)〕お勝 の項)
おしのの父親も、〔天弓(てんきゅう)〕の政五郎という盗賊で、錠前はずしの名人級の腕をもち、〔夜兎(ようさぎ)の角右衛門〕の一味にいた。
(参照: 〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門 の項)
おしのも父親につづいて角右衛門の配下だったが、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助のところから移ってきた〔関宿(せきやど)〕の利八とでき、おしのは〔蓑火〕に引きとられて命びろいしたのであった。
(参照: 〔蓑火(みのひ)の喜之助 の項〕)
(参照: 〔関宿(せきやど)〕の利八 の項)

205

年齢・容姿:どちらの記述もないが、もし生きていれば70歳前後か。おしのが〔夜兎〕一味へ加わっているところから推理するに、だいぶ以前に亡くなっていたろう。
生国:おしのが生まれたのが備前・岡山というから、そこらあたりとしておく。

<通り名の由来:「天弓」とは虹のこと、とある。たしかに、弓なりに五彩の橋が天空かかる。それほど鮮やかな手練で、しかも虹のようにすっーと消えていくことから、つけられたのであろう。

つぶやき:ここで特記するまでもなく、池波さん自選のベスト5の篇の一つが[山吹屋お勝]である。おしのと利八の中年男女ラブ・ロマンスとしてではなく、お勝が鬼平の手をかわした思いつきが、池波さんご自慢のものなのであろう。

| | コメント (0)

2006.03.08

〔女掏摸(めんびき)〕お富

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録されている[女掏摸お富]の女主人公が、元掏摸(すり)で、いまは巣鴨追分の笠屋の女房におさまっているお富である。亭主は卯吉(21歳)。

202

年齢・容姿:22歳。やわらかい躰つきの町女房風だが、掏摸(しごと)にかかるときは鼻の頭に小豆大のつけ黒子(ぼくろ)する。
生国:捨て子なので、厳密にいうと生国は不明だが、掏摸の元締の〔霞(かすみ)〕の定五郎夫婦に拾われたのが江戸のどこかなので、江戸生まれということに。

探索の発端:従兄の三沢仙右衛門と王子権現へ参詣に出かけた鬼平は、俵坂を下ったところで黒子をつけたお富とで出会った。
489
王子権現(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

ふだんの顔には黒子などない、とお富の店をよく知っている仙右衛門が断言した。
鬼平は、前日役宅へやってきた日本橋・鉄砲町の御用聞き・文治郎から、鼻の頭に黒子のある女掏摸の話を聞いたばかりであった。
看視がお富へ注がれた。
お富は、かつての仲間の〔岸根(きしね)〕の七五三造(しめぞう)に前身を黙っていてほしかったら100両つくれといわれて、掏摸にはげんでいたのだった。

結末:100両は稼ぎおわって七五三造へ渡したものの、よみがえった指先の感触に辛抱たまらず、市ヶ谷八幡宮で掏ったところで鬼平に捕まり、しばらく入牢。
338C
市ヶ谷八幡宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:池波さんには、この篇のほかにも、掏摸を主人公にした独立短篇がある。年代順はまだ調べていない。
掏摸ものは、江戸時代ものの定番ではあるが、掏摸の生態が長谷川伸師ゆずりかどうかも、ついでに調べたい。

| | コメント (0)

2006.03.07

〔橋本(はしもと)屋〕助蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収まっている[殺しの波紋]の冒頭、橋場の先の洲の枯れ葦の舟の中で、火盗改メ方の与力・富田達五郎に斬殺されるのが、萱場町の薬種商〔橋本(はしもと)屋〕助蔵である。
いや、薬種商は表の顔で、裏へまわると、20余名の配下をもつ盗賊の首領であった。その助蔵が1年前に、富田与力が金杉上町あたりの百姓地で2000石の旗本の次男を口論の末に斬って殪し、口をぬぐっていたのに、助蔵が強請(ゆす)りをかけてきたのである。

213

年齢・容姿:中年とのみ。薬種店の主人にふさわしい柔和な態度。
生国:山城(やましろ)国綴喜郡(つづきこおり)橋本(京都府八幡市橋本)。
薬種商のように利幅の大きい店を江戸で開くとなると、それなりのコネと資本が人用である。いずれ、京都の老舗のコネをつかったろう。

事件の経緯:)〔橋本屋〕助蔵が富田同心に強要したのは、麻布・飯倉4丁目の蝋問屋〔駿河屋〕へ押し込むときの見張りで、その手間賃に100両寄こしたが、それきりでは終わらなかった。つぎの押し込みの見張りもいってきたので、富田与力は助蔵と船頭の・留吉を斬って川へ流したのである。
それを目撃していたのが、別の盗賊〔犬神〕の竹松で、強請り状を寄こしてきた。その手紙を読んでいるところを、鬼平に見られ、不審を抱かせてしまった。

つぶやき:聖典の中でも、とりわけ後味がよくない篇である。というのも、人は一度侵した悪事をかばうために、つぎつぎと悪事をかさねるという、だれでも落ちる地獄が描かれているからである。人の個々ろの深淵をのぞいたような後味がのこるのである。

| | コメント (2)

2006.03.06

〔三の松〕平十

『鬼平犯科帳』文庫巻1の[暗剣白梅香]に、根津権現かいわいの盛り場を束ねている顔役として登場し、浪人・金子半四郎(38歳)に鬼平の暗殺を委嘱したのを皮切りに、ちらちらと姿を見せるのが、〔三の松〕平十という悪である。
(参照: 浪人・金子半四郎の項)
470
根津権現(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

201

年齢・容姿:根津権現門前の盛り場を一手にたばねているほどだから、かなりの年配とみていい。50歳前後か。それにふさわして貫禄だろう。
生国:〔三の松〕という地名はない。「三松」とすると、若狭(わかさ)国大飯郡(おおいこおり)三松(みつまつ)村が『旧高旧領』にみられる(現・福井県大飯郡高浜町三松)。

登場の経緯:鬼平の暗殺を策したのは、〔蛇(くちなわ)〕の平十郎である。金子半四郎は300両なら引き受けてもいいと、〔三の松〕平十に答えている。蔓(仲介)が半金を懐に入れる仕掛け稼業の法則に拠ると、平十も300両を得たことになる。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
その後も、[むかしの女] で、雷神党の浪人どもに鬼平暗殺を依頼している。

つぶやき:暗殺の仕掛けのシステムを池波さんが考案したのは、この篇が最初かどうか、まだ、調べていない。『仕掛人・藤枝梅安』シリーズが始まったのは、この篇の5年後である。

| | コメント (0)

2006.03.05

〔名草(なぐさ)〕の与八

『鬼平犯科帳』文庫巻18に収録の[一寸の虫]で、血なまぐさい盗めをする盗人〔鹿谷(しかだに)〕の伴助(中年)は、自分が盗人の掟を破ったために、本格派のかつてのお頭〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(50がらみ)からうけた仕置きへの恨みを忘れていなかった。
(参照: 〔鹿谷〕の伴助の項)
(参照: 〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛 の項)
密偵・仁三郎は、一本うどんの〔豊島屋〕でかつて同僚だった伴助に声をかけられ、行状をさぐるために仕返しの犯行に加わることを承知、一味の〔名草(やぐさ)〕の与八らに引きあわされた。
仕返し犯行とは、忠兵衛の娘おみの(24歳)が嫁いでいる本銀町の菓子舗〔橘屋〕を襲うこと。六造という男を引き込みに入れてもいた。

218

年齢・容姿:中年。容姿の記述はない。
生国:伊勢(いせ)国三重郡(みえこおり)名草村(三重県三重郡楠町北五味塚)。
現在は北五味塚に併合されていると推察しているが、もしかしたら吉崎かも知れない。地元の鬼平ファンの方のご教示を俟つ。

探索の発端:本銀町の菓子舗〔橘屋〕をそれとなく伺っている初老の男に気づいた鬼平が、同心・松永弥四郎に尾行(つ)けさせ、湯島天神下の菓子舗〔柳屋〕へ入ったのをつきとめた。〔橘屋〕の内儀おみのの実家である。そこから、〔船影〕の忠兵衛がわりだされ、〔橘屋〕が見張られることになった。

結末:〔船影〕の忠兵衛を売ることはできないと、仁三郎は押し入りの場で伴助を刺殺ののち、自裁して果て、〔名草〕の与八は、そのときに捕まった。
[船影〕の忠兵衛は、一味が押し入ろうとして南茅場町の水油問屋〔岡田屋〕で23名が逮捕された。

つぶやき:上から同じように叱られても、それを根に持つ男と、逆に叱正をありがたがって人生の軌道修正の資とする男の違いを描く。
その違いは、天生の素質の違いなのか、それとも、人生体験の差からくるものなのか。ぼくには、後者のようにおもえるのだが。
人生体験の差---謙虚ということを学んだ男と、学びそこなった者の差ともいえようか。

| | コメント (2)

2006.03.04

〔平尾(ひらお)〕の徳次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されて題名になっている女賊[網虫のお吉]は、3年前にも、駿府の扇子屋で〔三村屋〕徳太郎夫婦という触れこみで木挽町4丁目の旅籠〔梅屋〕に滞在したとき、男のほうが〔平尾(ひらお)〕の徳次郎だと、密偵おまさが認めた。おまさはかつて2度、2人が属している〔苅野(かりの)〕の九平を助(す)けたことがあり、そのときに見知っていたのである。
(参照: 〔網虫〕のお吉の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔苅野〕の九平の項)
そこで、おまさは五郎蔵と、水戸が江戸見物にきた夫婦ということで〔梅屋〕へ投宿したら、お吉の姿が消えていた。急用ができて駿府へ帰ったということであった。

216

年齢・容姿:そのとき、お吉は30を越えていたが、ほっそりとしていて外見にはとてもそうは見えなかったというから、その亭主ということだと、徳次郎は33,4か。物腰も実直な商人風だったろう。
生国:信濃(しなの)国佐久郡(さくこおり)上平尾(かみひらお)村(現・長野県佐久市平尾)。
当初、お吉が江戸生まれということ、任務が江戸でのお盗めの段取りをつけることだったので、少しでも江戸を知っているということで、都下稲城市平尾を考えたが、『旧高旧領』で検索にひっかからなかったので、あきらめざるをえなかった。

探索の発端:こんどの資源ではなく、3年前のことは、密偵おまさが浅草の奥山でお吉を見かけ、尾行(つ)けて旅籠〔梅屋〕をつきとめた。
おまさと五郎蔵が水戸から江戸見物に来た夫婦をよそおって〔梅屋〕へ投宿したときには、徳次郎のお吉も、駿府に急用ができたといって、消えていた。

結末:徳次郎は、それきり、姿を見せない。
お吉については、彼女の項をお読みいただきたい。

つぶやき:こんどの逃避行は、夫の琴師・歌村清三郎に前身がいずれバレるとともに、同心・黒沢勝之助に躰をもてあそばれたことも知られると読んでのうえである。この判断は正しい。

それはそれとして、筆者が舌をまいたのは、3年前、〔苅野〕の九平が、お吉の、江戸でのお盗めは、鬼平がいるかぎり危険であるとの言上を信用して、本所四ッ目の呉服屋〔丁字屋〕への企みをあっさりあきらめたことである。部下の見解をまるまる飲みこむんでやることで、部下は本気になる。

| | コメント (0)

2006.03.03

〔四木(しもく)〕の房五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14iの巻頭におかれている[あごひげ三十両]の主人公は、高杉道場で銕三郎や岸井左馬之助の兄弟子にあたっていた野崎勘兵衛(かつて40歳。現在は70歳前後)である。
30年ほど前、妻子がいる身で、深川の船宿が世話した女・お兼に入れあげ、師・高杉銀平に逆らって失踪。
お兼のうしろにいたのが、土地(ところ)でも羽ぶりのよい無頼者〈四木(しもく)の房五郎がついていたからたまらない。
この盗賊でもない房五郎を取りあげたのは、テレビの冒頭の「この世に悪は絶えない」のナレーションを地でいっているとおもうからである。

214

年齢・容姿:どちらも記述されていない。察するに、40歳前後、筋肉質の鬚の剃りあとの濃い風貌であったろう。
生国:深川でいい顔になったのだから、深川育ちと推定。

事件の経緯:所用で渋谷・羽根沢へでかけ、氷川明神社へ参詣した岸井左馬之助が、野崎老人を見かけ、その家にお兼が病妻となって寝ていることを確かめた。
とすると、勘兵衛は添いとげたことになる。
〔四木〕の房五郎との話ばどうついたのか。多分、妻子も家禄も師も捨ててきた勘兵衛の誠意に、お兼のほうが房五郎に別れ話をもちかけたのであろう。尋常なことでは話のつく房五郎ではないが、自分に愛想ょをつかした女がわからないほど野暮でもなかったのであろう。
もとろん、房五郎の手下が勘兵衛を襲いもしたろう。それにも耐えて、添いとげたとみる。
あるいは、房五郎が縄張り争いで殺されたか。

つぶやき:小説は、そこのところを読み手の想像にまかせている。主題はそのことではなく、勘兵衛が病妻のために自慢の鬚を30両で売るところと、鬼平・左馬之助が名乗りかけないおもいやりにあるのだ。

| | コメント (0)

2006.03.02

軍師(ぐんし)・高橋九十郎

『鬼平犯科帳』文庫巻13の巻頭に据えられている[熱海みやげの宝物]は、〔甞帳(なめちょう)〕〔甞役(なめやく)〕といった、池波さん独特の用語が初登場する篇である。
それはともかく、〔高窓(たかまど)〕の久兵衛(70過ぎ)お頭の死に目に会えなかった〔嘗役〕の〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治(56,7歳)は、〔高窓〕一味を乗っとった浪人あがりの軍師(ぐんし)格・高橋久十郎派につけ狙われている。利平治が中国道から上方、北陸道へかけて集めた押し込み商店リスト---〔嘗帳〕が目当てなのである。
(参照: 〔高窓〕の久兵衛の項)
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
利平治は利平治で、〔高窓〕の2代目にあたる〔布屋(ぬのや)〕久太郎(28歳)の行方を捜して江戸へ向う途中、熱海で骨やすめをしていて、密偵・彦十に出会った。彦十は彦十で、鬼平のお供で、熱海で保養していた。
(参照: 〔布屋〕の久太郎の項)

213

年齢・容姿:40歳前後。5年前から〔高窓〕の軍師格をつとめていて、そりの間に一度だけ、采配をふるったことがある。盗金の運搬から、押し込むまでの手配り、盗賊たちの配置・分担、引き上げ路などを差配して、それはみごとなものであって、久兵衛お頭の信用を一挙にえた。
生国:越前・福井の浪人とだけ。

探索の発端:彦十がかねて顔見知りで気のあった〔馬蕗〕の利平治から、高橋一味に狙われていることを打ち明けられて、鬼平が高橋久十郎を牽制することになった。ついていた配下は彦十のみ。
高橋九十郎のほうは、小田原まで出向いてきていて、万町の息のかかった剣術道場に滞在していることを、彦十がつきとめた。
一方、久栄夫人とともに先立ちした密偵おまさは、藤沢宿で宿役人に頼んで、早飛脚を火盗改メ役宅の佐嶋与力へ発してもらった。

結末:権太坂で利平治を襲ってきた、九十郎の息のかかった浪人3人は鬼平に斬り殪され、〔横川〕の庄八は、彦十と利平治にとりおさえられた。
(参照: 〔横川〕の庄八の項)
高橋九十郎一味は、騎馬でかけつけた佐嶋与力、酒井同心筆頭らに助勢した小田原藩の捕り方に捕縛された。死罪であろう。

つぶやき:この篇の冒頭に、長谷川平蔵程の身分であれば、本陣の[今井半太夫]方に宿泊
するべきだが---といった意味のことが書かれている。
この[今井半太夫]を、池波さんは、『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)から見つけたと推察。「雁皮紙」の製造をしていた。

| | コメント (0)

2006.03.01

剣友・長沼又兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録されている[高杉道場・三羽烏]に、福井藩に仕官のかなった田村甚太夫を名乗って、巣鴨の徳善寺へ回向を頼み、その通夜の席でたちまち浪人盗賊に早替わ代りしたのは、20年前、高杉道場で、長谷川銕三郎、岸井左馬之助とともに三羽烏といわれた長沼又兵衛であった。

409
巣鴨庚申塚 徳善寺はこの右手はるかはずれ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

又兵衛は、名古屋の役者くずれの盗人〔笠倉(かさくら)〕の太平を家臣に仕立て、100両の回向料を持たせて欲深い念誉和尚を、巧みにたぶらかしたのである。
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)

212

年齢・容姿:50近い。堂々たる体躯。見るからに颯爽としている。
生国:]武蔵(むさし)国江戸・下谷(したや)ニ長(にちょう)町(現・台東区上野5丁目)。
500石の旗本・長沼家のの次男。

探索の発端:船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
おけいが、むかしなじみの太平を又兵衛へ引き合わせた。その時、又兵衛の名前が出て、鬼平の知るところとなった。

結末:家督を継いでいる兄・伊織の体面のためにも、名乗っている田村甚太夫のまま死んでもらうしかないと鬼平は判断、数合刃をあわせたいすえ、ついに殪しえた。

つぶやき:20数年前、師の高杉銀平が又兵衛にだけは目録を授けなかった理由は、小説の中では沈黙のままだが、剣であれなんであれ、修業は人格陶冶のためのものとかんがえると、銀平師のおもわくも読めてくる。
師の留守中に目録を盗んで消えた又兵衛に、はげしい怒りをたぎらせた銕三郎の義憤もわかる。

| | コメント (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »