〔須賀(すが)〕の笠右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻14の[五月闇]は、鬼平の信任がとびきり篤い密偵・伊三次が、過去の怨念のために〔強矢(すねや)の伊佐蔵(37,8歳)に刺殺される内容なので、あまりにむごすぎると、この篇を封印してしまっている伊三次ファンもいるほど。
(参照:密偵・伊三次の項)
(参照: 〔強矢)の伊佐蔵の項)
9年ほど前、女のことで伊佐蔵に傷を負わせた伊三次は、大坂で〔津川(つがわ)〕の弁吉から、伊佐蔵が「なぶり殺しにしてくれる」といっていると告げられ、大坂でのお盗めを助(す)けることになっていた〔須賀(すが)の笠右衛門との約束もほっぱらかして、江戸へ逃げた。
(参照: 〔津川〕の弁吉の項)
年齢・容姿:どちらも記述がないが、40がらみ、しゃべるときに肩をゆするクセがある---と勝手に書き加えてみたい。
生国:河内(かわち)国石川郡(いしかわこおり)須賀村(現・大阪府富田林市須賀)。
「須賀」は、砂地をあらわすから、それこそ、日本全国、河川のあるところには一つや二つはある里である。まあ、砂地だから、甘蔗やらっきょうしか実らないが。
それでも南河内の「須賀」としたのは、テリトリーが近畿一円と察したからである。
探索の発端と結末:どちらも記載されていない。伊三次がこのことを鬼平に打ち明けたのは、9年後だから、手配したとしても手遅れであったろう。
つぶやき:伊三次を江戸へ来させるためだけに書き込まれた盗賊の首領といえようか。
律儀といえば律儀、煩瑣といえば煩瑣。
しかし、盗賊 Who's Who をつくる側としては、1人でも多いほうがにぎやかになるからありがたい。
この富田林市は、筆者が大坂陸軍幼年学校に在学していて、休日の散策でよく歩いた土地である。終戦の翌々日だったか、大阪港に米軍が上陸、幼年学校の生徒は危ないとのデマで、運動着で夜中に逃避行もした。けっきょく、橿原まで夜間行軍したんだったかな。
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