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2006年1月の記事

2006.01.31

〔須賀(すが)〕の笠右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[五月闇]は、鬼平の信任がとびきり篤い密偵・伊三次が、過去の怨念のために〔強矢(すねや)の伊佐蔵(37,8歳)に刺殺される内容なので、あまりにむごすぎると、この篇を封印してしまっている伊三次ファンもいるほど。
(参照:密偵・伊三次の項)
(参照: 〔強矢)の伊佐蔵の項)
9年ほど前、女のことで伊佐蔵に傷を負わせた伊三次は、大坂で〔津川(つがわ)〕の弁吉から、伊佐蔵が「なぶり殺しにしてくれる」といっていると告げられ、大坂でのお盗めを助(す)けることになっていた〔須賀(すが)の笠右衛門との約束もほっぱらかして、江戸へ逃げた。
(参照: 〔津川〕の弁吉の項)

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年齢・容姿:どちらも記述がないが、40がらみ、しゃべるときに肩をゆするクセがある---と勝手に書き加えてみたい。
生国:河内(かわち)国石川郡(いしかわこおり)須賀村(現・大阪府富田林市須賀)。
「須賀」は、砂地をあらわすから、それこそ、日本全国、河川のあるところには一つや二つはある里である。まあ、砂地だから、甘蔗やらっきょうしか実らないが。
それでも南河内の「須賀」としたのは、テリトリーが近畿一円と察したからである。

探索の発端と結末:どちらも記載されていない。伊三次がこのことを鬼平に打ち明けたのは、9年後だから、手配したとしても手遅れであったろう。

つぶやき:伊三次を江戸へ来させるためだけに書き込まれた盗賊の首領といえようか。
律儀といえば律儀、煩瑣といえば煩瑣。
しかし、盗賊 Who's Who をつくる側としては、1人でも多いほうがにぎやかになるからありがたい。

この富田林市は、筆者が大坂陸軍幼年学校に在学していて、休日の散策でよく歩いた土地である。終戦の翌々日だったか、大阪港に米軍が上陸、幼年学校の生徒は危ないとのデマで、運動着で夜中に逃避行もした。けっきょく、橿原まで夜間行軍したんだったかな。

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2006.01.30

密偵・鶴次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻20に所載の[怨恨]で、〔磯部(いそべ)〕の万吉(50がらみ)は、弟の敵(かたき)ということにして〔今里(いまざと)〕の源蔵(51,2歳)を殺すことを、浪人くずれの杉井鎌之助(40歳前後)に依頼する。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項)
(参照: 〔今里〕の源蔵の項)
(参照: 浪人くずれ・杉井鎌之助の項)
〔磯部〕の万吉が江戸へ現れたというので、火盗改メ方をはじめ、密偵たちが鵜の目鷹の目で隠れ家を捜がしていたのを、密偵・鶴次郎が偶然に見つけた。
一方の源蔵は、江戸へ出てくるときはいつもそうしているように、南八丁堀5丁目の中ノ橋のqmsの煮売り酒屋〔信濃屋〕の喜十(57歳)方に寄宿する(京橋川の中ノ橋は、南八丁堀3丁目と4丁目の境目に架かっている。池波さんが愛用している近江屋板の切絵図が誤植しているのである)。
(参照: 〔桑原〕の喜十の項)

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年齢・容姿:文庫巻17「[鬼火]事件で活躍した---とあるだけ。活躍といっても、同篇p293 新装p303 で、関屋村の浪人たちの隠れ家を見張るために鬼平について行っただけのこと。まあ、かつて〔大滝〕の五郎蔵の配下だったことが記述されている。逮捕や密偵となった経緯は説明なし。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
生国:五郎蔵の生国を決めかねているぐらいだから、地縁の見当もつかない。手がかりとなる「通り名(呼び名)」も付されていない。不明。

探索の発端:もちろん、鶴次郎のでなく、〔磯部〕の万吉の、である。
千住宿の食売旅籠で遊んだ鶴次郎が、南千住へ出たところで万吉を見つけた。かつて五郎蔵一味を助(す)けにきたときに見知ったのである。

結末:こちらは、鶴次郎のほう。この篇に出たきりで、その後は登場していない。

つぶやき:このシリーズの登場する密偵は全部で50名。その中でレギュラー級は彦十、おまさ、〔小房〕の粂八、伊三次、〔大滝〕の五郎蔵、準レギュラーが〔舟形〕の宗平---あとは、4,5篇に顔をみせればいいほうである。
2篇きりの鶴次郎は、端役の範囲である。それでも、五郎蔵の元配下という関係を書くのが池波流。

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2006.01.29

悪女(あくじょ)おのう

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収まっている、伊三次ファンにとっては痛恨の物語[五月闇]
火盗改メのお頭・鬼平の信頼の篤い密偵・伊三次が、急ぎばたらきに落ちた〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵(37,8歳)に刺殺される。
(参照:密偵・伊三次の項)
(参照: 〔強矢〕の伊佐蔵の項)
伊佐蔵が伊三次を刺殺するにいたった因縁は、かれこれ10年前に名古屋で、女房おのうを伊三次寝取られたうえに殺され、さらに伊三次の短刀で胸をきりつけられたことによる。
伊三次とできて駆け落ちしたものの、もともと浮気性だったおのうは、半年もたたないうちに男をつくるような、亭主気どりの男にとっては我慢のならない悪女、おのうの側からいえば、躰の熱気にしたがってちょっとばかり奔放に振るまっただけのことであったろう。

214

年齢・容姿:どちらも記述されていないが、男好きのする容貌と細身の躰つきをしていたろうと推察。
生国:これも記述はないが、越後の山村生まれの〔強矢〕の伊佐蔵が忘れかねるほどに床上手だったことを考えると、同郷というより名古屋で知りあったと考えるほうが妥当。その男に対する好奇心の強さから、尾張国のどこかの生まれとしておこう。

探索の発端と結末:すでに10年も前に伊三次に殺されているから、発端も結末も関係ない。ただ、伊佐蔵の怨恨が伊三次の身におよんだ。

つぶやき:考えようによっては、密偵・伊三次は、おのう殺しの殺人犯である。
そのことを告白した伊三次に、鬼平は、
「長谷川平蔵、たしかに、聞きとどけた。なれど忘れるなよ」
「へ----?」
「お前は、わしの子分だということを、な----」

融通無碍とはこのことであろうか。

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2006.01.28

〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されている[泥鰌の和助始末]で、主人公の〔泥鰌(どじょう)〕の和助がかつて配下だった〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛は、3代つづいた名門で配下も多く、2手3手に分かれて、三河、遠江、駿河から江戸へかけてのお盗めをこなしていたが、それも何年もかけての本格的な仕事ぶりだった。
(参照: 〔泥鰌〕の和助の項)
ところが、3代目が30歳で若死にしてから、後継者がいなかったので、配下はばらばらに散っていった。

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年齢・容姿:30年ほど前に、30歳で病死。容姿の記述はない。
生国:伊豆(いず)国加茂郡(かもこおり)地蔵堂村(静岡県田方郡中伊豆町地蔵堂)。
三河、遠江、駿河から江戸へかけてがテリトリーだったというから、現・岡崎市美合町地蔵も考えたが、江戸期には記録されていない地名なのであきらめた。
近江国犬上郡地蔵村(現・滋賀県彦根市地蔵)の彦根を池波さんはよく訪れているし愛してもいたから捨てがたかったが、テリトリーに遠すぎる。

探索の発端・結末:3代目が30歳で病死、一味を解散しているのでどちらもなし。

つぶやき:〔泥鰌〕の和助は、父親・留次郎の代から〔地蔵〕一味にいたという。なんだか、地方の中小企業に親子2代とも勤めているという、まことに日本的な奉公ぶりをみるおもいがする。

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2006.01.27

〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に入っている[五月雨坊主]で、絵師・石田竹仙(35,6細)が自分を描いた似顔絵から、事件の主役の〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛へとつながっていく。
(参照: 絵師・石田竹仙の項)
ことは、妻恋明神裏に転居した竹仙の庭に倒れこんだ男から始まった。もちろん竹仙は、その男の似顔絵も描いてはいる。しかし、鬼平の推理は別だった。

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年齢・容姿:40男。馬面。髭あとが青々としている。がっしりした体格。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)羽黒村(新潟県北蒲原郡中条町羽黒)。
羽黒山系が走る越後には、「羽黒」という名の地区がいくつもあるが、江戸期からそう呼ばれており、戸数の少なさから中条町を採った。
ここは、池波さんが『堀部安兵衛』の取材に訪れた新発田市に接している。

探索の発端:竹仙が自分を描いた似顔絵を見た、提灯店〔みよしや〕の娼妓およねが、善達坊主(50がらみ)に似ていると証言したことから、谷中の天徳寺へ疑惑がかかった。

結末:天徳寺の善達和尚の弟が、越後から岩代(福島県)信州へかけて荒らしている〔羽黒〕の九兵衛で、江戸での一仕事を狙って出府、天徳寺の住職を殺害して寺を乗っとっていた。
一味6名はことごとく逮捕。死罪であろう。

つぶやき:またしても他人の空似が使われている。本篇では、竹仙→善達→九兵衛の三段飛びである。

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2006.01.26

医生(いせい)・山本弁二郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収められている[土蜘蛛の金五郎]の篇の、主人公・盗賊の首領〔土蜘蛛(つちぐも)}〕の金五郎(50がらみ)の甥にあたる山本弁二郎は、〔土蜘蛛〕一味が江戸でのお盗めを企んだとき、信州・上田を出、幕府の表御番医・井上立泉の新銭座の宅に近い三島町に住み込んで、立泉方の医生に化ける機会を狙っていた。
(参照: 〔土蜘蛛〕金五郎の項)

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年齢・容姿:若者とあるが、上田で医者を開業していたというから、20代も後半か。いかにも医生らしいものごし。
生国:信濃(しなの)国小県郡(こがたこおり)上田(現・長野県上田市)。

探索の発端:市中見廻りの途中、立ち寄った下谷・車坂代地の蕎麦屋〔小玉屋〕で、格安の飯屋の噂話を小耳にはさんだ鬼平が、疑いをいだいて内偵をはじめた。
食いつめ浪人に扮した鬼平は、根岸に居をかまえている〔土蜘蛛〕に接近するとともに、出入りする山本弁二郎や浪人たちの看視もすすみ、2カ所の盗人宿もつきとめられていた。

結末:鬼平に化けた岸井左馬之助との偽の一騎打ちを演じた鬼平は、岸井鬼平を殪す。それで安心していた〔槌蜘蛛〕一味15名は全員逮捕。死罪であろう。医生を演じた山本弁二郎はまだ盗みをはたらいていないから、江戸追放か。

つぶやき:池波さんは、取材で旅館へ宿泊しても、作家であることを明かさず、「化け」の楽しみと名づけて、女中がどんな職業に見てくれるかを楽しみにしていた。一番目が呉服屋、二番目が刑事であったそうな。

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2006.01.25

〔小鼠(こねずみ)〕の安兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に所載[犬神の権三]で、〔雨引(あまびき)〕の文五郎が、襲ってくるはずの〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎を待ち受けるために、仮の宿を貸したのが、千住大橋の南詰、誓願寺(荒川区南千住6丁目)の脇で小さな桶屋をやっている安兵衛である。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項)
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千住大橋左詰に誓願寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

盗人稼業から10年も前に足を洗っているから、本来ならば〔桶安(おけやす)〕と紹介すべきだが、本格派の首領〔西尾(にしお)〕の長兵衛と組んで---などと書かれているので、往時の「とおり名(呼び名)」の〔小鼠(ねずみ)〕の安兵衛でいきたい。
(参照: 〔西尾〕の長兵衛の項)

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年齢・容姿:70近い。小柄な細い躰をきびきびと動かして、食事の支度をする。
生国:遠江(とおとうみ)国長上郡(ながかみこおり)鼠野村(現・静岡県浜松市鼠野町)。
伊勢、尾張、三河あたりをテリトリーとした〔西尾〕の長兵衛と組んだとすると、遠江あたりがふさわしかろう。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介がせっかく捕らえた〔犬神〕の権三郎を牢破りさせたのが、密偵になってさほどに歳月が経っていない〔雨引〕の文五郎とわかるや、火盗改メは探索にとりかかった。
一方で、権三郎の行動を見張っている。

結末:権三郎は、いっしょに盗めたときの盗め金の金額をごまかしたのを文五郎が責めていると誤解したが、じつは、文五郎が牢破りをさせたのは、かつて病妻の面倒をみてもらった恩返しのつもりだった。
だから、権三郎を追った火盗改メが安兵衛の家を取り囲んだとき、短刀で胸を刺して自裁して果てた。
安兵衛の過去の詮索はなし。

つぶやき:この世は人と人の誤解でなりたっている---というのが、長谷川伸師譲りの池波さんの人生哲学でもある。だから、つぎつぎと小説が生まれる余地があるのだとも。
この篇は、それを主題にして重い物語に仕上げられている。

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2006.01.24

剣客(けんかく)・高橋勇次郎

『鬼平は科帳』文庫巻17は、このシリーズ2つ目の長篇[鬼火]である。物語は、富士前町の居酒屋〔権兵衛酒屋〕が賊に襲われた謎を解きあかす形で展開する。そのエピソードの一つに、鬼平殺害に加担した剣客・高橋勇太郎と鬼平との偽りの果し合いがある。
間借りしているのは、池ノ端・茅町2丁目の一膳飯屋〔三州屋〕の2階。
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茅町は池の左岸辺(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:
30がらみ。提灯店のおよねによると、目の色が涼やかで、引きしまって細身だが柔軟な肌身は伊三次に似ていると。
生国:信濃(しなの)国小県郡(おがたこおり)上田(現・長野県上田市)。
父は信州・上田藩士で剣は強かったが気ばたらきが鈍くで失職、浪人となり、勇次郎が17歳のときに江戸へ出てきた。

探索の発端:浪人・大野弁蔵とともに下谷町2丁目の〔みよしや〕へあがったとき、鬼平殺害の会話をおよねに聞かれてしまい、探索がはじまった。

結末:鬼平に斬りかかったものの、まるで手が出ないことがわかり、あっさりとあきらめた。
そのあきらめふりに愛嬌があるというので、鬼平が手の者の一人にしてしまう。

つぶやき:上下はもとより、対人関係を円滑にはこぶ貴重な潤滑油のひとつが「愛嬌」であることは、池波さんがつとに描いているところである。木村忠吾しかり、井関録之助しかり、岸井左馬之助しかり、〔五鉄〕の三次郎しかり、〔みよしや〕のおよねしかり。
そして、またひとり、剣客・高橋勇次郎が鬼平グループに加わった。

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2006.01.23

〔松倉(まつくら)〕の清吉

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録の[いろおとこ]で、盗人の首領・〔鹿熊(かぐま)〕の音蔵が、尾行してきた火盗改メ方の同心・寺田又太郎を中目黒の竹藪で殺害したとき、配下の〔松倉(まつくら)〕の清吉が先まわりをして手配りを万端整えた。
(参照): 〔鹿熊〕の音蔵の項
姪の女賊おせつが寺田同心と割りない仲になっているのを知った〔山市〕の市兵衛が、別れさせるために差したのである。
(参照: 女賊おせつの項)
(参照: 〔山市〕の市兵衛の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていないが、30がらみか。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(にいかわこおり)松倉村(現・冨山県中新川郡立山町松倉)。
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明治20年ごろの松倉村

首領の〔鹿熊〕の音蔵も、同じ新川郡松倉村でもさらに山間に入った「鹿熊」の出だから、清吉も松倉村字(あざ)虫谷あたりかも。地縁の妙---というか、池波さんが「してやったり」とほくそえんでいる「通り名(呼び名)」の選定ではある。

探索の発端:非番の夜、〔五鉄〕で飲んでいた同心・寺田金三郎に不審を感じた彦十が尾行(つ)けていくと、四ッ目の居酒屋〔山市〕へ入り、やがて、女賊おせつが殺され、金三郎も重傷を負った。
彦十たちが居座って、市兵衛を捕縛したことで、事件の裏が判明した。

結末:〔鹿熊〕一味の九名は清吉ともとども、南品川の盗人宿・質商・栄左衛門方で捕縛された。五十両で金三郎の殺害を請け負っていた浪人・矢島孫九郎はいずこへか逃亡。

つぶやき:池波さんの関心が、立山周辺にあることは、文庫巻7[泥鰌(どじょう)〕の和助もこの地の出であることからも推測できる。
(参照: 〔泥鰌〕の和助の項)

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2006.01.22

〔泥鰌(どじょう)〕の和助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[泥鰌の和助始末]は、〔大工小僧〕の異称をもつ〔泥鰌(どじょう)〕の和助が、実の息子・磯太郎(23歳)を自殺に追いこんだ南新堀(中央区)の紙問屋〔小津屋〕へ、仇討ちのつもりで盗みにはいろうとしているのに、退屈をもてあましている剣客・松岡重兵衛(50歳前後)が手を貸す物語である。
(参照: 剣客・松岡重兵衛の項)
〔泥鰌〕の和助は、父親の代から2代つづいている大工あがりの盗人で、しばらくは〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛一味にいた。大工として大店の普請仕事をするとき、だれにもわからない秘密の仕掛けをほどこしておき、歳月をおいてから、その仕掛けを使って泥鰌のようにするすると忍びこむ---これが「通り名(呼び名)」のゆえんでもある。

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年齢・容姿:60歳前後。髷はちょこんと頭にのっているが、がっしりした躰つき。手指も骨張っている。
生国:越中(えっちゅう)国新川郡(にいかわこおり)安蔵(あんぞう)村(現・冨山県上新川郡大山町安蔵)。
大山町を流れる常願寺川の上流、湯川谷右岸に「泥鰌池」がある。それで、ここを生地としてみた。もしかすると江戸のどこかの裏店の線もないではないが、まあ、父親も腕のたしかな渡り大工だったようだから、江戸に住みついていたとは考えがたい。

探索の発端:息・辰蔵(20歳)が通っている市ヶ谷・左内坂上(新宿区)の坪井道場へあらわわれた松田十五郎と名乗った剣術遣いの剣筋を聞いた鬼平は、それが松岡重兵衛の変名と悟り、辰蔵に住いを突きとめるようにいいつけた途端、さっと消えられてしまった。
重兵衛が立ち寄った市ヶ谷田町1丁目の鰻屋[喜田川]惣七も店を閉めて逐電していた。が、辰蔵の悪友・阿部弥太郎が鰻屋の女房が天現時寺(港区南麻布4丁目)の門前で茶店をだしているのを見つけてから、見張りがつけられた。
(参照: 〔不破〕の惣七の項)
それで、〔泥鰌〕の和助たちの狙い先が判明。

結末:首尾よく紙問屋〔小津屋〕へ忍びこみ、金を盗み、帳面類を川へぶちまけたまではよかったが、亀戸村の盗人宿へ引き上げてみると、惣七の裏切りで、浪人たちすが横取りすべく待ち受けてい、和助は斬られて死んだ。

つぶやき:シリーズ第48話目---連載満4年、『オール讀物』での巻末に落ち着いてからも2年経っている。
それで、あるていどのわがままもきいたのであろう、この篇の原稿枚数はふだんの篇の倍はある。松岡重兵衛の「退屈は死ぬよりつらかった」の経緯と、和助の仕掛け大工としての秘策を矛盾なく説明するために、それだけの枚数を要したのであろう。
読み手としては、そこのところを汲みとりながら読みこみたい。

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2006.01.21

〔相川(あいかわ)〕の虎次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻24には、未完の長篇[誘拐]が収録されている。その最初の章[相川の虎次郎]に描かれているのが、きょう探索されるながれ盗めの盗賊〔相川(あいかわ)〕の虎次郎、その者である。
ただ、将軍さまのお膝元を汚してはいけないと、江戸では一度も仕事をしていない。その虎次郎がなんのために江戸へあらわれたか。
虎次郎を見つけ、同心・松永弥四郎へ教えたのは、現役時代に虎次郎を何度がつかったことがあった芝・西久保の京扇舗〔平野屋〕の番頭---じつは元盗賊〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛であった。
(参考: 〔馬伏〕の茂兵衛の項 )

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年齢・容姿:40がらみ。実直な商人風。
生国:甲斐(かい)国山梨郡(やまなしこおり)古府中・相川村(山梨県甲府市古府中町)。
「相川」という地名は全国にいくつもあるが、密偵・おまさの「あの男は、甲斐の相川で生まれたということになっておりますが、江戸育ちだそうでございますよ」で、古府中を採った。ただし、『旧高旧領』には採集されていない。
(参考: 女密偵おまさの項)
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)では、甲斐の「相川」は「古府中」の項に収録され「いま相川村と改む、甲府の北なる高地にして、岡巒三面に環り、相川、濁川の二溪この間に発す」と。

探索の発端:〔平野屋〕でお茶を飲んでいるとき、茂兵衛の教えられた松永同心は、すぐに尾行したが、天徳寺のあたりから右へ入ったあたりで捕縄。
ところが、どのような拷問にも江戸へ来た目的を吐かない。

結末:類推だが、〔荒神〕のお夏からいいつかって、おまさに連絡(つなぎ)をつけにきているとおもうのだが。

つぶやき:この篇が未完であることを、ほとんどの鬼平ファンは残念がっているが、23巻まで『鬼平犯科帳』を熟読してくれば、池波さんの作劇術もおおよそ見当がつこう。
その伝で、この未完の長篇のゆくたては、細部の起伏はべつとして、おうよそ、読めてくるはず。

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2006.01.20

〔桐生(きりゅう)〕の友七

『鬼平犯科帳』文庫巻20に所載の[怨恨]は、〔磯部(いそべ)〕の万吉(50がらみ)と浪人くずれの杉井鎌之助(40歳前後)が、互いの頼みごとを助(す)けあうストーリー展開だが、その万吉側の相棒が〔桐生(きりゅう)〕の友七である。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項)
(参照: 浪人くずれ・杉井鎌之助の項)
〔磯部〕の万吉のたくらみは、弟の敵(かたき)ということにして〔今里(いまざと)〕の源蔵(51,2歳)を殺すことだった。
(参照: 〔今里〕の源蔵の項)
その源蔵が、湊稲荷の境内から出てきて、南八丁堀5丁目の煮売り酒屋〔信濃屋〕喜十(57歳)方へ入るのを、友七が見かけた。
(参照: 〔桑原〕の喜十の項)
万吉のいいつけで、友七は向いの旅籠〔山重〕から〔信濃屋〕を見張っている。

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年齢・容姿:32,3歳。容姿の記述はない。気が短い。
生国:飛騨(ひだ)国大野郡(おおのこおり)桐生村(現・岐阜県高山市桐生町)。
このほかに、上野国山田郡桐生新町(現・群馬県桐生市本町)、近江国栗田郡桐生村(現・滋賀県大津市上田上桐生町)もあるが、ここは、池波さんが幾度が訪れている高山市とみたい。
それに三河・額田郡生まれとした〔磯部〕の万吉とも地縁も想像できる。

探索の発端:北千住で食売女と遊んだ密偵・鶴太郎が〔磯部〕の万吉と杉井鎌太郎を見かけ、〔山重〕まで尾行した。

結末:夜半、寝込んでいた3人は火盗改メに襲われて、万吉と友七は捕まり、抵抗した杉井は鬼平に長十手で打たれて失神した。

つぶやき:万吉の「弟の敵討ち」というのはつくりごとで、源蔵が仕組んだ駿府の呉服屋のお盗めで、万吉は1200両をひとり占めにして逃げた。
大井川をさかのぼった笠間の盗人宿で万吉に殺された3人の敵をとりたいのは源蔵のほうだった。

殺しの真相は、このシリーズに何話かある盗賊仲間の騙しあいだが、この篇は、〔信濃屋〕こと元盗賊の〔桑原〕の喜十と源蔵の義理、喜十とむかし馴染みの〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵との信頼ぶりをからめて、新味を出している。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

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2006.01.19

〔雪崩(なだれ)〕の清松

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[春の淡雪]で、同心・大島勇五郎の配下の密偵でもある〔雪崩(なだれ)〕の清松は、大島同心の博打の借金を清算するとの名目で、〔日野(ひの)〕の銀太郎と組み、盗賊の首領〔池田屋〕五平のひとりむすめ・おうめを拐(わどわか)して強請(ゆす)った。
(参照: 〔日野〕の銀太郎の項)
(参照: 〔池田屋〕五平の項)

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年齢・容姿:42歳。小男。やさしげな目。
生国:武蔵(むさし)国江戸・麻布の市兵衛町(現・東京都港区麻布台1丁目)。
俗称「流垂(なだれ)」と呼ばれていた。
雪崩といえば、雪の深い山里ならどこでも起きる。それで今冬、豪雪で孤島化した新潟県の津南町を仮に想定してみたが、『旧高旧領』にはこの村名はなかった。
それで、不本意ながら江戸の市兵衛町とした。

探索の発端:探索の発端:京扇店〔平野屋〕の番頭・茂兵衛は、かつては〔馬伏(jぶせ)〕の茂兵衛といい、〔帯川(おびかわ)〕の源助の右腕だった。引退後、ひょんなことから火盗改メと関係ができた。
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項)
(参照: 〔帯川〕の源助の項)
茂兵衛が、〔雪崩(なだれ)〕の清松と〔日野(ひの)〕の銀太郎という流れづとめの盗人を見かけて尾行した。

結末:〔池田屋〕五平の幼娘をかどわかした〔雪崩(なだれ)〕の清松と銀太郎は、1,000両の身代金を要求。引渡しにあらわれたところを鬼平に捕らえられた。その前夜、五平一味16名は捕縛されていたのである。五平にしたがって千両箱を担いでいた小者は、鬼平だった。

つぶやき:そもそもは、大島同心の博打の借金から発している。同心といえども、打つ魅力には勝てない。「こんどこそ、こんどこそ」と泥沼へはまっていくのは、人の心が弱いせいかも。

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2006.01.18

〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収録の[あきれた奴]で、堅気になって数珠師をしている〔鹿留(しかどめ)〕の又八(42歳)に、、〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎は甥の〔雨畑(あまばた)〕の紋三郎(30がらみ)を引きあわせた。
(参照: 〔鹿留〕の又八の項)
(参照: 〔雨畑〕の紋三郎の項)
又八が〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下で、盗めの3ヶ条をきっちりと仕込まれてひとりばたらきになったのを、助(す)け合ったのが、これも本格派の〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門の下からひとりだちした〔八町山〕の清五郎だ。いまは足をあらい、品川台町で小さな煙草屋をやっている。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
又八と紋三郎は、谷中の正林寺へ押し入り、紋三郎が寺僧2人を刺殺、158両を奪っての逃走時、同心・小柳安五郎に又八が捕まった。

208

年齢・容姿:60すぎ。小男。しわがれた声。
生国:甲斐(かい)国南巨摩郡(みなみこまこおり)鰍沢(かじかざわ)村(現・山梨県南巨摩郡鰍沢町十谷)。
「八町山」は、巨摩山地のほぼ中央部、鰍沢町と増穂町の境にある標高1,521mの山。

探索の発端:又八の女房は、大川へ身投げしようとしているところを、小柳安五郎に止められた。又八は小柳同心に捕縛されたが、牢をだされ、紋三郎をつかまえようと御油の宿場を見張った。
清五郎も自分なりに紋三郎を追ったのだが---。

結末:紋三郎の生地は南巨摩郡の雨畑村(現・早川町雨畑)である。清五郎はまずそこへ行き、帰ってきていないとわかると、老いの躰であちこち訪ねあるき、又八の推測では「どこかの旅の空で行き倒れ」たろうと。

つぶやき:八町山に行きあたるのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。
又八は南都留郡鹿留村(現・都留市鹿留)だし、甥の紋三郎も甲斐国生まれなのだから、まず、山梨県をあたるべきなのに、下記を探しまくっていたのである。
武蔵国賀美郡八町河原(現・埼玉県児玉郡上里町八町)
岩代国大沼郡八町村(現・福島県大沼郡金山町八町)
常陸国真壁郡八町村(現・茨城県結城郡八千代町八町)
三河郡額田郡八町]村(現・愛知県豊橋市八町通)
信濃国高井郡八町村(現・長野県須坂市下八町、上八町))

で、八町山というくらいだから山の多いところで、(須坂市の観光課からはかつてリポートをいただいているから---)などと、あやうく電話をいれる寸前に甲斐国に気づき、赤面をのがれることができた。

鰍沢町は、『剣客商売』の秋山小兵衛の生地・甲南町から南西にわずか2キロの地。秋山村(現・南アルプス市秋山)を取材に訪れた池波さんが、鰍沢という風流な地名を目にとめ、聳える山姿が印象に残ったのであろうか。

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2006.01.17

〔夜針(よばり)〕の音松

『鬼平犯科帳』文庫巻13のタイトルになっている[夜針の音松]は、臨時ごしらえの小人数で急ぎばたらきをしてのける兇賊である。組むのは2,3人だから、手がかりもほとんど残さないし、身軽にいたるところへ出没する。
その〔夜針(よばり)〕の音松が、僧衣すがたで青山の百人町の通りを歩いていたと同心・松永弥四郎へ密告(つ)げたのは、密偵の岩吉だった。
頭を丸めて僧姿となった松永が探索にとりかかった。

213

年齢・容姿:40がらみ。どこに目鼻がついているかわからないほど色黒。小男。
生国:不明。

探索の発端:渋谷の大祥寺の近くにある密偵・岩吉の家へ泊り込んで探索にあたっていた同心・松永弥四郎の眼は、青山から笄橋(こうがいばし)のほうへやってくる尼僧に化けている娼婦おきね(22,3歳)を見逃さなかった。
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麻布・笄橋(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

おきねは、根津権現門前町の娼家〔大黒屋〕にいた女で、客にレイプされる形式で身のまかせる。その刺激の強さと達成感は、一度味を覚えると男はもう忘れがたくなるという。松永もその1人だった。
<470
根津権現社・部分((『江戸名所図会』より 塗り絵師:同上)

数度通ううちに、およねは身受けされたということで〔大黒屋〕から姿を消したのであった。
尼僧姿のおよねを尾行(つ)けていくと、桜田仲町の法雲寺と円福寺の間を入った古びた尼寺に消えた。そしてひそこには、探していた〔夜針〕の音松もいたではないか。

結末:レイプもどきをふざけあっている2人に、松永はなんなく縄をかけることができた。旅僧姿ですでにいくつかの寺へ宿泊を頼んでは盗みをはたらいていた。死罪であろう。

つぶやき:〔夜針〕の「通り名(呼び名)」は『旧高旧領』ほかの地誌にも収録されていない。池波さんはどこからおもいついたのかを思案していて、「ゆばり」---寝小便に漢字をあてたのではないかとおもいついた。そういえば『剣客商売』文庫巻7に[江戸ゆばり組]の篇がある。
が、この思いつきはすぐに捨てた。40男に寝小便は似合わなし、生国にも結びつかない。
生国は不明とした。不明と決断することで長年の胸のつかえも消えた。

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2006.01.16

〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻19の巻頭におかれている[霧の朝]は、鬼平になにかと協力する深川・万年町のご用聞・政七の下ッ引き〔桶屋(おけや)〕の富蔵夫婦の貰いッ子・幸太郎(4歳)が誘拐される事件である。
誘拐したのは、〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎の情婦お安。
というのも、この春、親分の用で麻布へ出向いた富蔵が、鳥居坂でばったり出くわして捕らえた殺人強盗犯・〔蜂須賀〕の為五郎は、打ち首になった。お安はそれをそれを逆恨みして、幸太郎を拐わかした。
いまは品川で乞食をしている幸太郎の産みの親・吉造夫婦までからんできて、てんてこ舞いの展開。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:尾張(おわり)国海東郡(かいとうこおり)蜂須賀村(現・愛知県海部郡美和町蜂須賀)。

探索の発端:鬼平が桶富を訪ねていたときに誘拐があったが、手がかりはまったくなし。
乞食の吉造・おきねが、北品川2丁目の裏道の2階の物干しにいた幸太郎ょを見つけた。

結末:幸太郎のいた酒屋〔三河屋〕へのりこんだ夫婦を助けた井関録之助によって、誘拐犯お安と相棒の〔稲沢(いなさわ)〕の倉吉は捕まり、幸太郎は吉造・おきねが返してきた。
(参照: 〔稲沢〕の倉吉の項)

つぶやき:この篇は、『オール讀物』1978年12月号に掲載された。
司馬遼太郎さんの『新史 太閤記』(新潮文庫)は、『小説新潮』1966年2月号から68年3月号まで連載された。池波さんは、親しい司馬さんの作品だからとうぜん読んでいる。
その文庫・上巻p143あたりから、藤吉郎と蜂須賀小六の関係が語られる。池波さんがそのエピソードのせいで〔蜂須賀〕の「通り名(呼び名)」をつかったとはいわないが、否ともいえまい。
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)は、蜂塚がなまったとの説を否定し、「須賀」つまり沙地がもとであろうと。


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2006.01.15

因州(いんしゅう)浪人・河合伝内

『鬼平犯科帳』文庫巻6に収められた[狐火]で、初代〔狐火〕の勇五郎の先妻お勢が生んだ文吉には、10日早く妾お吉から生まれた又太郎という異腹兄がいた。そして、2代目〔狐火〕の跡目は又太郎に譲られた。
そのことを不服とした文吉は、〔狐火〕の2代目を僭称しながら一味で畜生働きをつづける。その文吉の軍師役を勤めていたのが因州(いんしゅう)浪人・河合伝内であった。

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年齢・容姿:40がらみ。たくましい顔立ち。
生国:因幡(いなば)国鳥取城下(現・鳥取県鳥取市)のどこか。

探索の発端:市ヶ谷・田町3丁目の薬種店〔山田屋〕を襲った賊は、主人夫婦と息子夫婦に奉公人を1人のこらず殺害、金品を奪った上で、屋内に3枚の〔狐火札〕を貼りつけていた。
同様の事件は、大坂でも起きている。
かつての銕三郎(平蔵の家督前の名前)時代に、お吉とできて先代・勇五郎にたしなめられたことのある平蔵は、〔狐火〕の仕業は他人ごとではなく、〔狐火〕2代目を男として開眼させたおまさの去就から目をはなさなかった。
それで、河合伝内名義となっている、隅田(すだ)村・木母寺近くの盗人宿の存在も知れた。

結末:隅田村の盗人宿に踏み込んだ鬼平の前に現れた河合伝内は、居合で対抗しようとしたが、高杉銀平師ゆずりの鬼平の技に、伝内はあっけなく殪されていた。

つぶやき:この編は、おまさと2代目〔狐火〕の勇五郎の情熱、2代目と文吉の対決が主題で、河合伝内は、終末近くに、鬼平の居合術を引き立てるために登場するだけだから、ほんとうは目こぼししてもいいのだが、自分の故郷出の脇役なので、人情として看過するわけにはいかない。

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2006.01.14

〔白狐(びゃっこ)〕の谷松

『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[艶婦の毒]で、〔高津(こうづ)〕の玄丹の素顔を見てしまった女中およねの口を封ずるために追跡をいいつかっているのが、〔猫鳥(ねこどり)〕の伝五郎と〔白狐(びゃっこ)〕の谷松である。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)
2人は、奈良へ旅立った鬼平、木村忠吾、教徒西町奉行所の与力・浦部彦太郎、およねの後を、見えがくれに尾行(つ)けていく。

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年齢・容姿:若いのか年をとっているのか判別が困難な、白なまずにかかった白斑の面妖な風貌。ひょろりと細長い躰つき。
生国:山城(やましろ)国紀伊郡(きいこおり)深草村(現・京都府伏見区深草稲荷榎木橋町)。
池波さんは、『忍者丹波大介』ほかの取材で、幾度も伏見を探索している。伏見稲荷社の白狐にかけての「通り名(呼び名)」とした。
現在は、福島県河沼軍会津坂下町に白狐って地名があるけれど、みれは『旧高旧領』に載ってないから採れない。

探索の発端:京都から奈良への歌姫街道は平安朝から通じていた。その雛びた風景を楽しんでいる鬼平たちの後を、2人がつけていることは、鬼平と浦部はとっくに気づいていた。

結末:祝園(ほうその)村あたりで、谷松は鬼平に捕まり、常念寺の物置小屋へ放り込まれたが、舌を噛み切って自裁。
その谷松を見たおよねは、玄丹の素の顔を見てしまった夜、谷松に陵辱されたことを鬼平に告白。
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祝園 春日社 若王子(『都名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:歌姫街道の祝園村あたりのたたずまいについて、司馬遼太郎さんは『空海の風景』で現地を取材、ところの老婆から、道が舗装されて明るくなってしまったと嘆かれたと。昭和の中期までは薄暗く樹木がしげった玄幽な雰囲気だったのであろう。

祝園は、大和朝廷軍と戦って、このあたりで全滅した長脛の兵たちの鎮魂のために名づけられた地名という。

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2006.01.13

浪人・塚田要次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[泥鰌の和助始末]で、〔泥鰌(どじょう)〕の和助(60がらみ)を助(す)ける剣客・松岡重兵衛(50前後)らが、南新堀(中央区)の紙問屋〔小津屋〕に押し入り、2000両近くを盗みとり、亀戸村の一軒家へ引き上げてきた。
(参照: 剣客・松岡重兵衛の項)
待っていたのは、仲間とおもった〔不破(ふわ)〕の惣七(45,6)が手配した、浪人・塚田要次郎らの横取り組みだった。
(参照: 〔不破〕の惣七の項)

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年齢・容姿:40前。精悍な容貌。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)村松(現・新潟県中蒲原郡村松町)。
村松藩(3万石)は、村上藩(5万石)から分知された外様の藩。

探索の発端:坪井道場へ現れた剣客のことを辰蔵(20歳)から聞いた鬼平は、かつて高杉道場の食客で剣を教えてくれた松岡重兵衛と推察。重兵衛が現れた市ヶ谷田町1丁目の鰻屋を見張るが、〔不破〕の惣七は、まんまと消えられた。
しかし、惣七の女房が天現寺へ出した女房の茶店から、あらたな糸口が開ける。

結末:塚田要次郎たちの動きを監視していた火盗改メは、〔泥鰌〕の和助たちの盗め金の横取りをたくらんだ惣七や塚田一味を斬ってすてる。

つぶやき:高杉道場がらみの剣客のリスト。
岸井左馬之助
谷五郎七
大橋与兵衛(久栄の父親)。
井関録之助
菅野伊助
松岡重兵衛(剣客。道場の食客)
春慶寺の和尚=宗円
小野田治平(多摩郡布田の郷士の三男)
妾の子:鶴吉。
長沼又兵衛 盗賊の首領。
先輩:野崎勘兵衛。
小野田武吉(鳥羽3万石の家臣)
御家人:八木勘左衛門(50石取り。麻布狸穴住)
堀本伯道(師:高杉銀平の試合相手)
池田又四郎(兄は 200石の旗本)。行方知れず
滝口丈助
井上惣助
横川甚助(上総・関宿の浪人)

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2006.01.12

〔井筒屋〕番頭・勝四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に入っている[女賊(おんなぞく)]のヒロイン〔猿塚(さるづか)〕のお千代は、40すぎとはとてもおもえない女躰を餌に男どもをあやつり、盗みを働いている。
(参照: 〔猿塚〕のお千代の項)
ときどき、お千代を抱かせてもらっているのが、店をとりしきっている番頭・勝四郎だ。
お千代は、表向きは牛天神前の菓子舗〔井筒屋〕の女房ということになっており、勝四郎は番頭であるとともに一味の小頭役でもある。
一味がいま目をつけているのは、橘町の乾物問屋〔大坂屋〕で、すでにお千代の女躰のとりこになっている〔大坂屋〕の手代の幸太郎(20歳)が、間取りや雇い人の数などをすっかりもらしてしまっている。

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年齢・容姿:中年。でっぷりと肥えて愛想がいい。
生国:近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)。
お千代の父親、先代の徳右衛門が丁稚として連れてきたもので、同郷とみた。

探索の発端:東海道は岡部宿の小間物屋〔川口屋〕に、引退して寄宿している〔瀬音(せのと)〕の小兵衛だが、通りがかりの〔福住(ふくずみ)〕の専蔵から、隠し子の幸太郎が〔猿塚〕のお千代のなぐさみものになつているときいて、矢もたてもたまらず、江戸へやってき、出会った密偵おまさに苦悩を訴えたことから、鬼平が乗りだした。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
(参照: 〔福住〕の千蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:根岸の〔盗人宿〕からは押しこめられていた幸太郎が救出され、牛天神門前町の〔井筒屋〕では、お千代が自裁していた。記述されてはいないが勝四郎も捕縛されたろう。

つぶやき:40をすぎていて27,8歳に見えたという〔猿塚〕のお千代は、吉右衛門さん=鬼平のビデオでは沢たまきさんが演じていたが、カメラはデュート(紗)をかけていた。
デュートなしでやれたのは、40歳ごろの森光子さんだったろう。
じつは、出たばかりの電気洗濯機の使用説明書の主婦役モデルを、30代の森光子さんにお願いしたことがある。彼女の京都て゜の無名時代である。

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2006.01.11

〔須川(すがわ)〕の利吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2の[埋蔵金千両]』 で、首領〔小金井(こがねい)〕の万五郎と〔須川(すがわ)〕の利吉は、伊賀の山中、奥間野の猟師小屋で一味を解散するにあたり、ためこんだ1900両を分配するといつわって手下5人を毒殺、万五郎が1300両、利吉が600両を取った。
利吉はその金で、信濃の上田に小間物屋〔加納屋〕利兵衛店を開いている。
15年ほど前、万五郎が大坂で古手屋に仮装していたとき、使っていた飯炊き女を孕ませたが、その始末を番頭を装っていたり吉がつけたこともあった。
事件は、死病にとりつかれた万五郎が下女おけいに、1000両の隠し場所を打ち明け、利吉にうち500両をあのときの子へ渡してくれるように頼みに行かせたところから始まった。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:上野(こうずけ)国吾妻郡(あずまこおり)入須川村(群馬県利根郡新治村須川)>
屋号の〔加納屋〕から、美濃国厚見郡下加納村(現・岐阜県岐阜市加納本町)もかんがえたが、『旧高旧領』に見あたらないので「須川」をとった。もっとも「須川」も信濃の上田にはない。

探索の発端:麻布・飯倉片町の指圧医師・中村宗仙の、癒したら50両という治療を、万五郎がうけたことから、鬼平の疑惑の念がはじまった。見張りがつき、小金井の貫井橋の先の埋蔵場所まで尾行された。

結末:埋蔵金の1000両は、気を変えた下女おけいが一足先に掘り出していた。万五郎は、心の臓の発作で、その場で息絶えた。
おけいは、その後、捕縛。
利吉については記述がない。

つぶやき:おけいを出発ちさせてから万五郎は、〔須川〕の利吉がまともなかんがえの主でないことにおもいいたる---が、そんなことは、はなからわかっていること(もちろん、わかっていたら、物語が成立しないのだが)---一味をたばねていた首領ともあろう者の浅慮の一失というべきか。
まあ、人間、賢いようでも、弘法も筆の誤り、ときに愚かな行いをするから、この世はおもしろいし、物語のタネがつきない。

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2006.01.10

情婦・お常

『鬼平犯科帳』文庫巻1の第1話[唖の十蔵]に登場する賊の頭は〔野槌(のづち)〕の弥平だが、その配下の小間物屋を隠れ蓑にしている助次郎とできていた愛宕山下の水茶屋の茶汲女だったお常は、助次郎の死後、弥平に囲われ、弥平の仮の姿---江戸郊外・王子稲荷の裏参道の料理屋〔乳熊屋〕清兵衛、その女房という形で同棲していた。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
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愛宕山下(部分)。堀端にお常がいた水茶屋が立ち並んでいる
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
(参照: 〔下総無宿〕の助次郎の項)
助次郎が身重の妻のおふじを捨てて、お常と暮らすつもりだったことを耳にした弥平が興味をもって水茶屋へ嘗めに行き、いっぺんに気をうばわれたのである。

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年齢・容姿:24,5歳か。渋皮のむけた伝法肌。
生国:武蔵(むさし)国江戸の在のどこか。

探索の発端:いまは密偵になっている、もと盗賊の岩五郎が、〔野槌〕弥平一味にいたとき、助次郎の父親の伊助とともに顔見知りだった。
その助次郎が東両国の小間物問屋からでてくるところを尾行し、住まいを確かめたことから、〔野槌〕一味の〔小房〕の粂八が捕縛され、拷問で王子の盗人宿を吐いた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:〔小房〕の粂八が捕らえられたと、〔小川や〕梅吉から伝えられた弥平は、とりあえず故郷の三河へ隠れるためにお常と旅支度をしているところを、火盗改メに踏み込まれて捕縛。弥平は磔刑。お常についての記述はない。
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)

つぶやき:〔野槌〕の弥平ほどの大物なら、女に不自由はしていまいから、お常もいっときの慰みとして同棲することはあっても、女房までには---とおもうが、池波さんは「女房お常」としている。
長くつづけるつもりのなかった連載の第1回目だから、話を完結させてしまうつもりで、つい、女房扱いにしてしまったのかもしれない。なに、いまの若いカップルの結婚セレモニーを想像するから「女房」という言葉にこだわるのである。
当時の盗賊とすれば、同棲している女性を「女房同然」といったのであろう。

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2006.01.09

〔瀬田(せた)〕の万右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻18の[馴馬の三蔵]のタイトルとなってに登場している〔馴馬(なれうま)〕の三蔵(60歳前)に、亡妻の敵(かたき)と狙われて傷つけられたのが、橋場の料亭〔万亀〕の主人〔瀬田(せた)〕の万右衛門である。
(参照: 〔馴馬〕の三蔵の項)
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橋場の渡 手前の大川ぞいに料亭が並ぶ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50歳前後。すべてに品がよく、恰幅も愛想もいい。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこおり)瀬田町村(現・滋賀県大津市瀬田)。
テリトリーが近江・美濃へかけてとあり、元は万右衛門の女だったおみのという名前もあるから、美濃(みの)国可児郡(かここおり)瀬田村(現・岐阜県可児市瀬田)も有力候補だったが、「上方そだち」から大津の瀬田を採った。

探索の発端:客を舟で万亀へ送った〔小房〕の粂八は、かつて〔野槌(のづち)〕の弥平の配下だった時代に、一味を助(す)けていた〔馴馬〕の三蔵が物置小屋へ忍び入ったを見かけ、居坐り盗めをやるのかとおもった。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
で、夜、ふたたび猪牙舟をあやつって見張りに出かけた。
が、〔瀬戸〕の万右衛門は、十数年前、東海道・岡部宿で小間物屋をしていた三蔵の女房おみのと、粂八が預けた恋人お紋を惨殺していたのだ。粂八は、お紋の旦那の〔鮫津〕の市兵衛の仕業とばかりおもいこんでいたのだが。

結末:亡妻の敵(かたき)をとりに忍びこんだ三蔵は、万右衛門へ傷をおわせたものの、〔万亀〕の用人棒浪人に斬られ、粂八の舟でこと切れる前に、おみのが元は万右衛門の女だったこと、それでお紋が巻きぞえをくったことを、粂八に打ち明けた。
早速に火盗改メが出張って、一味を逮捕。

つぶやき:19歳のときに押し込み先で下女を犯し、〔血頭〕の丹兵衛一味を追放されたほど女好きの〔小房〕の粂八は、その後は自重しているのか、密偵になってからも女っ気がまったくといっていいほどない。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
しかし、24,5歳のときにお紋とも熱い関係があったことが初めて明かされた篇でもあり、粂八にも躰の中を赤い血がたぎることもあるとわかって、安心(笑)。

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2006.01.08

引き込み女おすみ

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[尻毛の長右衛門]と、タイトルにもなっている盗人一味の首領の情婦でもあった母親についで、引きこみもつとめることになったおすみである。
(参考: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 女賊お新の項)
引きこみ先は、本所吉田町2丁目の薬種問屋〔橋本屋〕。一味の連絡役は〔布目(ぬのめ)〕の半太郎(28歳)だが、2人はできてしまっている。いや、おすみのほうから、生娘の体を法恩寺裏の林で誘いをかけて半太郎に与えていた。
(参照: 〔布目〕の半太郎の項)
あとは、首領・長右衛門の許しを得るばかりである。
だが、そうは問屋がおろさなかった。躰の中泥鰌が100匹も棲んでいる名器を、母娘なんだから、おすみもお新から引き継いでいるにちがいないとふんだ長右衛門(51歳)が、おすみを後妻にしたいといいだしたのである。
生娘のしるしをいただいてしまった半太郎、一味に居残るわけにはいかないと、身を引くことにしたのだが--。

214

年齢・容姿:19歳。低い鼻、への字形の唇、縮れれ毛、狆ころが髪を結っているよう。
生国:母親が美濃(みの)国のどこか(現・岐阜県)にある実家で産んだか。

探索の発端:薬種問屋〔橋本屋〕へ入ったおすみは、金蔵の錠前の蝋型もとっているし、屋敷内の間取りから家族・奉公人のあれこれまでしっかりと調べていた。
ところが、容貌が母親似だったばっかりに、女密偵おまさに見つかったしまった。お新の亭主の故・市之助がおまさの亡父の忠助と親しかったので、子どもごころにお新のことを覚えていたのである。

結末:おすみから半太郎、深川清澄町の霊雲門前に近い釣道具屋〔利根屋〕---〔尻毛〕一味の盗人宿---とたぐられて、〔蓑火〕ゆずりの本格派の長右衛門は、いさぎよくお縄をうけた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
おすみは半太郎の消息を聞きだすべく、半太郎の親代わり、妙義の笠町で旅籠をやっている万吉爺さんを訪ねたところを逮捕された。

つぶやき:事件が落着して、鬼平がおまさに「それにしても、あの、おすみは、死んだ半太郎がが初めての男だったというぞ。それも、おすみのほうから誘いをかけたそうな」
これに対して、おまさが応える。
「若い女には、だれしも、おすみのようなところがございます。ただ、それを意気地なく胸の底へしまいひこみ、黙っているだけのちがいなんでございますよ」
おまさの双眸が、きらりと光った。

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2006.01.07

浪人くずれ・長坂万次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]。話は夏へ遡る。
〔塩井戸(しおいど)〕の捨八(40歳)は、熊谷宿の料理屋〔棚田屋〕を襲い、270余両を奪い、昔なじみの〔井草(いぐさ)〕の為吉(40歳前後か)と彼が連れてきた浪人くずれの長坂万次郎に一味をつけて金を乗せた馬ともども、上州・白石(しろいし)在の村はずれの盗人宿へ先行させた。
(参照: 〔塩井戸〕の捨八の項)
(参照: 〔井草〕の為吉の項)
捨八が隠れ家へ来てみると、長坂浪人と〔さむらい〕松五郎が手下3人を斬り殺し、為吉にも傷をおわせて、馬もろとも逃走していた。もちろん、それは、長坂浪人と為吉が仕組んだ、金を横領するための手のこんだ芝居であった。
長坂浪人は、再び為吉と組んで、捨八が狙っている先での横取りを相談が成立した。

216

年齢・容姿:年齢の記述はない。総髪。
生国:これも記述がない。不明。

探索の発端:>〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門一味にいた〔蛸坊主(たこぼうず)の五郎は、〔大滝〕の五郎蔵の推薦で密偵となつていた。
(参照: 〔湯屋谷〕の富右衛門の項)
(参照: 〔蛸坊主〕の五郎の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
その五郎が、神田橋門外の茶店で〔井草〕の為吉を見かけたことから、探索の網がはられた。

結末:〔塩井戸〕の捨八、〔井草〕の為吉、それに梅太郎の3人は捕縛されたが、長坂万次郎のことは記述されていない。

つぶやき:結末が記述されていない大物盗賊の代表は、2代目の〔霧(なご)〕の七郎である。文庫巻4の同題の篇で、上方へ逃げ帰らせたまま、池波さんは忘却してしまっている。京都町奉行所の与力・浦部彦太郎が活躍してもよさそうともおもうが。

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2006.01.06

剣客(けんかく)・石坂太四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻6におさめられている[剣客]で、かつて試合に負けた遺恨から、同心・沢田小平次の師・松雄喜兵衛を殺害した石坂太四郎であった。
深川を見廻っていた鬼平が、小名木川南岸、霊雲院(現・東村山市富士見町5丁目へ移転)の横から出てきた浪人・石坂の袖に血がついているのを目ざとく見つけ、同心・木村忠吾に尾行(つ)けさせたが、忠吾はいとも簡単にまかれてしまう。
石坂浪人は、密偵おまさが現役(いまばたらき)だったころに助(す)けたことのある兇賊〔野見(のみ)〕の勝平一味だった。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔野見〕の勝平の項)

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年齢・容姿:40前後。精悍な風貌。総髪。
生国:不明。松尾喜兵衛とは、上総・天羽を領している阿部駿河守(1万6000石)の下屋敷で試合をして負けたとあるから、佐貫藩のだれかと面識があったとすると、千葉県富津市近辺の出身ともいえるかも。

探索の発端:松尾喜兵衛の葬儀を手伝っていたおまさが、家主である深川・清澄町の藍玉問屋〔大坂屋〕へ飯炊きとして引き込みにはいっている〔殿貝(とのかい)〕の市兵衛を見かけ、連絡(つなぎ)に現れた留吉を彦十が尾行、南千住の盗人宿そこにひそんでいた石坂を発見。
(参照: 〔殿貝〕の市兵衛の項)

結末:沢田小平次が扮装した松尾師匠に誘いだされた石坂太四郎は、沢田の無心の剣法に殪された。

つぶやき:盗賊の一味として、お盗めの前はすべての言行に細心慎重であるべきなのに、石坂浪人はその掟てを破り、私情を優先させてしまった。
剣術つかいの意地というか、技術自慢の者ならほとんどが陥る弊とでもいうべきか。技術を超えたところに、真の名人がいる。

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2006.01.05

〔木の実鳥(このみどり)〕の宗八

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録されている[春雪]の道化役は、かつては〔木の実鳥(このみどり)〕---猿、と異名をとった老掏摸の宗八である。田舎へ帰った義弟夫婦の下大島の家に畑を耕しながら独りきりで暮らし、ときときき盛り場へでては指先を使う。年に15両もあれば酒も好きなだけくらえて、気ままにすごせた。
が、深川の富岡八幡宮の通りで侍・宮口伊織(40がらみ)の懐から2両2分入りの紙入れを掏ってからケチがついた。
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富岡八幡宮・部分(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:61歳。痩せて小柄。
生国:武蔵(むさし)国江戸(現・東京都)の近郊の村のどこか。
少年の頃から掏摸の親方〔霞(かすみ)〕の定五郎に仕込まれたというから、江戸かその近辺の出生と見る。亡妻が北陸あたりの出だったとしても。

探索の発端:富岡八幡宮の通りで先手組々頭の一人・宮口伊織の紙入れを掏ったことから、鬼平に後をつけられ、住まいを確認されたが、捨てた紙入れに山下御門前の呉服問屋〔伊勢屋」の間取り図が入っていたことから、火盗改メが動きはじめた。

結末:鬼平から、掏った相手は火盗改メのお頭・長谷川平蔵だった、と脅された宗八は、生きていくのもこれまで、今生の名残りに、4年前に交合の極上の愉悦を味あわせてくれて女おきねと、もう一度、肌をあせてからと、大島橋のたもとの妾宅を訪れ、居合わせた盗賊浪人・山田某(50がらみ)に斬り殺される。
山田某は、歯医者兼入れ歯師をよそおっている盗賊の頭・大塚清兵衛の一味であった。

つぶやき:掏られた紙入れから陰しごとの発覚の端緒があらわれる---のは、よくある筋書きだが、老掏摸が、消えかけている性の炎をよみがえらせた女性に、いま一度---と執着させるとは、池波さんも考えたものである。
この篇の初出は1975年(昭和50年)で、池波さんの52歳のときである。

掏摸が主役の篇は、7年前にこのシリーズで[女掏摸お富]が、また、『剣客商売』では1972年(昭和47年)に佐々木三冬が掏摸を捕まえて田沼老中の毒殺を未然にふせぐ[御老中毒殺]が書かれている。
短篇では、さらに前の1961年(昭和36年)の『週刊朝日別冊』に[市松小僧始末]を発表して、掏摸術のうんちくがなみなみでないことを示している。

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2006.01.04

〔殿(との)さま〕栄五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[殿さま栄五郎]で、鬼平がその名をかたって凶悪な〔火間虫〕の虎次郎一味へ潜入しようとするが---。
(参照: 〔火間虫〕の虎次郎の項)
ことの起こりは、〔火間虫〕の使いで、〔長沼(ながぬま)〕の房吉が、谷中・法住寺の門前での花屋を隠れ蓑に〔口合人〕稼業をしている〔鷹田(たかんだ)の平十に、腕っぷしの強い助(す)けばたらきを依頼した。

(参照:〔鷹田の平十
(参照: 〔長沼〕の房吉の項)
〔口合人〕稼業15年にもおよんでいる平十の悩みがはじまる。〔火間虫〕一味の盗めは荒っぽい。それが気にいらねえ、のだ。
悩みきって不忍池ばたを歩いているとき、知りあってこのかた気のあった付きあいをつづけてきた〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治に声をかけられた。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
利平治に心あたりがあるという。利平治が推薦してきたのは、鬼平が化けた、〔殿(との)さま〕栄五郎という大物だった。

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年齢・容姿:45,6歳か。立派な顔だち。無口。何ともいえないほどやさしい目つき。
生国:備前(びぜん)国岡山(現・岡山県岡山市)の浪人あがり。かつて、鬼平があれこそ盗賊中の真の盗賊と折り紙をつけた〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の軍師格だったが、〔蓑火〕が一味を解散してから、消息が絶えている。

探索の発端:これまでとは逆に、鬼平の仮装がばれるのは、かつていっとき〔蓑火〕ではたらいて〔殿さま〕栄五郎を見知っていた〔五條〕の増蔵に見破られた。
(参照: 〔五条〕の増蔵の項)
〔鷹田〕の平十が、なぜ偽者を口合いしたかと、〔火間虫〕一味の拷問されるが、平十としては知らないことなので白状できない。

結末:芝・方丈河岸の〔火間虫〕一味の盗人宿などが手入れをうけ、全員逮捕。死罪であろう。
〔鷹田〕の平十は入水自殺。

つぶやき:〔火間虫〕一味が、〔鷹田〕の平十の口を割らすために、女房のおりきを捉えにきたのを、待ち構えていた火盗改メが逮捕して、方丈河岸の盗人宿が知れる。
そのことを鬼平が予測して手くばりしていなかったら、平十夫婦にとって、鬼平はじつに危険な橋を渡ったことになった。

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2006.01.03

〔七化(ななば)け〕お千代

『雲霧仁左衛門』(文庫 前・後編)の主人公の巨盗・雲霧仁左衛門の愛人とも引き込み女ともいえるのが、この〔七化(ななば)け〕お千代である。
(参照: 雲霧仁左衛門の項)
どんな女性(にょしょう)にも扮することができ、それで引き込みを成功させるので冠された〔七化け〕の「通り名(呼び名)」である。池波さんの頭脳に、長谷川一夫さんが演じた映画『雪之丞七変化』の題名が閃いたかどうか。
この篇の前半では、さるやんごとなきお方の落としタネで、尼僧すがたをしているが、熟しきった女躰が男を求めるという設定で、仁左衛門が狙っている名古屋の薬種問屋〔松屋〕吉兵衛をたらしこむ。その手際は、読んでいて、ぞくぞくしてくくるほど艶っぽい。

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年齢・容姿:26,7歳。美人。熟しきって蒼みがかった柔肌。臀部はおどろくほどの豊満さ。
生国:京都生まれと推察。

探索の発端:名古屋・上本町の薬種問屋〔好蘭堂 松屋〕の当主・吉兵衛(52歳)とお千代の寝室へ押し込んできた雲霧仁左衛門一味は、金5000余両とともに、お千代を連れ去った。
雲霧仁左衛門の探索に名古屋へきていた火盗改メ方同心・高瀬俵太郎が、不審の念にとらわれる。

結末:雲霧仁左衛門一味の盗人宿の、王子稲荷社門前の茶店へ踏み込んだ火盗改メが目にしたのは、もぬけの殻の家屋だった。仁左衛門はお千代に、京都で2人きりで暮らすと約していたが---。

つぶやき:池波さんの小説にあらわれる女性のうちで、もっとも池波さんの好みに合っているのは、この〔七化け〕のお千代のような気がする。
体形は着痩せして見えるが、脱ぐと豊満というに近い。肌は白いのをとおりこして蒼くすら感じられる。どんな境遇の女性にもなりきれるだけの演技力がある。それでいて、男にすがっているように見せて、男を立てることのできる---女性である。

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2006.01.02

〔木鼠(きねずみ)〕の吉五郎

『雲霧仁左衛門』(文庫 前・後編)の主人公の巨盗・雲霧仁左衛門(43,4歳)の右腕とも左腕ともいわれたのが小頭〔木鼠(きねずみ)〕の吉五郎である。
(参照: 雲霧仁左衛門の項)
もともとは、『大岡政談』の中に[雲切仁左衛門]として記録された物語には〔木鼠〕の吉五郎はいない。
のちに歌舞伎の白浪ものの演題の中での登場人物となり、平凡社『大辞典』(1935.08.10刊 1974.06.10復刻)では、[木鼠]の項を立て「屋根裏伝いに忍びこむ盗賊」と解説している。また、[木鼠吉五郎]の項では「雲切ニ左衛門を頭目とする雲五人男の一人なる盗賊。講釈・芝居などに現はる」と。
池波さんは、歌舞伎の吉五郎を鮮やかに肉づけしている。

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年齢・容姿:40男。小柄だが、きりりっとしまっている。すっきりと灰汁(あく)ぬけてい、物腰がおちついていて、もの静か。
生国:近江(おうみ)国)(現・滋賀県)のどこか。
もっとも、地名に「鼠」のつくところでは、信濃国安曇郡鼠穴村(現・未詳)と同埴科郡鼠宿(ねずみしゅく)村(現・未詳)、遠江国長上郡鼠野村(現・静岡県浜松市鼠野)があり、捨てがたいが、池波さんが江州と名記しているので、滋賀県のどこか---池波さんの足跡がいたるところにおよんでいる甲賀あたりかと推理。

探索の発端:雲霧一味が狙いをつけていた下谷・菊屋橋西詰の行安寺(現在はない。行く先未詳)横の呉服商〔越後屋〕を見張っていた火盗改メの同心・高瀬俵太郎らが、座頭・富の市からたぐって〔木鼠〕の吉五郎までたどりつく。

結末:一味が〔越後屋〕へ押し入ろうとしたとき、待ち構えていた火盗改メが一斉に捕縛にかかり、観念した吉五郎は無抵抗で捕まった。雲霧仁左衛門を自称して裁きを受けたのは、得体不詳の老人であった。

つぶやき:池波さんは、雲霧仁左衛門に熟慮細心で果断の小頭〔木鼠〕の吉五郎を配したとおなじく、ときの火盗改メ長官・安部式部信旨(1000石)には、心きいた与力・山田藤兵衛(40歳)をあてている。
この物語は、両参謀役の差す手引く手の力量比べとみて話むと、中間管理職の心得にもなろう。

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