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2006年2月の記事

2006.02.28

旅籠の番頭・梅次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収められている[おしゃべり源八]でで、畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松一味で、駿府の仏具店〔今津(いまづ)屋〕の主人・佐太郎を保証人として、2年前から平塚の旅籠〔米屋〕の番頭に入り込んでいたのが梅次郎である。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
(参照: 〔今津屋〕佐太郎の項)
同心・久保田源八から〔小房〕の粂八あての手紙をことずかった藤沢の茶店〔とみや〕の亭主・仁助には、かならず粂八へ渡すといいながら、その晩から姿を消していた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

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年齢・容姿:「若いに似ず気もつく---」とあるから、30代前半か。まじめそう。
生国:不明。地縁でいうと、〔今津屋〕佐太郎は近江、〔天神谷〕の喜佐松は越中だが、単に梅次郎とだけしか書かれていないので、どちらともきめがたい。しいていえば、保証人(請け人)となった佐太郎には近江弁があったろうから、近江説をとりたいが。

探索の発端:藤沢の茶店〔とみや〕の亭主・仁助の証言に、手紙は受け取っていないと粂八がいったことから、佐太郎が妖しいということになり、探索がはじまった。しかし、駿府の佐太郎も消えていた。

結末:〔天神谷〕の喜佐松の本拠である川崎宿の小さな旅籠〔大崎屋〕へ、火盗改メが打ち込んで捕らえた一味7名の中に、佐太郎老人がいたかどうかは書かれていない。

つぶやき:梅次郎の〔米屋〕での役目は何だったのであろうか。川崎と駿府との単なる連絡(つなぎ)の中つぎか。それにしても、2年ものあいだ、さしたる役目を果たしていたようにもおもえないのだが。
というのは、〔天神谷〕一味は、駿府でもお盗めをしていないし、江戸でもやっていない。

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2006.02.27

〔風穴(かざあな)〕の仁助

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[浅草・鳥越橋]は、シェイクスピア[マクベス]以来、「悪魔のささやき」ともいわれる妻の不逞の讒言が引きおこす悲劇である。
もっとも、>〔風穴(かざあな)〕の仁助はマクベスに比すぺくもない小者ではあっても、嫉妬の炎に強弱はない。
、お頭〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛(50がらみ)が、仁助の女房おひろと情事をつづけていると吹きこんだのは〔押切(おしきり)〕の定七(35歳)で、ある魂胆があったのこと。
(参照: 〔傘山〕の瀬兵衛の項)
(参照: 女賊おひろの項)
(参照: 〔押切〕の定八の項)

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年齢・容姿:35歳。色白で小柄。ふっくらとしてやさしげ。
生国:「通り名(呼び名)」の〔風穴〕が日光火山群のそれからきているとして、下野(しもつけ)国都賀群(つがこおり)日光村(栃木県日光市)。

探索の発端:〔小房〕の粂八がまかされている船宿〔鶴や〕へ、客として現れた〔白駒(しろこま)〕の幸吉と〔押切〕の定七が、〔傘山〕一味の仕掛けを横からかっさらうために〔風穴〕の仁助を裏切らせたことを話しあったために、粂八に疑われ、尾行(つ)けられ、それぞれの住いが判明し、見張られた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔白駒〕の幸吉の項)

結末:おひろは、定七に殺されていた。それしとは知らない仁助は、鳥越橋で見かけた瀬兵衛を刺殺し、捕らえられた。獄門であろう。
〔白駒〕と〔押切〕の逮捕の時は刻々と迫っている。

つぶやき:目に見えている〔白駒〕と〔押切〕の逮捕のことを書かないで、熱い蕎麦と酒で物語を終わらせるのは、芝居の作法であろうか。余韻が大きい。

それはそれとして、おひろという女賊。細っそりとして見えながら、裸になったときの胸乳と腰まわりの量感はみごとで、あの時の狂態がすざましい---池波さん、お得意のヒロインである。

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2006.02.26

老僕(ろうぼく)・吉六

『鬼平犯科帳』文庫巻11の冒頭の[男色一本饂飩]事件の主人公・寺内武兵衛(中年)は、算者指南の看板をかかげながら、出入り先の詳細を探り、盗みに役立てている。その武兵衛の因幡町2丁目の住まいで老僕をしているのが吉六である。
(参照: 浪人・寺内武兵衛の項)
暮らしているのは2人きりなのは、、武兵衛の趣味の一つが男色で、女性に興味がないからである。といって吉六がその相手というわけでは、むろん、ない。武兵衛のその趣味について、吉六は好ましくはおもっていない。

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年齢・容姿:老爺としか書かれていない。2年前から住みついており、近所づきあいを吉六が一手に引き受けているほど、愛想はいい。
生国:武兵衛との付き合いが古いとすると、同様に加賀の生まれか。

探索の発端:深川の海福寺門前の一本饂飩の〔豊島屋〕を出てから役宅の長屋へ帰ってこない木村忠吾を、火盗改メは全力をあげて捜索をはじめた。と、〔豊島屋〕の女中お静が、その日のことをよく覚えていて鬼平へ告げた。さらにお静は、三ッ橋のかかる楓川岸を歩いている寺内武兵衛を偶然にみかけて後をつけ、因幡町2丁目あたりに住んでいることをつきとめた。

結末:そのお静を、吉六が捕らえようとして、逆に捕縛された。武兵衛の盗みに加担していたら、死罪であろう。

つぶやき:吉六に、武兵衛は「両刀遣いだが、どちらかというと、女のほうが嫌いだが」という。妙ないい方なので、気になった。池波さんは、こういういい方をさせて、武兵衛の異常な神経を暗示したかったのであろうか。
ふつうなら、「若い男のお尻のやわらかい肉(しし)置きのほうが、女よりも好きだ」というところだ。

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2006.02.25

研師(とぎし)〔笹屋〕弥右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収められている篇の中では中篇に近い[流星]で、大坂の巨盗〔生駒(いこま)〕の仙右衛門(62歳)の息のかかっている浪人剣客・沖源蔵を止宿させていた、京都の油小路二条下ルで弟子1人をつかって刀剣の研師(とぎし)をしているのが、〔笹屋〕弥右衛門。
(参照: 浪人刺客・沖源蔵の項)
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)
沖浪人は、仙右衛門から呼び出しがきて、大坂へ旅立っていく。
いずれ、ここも、仙右衛門の盗人などのひとつであろう。

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年齢・容姿:老人とのみ。黙々と仕事をこなしている。近所の人ともほとんど口を利かない。研師のような職種にはよくいる変人。
生国:長い修行の末の開業であろう。地元の京都の生まれと推察。

登場の経緯:それにしても、沖浪人を京都からわざわざ大坂へ呼び出し、その足で江戸へ発たした。ふつうなら、京都から発たしちほうが、無駄がない。
池波さんは、〔生駒〕の仙右衛門が沖源蔵を京都での用心棒として配置していた周到さを示したかったのであろうか。

つぶやき:それとも、研師という職業に執心していたか。司馬遼太郎さんの直木賞受賞作『梟の城』だったかにも研師がでてーいたような。司馬さんと仲のよかった池波さんのこと、生来の負けずぎらい気から、研師を登場させてみたくなったのかも。

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2006.02.24

金貸し・松井四郎兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に入っている[寒月六間堀]に登場する金貸し・松井四郎兵衛の本当の姿は、さる藩の藩士だった山下藤四郎時代に、妻子がありながら美貌の市口伊織に男色をしかけて抵抗されたために伊織を殺害して江戸へ出奔、深川・西平野町で高利貸しをしている。
その四郎兵衛(藤四郎)を、息子・伊織の20余年にわたって敵(かたき)と探し求めてきたのは、伊織の父親・瀬兵衛(71歳)であったが、本所・二ッ目通りの弥勒寺前のお熊の茶店の隣の〔植半〕の庭に空腹のために倒れこんだ。
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弥勒寺門前の〔植半〕。画面中段からやや下寄りの右端。
(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50がらみ。肥え、あぶらぎった大男。太い華、厚い唇。右の耳がないのは、抵抗した伊織に斬られたため。
生国:瀬兵衛老人は、京都の知人宅に老妻を待たせているというから、山下藤四郎も西国の藩の出身とおもうが、逆敵討ちをはじた瀬兵衛老人が藩名を明かさないので、不明。

事件の経緯:瀬兵衛老人の目的を聞いた鬼平は、逆敵討ちが法に触れるとしりながら、助力を申し出た。藤四郎の一行を六間堀に架かる猿子橋のたもとで待ち伏せ、4人の用心棒浪人を打ち倒した鬼平。瀬兵衛老人もようやくに藤四郎を刺殺した。
その瀬兵衛老人に、鬼平は紙入れを押しつけ「巡礼にご報謝いたす」。

つぶやき:子の敵を親が討つことを逆敵討ちと呼んで、幕法は禁じていた。鬼平は、それを承知で市口瀬兵衛に助力したのは、単に、20余年にわたる瀬兵衛老人まの苦労に同情したからではあるまい。逆敵討ち禁止令そのものを人情に悖るものとかんがえていたからであろう。いや、鬼平というより、池波さんが、だが。

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2006.02.23

敵(かたき)持ち・土田万蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻6の末尾篇[のっそり医者]で、主人公の萩原宗順(60すぎ)を親の敵(かたき)と狙ってきた、下総・古河藩の浪人・土田万蔵。16歳のときから敵討ちの旅に出てほぼ25年---この間、辛酸をなめつくし、いろんな悪事にも手を染めた。
最近では、稲荷堀(とうかんぼり)の近くで辻斬りもやった。
相棒は〔落合(おちあい)〕の儀十(30がらみ)という盗人。
(参照: 〔落合〕の儀十の項)

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年齢・容姿:40すぎ。しっかりした身なり。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこおり)古河(こが)(現・茨城県古河市)
父が古河藩の膳番。

探索の発端:鬼平が萩原宗順のもとへ送った小娘およしが、不審な男2人が宗順の身辺をさぐているようだと、鬼平へ告げたことから、宗純の身元もあらわれ、彼が敵(かたき)討ちをうける身であることがわかった。が、いまの宗順は、前非を悔いて、医術でもって世のために尽くそうとしていた。

結末:難をさけて宗順とおよしが捨てた家を、土田万蔵と儀十が襲ってき、待っていた鬼平に斬られた。

つぶやき:「敵討ちは、火盗改メの相知らぬこと---」といって、萩原宗順の過去を不問に付する鬼平のかっこうのよさは、読み手を酔わす。が、法の仕事に就いている幕臣としての言葉としては---。

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2006.02.22

仏具屋〔今津屋(いまづや)〕佐太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収められている[おしゃべり源八]でで、畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松一味の盗人宿として、駿府で仏具店〔今津屋〕の主人としてとり仕切っていたのが佐太郎である。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
事件の5年ほども前に、京がくだってきたといって、駿府のどこかに店を出して、ふつうの町人を装っていた。

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年齢・容姿:60がらみ。容姿の記述はないが、年齢にふさわしく、灰汁(あく)ぬけのした、人のよさそうな風貌で、じつは〔天神谷〕の軍師格であったろう。
生国:上方から下ってきたというからには、京都弁にも馴れていたろう。
近江(おうみ)国高島郡今津村(滋賀県高島郡今津町今津)。
ほかに候補としては、丹波(たんば)国桑田郡今津町(現・京都府亀岡市今津)がかんがえられるが、池波さんが馴れている地名として滋賀県を採った。

探索の経緯:平塚の旅籠〔米屋〕に滞在して〔天神谷〕一味の探索にあたっていた〔小房〕の粂八あての、同心・久保田源八の文を取り次ぐべく受け取った番頭・梅太郎は、その夜から駿府へ旅立ち、そのまま戻ってこなかったという。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
2年前に、梅太郎を〔米屋〕へ紹介してよこしたのが、〔今津屋〕佐太郎であった。
同心・竹内孫四郎が駿府へ駆けつけてみると、梅太郎がやってきたとおぼしい去年の11月に店をたたんで
いずこともなく消えていた。

結末:〔天神谷〕の喜佐松の本拠である川崎宿の小さな旅籠〔大崎屋〕へ、火盗改メが打ち込んで捕らえた一味7名の中に、佐太郎老人がいたかどうかは書かれていない。

つぶやき:この篇の検証をするために、湯行寺と遊行阪を歩いた。30数年前、三崎半島へ海遊び゜のために車でこの阪を通ったが、歩いてみて、なるほど、小説の舞台としてはうってつけの景色と納得質。池波さんも、時宗の本山・遊行寺へ詣でたにちがいない。

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2006.02.21

浪人・石島精之進

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻3の所載の[麻布ねずみ坂]で、指圧医師・中村宗仙(62歳)から、お八重(29歳)の見受け金(?)500両をうけとり送金するように大坂の香具師の元締〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門(50男)にいわれていながら、230両をネコばば、高崎に剣術道場の開設資金としてしまった。
(参考: 〔白子屋〕菊右衛門の項)
お八重は〔白子屋〕の愛妾で、京都の東寺の境内に〔丹後や〕という料亭をまかされていたが、宗仙とできてしまったのだ。
石島は、菊右衛門には「宗仙にはもう、支払う意志はない。妾とうまくやっている」と報告していた。

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年齢・容姿:30男。肩がはっていていかにも強そう。
生国:上野(こうずけ)国緑野郡(みどりのこうり)藤岡村(現・群馬県藤岡市藤岡)

探索の発端:金持ちから法外な治療料をとる中村宗仙宅を、鬼平の命で見張っていた同心・山田市太郎が、出入りした石島浪人を見かけて尾行すると、両国の元締・〔羽沢(はねさわ)の嘉兵衛とつながった。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)
同心・酒井祐助と彦十が石島浪人を追っていくと、高崎で道場を開いていることがわかった。
宗仙が約束をやぶったというので、〔白子屋〕はさらに、〔川谷〕の庄吉に刺客の浪人までつけて、寄こし、宗仙の殺害を策していた。
(参照: 〔川谷〕の庄吉の項)

結末:鬼平が庄吉に事情を話して聞かせて大坂へ帰すと、菊右衛門は500両を宗仙に返し、石島精之進を殺害。
お八重もはその前に殺されていた。

つぶやき:男伊達の通し方は、むつかしい。菊右衛門が鬼平の扱いに感動して500両を返して寄こしたのも、鬼平へ伊達ごころを見せたかったからである。

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2006.02.20

〔志度呂(しどろ)〕の金助

『鬼平犯科帳』文庫巻2の所載の[蛇(くちなわ)の眼]で、頭の平十郎配下の1人が、この〔志度呂(しどろ)〕の金助。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
あとの3人が、
〔片波(かたなみ)〕の伊平次(40歳)
 (参照: 〔片波(かたなみ)〕の伊平次の項)
〔駒場(こまんば)〕の宗六(30歳)
(参照: 〔駒場〕の宗六の項)
鶉(うずら)の福太郎(25歳)
(参照: 〔鶉〕の福太郎の項)
さらには、蛇の平十郎の軍師役・〔白玉堂(はくぎょくどう)〕紋蔵。
(参照: 〔白玉堂〕紋蔵の項)
このうち、〔志度呂〕の金助は、「小舟を漕いで屋形舟などの間をぬい、真桑瓜西瓜を売る」舟商人となって、浜町堀に面した〔道有屋敷〕を見張りながら、盗んだ金子を向島の盗人宿へ舟で運ぶ役を与えられている。

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年齢・容姿:35歳。容姿の記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国敷知郡(しきちこうり)志度呂(しとろ)村(現・静岡県浜松市志度呂町)。
佐鳴湖の南西、浜名湖にそそぐ新川右岸だから、子どものときから、小舟の扱いにはなれている。

探索の発端:これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。
(参照: 座頭・彦の市の項)

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、全員逮捕、死罪。

つぶやき:志度呂は、志戸呂と書くという。「志戸呂」だと、島田市に合併された大井川ぞいの金谷にも同名の地があるが、舟のあつかいに長ずるには、やはり琵琶湖に水つづきのほうがいい。

ただ、池波さんは「しどろ」とルビをふっているが、「志度呂」も「志戸呂」も読みは「しとろ」。池波さんは、現地を踏んでいなくても、三方ヶ原近辺の地図はしっかり見分したろう、そのときに発見した地名かも。

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2006.02.19

〔丸太橋(まるたばし)〕の与平次

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[暗剣白梅香]の主人公、仕掛人にまで身を落としている金子半四郎に、本石町3丁目の蝋問屋〔葭屋(よしや)〕の婿・宗太郎の殺害を100両で依頼したのは、深川一帯の暗黒街を取り仕切っている〔丸太橋(まるたばし)〕の与平次であった。
(参照: 仕掛人・金子半四郎の項)
与平次は、200両でこの仕掛けを引き受けている。そのことも、〔起(おこ)りが婿の行状に手をやいていた〔葭屋〕の当主・専右衛門であることも、半四郎には関係ないことである。

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年齢・容姿:どちらの記述もない。推察するに、60すぎ、小柄で善良そうな、笑顔をたやさない好々爺然とした仁であろう。そうでないと、〔葭屋〕専右衛門のような大店(おおだな)の主(あるじ)が信頼して頼むはずがない。
生国:武蔵(むさし)国江戸の深川、仙台堀支川に架かる丸太橋ぎわの顔役の家(現・江東区福住あたり)。

2500
近江屋板・深川(部分)。左手に丸太橋

仕掛けの顛末:女道楽がはげしいといっても、吉原ほかの遊興のちまたへ出入りするのだから、金づかいも自然に荒くなる。、〔葭屋〕専右衛門としては、200両費やしても、宗太郎の今後の遊興費をかんがえると、安いといえるかもしれない。
ある夜、吉原へ向う宗太郎の駕篭を、日本堤土手からちょっと入谷田圃の農道へそらせ、駕篭かき2人ももろともに惨殺してのけた。

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不夜城といわれた新吉原の夕景。周囲は入谷田圃。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:これまで、数え切れないほどの証拠を残さない暗殺をしてのけているからこそ、〔丸太橋〕の与平次も半四郎を起用した。
しかし、いくら証拠を残さないためとはいえ、なんの罪もない駕篭かき2人まで殺してしまう非道さは、長年の敵探しで精神に異常をきたしているとしかおもえない。
〔丸太橋〕の与平次としては、半四郎のやり口を耳にするや、2度と依頼しないつもりになったろう。

「丸太橋」は、小石川の富坂下にもあるが、文庫巻11[密告]の〔珊瑚玉(さんごたせま)〕のお百が小女時代に働いていた富岡橋北詰の茶店〔車屋〕から、赤ん坊を抱いて故郷の上総(かずさ)へ帰るとき、丸太橋をわたっているから、池波さんの頭の中は、深川の丸太橋と断じた。
(参照: 〔珊瑚玉〕のお百の項)

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2006.02.18

刺客(しかく)・〔凄い奴〕

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[本門寺暮雪]は、井関録之助を狙って大坂から江戸へやってきた刺客(しかく)・〔凄い奴〕と、鬼平が決闘する物語。
8年も前の録之助の違約の片をつけるために〔凄い奴〕を差しむけたのは、大坂の香具師の元締・〔名幡(なばた)〕の利兵衛である。
(参照: 〔名幡〕の利兵衛の項)


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年齢・容姿:記述はないが、30代半ばか。うすい眉、気味のわるいほど白い顔。針のような両眼。骨張った長身。
生国:西国のどこかと推量するが、不明ということに。

決闘にいたる経緯:〔凄い奴〕を先に見つけたつもりの録之助だったが、まかれて逆に尾行(つ)けられた。
それを知った鬼平は、〔凄い奴〕を池上の本門寺まで誘いだす。

結末:総門からのびる石段の上で待ちぶせされた鬼平は、斬りあいとなって危なかったが、柴犬に助けられて窮地をぬけ、ようやくに相手を殪しえた。

つぶやき:〔葛篭師(つづらし)〕紋造のこのコーナーにも記したが、池波さんの自選によるベスト5に、この篇も入っている。息づまる決闘場面もたしかに力作というにあたいするが、やはり、柴犬のアイデアがが湧いたとき、池波さんはホッと肩で息をついたのだろう。
(参照: 〔葛篭師〕紋造の項)

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2006.02.17

浪人くずれ・杉井鎌之助

『鬼平犯科帳』文庫巻20に所載の[怨恨]で、浪人くずれの杉井鎌之助は、お盗めを助(す)けるかわりにと、〔磯部(いそべ)〕の万吉(50がらみ)から、弟の敵(かたき)ということにして〔今里(いまざと)〕の源蔵(51,2歳)を殺すことを依頼される。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項)
(参照: 〔今里〕の源蔵の項)
まあ、殺しは抱いた女の数ほどやってきたし、悪業のかぎりをやりつくしてきた鎌之助にしてみれば、新しい殺人の1つや2つ、どうってものではないから、気やすく請け負った。
杉井鎌之助が目をつけているのは、痔の薬で名高い芝・宇田川町の薬種屋〔小守忠兵衛〕方であった。

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年齢・容姿:40前後。総髪。切れ長の細い目、薄い唇。
生国:不明。

探索の発端:千住宿の食売旅籠で遊んだ密偵・鶴次郎が、南千住へ出たところで万吉と杉井鎌之助を見つけた。かつて五郎蔵一味を助(す)けたときに万吉を見知っていたのである。
(参照: 密偵・鶴次郎の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
尾行して、南八丁堀の旅籠〔山重〕へ入るのを突き止めた。

結末:源蔵は巧みに消えた。夜明け前、〔山重〕に火盗改メが踏み込み、鎌之助は鬼平に斬られた。

つぶやき:この篇で池波さんは、悪人同士のつきあい方・会話の妙を開陳してみせる。
杉井鎌之助が、言葉少なに万吉を威圧するのさまが読みどころ。

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2006.02.16

〔武蔵屋(むさしや)〕のおこう

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさまっている[深川・千鳥橋]の主人公---三ノ輪の〔魚伝〕の2階に間借りしている大工の〔間取(まど)り〕の万三を、〔己斐(こひ)〕の文助がまっているからと、駕篭を仕立てて迎えにいった、堅気の内儀風の女---といっても、ほとんどの読み手は記憶していまい。
(参照: 〔間取り〕の万三の項)
(参照: 〔己斐〕の文助の項)
深川・加賀町で煎餅を商っている〔武蔵屋(むさしや)〕の内儀ということだが、じつは〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次の江戸での盗人宿だから、おこうも当然、女賊にちがいない。
(参照: 〔鈴鹿〕の弥平次・3代目の項)
じつは、こういう端役までは紹介するまでもなかろうともおもったが、いや、「神は細部に宿りたもう」---作家の腕のふるいどころは細部にある、ととりあげてみた。
おこうの、いかにも堅気風の言葉づかいや所作を読みとるのも一興。

205

年齢・容姿:中年---とあるから、40歳前後か。堅気風の身なり。
生国:屋号の〔武蔵屋〕からいって、亭主の加兵衛は葛飾あたりの出か。煎餅屋というから、野田からの道筋の村の出とみた。
おこうは、江戸で知り合った女賊であろうか。

探索の発端:>〔大滝〕の五郎蔵が現役のお頭だった時分、日本橋南1丁目の呉服問屋〔茶屋〕の間取り図を万三から買ったことがある。そのことを、「お縄にはしない」との約定のもとに鬼平へ話した。
鬼平は、間取り図になっている残りの商店を聞くために、五郎蔵に破牢の形をとらせて万三を探らせた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
万造の家は見張られてい、〔武蔵屋〕へも目くばりされていたから、加兵衛もおこうの面もわれていた。

結末:万三があわや撲殺されるかというとき、打ち込みがあり、〔鈴鹿〕一味は、加兵衛・おこうともども捕縛。鬼平に刃物をふるった弥平次は惨殺。

つぶやき:おこうの堅気風は板についている。江戸生まれの江戸育ちとみた。池波さんとしては、自分が育った阿部川町あたりの内儀のイメージで描いたのであろう。

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2006.02.15

〔黒灰(くろばい)〕の宗六

『鬼平犯科帳』文庫巻7に置かれている女賊の[掻掘のおけい]の篇で、おけい(40をこえている)と組んで、荒っぽい盗めもいとわない一味の首領が〔和尚(おしょう)〕の半平(年齢不詳)の配下として、おけいとの連絡にあたっているのが、〔黒灰(くろはい)〕の宗六である。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 〔和尚〕の半平の項)

207

年齢・容姿:30男。苦味のきいた顔。
生国:常陸(ひたち)国多賀郡(たがごおり)黒坂村(現・茨城県多賀郡十王町黒坂)。
5年前といえば宗六の25歳前後のころだが、〔和尚〕の半平の使いで、相州・平塚の盗人宿にいた〔大滝〕の五郎蔵のところへ共生国、多賀郡(たがこうり)関本村(現・北茨城市関本町小川)の近くで捜して、黒坂を見つけた。聖典には、同じ篇[掻掘のおけい]に〔黒坂(くろさか)〕という通り名の盗人の首領・伝右衛門が先に出ているので、池波さんは 〔黒灰〕と変えたと類推。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔黒坂〕の伝右衛門の項)

探索の発端:かつて現役時代の五郎蔵の下にいた〔砂井(すない)〕の鶴吉が、大豊島の女賊〔掻掘〕のおけいに可愛がられすぎた精も根も吸いとられていると、五郎蔵に助けを求めてきた。
(参照: 〔砂井〕の鶴吉の項)

五郎蔵がおけいを尾行(つ)けると、新川の蕎麦屋で〔黒灰〕の宗六と密談していた。
五郎蔵が宗八を見知っていた経緯はすでに書いた。

結末:宗六ちを尾行(つ)け五郎蔵が見つけた〔和尚〕の半平の盗人宿を見張った火盗改メは、彼らが襲おうとした浜町堀・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕で、全員逮捕。宗六は矢で殺された。

つぶやき:イケメンの宗六をねぶってみようと、おけいは思わなかったか。また、宗六はおけいに一度抱かれてみたいとおもわなかったか。
お盗めの前のいましめを守りきった宗六は、生きていたら、伊三次のようないい密偵になったかもしれない。

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2006.02.14

〔坂田(さかた)〕の金助

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、鬼平が目にとめて追跡した元火盗改メの悪徳目明し---〔藪の内〕の甚五郎が、いま首領として仰いでいるのが、本拠を東海道筋の岡部においている〔坂田(さかた)〕の金助である。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
3か月前から江戸でのお盗めの先鋒として入府し、早稲田の建勝寺の裏に盗人宿をかまえていた。

210

年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:尾張(おわり)国中島郡(なかじまこおり)坂田村(現・愛知県稲沢市坂田町)。
名古屋と江戸の中間ということで、岡部に本拠をおいたのであろう。もっとも、組織は小さいから、それほど大仕事をするわけではない。

探索の発端:甚五郎たち先発組の3人が、たまたま盗人宿を出たところで、気がふれた剣客・下氏九兵衛に斬りつけられて、2人は即死、甚五郎も傷を負い、鬼平に捕縛された。

結末:甚五郎が吐いたので、筆頭与力・佐嶋忠介以下捕り方11名が岡部へ急行し、金助らを逮捕、江戸へ連行した。死罪であろう。

つぶやき:面白くなければ小説じゃあない---が池波さんの持論で、編集者へ原稿を渡すと、その場でよませて「おもしろいか」と聞くのが常であった。
面白いにもいろいろな段階があるが、この篇のように、筋書きに起伏を持たせるために、下氏のように異常な剣客を登場させ、それに甚五郎をからませる---という、破天荒なこともやってのける。
そうやって投げられた変化球に読み手は幻惑され、思惑をはずされてたあいなく池波さんの手中に落ちる。


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2006.02.13

引き込みの飯炊き・彦兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻15の[雲竜剣]は、シリーズでは最初の長篇なので、ゆったりと謎が解かれる。謎解きの対象の一人が、剣客医師で盗賊の頭目でもある堀本伯道という仁だが、本格派なので、仕掛けもゆったとりていて、今度の狙いの深川・佐賀町の足袋問屋〔尾張屋〕へも、3年前から、飯炊き爺・彦兵衛を入れて引き込み役をさせている。
(参照: 剣客医師・堀本伯道の項)
連絡(つなぎ)役は、近くの万年橋南詰で鰻の辻売り屋台店を出している忠八である。
(参照: 鰻の辻売り・忠八の項)
j万年橋は、手前の大川へそそぐ小名木川のとっかかりに架かっている。右は霊雲院。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

215

年齢・容姿:50すぎか。のっそりとした大男。よくはたらく。
生国:堀本伯道の出身地の琵琶湖のほとりのどこかか、いっとき道場をかまえた武蔵国橘樹郡小杉村あたりとも推量したが、ここは大事をとって、不明ということに。

探索の発端:鬼平を尊敬しているご用聞き・仙台堀の政七が、鰻の辻売りの忠八が夜中に温かい蒲焼を〔尾張屋〕へ届けていると聞き込んできたことから、疑惑が持たれた。
それを受け取るのが彦兵衛爺とは、政七の手先・桶屋の富蔵の女房おろくが聞きだした。

結末:伯道が息子の虎太郎に斬られ、その虎太郎を鬼平が殪した。彦兵衛も忠八も捕らえられた。処分については記述がないが、死罪であろう。
(参照: 剣客盗賊・堀本虎太郎の項)

つぶやき:彦兵衛は口入屋を通して〔尾張屋〕へやとわれたという。どういう伝手で口入屋に登録したか。堀本伯道が病気を直してやった商家のだれかへ伯道が手紙で身元の保証を頼んだか。
こういう類推がかぎりなくできるところに、池波小説のおもしろみがある。

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2006.02.12

〔駒屋(こまや)〕の万吉

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[尻毛の長右衛門]で、タイトルにもなっている本格派のお頭〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門(50を越えたばかり)一味の連絡(つなぎ)役、〔布目(ぬのめ)〕の半太郎(28歳)が頼りにしている元盗め人で、いまは上州・妙義山の笠町で小さな旅籠の亭主におさまっているのが〔駒屋(こまや)〕の万吉である。
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 〔布目〕の半太郎の項)
万吉は、半太郎の父親の伊助とともに、いまは亡き大盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(享年67)の下で薫陶をうけたが、喜之助が一味を解散したときにもらった退職金で故郷の旅籠を買ったのである。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)

214

年齢・容姿:どちらの記述もないが、半太郎の父親と仲がよかったとあるから、そろそろ60に手がとどこうかという齢ごろか。容姿は旅籠の亭主におさまれるほどだから、尋常であろう。
生国:上野(こうずけ)国甘楽郡(かんらこおり)本宿(もとじゅく)村(現・群馬県甘楽郡妙下仁田町本宿)
『旧高旧領』で妙義山のあたりに「笠町」は見当たらない。それで、中山道からそれた下仁田(しもにた)越え道で捜した。
当初は「駒屋」の屋号で捜して岩代(いわしろ)国安積郡(おさかこおり)駒屋村(現・福島県郡山市三穂田町駒屋屋)とも考えたが、聖典に「故郷の上州」とあるので、残念だが捨てた。

探索の発端と結末:半太郎が行く方知れずになったとおもいこんだ引き込みのおすみ(19歳)は、半太郎が口にしていた〔駒屋〕の万吉を訪ねた。それで〔大滝〕の五郎蔵に尾行され、万吉はおすみともども捕らえられた。処分は書かれていない。
(参照: 引き込み女おすみの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

つぶやき:江戸時代、時効という制度はなかったのであろうか。『御定書百ヶ条』にも記されていない。万吉はすでに足を洗って10年近くなるのだが---。

そういえば、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンも古くて軽い犯行のためにいつまでも追われた。

後日談万吉が小さな旅籠〔駒屋〕を買い取った---という記述が、すごいヒントを与えてくれた。
万吉は、〔尻毛〕の長右衛門と似たり寄ったりの齢か、それよりも上とおもえる。

蓑火(みのひ)〕の喜之助お頭が引退するとき、安旅籠の亭主となった? 旅籠を買い取ったのは、なぜだ? 
そうか、万吉は、〔蓑火〕の一味にいたとき、〔盗人宿〕兼用の旅籠をまかされたいたのではなかろうか?

なぜ、〔蓑火〕のお頭は旅籠も経営していたか? 中仙道は、もっぱら近江商人が利用した街道である。その宿々へ、商人用の安旅籠チェーンをつらねておけば、彼らの話から、江戸や京師の裕福な商家の情報が入る---その中の一軒の旅籠でその稼業の修行をしたのが万吉ではなかったのか---。

こうして、〔蓑火〕一味の、情報収集ルートの一つを発見、また、そのことを喜之助お頭へ提言した軍者(ぐんしゃ 軍師)へも類推がおよんだ。

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2006.02.11

女賊(おんなぞく)おせつ

『鬼平犯科帳』文庫巻12の冒頭に収まっている[いろおとこ]で、同心・寺田又太郎・金三郎の殺傷を仕掛けたのは〔鹿熊(かぐま)〕の音蔵一味だが、〔山市(やまいち)〕の市兵衛(60がらみ)が1枚かんでいた。
(参照: 〔鹿熊〕の音蔵の項)
(参照: 〔山市〕の市兵衛の項)
市兵衛は女賊おせつの父親の実兄だったが、姪が火盗改メの同心・寺田兄弟と情をかわした上に仲間を裏切っていくのを見ていられなくなったのである。

212

年齢・容姿:22~4歳か。たよりなげで、ものさびしそうな風情が男ごころを牽きつける。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(にいかわこおり)の山あいの村(現・冨山県下か中か上新川郡のどこか)。
おせつも伯父・市兵衛も、下新川郡生まれの〔舟見(ふなみ)〕の長兵衛一味にいたことがある地縁で類推。
(参照: 〔舟見〕の長兵衛の項)

探索の発端:探索中に、目黒の竹藪の中で盗賊に刺殺された兄・又太郎の跡目を継いだ寺田金三郎(25歳)は、回向院でおせつが自分を見て逃げ出したのを追い問い詰め、兄の殺害が〔鹿熊〕一味の仕業と知ることになった。
582
両国 回向院(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

そしておせつは金三郎と情を交わし、自らの寿命を縮ることにもなった。

結末:自分たちを火盗改メに売ろうとしていると、〔鹿熊〕一味は〔山市〕の市兵衛の店でおせつを殺した。
〔山市〕の店は火盗改メの看視下におかれ、やがて市兵衛が捕らえられ、その陳述によって〔鹿熊〕一味も捕縛。

つぶやき:火盗改メの与力・同心が、女賊と情を通じる篇は、聖典全体では5指にあまる。京都での木村忠吾、あばたの新助、この篇の寺田兄弟、さらには黒沢勝之助、高松繁太郎、松波金三郎、細川峯太郎---。
まあ、若い男と若い女がいて、女がその気になっていれば深みにはまるのも自然の勢いといえる。あとは、物語の展開にどうあやどりをつけるかが、作家の腕のみせどころ。

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2006.02.10

〔落合(おちあい)〕の儀十

『鬼平犯科帳』文庫巻6の末尾篇[のっそり医者]で、主人公の萩原宗順(60すぎ)を親の敵(かたき)と20年間も狙ってきた、下総・古河藩の浪人・土田万蔵(40がらみ)の悪事仲間として付きあってきたのが、〔落合(おちあい)〕の儀十である。
かつて鬼平に成敗された兇盗〔網切(あみきり)〕の甚五郎一味の生き残り。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)

206

年齢・容姿:30がらみ。死んだ魚のような目つき。
生国:武蔵(むさし)国豊島郡(としまこおり)下落合村(現・東京都新宿区下落合)。
381
落合惣図 右手の地名が「下落合(現・JR目白駅あたり)
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

2つの河川が合流するところが「落合」と呼ばれる。したがって、日本中いたるところにあるが、池波さんは、儀十の「通り名(呼び名)」を『江戸名所図会』の上掲「落合惣図」から拾ったと推理。

探索の発端:小網町2丁目と3丁目の境の横丁を入ったところにある医者・萩原宗順のところへ下女として行ったおよしが、家に土田万蔵があがりこんでい、また儀十が家のまわりをうろついていたことから、鬼平へ相談。それから火盗改メの探索がはじまり、宗順が敵持ちであることも明らかになった。

結末:宗順の家を襲おうとした土田万蔵は鬼平に斬ってかかり、逆に殪された。儀十は短刀を沢田小平次にたたき落とされ、伊三次に縄をかけられた。死罪であろう。

つぶやき:「追分」や「天神」のような、全国どこにでもある地名を「通り名(呼び名)」にしている者の生国を特定するのはきわめてむずかしいし、安易に決めるのは危険きわまりない。
儀十の〔落合〕も上記のように岩手県東和町から愛知県瀬戸市まで、それこそ30以上の市町村にある。
が、『旧高旧領』には、相模国大住郡と下野国那須郡、羽前国置賜郡と武蔵国足立郡のほかには、豊島郡の下落合しか収録されていない。それで、『江戸名所図会』説を採った。

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2006.02.09

〔鈍牛(のろうし)〕の亀吉

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[鈍牛]の主人公は、いささか知恵遅れで動作も言葉もゆっくりめなので〔鈍牛(のろうし)〕と綽名をつけられている。
6年前に下総・佐原で母親が病死、その母親のいいつけで深川の釣具師の女房におさまっていた伯母をたよって上府し、深川・相川町の菓子舗〔柏屋〕へ奉公していたのが、ある夜、隣の熊井町の蕎麦屋〔翁庵〕へ放火し、どさくさにまぎれて8両を盗んだと、「晒し者」になっている。

205

年齢・容姿:25歳。ぽってりと太り気味。八の字のような眉に点をうったような眠たげな両眼。ちょこんと上を向いた鼻。ようするに童顔なのだ。
生国:常陸(ひたち)国鹿島郡(かしまこおり)鉾田(ほこた)村(現・茨城県鹿島郡鉾田町鉾田)。
精薄児・亀吉を産んだために離縁された母親は、上総(かずさ)・下総(しもうさ)と流れて、潮来(いたこ)の女郎屋にいた。その母親が死んだので上府。

探索の発端:亀吉は真犯人をかばって冤罪をかぶったのだと土地(ところ)の者たちが噂していると、深川で船宿をあずかる〔小房〕の粂八が同心・酒井祐助へ告げた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
南町奉行の池田筑後守へ処刑延期を依頼した鬼平は、亀吉が晒されている現場へ張り込んだ。
と、人だかりのなかに、亀吉と視線をまじえた男がいた。
亀吉の母親のなじみ客だった安兵衛で、亀吉には菓子などを与えていたという。亀吉は、放火現場で安兵衛を見かけ、「だれにも言うな」といわれたので、身代わりに立った次第。
(参照: 下総無宿の安兵衛の項)
結末:安兵衛は、晒しのうえ火あぶりの刑。
拷問で亀吉からウソの自白を引きだした密偵の源助は、八丈島へ島送り。
田中同心は、身分と役目を召しあげられ江戸追放。

つぶやき:池波さんの初期の戯曲に[鈍牛]という、売れない画家が大金を拾い、持ち主が現れなかったので下げ渡されたために起きるドタバタを描いたものがある。現代劇---といっても、終戦後の昭和20年代後半あたり、みんな貧しかった時代を描いている。
この篇とはなんのつながりもない---が、しいていうなら、庶民の深い人情味が共通している。

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2006.02.08

女賊(おんなぞく)お民

『鬼平犯科帳』文庫巻11に、[雨隠れの鶴吉]の題名としてあげられている盗人(29歳)の女房がお民。中国筋から上方へかけてがテリトリーの〔釜抜(かまぬ)き〕の清兵衛の子飼いの配下。
(参照: 〔雨隠れ〕の鶴吉の項)
(参照: 〔鎌抜(かまぬき)〕の清兵衛の項)
夫婦して12年ぶりに物見遊山のつもりで江戸へ戻ってみると、鶴吉の実家である日本橋・室町2丁目の茶問屋〔万屋〕に、〔稲荷(とうが)〕の百蔵は以下の〔貝月(かいづき)〕の音五郎が引き込みに入っているのを、お民が見つけた。
(参照: 〔稲荷〕の百蔵の項)
(参照: 〔貝月〕の音五郎の項)

211

年齢・容姿:31歳。中年太りがはじまっている。
生国:武蔵(むさし)国江戸かその近郊(現・東京都下)
〔野槌(のづち)〕の弥平の配下にいたとき、ほとんど江戸で引き込みをやっていたが、一味が捕縛されたとき、あやうく逃れ、上方へ走って〔釜抜〕の清兵衛一味へ入った。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)

探索の発端:〔万屋〕へ宿泊することになった鶴吉・お民だったが、、そこに〔野槌(のづち)〕の弥平一味の生き残りの〔貝月(かいづき)〕の音五郎が下男として引き込みにはいっていることを、お民が見破った。
鶴吉は、八つ山の井関録之助にすべてを打ち明け、江戸を去る。それを見とどけた録之助は、火盗改メの役宅へ鬼平を訪ねた。

結末:〔貝月(かいづき)〕の音五郎に見張りをつけた火盗改メは、上州・武州をまたにかけて荒らしまわっている〔稲荷(とうが)〕の百蔵一味24名が〔万屋〕へ押しこんできたところを全員逮捕。

つぶやき:盗賊が盗賊を差す話は、聖典には数篇あるが、そのほとんどが怨念か金がらみで生臭い。
しかし、この篇は、親子の真情に基をおいた展開になっていて、読後感がすがすがしい。
往年の井関録之助と鶴吉とのからみも、難なくできあがっている。池波さんの物語づくりの巧みさを示している一篇といえる。

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2006.02.07

浪人剣客(けんかく)・下氏九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、雑司ヶ谷の鬼子母神に詣でた鬼平が、火盗改メのかつての目明しで盗賊とぐるになっていた〔藪の内〕の甚五郎を見かけ、宿坂、姿見橋(面影橋)から高田馬場へ出る坂まで尾行(つ)けたところ、堂々たる体躯で髭面の浪人に試合を懇望された。
男は、彦根藩の浪人・下氏九兵衛と名乗った。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
375
姿見橋(面影橋)(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

210

年齢・容姿:40歳前後。高い頬骨に髭面。堂々たる体躯。
生国:近江(おうみ)国彦根城下(現・滋賀県彦根市内)。
50石とりの彦根藩士の3男。早くから剣を学ぶが、鬱積しているので乱暴狼藉者としてもてあまされていたが、新しい師・林久米蔵門下となってからは神妙になったが、林師の縁者〔日野屋〕の後妻と通じてしまい、師弟ともに諸国を放浪する破目となった。

事件の経緯:剣に自信はあるものの、精神に異常をきたしていた九兵衛は、甚五郎の尾行に気のせいている鬼平に、あっという間に片をつけられる。
逃げこんだのは、4年前からささやかな道場をかまえている旧師・林久米蔵の許であったが、常軌を逸していた九兵衛は、通行人にも斬りかかった末、鬼平に取りおささえられたのち、牢死。

つぶやき:池波さんが書きたかったのは、九兵衛の狂気を呼んだのが、間接的には50石の低俸給の家の3男に生まれた封建社会での閉塞状況と不運---ということではなかったろうか。
それは、百万言をついやしても救いようのない現実であろう。しかしだからこそ、作家がつむぎだした百万言が光り、共感を呼ぶのである。

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2006.02.06

〔信濃屋(しなのや)〕久兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻9の[狐雨]は、狐憑きになった同心・青木助五郎が主人公の篇だが、この青木同心を伴って谷中・天王寺門前のいろは茶屋〔近江屋〕で遊ぶのが、神田明神下の小間物屋〔信濃弥屋〕久兵衛である。
447
神田明神社(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

10年前に盗みの稼業から足を洗い、6年前に現在地で開店。年取った番頭と若い者2人に店をまかせている。浅草・駒形町の眼鏡屋〔信濃屋〕文七は弟だが、じつは〔稲熊(いねくま)〕の音右衛門という現役(いまばたらき)の本格派の盗賊である。
(参照: 〔稲熊)の音右衛門の項)
継父のことで若いころの青木助五郎がぐれていたときに、稲熊兄弟が面倒を見てやったことがある。

209

年齢・容姿:60がらみ。穏やかで上品な風貌。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこおり)岡崎在の稲熊(いなぐま)村(現・愛知県岡崎市稲熊町)
現地の鎮守が稲前(いねくま)神社。
三河の出身にもかかわらず、兄弟とも〔信濃屋〕の屋号をつけたのは、生国を誤魔化すためか。池波さんは岡崎近辺に土地勘があるから、間違えるはずはない。
もっとも、『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)の下の広告に影響されたか。
2100

探索の発端:鬼平の長男・辰蔵が、谷中・天王寺門前のいろは茶屋で遊興していた同心・青木助五郎を見かけた。火盗改メの手当てが別に出るとはいえ、30俵2人扶持の分際でいろは茶屋などで遊べるはずがない。辰蔵が〔近江屋〕で聞きだしたところによると、青木同心は旅籠町の小間物屋〔信濃屋)久兵衛と連れ立って上がったのが最初とのこと。

結末:青木同心に憑いた天日狐が、〔稲熊〕の音右衛門のことを告げ、逮捕に。久兵衛のことは記述がない。

つぶやき: 〔稲熊〕兄弟は、青木助五郎が火盗改メの同心であることを知っていながら付きあっていた。つまり、畜生ばたらきの盗賊たちを火盗改メへ売るとともに、〔稲熊〕一味へ嫌疑の目が向けられないように情報操作をしていたといえる。
盗人側も高度な情報操作が必要なことを、この篇は暗示する。


現地訪問リポート

参照の項にあげた〔稲熊〕の音右衛門に掲載。

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2006.02.05

〔籠滝(かごたき)〕の太次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻20に収められている[高萩の捨五郎]で、タイトルにもなっている一人ばたらきの〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎(54,5歳)に助(す)けばたらきを頼んだが、兇悪なお盗メのゆえに断られ、腹いせを画策する首領が、〔籠滝(かごたき)〕の太次郎である。
(参照: 〔高萩〕の捨五郎の項)
当の捨五郎は、向島・請地の秋葉大権現の近くで、武士に粗相をした子どもとその父親を助けようとして足を斬られて、動けない。

220

年齢・容姿:彦十の見立てだと40歳前後。引きしまった躰つき。苦味のきいた顔つきだが、表情というものがなく、気味の悪さを相手にあたえる。
生国:北陸道から越中・越後へかけてを縄張りにしているというが、『旧高旧領』には「籠滝」という地名は、そのあたりはもとより全国に存在しない。
それで、池波さんの取材先からの推定で、冨山県東砺波郡平村籠渡が「通り名(呼び名)」づくりのヒントかなと類推した。
もちろん、新潟県北蒲原郡安田町籠田も捨てがたいが。

探索の発端:傷で動けない捨五郎の手紙を、代わって彦十が〔籠滝〕の太次郎が宿泊している武州飯塚村の夕顔観音堂に近い家へとどけたことから、火盗改メが〔籠滝〕一味を監視することになった。
642
夕顔観音堂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:手紙を届けて帰る彦十を尾行し、捨五郎が伏せている農家をさぐりあて、襲ってきた〔籠滝〕一味は、待ち構えていた火盗改メにたちまち捕らえられた。
また、佐嶋与力が指揮する捕方が、夕顔観音堂の近くの隠れ家を襲い、全員捕縛。

つぶやき:〔高萩〕の捨五郎のいさぎよさに対して、〔籠滝〕の太次郎の執念深さと非道ぶりは、対比が芸術の基本の一つとはいい条、これほどあざやかに示されると、うならざるをえない。池波さんの小説作法の真髄の一つがこの篇。

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2006.02.04

浪人盗賊・西村虎次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収められている[火つけ船頭]で、思案橋たもとの船宿〔加賀や〕の船頭・常吉(29歳)の女房おとき(24,5歳)を寝取ったのが、深川・黒江町の同じ裏店に住む不逞浪人・西村虎次郎である。
(参照: 船頭・常吉の項)
ある日、下痢がひどいので仕事を中退(び)けしてわが家へ帰ってみると、裸の西村虎次郎が女房が組み敷き、女房は女房で虎次郎の首に白い腕を巻きつけていたではないか。
隣の大工の女房がいうところによると、その後虎次郎は、おときを自分の家へ入りびたらせ目にあまるようになってきているという。

216

年齢・容姿:30がらみ。顔に2か所の傷跡。凄みのある声。
生国:不明。江戸での悪事のかずかずからみて、江戸育ちの浪人ともおもえるのだが。

探索の発端:南伝馬町の畳表問屋〔近江屋〕の裏の板塀へ放火によって近隣が騒ぎはじめたので、押し入っていた〔関本(せきもと)〕の源七一味は、お盗めをあきらめて逃亡した。しかし、放火犯・常吉は一味に西村虎次郎が加わっていたことを知り、火盗改メへ投書する。
(参照: 〔関本〕の源七の項)
その投げ文から虎次郎の長屋が見張られ、訪れた口合人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門が関係している盗人たちがつぎつぎとお縄にかかった。
(参照: 〔塚原〕の元右衛門の項)

結末:西村虎次郎は、蛤町の堀川岸で辻斬りをやろうとしたところを、鬼平に捕縛され、死罪。虎次郎の悪業を知りながら情を交わしていたおときは遠島(そのまえに密通の罪で死罪のはずだか?)。
翌年、常吉は現行犯で火刑。

つぶやき:この篇では、火付けと盗みを別々の人物が行ったことになっているが、史実を調べると、放火の上で混乱にまぎれての盗みというのは少なくなかった。
また、火付盗賊改メの役称のように、放火犯の割り出し逮捕も火盗改メの重要な役目である。
で、そのことをふまえて、池波さんに、
「小説では、放火犯の話がすくないようですね」
というと、池波さんは、
「火事の描写はむつかしいのだよ。それに、ぼくは火事がきらいでね」

それから数カ月もしないうちに発表されたのが長篇[炎の色]である。しかし、池波さんは「やりのこしている仕事がある」ということで、10年以上もごいっしょにやってきていた読売映画広告賞の審査員を辞退されたので、[炎の色]について会話を交わす機会はなかった。

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2006.02.03

密偵・岩吉

『鬼平犯科帳』文庫巻13のタイトルになっている[夜針の音松]で、〔夜針(よばり)〕の音松が青山の百人町の通りを坊主姿で歩いているのを見た者がいる、といの情報を、同心・松永弥四郎へ告げたのは、松永同心が使っている密偵・岩吉であった。
(参照: 〔夜針〕の音松の項)
音松は、押し入った先で、金を奪って逃げるさいに、「あの世の土産に聞いておけ。おれはな、夜針の音松という盗っ人だ」といいおわるや、猿ぐつわをかませている店の者を脇差で突き殺すという兇悪な賊である。

213

年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:
これの記述もない。江戸近辺と察するが、不明。ただ、女房と子がいて、渋谷の広尾の大祥(廃寺)に近い渋谷川のほとりで、女房が茶店を出している。本人は遊び人で博打場などへも出入りしている。

:密偵になった経緯これも書かれていないが、何度も流れづとめをやつたとあるから、そのいずれかのときに捕縛されるか密告したかして、松永同心の手の者となったのであろう。
まあ、密偵といっても、〔小房〕の粂八とか〔大滝〕の五郎蔵のような、鬼平直属ではなく、自身もほとんど〔悪の世界〕にひたっていて、そこで小耳にはさんだを持ってくるので、鬼平は松永に「大事に飼っておけ」といっている。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

つぶやき:史実の長谷川平蔵が駆使していた密偵は、多くが岩吉のような〔悪の世界〕に片足を置いている者たちであったろう。
いわゆる付人(つけびと)と呼ばれた男たちで、もっぱら牢内にいて、入牢者たちのあいだで交わされる会話の中から犯罪者の動向を類推、報告した。
長谷川平蔵の後任として火盗改メに任じられた森山源五郎隆盛がエッセイ『蛋(あま)の焚藻(たくも)』で平蔵の逮捕実績を非難したのも、この付人使用によって実をあげたことであった。

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2006.02.02

女賊(おんなぞく)お浜

『鬼平犯科帳』文庫巻17は、長篇第2作[鬼火]である。この篇で謎めいた男、〔権兵衛酒屋〕の亭主の正体が、旗本・永井家(600石)の長男・弥一郎と知れるのは、物語が200ページほども進展してからである。
(参照: 元旗本・長井弥一郎の項)
さらに意外なのは、〔権兵衛酒屋〕の亭主の古女房とおもわれていたお浜の正体があかされるのが、巻末4ページ前であること。
実家を飛びだして〔名越(なごし)〕の松右衛門一味の笠屋の友次郎と一緒になったために女賊として生きることになった。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)

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年齢・容姿:58歳。白いものが混じった髪を無造作に後で束ねている。両眼がくろぐろと大きく、浅ぐろい顔は肌理(きめ)がこまかい。
生国:武蔵(むさし)国江戸の町屋(現・東京都中央区の商家のどれか)。
7000石の大身旗本・渡辺家へ行儀見習いをかねて奥向きの女中として奉公にあがっていたとき、当主の嫡男・16歳の直義の子を産みおとしてのち、実家へ帰された。

探索の発端:〔権兵衛酒屋〕で呑んだあと、様子をうかがっている妖しい者たちに気づいた鬼平が、襲撃人たちと斬りむすんでいるうちに、亭主が遁走。斬られたお浜が、療養させていた火盗改メの役宅で見張りの同心の刀を奪って自害したことから、鬼平の疑惑が始まった。

結末:当人は自害しているので、元は女賊だが、裁決はない。

つぶやき:大身旗本の嫡男の不始末、産んだ子を取り上げられて絶望した若い女の転落、わが子を配下へ押しつけ、長男を廃嫡同様にして家督をつがせる身勝手---と、筋書きと道具立てはよくある大衆小説のものだが、鬼平の直感に筋道がついているので、読み手は、手もなく池波ワールドへ落ち着く。

それにしても気になるのは、ほとんど描写されない〔名越(なごし)〕の松右衛門という首領の人生哲学と、鬼平が、
「おれはなあ、お浜のような女に、滅法弱いのだ」
という告白である。


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2006.02.01

〔山市(やまいち)〕の市兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻12の冒頭に収まっている[いろおとこ]で、同心・寺田又太郎・金三郎の殺傷を仕掛けたのは〔鹿熊(かぐま)〕の音蔵一味だが、それには女賊おせつの伯父〔山市(やまいち)〕の市兵衛が1枚かんでいた。
(参照: 〔鹿熊〕の音蔵の項)
(参照: 女賊おせつの項)
6年前に盗みの世界から足を洗った市兵衛は、四ッ目橋の北詰・深川北松代町で小さな居酒屋〔山市〕を営んでいる。店名は山形に名前の市兵衛の「市」を配した屋標からきたものであろう。

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年齢・容姿:60がらみ。白髪頭。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(にいかわこおり)の山あいの村(現・冨山県下か中か上新川郡のどこか)。
市兵衛も姪おせつも、下新川郡生まれの〔舟見(ふなみ)〕の長兵衛一味にいたことがある。その地縁で類推。
(参照: 〔舟見〕の長兵衛の項)

探索の発端:兄・又太郎を謀殺した〔鹿熊〕一味を探索するために火盗改メの同心となった寺田金三郎が、居酒屋〔山市〕へ消えたのを不審に思った〔相模〕の彦十が見張っていると、男が一人、出てきた。
尾行すると、緑町4丁目の鰻屋で浪人と何かを打ち合わせたのち、またも〔山市〕へ引き返す。
たまたま通りかかった鬼平とともに〔山市〕を見張っていると、女の悲鳴が---。
飛びこんでみると、おせつが殺されており、市兵衛は逃げた。
そこから、市兵衛がふたたびあらわれるのを〔大滝〕の五郎蔵と彦十が張りこんで待ちかまえた。

結末:おせつを殺したのは、〔鹿熊〕一味のものと、市兵衛が白状におよんだので、一味の盗人宿の東海道も波品川宿2丁目の質商に打ち込んで、音蔵ほか8名が逮捕された。かずかずの畜生ばたらきからいって磔刑であろう。

つぶやき:伯父・市兵衛から見た姪おせつ評「あのおせつという女は、私の弟の子に生まれましたが、どうにも、女賊になりきれねえところがございました。気質(きだて)がやさしい上、顔もおぼえねえうちに母親を亡くした所為(せい)かも知れませぬ。どことなく、たよりげな、ものさびしいところがございまして、そういうところに、男はひきつけられてしまうようなのでございます---」
こういう悲運の女性を池波さんはよく書く。当シリーズ第1話[唖の十蔵]の小間物屋の女房おふじもそうだった。

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