道場主・和田木曾太郎
『鬼平犯科帳』巻11におさめられている[泣き味噌屋]で、勘定掛同心・川村弥助(27歳)の妻さと(20歳)を荒れ寺の墓地へ引き込んで犯した3000石の大身旗本・秋元左近鑑種(あきたね 30歳)の取り巻きで、この件にも手を貸したのが、ながれ者ながら秋元の引き立てで剣術道場を開いている和田木曾太郎である。
道場は牛込・中里町のはずれ、まわりは一帯、田畑といっていい場所にある。
年齢・容姿:30がらみ。総髪。筋骨がたくましい。
生国:下野(しもつけ)国那須郡(なすこおり)木曾畑中村(現・栃木県黒磯市木曾畑中)。
池波さんが名前に「木曾」の2文字を入れたからには、なにか魂胆があってのことと推察。しかし、美濃国の木曾では広範囲にすぎる。武蔵国多摩郡(現・神奈川県)の木曾村もかんがえたが、現在はのこっていない地名である。それで黒磯市を採った。ここらあたりの出だと、「ながれ者」という形容もなんとなく似合いそうだ。
探索の発端:鮫ヶ橋の御用聞・富七の下っ引きの庄太が、牛込払町の菜飯屋〔玉の尾〕の亭主・房次郎から、さとの実家・四谷仲町の菓子舗〔栄風堂〕の名代「初塩煎餅」の名を口にした2人連れの浪人客のことを聞きこんだのが手がかりとなったて、密偵たちが〔玉の尾〕に張りこんだ。
結末:道場を取り囲んだ長谷川組の前に、和田木曾太郎とその門弟・柴崎忠助が現れた。柴崎は鬼平の一撃で太ももを切り払われた。和田は、川村弥助の捨て身の突きに胸を刺されて斃れた。
秋元左近は竜の口の評定所で裁かれて切腹、断絶。
つぶやき:川村同心の後日談が笑わせる。出戻りのお妙(25歳)を後妻にもらったが、木村忠吾のからかいに「しごく、よろしい」と惚気るとともに、雷鳴に地袋へ頭から逃げ込んだのに、鬼平がいう。
「お前が地袋へ、あたまを突き込んだことなど、わしは、すこしも見てはおらぬ」
温情というより、一種の叱声であろう。
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