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2005年11月の記事

2005.11.30

〔白峰(しらみね)〕の太四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻7に所載[隠居金七百両]で、4年前、大盗賊の首領〔白峰(しらみね)〕の太四郎は、体調をくずした配下の〔堀切(ほりきり)〕の次郎助(58歳)の引退願いを許すとともに、雑司ケ谷の鬼子母神・参道の茶店〔笹や〕を買ってやり、その見返りに自分の隠居金700両を秘匿するように命じた。
その秘密の隠居金のことが、太四郎の妾のおせいから実弟の〔奈良山(ならやま)〕の与市へ伝わり、強請りとともに次郎助の娘のお順が誘拐された。
(参照:〔堀切〕の次郎助の項 )
(参照:〔奈良山(ならやま)〕の与市の項)

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年齢・容姿:72歳。容姿の記述はない。
生国:讃岐(さぬき)国阿野郡(あのこおり)青海(おうみ)村(香川県坂出市青海町)。
坂出市の五色台地の西端に白峰(しろみね)山がある。東は青峰、北は黒峰、中央の黄峰と、五行説によって名づけられている。
もっとも、読み方は(しろみね)で、小説の(しらみね)ではないのだが。

探索の発端:鬼平の嫡男・辰蔵(21歳)が、茶店〔笹や〕のむすめ・お順を見初(みそ)めた。そのお順がかどわかされる南蔵院(豊島区高田1丁目)脇の現場に行きあった辰蔵は、来合わせた父へ報告、〔奈良山〕の与市の逮捕につながった。お順は無事に救出。
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南蔵院(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:700両の隠し場所も告げないで次郎助は急死。お順は辰蔵が東海道・関宿の饂飩屋〔かめや〕まで送りとどけた。
700両は、鬼子母神の本堂の床下に埋められていると、鬼平が推理。掘り出された金は、幕府の金蔵へ没収。
余市は、島送りか。
〔白峰〕の太四郎と妾おせいの処置には触れられていない。

つぶやき:鬼子母神は法明寺(豊島区南池袋3丁目)の支院である。法明寺のご住職・近江師へ、床下の埋蔵金のことを笑いながら告げたら、「その金がいまあれば、鬼子母神の補修費用となったのに---」と、師も苦笑気味に残念がられた。
もっともいまは、鬼子母神の本堂の床下には柵がほどこされているから、入りこめないが。
鬼子母神の本堂と内陣は、鬼平のころから変ってはいない。

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2005.11.29

〔鳥浜(とりはま)〕の岩吉

『鬼平犯科帳』文庫巻24の[女密偵女賊]』で、女賊お糸(36,7歳)と夫婦約束をしている、錠前破りの名人〔押切(おしきり)〕の駒太郎が、約束の日時になっても待ち合わせ場所---天現寺の毘沙門堂前の茶店へ現れなかった。
(参照: 女賊お糸の項)
(参照: 〔押切〕の駒太郎の項)

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年齢・容姿:52歳。鉤鼻。
生国:越前(えちぜん)国三方郡(みかたこおり)三方村鳥浜村(現・福井県三方郡三方町鳥浜)。
横浜市金沢区の鳥浜町は、昭和46年(1971)に埋立地につけられた町名なので、対象から外した。

探索の発端:そのとき駒太郎は、〔鳥浜(とりはま)〕の岩吉の一味に加わっていたが、首領・岩吉の荒っぽい盗めのやり方につくづく愛想をつかしていた、とお糸がむかしなじみの密偵おまさに離したことから、岩吉への探索がはじまった。
〔鳥浜〕一味の盗人宿、駒込の吉祥寺裏の植木屋のことは、駒太郎を岩吉へつないだ口合人〔佐沼(さぬま)〕の久七(70すぎ)が洩らした。
(参照: 〔佐沼〕の久七の項)

結末:駒込の吉祥寺裏の植木屋〔植半}で、〔鳥浜〕一味13名が捕縛されたが、〔押切〕の駒太郎の姿はその中にはなかった。しつこく一味を抜けたいといったので、岩吉が仕掛人に金を使って惨殺させていた。

つぶやき:〔押切〕の駒太郎を仕掛けたのは、浪人・森七兵衛だが、その遺体の始末については記述されていない。
(参照: 仕掛人・森七兵衛の項)
もちろん、女賊のお糸からは捜査願いは出せまいが、いくら捜査技術がとろかった江戸時代といえども、惨殺した遺体の始末を怠れば、奉行所が動いたとおもうのだが。

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2005.11.28

〔藤や〕源吉

『鬼平犯科帳』文庫巻1の[老盗の夢]の主人公〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(67歳)から8年前に、一味の京での盗人宿でもあった五条大橋東詰の旅籠〔藤や〕を、きっぱりと足を洗うなら、とゆずられた源吉は、女房おきさへは「叔父」ということにして、喜之助の残りすくない余生の世話をしぬくつもりであった。
「犯さず、殺さず、貧しきからは盗まず」の本格派の3カ条を守りぬいて引退した〔蓑火〕の、幹部級の配下だった源吉のことゆえ、現役(いまばたらき)時代には、もちろん、いちども縄にかかったことはない。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)

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年齢・容姿:どちらも記述はされていないが、40歳すぎか。
生国:数いる配下の中で、〔藤や〕をゆずられたほどだから、信濃・上田出身の喜之助と、地縁があるとみた。で、旅籠名の「藤や」でこじつけてみた。
信濃(しなの)国埴科郡(はにしなこおり)松代町(まつしろまち)中町藤屋小路(現・長野県長野市松代町松代)。
越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)藤屋新田(現・新潟県北蒲原郡笹神村藤屋)も考慮したが、喜之助との地縁が薄い。

探索の発端・結末:どちらも、物語の展開には関係がないし、記述もない。

つぶやき:いまは足を洗って、旅籠の亭主にりっぱにおさまっているので見逃してやってもいいかともおもったが、そういう配下を育てた〔蓑火〕の喜之助のみごとな統率力の一例としてとりあげた。
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旅籠名〔藤や〕と位置「五条大橋東」は、京都『商人買物独案内』から合成したのであろう。

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2005.11.27

仕掛人・菅野伊介

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさめられている[乞食坊主]で、30俵2人扶持の御家人を父親に、その妾を母にもつ菅野伊介は、正妻にいびlり出されて、結局、高杉道場で習いおぼえた剣の腕を武器に、両国一帯の香具師の元締・〔羽沢(はねざわ)の嘉兵衛の仕掛人となっていた。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)
その〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛へ殺しを依頼したのは、南品川の貴船明神社(現・荏原神社 品川区北品川3丁目)境内で盗めの会話を、乞食坊主の井関録之助に聞かれてしまった、〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人---〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵(50をこえている)と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助(30男)であった。
(参照: 〔古河〕の富五郎の項)
(参照: 〔寝牛〕の鍋蔵の項)
(参照: 〔鹿川〕惣助の項)

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年齢・容姿:37,8歳。暗い表情。
生国:武蔵国江戸・本所(現・東京都墨田区本所)。

探索の発端:品川近辺の林で、標的の井関録之助に斬りかかり、逆に組み伏せらて捕らえられ、鬼平の親類の三沢家へ預けられた。

結末:、〔古河〕の富五郎一味は逮捕、菅野伊介は自裁。

つぶやき:シリーズとしてまとまったのは『仕掛人・藤枝梅安』だが、池波さんは早くから、仕掛けの世界に目を向けていた。
この篇は、『梅安』シリーズの登場以前に発表されている。
もっとも、「仕掛け」という用語はまだ創始されていなくて、「殺し」である。

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2005.11.26

座頭・辰の市

『鬼平犯科帳』文庫巻21の巻頭に置かれている[泣き男]で、〔一人ばたらき〕として〔嘗役〕をやっていた座頭・辰の市は、10年ほど前に盗賊〔須磨(すま)〕の音次郎の右腕だった浪人盗賊・青木源兵衛(40前後)と知り合った。
(参照: 〔須磨〕の音次郎の項 )
が、いまの辰の市は、盗みの世界からきっぱりと足を荒い、四谷・伝馬町の文房具屋〔玄祥堂〕で奥向き女中をしている15も年下で元女賊だったお峰(35,6歳)と、塩町1丁目の路地裏の小さな家で安穏に暮らしている。
そこへ、〔須磨〕の音次郎が病没後に一味を手にいれた青木源兵衛があらわれ、〔玄祥堂〕への押し込みの手引きを強要してきた。

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年齢・容姿:50男。坊主頭。目はみえる。
生国:上方とおもわれるが、不明。

探索の発端:同心・細川峯太郎が、偶然に目をあけていた辰の市を見かけたために、火盗改メに見張られることになったが、辰の市は青木一味に脅迫されるや、ただちに旧友・〔小房〕の粂八へ相談をもちかけた。
それで、火盗改メの眼が青木一味へ向いた。

結末:捕縛のときに抵抗した青木源兵衛は、鬼平に斬られた。
青木一味に幽閉されていたお峰は無事に保護され、一切を〔小房〕の粂八に相談していた辰の市はお構いなし。

つぶやき:この篇の主題は、同心・細川峯太郎の再生・復帰の物語にあり、盗賊は脇役なのだが、それでも改心した辰の市という座頭を創造している。
『鬼平犯科帳』には、座頭が6人登場する。うち2人---文庫巻8[白と黒]の富の市、巻17[闇討ち]の文の市は盗みとは関係のないふつうの座頭である。
あと4人が盗みの世界にはまっている座頭だが、この篇の辰の市だけは足を洗った。
のこり3人の座頭は、彦の市(巻1[老盗の夢])、茂の市(巻13[一本眉])、徳の市(巻22[迷路])。
(参照: 座頭・彦の市の項)
(参照: 座頭・徳の市の項)

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2005.11.25

引き込み女おみち

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、〔清洲(きよす)〕の甚五郎(50男)が狙いをつけた元飯田町の銘茶問屋〔亀屋〕方へ、4年前から下女として送りこまれていたのが引き込み女おみちである。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
あと3日で〔清洲〕一味が押し入るという夜、別の盗賊団が〔亀屋〕を襲い、一家皆殺しにして1,500両前後を奪った
その夜---おみちは、下痢腹で厠へ立ったときに異常を感じ、台所の屋根へ登って難をのがれたばかりか、賊が「茂の市の甞役はたいしたものだ」といったのを聞き、出入りの座頭の茂の市(50男)が一枚かんでいることを知り、〔清洲〕の甚五郎へ報告した。
甚五郎は名古屋、京都、大坂に盗人宿を置き、江戸では湯島天満宮裏門に近い煮売り酒屋〔次郎八〕がそれで、おきよが惨劇のあった〔亀屋〕から逃げて身をかくした先も〔次郎八〕だった。

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年齢・容姿:32歳。容姿の記述はないが、機転はきく。
生国:甚五郎の信任がきわめて篤いところから察するに、同じ、尾張(おわり)国春日部郡(かすかべこうり)清洲村(現・愛知県西春日井郡清洲町清洲)の出かも。。

探索の発端:この篇の場合の探索は、火盗改メのそれではにい。
、「畜生ばたらき」で先をひされた〔清洲〕一味の、意趣返しの探索である。おみちが耳にした「茂の市」が手がかりとなり、家を見張って、残金をとどけにきた〔野柿(のがき)〕の伊助が尾行(つ)けられ、上州・高崎に本拠を置く〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味の凶行とわかった。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

結末:〔清洲〕の甚五郎一味9名が、板橋宿の盗人宿を襲い、2を柱にしばってあとは惨殺。その上、〔亀屋〕の凶行のことを火盗改メの役宅へ投げ文した。
茂の市夫婦も、殺して土中に。

つぶやき:本格派の盗賊が見せしめに〔畜生ばたらき〕の盗賊たちを襲うという設定は、西部劇からの援用かもしれない。いわゆるガンマン自警団の亜流。
これにコメディ・リリーフ役の同心・木村忠吾がからむから、毒が薄まり、〔清洲〕方の報復行為が正しいことのようにすり替わる。

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2005.11.24

〔千里(せんり)〕の富平

『鬼平犯科帳』文庫巻3におさめられている[艶婦の毒]で、27歳の銕三郎(鬼平の家督前の名前)が、京都で親しんだ女性・お豊(24,5歳)がやっていた茶店〔千歳〕の老爺が、じつは〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門(60をこえた)と名乗る盗っ人だった。
(参照: 女賊お豊の項)
(参照: 〔男鬼〕の駒右衛門の項)
駒右衛門は10年前、大坂をテリトリーにしていた〔千里(せんり)〕の富平一味にいたとき大坂町奉行所の同心・平山亀蔵に捕まり、縄ぬけしたことがあった。それで、京都町奉行所へ用事できた平山同心が、帰路、伏見稲荷社の前で見かけた駒右衛門に縄をかけたのである。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:大坂がテリトリーというから、池波さんはてっきり、万博のあった千里山線ぞいの千里のつもりでこの〔通り名(呼び名)」をふったのだろうが、どっこい、『旧高旧領』には載っていない。
あったのは、磐城国楢葉郡千里村と、筑前国怡土郡千里村(現・福岡県福岡市西区千里)。で、大坂なら、と後者を採った。

探索の発端:10年前に大坂町奉行所に捕らえられた〔千里〕の富平は獄門。逮捕の端緒は不明。
お頭の仕置きのあと、〔男鬼〕の駒右衛門は小盗人になっていたが前述のように逮捕され、縄ぬけ。

つぶやき:縄ぬけをした駒右衛門は、その後、伝手があって上方から近江へかけて鳴らした〔虫栗〕の権十郎(先代)に拾われ、その妾の女賊お豊の茶店〔千歳〕の老爺を勤めていた---と、このころの池波さんは、駒右衛門のような小物にいたるまで、周到な人物づくりを惜しまず、〔千里〕の富平まで用意している。
が、「千里」が『旧高旧領』には記載されていないところまでは調査がおよばなかった---というより、万博でここの地名は常識の範囲にまで広まっていたのである。

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2005.11.23

〔縄ぬけ〕源七

『鬼平犯科帳』文庫巻2に入っている[密偵(いぬ)]で、下谷・金杉通りの一膳飯屋〔ぬのや〕の亭主・弥市は、かつて〔荒金(あらがね)〕の仙右衛門の配下だった盗人。
(参照: 〔荒金〕の仙右衛門の項)
鬼平の前任・堀帯刀組に捕まった弥市が、責められて〔荒金〕一味の盗人宿を吐いたことから、一味全員の逮捕につながってしまった。が、〔縄ぬけ〕の異名をもつ源七は、縄ぬけして逃走した。
弥市には見どころがあると判断した与力・佐嶋忠介は、彼を1年間入牢させておいて、その後、一膳飯屋をひらかせ、密偵に仕立てた。
ある日、偶然のように訪ねてきた〔乙坂(おつさか)〕の庄五郎は、江戸へ帰ってきている源七が、弥市の命を狙っていると教え告げた上で、合鍵の製作を強要した。
(参照: 〔乙坂〕の庄五郎の項)

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年齢・容姿:40男。まぶたがかぶさった糸のように細い眼。ほっそりした躰つきで、女のようにやわらかな声。
生国:江戸へ戻ってきた、という記述をそのままうけとると、江戸とみたい。縄ぬけの技は、東両国あたりの見世物小屋でみがいたか。

探索の発端:庄五郎から強制されて合鍵づくりに家をあける亭主・弥市に不審をいだいた女房おふくが、尾行(つ)けているのを佐嶋与力が見かけて、それで〔乙坂〕の庄五郎への見張りがはじまった。
庄五郎の合鍵づくり小屋は、山谷の玉姫稲荷の裏手の百姓家だった。
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妙亀明神社 浅茅ヶ原の向うが玉姫稲荷社
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久) 

結末:浜河岸の住吉町へ合鍵をとどけにきた弥市の前に現れたのは、〔縄ぬけ〕源七で、おどろく弥市を撲殺したのは庄五郎だった。
しかし、見張っていた鬼平らに、11名の賊全員が逮捕。死刑だろう。

つぶやき:「縄ぬけ」は、文庫巻1の[老盗の夢]で、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助がつかっている。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
その後、巻3の[艶婦の毒]でも、〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門もぬける。
ただ、喜之助は一度も捕縛されたことがないのに、この最期のお盗めに齟齬をきたしたときに突然つかったのは、いささか解せない気もせぬではない。

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2005.11.22

〔狢(むじな)〕の豊蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻16にはいっている[見張りの糸]は、品川の旧友宅へ一泊した〔相模(さがみ)〕の彦十が、飯盛旅籠から出てきた〔狢(むじな)〕の豊蔵の弟の〔稲荷(いなり)〕の金太郎(50がらみ)を見かけて尾行(つ)け、三田八幡宮(御田八幡神社 港区三田3丁目)門前の茶店〔大黒や〕へはいっていったのを突きとめたことから、2重3重の事件へと発展していく物語。
(参照: 〔稲荷〕の金太郎の項)

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品川駅(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:どちらの記述もないが、弟の年齢から推察して、60歳前か。剽軽(ひょうきん)。
生国:武蔵(むさし)国比企郡(ひきこおり)上狢村(現・埼玉県比企郡川島町上狢)。

探索の発端:上記のとおり。〔狢〕の豊蔵が登場するのは名前のみ。

結末:したがって、捕縛もない。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』に、なんとも剽軽(ひょうきん)でとぼけた風貌の「狢」が描かれている。池波さんの「剽軽」との表現の出所であろう。
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絵に添えられているのは---、
「狢の化(ばく)る事、おさおさ狐狸におとらず。ある辻堂に、年ふるむじな僧とばけて、六時の勤(つとめ)おこたらざりしが、食後の一睡にわれを忘れて尾を出せり」
あくまで、剽軽。

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2005.11.21

仕掛人・森七兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻24の[女密偵女賊]』で、独りばたらきの女賊お糸(36,7歳)と夫婦約束をしている、これまた独りばたらきの錠前破りの名人〔押切(おしきり)〕の駒太郎が殺された。
(参照: 女賊お糸の項)
(参照: 〔押切〕の駒太郎の項)
殺させたのは、彼がいま働いていた〔鳥浜(とりはま)〕の岩吉(52歳)で、直接に手をかけたのは、〔鎌鼬(かまいたち)の異称をもつ浪人仕掛人の森七兵衛であった。
むろん、岩吉と七兵衛の間には、仕掛けを金で請け負う人物が介在している。

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年齢・容姿:年齢は記載がないため不明。推測では30代後半。背丈があり、広い肩幅。かなりの遣い手。
生国:不明だが、江戸生まれか。

探索の発端:口合人〔佐沼(さぬま)〕の久七が教えた盗人宿で、〔鳥浜〕一味は捕縛された。
死刑を覚悟した岩吉は、いうことをきかなくなった駒太郎を、殺すことを、浪人・大野甚五郎経由で〔鎌鼬〕の七兵衛に請け負わせた。
七兵衛の住まいは、根津権現の境内で酒屋〔三坪〕をやっていたお園が、新夫の小柳安五郎へ告げた。

結末:不忍池の脇の松平伊豆守の下屋敷の賭場からでてきた七兵衛を、待ちうけていた鬼平が脇差を飛ばして殪した。

つぶやき:「鎌鼬」を、鳥山石燕『画図百鬼夜行』は、「窮奇(かまいたち)」と表記している。
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絵は、『画図』の中ではもっとも力動感にあふれている。
解説によると、旋風をおこし、人に剃刀で切ったような傷を与えると。
池波さんは、森七兵衛の太刀風から、〔鎌鼬〕という異称を与えたのであろうか。

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2005.11.20

〔土蜘蛛(つちぐも)〕の金五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収まって、[土蜘蛛の金五郎]のタイトルにもなっている〔土蜘蛛(つちぐも)〕〕の金五郎は、越後・越中から信州へかけてをテリトリーにしている盗賊の首領だった。
江戸での一仕事をたくらみ、それには邪魔になる火盗改メ方の長官・鬼平を片づけてからと、腕利きの浪人たちを飼っていた。
その一方で、あこぎに手に入れた金子(きんす)のほんの一部をあてて、三ノ輪のはずれに格安の一膳飯屋を開き、善根をほどこしている気になっている。

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年齢・容姿:50がらみ。品はよい。中肉中背。色は浅黒く、目玉が大きい。
生国:テリトリーは越後・越中から信州とあるが、肌色が浅ぐろいというから、越後・越中をはずすと、信州(長野県)がのこった。甥・山本弁二郎が信州・上田で医者をしていたとあるから、信濃(しなの)国小県郡(こがたこおり)上田(現・長野県上田市)だろう。
(参照: 医生・山本弁ニ郎の項)

探索の発端:市中見廻りの途中、立ち寄った下谷・車坂代地の蕎麦屋〔小玉屋〕で、格安の飯屋の噂話を小耳にはさんだ鬼平が、疑いをいだいて内偵をはし
じめた。

結末:金五郎は、浪人・木村五郎蔵(じつは鬼平の化け姿の偽名)の腕を見込んで、鬼平の惨殺を依頼した。
鬼平に扮した岸井左馬之助との壮絶な組太刀を演じ、止どめをさしたふうにみせかけ、金太郎から50両をせしめた上で、全員逮捕。金五郎は磔刑だろう。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれている「土蜘蛛」という妖怪の名は、文庫巻2[埋蔵金千両](『オール讀物』1968年3月号)の主人公・万五郎に冠していたが、それから5年後の12月号の本篇にうっかり同じ「通り名(呼び名)」をつけてしまったために、読者から指摘があったのだろう、万五郎のほうは出生地の〔小金井〕に変えられた。
(参照: 〔小金井〕の万五郎の項)
絵としてはそれほどのことはない「土蜘蛛」ではあるが、非道盗賊の「呼び名」として「土蜘蛛」という妖怪名を、池波さんはかなり気にいっていたのかもしれない。
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絵に添えられているのは、「源頼光土蜘蛛を退治し給ひし事、児女のしる所也」
源頼光が渡辺綱を伴い、京・西山の土蜘蛛を退治した。岩場から蜘蛛を睨んでいるのが頼光か。

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2005.11.19

〔岡ノ井(おかのい)〕の弁五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に所載の好篇[密偵たちの宴(うたげ)]に〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵の配下として登場した〔岡ノ井(おかのい)〕の弁五郎は、16年前、お頭の五郎蔵へ、腕利きとして〔草間(くさま)〕の貫蔵を推挙した。
(参照: 〔大滝)〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔草間〕の貫蔵の項)
しかし、五郎蔵は、「あいつの躰からは殺した人の血のにおいが、生臭く臭っている」といって遠ざけ、弁五郎には、「もう、あいつとつき合っちゃあいけねえぜ」と釘をさした。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:因幡(いなば)国気高郡()けたかこおり岡井村(現・鳥取県気高郡鹿野町岡木)。
各種地名辞書に、「岡ノ井」は載っていない。それで、「岡井」で検索して、鹿野町にあたった。池波さんの頭にあった地名とは異なっているかもしれないが。
鹿野町は、ぼくが小学1,2年生を過ごした村から山一つ越したところにある。
村中総出で、文字どおり「兎を追いし」山で、なつかしい。
三河生まれの貫蔵と因幡出の弁五郎がどこで知り合ったかは不明。

探索の発端と結末:16年前のことなので、どちらもかかわりがない。

つぶやき:>[密偵たちの宴]は、五郎蔵たち密偵が、本格のお盗めの手本を示そうとした事件に、〔鏡(かがみ)〕の仙十郎一味がからんでくる物語である。貫蔵は連絡(つなぎ)役。
(参照: 〔鏡〕の仙十郎の項)
その貫蔵を説明するために、〔岡ノ井〕の弁五郎がかりだされたわけだが、同時に五郎蔵のお盗めぶりの解説役も兼ねている。
このあたりが、池波さんの人物の出し入れの巧みなところである。

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2005.11.18

女賊お照

『鬼平犯科帳』文庫巻7の巻頭に置かれている[雨乞い庄右衛門]で、お頭の庄右衛門(58歳)がもう3年も駿州の安倍川の水源・梅ヶ島の湯で湯治していることをいいことに、一味の若者・伊太郎といちゃついているお照だった。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
20歳を幾つもすぎたお照の躰が、3年も孤閨を守れるわけはなかった。
住まいは、浅草・阿倍川の称念寺(現・台東区元浅草3丁目)の裏。そこへ、庄右衛門の軍師役の〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛が様子を見にきた。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
もう、逃れるすべはなかった。

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年齢・容姿:24,5歳。半兵衛老人の言葉「3年前にはまだむすめくさかった」。からだがいつも火照っている。
生国:庄右衛門と同郷なら甲州・身延近辺。駿州・下の郷近辺なら藤枝在。が、たぶん江戸近辺だろう。そうでなければ、下ノ郷から庄右衛門がお照を独りで阿部川町へ返すはずがないとみる。

探索の発端と結末:〔鷺田〕の半兵衛が訪れた夜、お照も伊太郎も半兵衛に仕置きされて床下に埋められた。その遺体を、火盗改メが掘り出して確認。
半兵衛も、謀反をおこした〔勘行(かんぎょう)〕の定七らに殺害され、隠し金を奪われた。
(参照: 〔勘行〕の定七の項)

つぶやき:30代の池波さんは、静岡市の最奥部、安倍川の水源・梅ヶ島温泉から安倍峠を越えて身延へでたとエッセイにあったので、梅ヶ島へ1泊ででかけた。
川ぞいに山あいを縫うようにさかのぼる風景は、まさに日本どこてでも見られるものだが、安倍川のようにふところの深い流域も珍しい。
梅ヶ島温泉には、池波さんのころとは異なり、民宿も何軒ができていた。朝早く、野生の猿の群れが川渡りをしているのを見た。
現地をふんだ体験から、池波さんは、〔雨乞い〕庄右衛門をここで湯治させたのであろう。作家のロケーションの使い方を見るおもいがした。

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2005.11.17

〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]
〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味わずか2年間のあいだに、江戸市中から近郊にかけて押し込み20件、殺傷68名という非道なことをしていた兇賊であった。
火盗改メの任についている堀帯刀組(先手・弓の第1組)の同心・高松繁太郎(25,6歳)は、〔蛇骨〕一味の盗人宿のありかを聞きだすべく、一味の女賊お杉と接触、彼女へ与える逃走資金30両を組へ申請し、拒否された。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
捜査へのその無理解ぶりに、繁太郎は愛想づかしをして、組屋敷から消えた。
8年後、繁太郎は江戸へ現れ、堀組から長谷川組へ出向のかたちとなっている与力・佐嶋忠介と出会うが、このことは〔蛇骨〕の半九郎とはつながりはない。

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。
生国:武蔵(むさし)国江戸の浅草・田原町3丁目蛇骨長屋(現・東京都台東区浅草2丁目)。
320
近江屋板・浅草三ノ輪の一部 伝法院の西端に「蛇骨長屋」

『江戸町方書上 浅草(上)』(新人物往来社)の浅草田原町の蛇骨長屋の項に、
「同町のうち、北の方の町端へ寄り湯屋これあり候場所を里俗に蛇骨長屋と唱え候。これは往古蛇の骨に候や、掘り出し候義これあり、右のように申し伝え候由」

探索の発端:前書きのとおりで、高松同心の逃去とともに、捜査は頓挫。

結末:記述されていない。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会)の[今昔百鬼拾遺]篇に、〔蛇骨婆〕があった。
360
絵中に添えられている文は、
「もろこし巫咸(ぶかん)国は女丑(じょちゅう)の北にあり。右の手に青蛇をとり、左の手に赤蛇をとる人すめるとぞ。蛇骨婆(じゃこつばば)は此の国の人か。或説に云う、〔蛇塚の蛇五右衛門四囲減るものの妻(め)なり。よりて蛇五婆(じゃごばば)とよびしを、訛(あやま)りて蛇骨婆(じゃこつばば)といふ」

池波さんが〔蛇骨〕という「通り名(呼び名)」をおもいついたとき、わが家の庭同様に熟知している浅草寺あたりの切絵図の「蛇骨長屋」が頭にあったか、それとも妖怪の〔蛇骨婆〕の絵がうかんでいたか。

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2005.11.16

〔押切(おしきり)〕の駒太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻24の[女密偵女賊]』で、独りばたらきの女賊お糸(36,7歳)と夫婦約束をしている、これまた独りばたらきの錠前破りの名人〔押切(おしきり)〕の駒太郎が、約束の待ち合わせ場所へ現れなかった。
駒太郎は、5日前に〔鳥浜(とりはま)〕の岩吉(52歳)一味と、芝口の畳表問屋〔清水屋〕経押し入り、そのお盗めは終わっているはずだ、と、お糸は尋ねたおまさにいった。場所は、広尾の毘沙門堂門前の茶店。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 女賊お糸の項)
(参照:〔鳥浜〕の岩吉の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。が、40前か。
生国:不明。親子2代つづいての盗め人というから、江戸生まれと推量はしているが。

探索の発端:渋谷の宝泉寺の門前で花屋をやりながら口合人をしている〔佐沼(さぬま)〕の久七の口から、〔押切〕の駒太郎の名がでたことから、探索がはじまり、〔鳥浜〕一味へ嫌疑がかかった。
(参照: 〔佐沼〕の久七の項)

結末:〔鳥浜〕一味は、駒込の吉祥寺裏の植木屋の盗人宿で捕縛され、岩吉が駒太郎を殺害させたことを自白した。
殺したのは、仕掛人の浪人〔鎌鼬(かまいたち)〕の七兵衛で、鬼平は、お糸の目の前で、七兵衛をしとめる。

つぶやき:「押切〕という地名は、平凡社の 『日本歴史地名大系』の「総索引」では、山形県から大分県まで30か所にある。これでは、なんらかの手がかりがないかぎり、推定は困難。
11月10日にアップした、同じく〔押切〕を「通り名(呼び名)」としている定七は千葉県君津市と確定できたが。

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2005.11.15

〔須磨(すま)〕の音次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻21の巻頭に置かれている[泣き男]で、元盗賊の座頭・辰の市(50男)や浪人盗賊・青木源兵衛(40前後)たちのお頭だったのが〔須磨(すま)〕の音次郎である。
数年前に病没したあと、青木源兵衛が一味の追随者たちを率いて盗めをつづけている。
辰の市は足を洗い、15も歳下の女房・お峰(36,7歳)と平穏な暮らしをしていたが、夫婦で出入りしている四谷・伝馬町3丁目の文房具屋〔玄祥堂〕への押し込みの手引きを、源兵衛に強請されていた。

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年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:摂津(せっつ)国八部郡(やべこおり)西須磨村(現・兵庫県神戸市須磨区須磨本町)。
六甲山地の南西端で摂津国の西の隅が転じてスマとなったとの説が有力視されている。
須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも吾はするかも 「万葉集」巻17

探索の発端:音次郎は病没しているので、姿は見せない。
同心・細川峯太郎が非番で飲酒後に千駄ヶ谷あたりを散策中、青木源兵衛の躰に触れて投げ飛ばされた。
その源兵衛と見知りの座頭・辰の市が、仙寿院(渋谷区千駄ヶ谷2丁目)の前の小川の向こうの百姓家の庭にいっしょにいるところを見て怪しみ、鬼平に報告して、見張りがはじまった。
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仙寿院 庭中(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:捕縛のときに抵抗した青木源兵衛は、鬼平に斬られた。
一切を〔小房〕の粂八に相談していた辰の市はお構いなし。
(参照: 〔小房〕の粂八の項 )

つふやき:池波さんが物語の発想を『江戸名所図会』の長谷川雪旦の絵から発している例は数多い。
この篇は、引用した「仙寿院 庭中」と「千駄ヶ谷八幡宮(現・鳩の森神社)」に2景に拠っている。

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2005.11.14

〔塩井戸(しおいど)〕の捨八

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]で、〔塩井戸(しおいど)〕の捨八は、一石橋で〔さむらい〕松五郎を見かけた(じつは、松五郎のそっくりさんの同心・木村忠吾だったのだが)。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)
尾行しているうちに、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕を見張る結果になってしまった。
話は、この夏に遡る。
上州・熊谷宿の料理屋〔棚田屋〕を襲い、270余両を奪い、昔なじみの〔井草(いぐさ)〕の為吉が連れてきた浪人くずれの長坂万次郎に一味をつけて金を乗せた馬ともども、上州・白石(しろいし)在の村はずれの盗人宿へ先行させた。
(参照: 浪人くずれ長坂万次郎の項)
殿(しんがり)をつとめた捨八が隠れ家へ来てみると、長坂浪人と〔さむらい〕松五郎が手下3人を斬り殺し、為吉にも傷をおわせて、馬もろとも逃走したというではないか。
もちろん、それは、長坂浪人と為吉が仕組んだ、金を横領するための手のこんだ芝居であった。
(参照: 〔井草〕の為吉の項)

216

年齢・容姿:40歳。浪人姿。
生国:上野(こうずけ)国緑野郡(みとのこおり)白石村あたり(群馬県藤岡市白石あたり)。
小物の盗賊なので、生国近くに本拠を置いているとみて。

探索の発端:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵の推薦で密偵になった〔蛸坊主(たこぼうず)〕の五郎が、たまたま、神田橋門外の茶店で一服していたとき、〔井草〕の為吉を見かけた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔蛸坊主〕の五郎の項)
首領〔湯屋谷〕の富右衛門が5年前に病死して以来、流れづとめをしいている男である。尾行して、西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕へ宿泊していることをつきとめた。
そこには、3人ほどの小人数で小さな盗めが専門の〔塩井戸〕の捨八もい、どうやら、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕に目をつけているらしい。

結末:西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕を見張っていた忠吾同心と鉢合わせして逃げるところを、酒井同心らに逮捕された。
為吉は菓子舗〔池田屋〕を見張っているところを、逮捕。
両人とも、死罪であろう。

つぶやき:「塩井戸」で地名辞書をあたったが、掲載されていなかった。「塩井戸」というから、海岸べりかとも思ったが、「牛尾」が塩分を含んだ温泉が湧き出た「潮」の例もある(静岡県島田市金谷)。海岸にこだわらないことにした。
余談だが、藤岡市の西隣の多野郡吉井町に「塩」という地名がある。関連はないとおもうが、塩分を含んだ鉱泉が湧出すると。

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2005.11.13

〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[殿さま栄五郎]で、三崎坂下の法受寺門前で花屋を表の商売にしている〔口合人〕の〔鷹田(たかんだ)〕の平十へ、腕っぷしの強い流れづとめの助っ人を依頼したのが、畜生ばたらきをいとわない首領〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎である。
(参照: 〔鷹田〕の平十の項)
平十は、知り合いの〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治が仲介した、浪人盗賊〔殿さま栄五郎〕になりすました鬼平を〔火間虫〕の虎次郎へ口合してしまう。
(参照: 〔殿さま〕栄五郎の項)

214

年齢・容姿:年齢の記述はないが、45歳前後か。でっぷりと肥えた貫禄のある躰つき。
生国:不明の生国の代わりに、「通り名(呼び名)」の出典はわかっている。鳥山石燕『画図百鬼夜行』の〔火間虫入道〕であろう。
いくっちさんが〔火前坊〕権七のコメント欄に書き込んでくださったように、池波さんは、この書から〔蓑火〕〔狐火〕〔野槌」〔火前坊〕〔蛇骨〕などの「通り名(呼び名)」を得ている。
(参照: 〔火前坊〕権七の項)
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
『画図百鬼夜行』から、「火間虫入道」を引用。
c
画中の添書「[人生勤むにあり。つとむる時はとぼしからず]とてへり。生きて時に益なく、うかりうかりと間(ひま)をぬすみて一生をおくるものは、死してもその霊ひまむし夜入道となりて、灯の油をねぶり、人の夜作(よなべ)をさまたまたぐるとなん。今訛(あやま)りてヘマムシとよぶは、へとひと五音相通也」

探索の発端:鬼平が〔殿さま栄五郎〕になりすまして〔火間虫〕の虎次郎と会ったときから探索ははじまっている。

結末:「蓑火〕の喜之助のところへいっときいて、〔殿さま〕栄五郎を見知っていた〔五条(ごじょう)〕の増蔵のせいで、鬼平のたくらみはバレるが、方丈河岸の〔火間虫〕一味の盗人宿などが手入れをうけ、全員逮捕。死罪であろう。
(参照: 〔五条〕の増蔵の項)
〔鷹田〕の平十は入水自殺。

つぶやき:『剣客商売』文庫巻2の、[妖怪・小雨坊]も鳥山石燕『画図・百鬼夜行く』から採った異名である。小説では秋山小兵衛が購入した絵本となっている)。
池波さんがこの書や『古今妖怪拾遺』などから、多くを得ていることは間違いない。
宮部みゆきさんの『本所深川ふいき草紙』(新潮文庫)の[岸涯小僧〕も後書からの引用である。

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2005.11.12

女賊お才

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録の[あばたの新助]で、〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の女房というふれこみで登場しているお才。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
深川・富岡八幡宮・境内の甘酒屋〔恵比須屋〕の茶汲女として、長谷川組の同心・佐々木新助(29歳)を誘惑する。もっとも最初(はな)から、火盗改メの同心と承知の上で接触した。
火盗改メと盗賊方は情報合戦だ。甚五郎の右腕といわれているほどの〔文挟(ふばさみ)〕の友吉(40男)のこと、新助が甘酒に目がないのくらいのデータは簡単に調べとり、見廻り順路の〔恵比須屋〕へお才を手配りしたであろう。
(参照: 〔文挟〕の友吉の項)
加賀国のどこかに本拠をもつ〔網切〕の甚五郎が、女房のお才を江戸へひとり置くというのにはいささか疑義がある。女房というより、江戸妻---つまり情婦の一人とみる。

204

年齢・容姿:「くろぐろとした双眸(りょうめ)」「躰つきに健康な女の若さがみなぎり、うす化粧の鮮烈な血の色がかくそうとしてもかくしきれない」
生国:恥ずかしげもない性技ぶりに、江戸かその近郊の育ちともおもうが、不明としておこう。
いや、性技は甚五郎仕込みか。

探索の発端:鬼平が、富岡八幡宮の境内で、女を連れている佐々木新助を見かけた。朝、役宅を出るときには、「青山、渋谷村あたりを見廻る」といつていたので、不審をいだいた。

結末:〔文挟〕の文吉のねらいは、火盗改メの巡回経路を新助から聞きだすことだった。それに気づいた新助は、お才を捕らえるべく隠れ家に行ったが、お才に軽くあしらわれたばかりか、〔網切〕一味の浪人に斬られて死亡。お才は文吉に殺された。文吉は逃亡。

つぶやき:『鬼平犯科帳』には、男性の眼から見て、こんな女にはまったら身の破滅とわかっていてなお、「一度でもいい、交わってみたい」と、一瞬、おもわないでもないような魅力的な女賊が、つぎつぎと創造されている。
お才もその一人である。
当人は、しわだらけの〔網切〕の甚五郎に抱かれるのは「飽きあき」したと。30前の精力がありあまっている若い男と寝るほうがいい、といっているのも、半分は年増女の本音だろう。
そういう設定に、男ざかりの読み手は、舌なめずりしながら、好色な合点をする。
いや、年配の読み手は、思い出し笑い。

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2005.11.11

〔井草(いぐさ)〕の為吉

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]で、浪人くずれの長坂万次郎と組んで、〔塩井戸(しおいど)〕の捨八(40歳)一味の盗金270余両を、手のこんだ芝居をうって横取りしたのが、同じ流れづとめの〔井草(いぐさ)〕の為吉である。
(参照: 浪人くずれ長坂万次郎の項)
(参照: 〔塩井戸〕の捨八の項)
その芝居とは、〔塩井戸〕一味が、中仙道・熊谷宿の料理屋〔棚田屋〕を襲ったとき、長坂浪人と為吉も仲間だったが、しんがりを捨八にまかせ、盗金を馬に乗せて先発し、上州・白石の村はずれの盗人宿へ向った。
そこで長坂浪人が3人を斬り殺し、為吉にも血が多くみえるように配慮した傷をおわせ、馬もろとも逃走。
遅れてやってきた捨八に、為吉は、長坂浪人と〔さむらい〕松五郎の仕業と偽ったのである。
(参照: 〔網掛(さむらい)〕の松五郎の項))
のち、為吉は、傷の保養に故郷の信州・小諸(こもろ)在へ帰っていった。

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年齢・容姿:どちらも記載がないが、捨八と長いつきあい、とあるから40歳前後であろうか。
生国:信濃(しなの)国佐久郡(さくこおり)小諸町のどこか(現・長野県小諸市のどこか)。
聖典に「故郷の信州・小諸在」とあるので上記としたが、小諸近辺にも長野県にも「井草」という地名は見あたらない。池波さんは、「小諸在」としてとき、どこの「井草」を頭に浮かべて為吉の「通り名(呼び名)」としたのだろう。
栃木県足利市井草町と、東京都杉並区に上、下井草がある。

探索の発端:〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門一味にいた〔蛸坊主(たこぼうず)の五郎を、〔大滝〕の五郎蔵が密偵として推薦した。
(参照: 〔湯屋谷〕の富右衛門の項)
(参照: 〔蛸坊主〕の五郎の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
五郎は、たまたま神田橋門外の茶店で一服していたとき、〔井草〕の為吉を見かけた。〔湯屋谷〕のお頭が5年前に病死して以来、流れづとめをしている男である。尾行して、西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕へ宿泊しているのと、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕を見張っていることをつきとめた。

結末:為吉は菓子舗〔池田屋〕を見張っているところを、逮捕。死罪であろう。

つぷやき:この篇は、同心・木村忠吾が、〔さむらい松五郎〕こと〔網掛〕の松五郎に間違えられた、文庫巻14の[さむらい松五郎]の後日譚ともいえる物語である。
『鬼平犯科帳』がチェーン(連鎖)仕立てといわれる好サンプル篇である。

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2005.11.10

〔押切(おしきり)〕の定七

『鬼平犯科帳』文庫巻9に収まっている[浅草・鳥越橋]で、〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛(50がらみ)の配下で、浅草・瓦町の蝋燭問屋〔越後屋〕へ引き込みに入っている〔風穴(かざあな)〕(35歳)の仁助の耳へ、女房のおひろ(30前後)がお頭の瀬兵衛と乳繰りあっていると、悪魔の声を吹きこんだのが、連絡(つなぎ)役の〔押切(おしきり)〕の定七だった。
(参照: 〔傘山〕の瀬兵衛の項)
(参照: 女賊おひろの項)

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年齢・容姿:35歳。頬骨の張り出した浅黒い顔。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこおり)押切村(現・千葉県市川市押切)
「押切」という村名は、北は山形県の尾花沢市から静岡県藤枝市まで、10指にあまるほどある。その中で、市川市を選んだのは、定七が〔傘山〕の瀬兵衛を裏切って〔白駒(しろこま)〕の幸吉と手を組むことになったのは、分け前のこともあろうが、その前に地縁が2人を結びつけるきっかけとなったと見たからである。
〔白駒〕の幸吉は、上総(かずさ)の望陀郡(もうたごおりl)白駒郷(現・千葉県君津市)の出身。
(参照: 〔白駒〕の幸吉の項)

探索の発端:大横川ぞいの石島町、〔小房〕の粂八にまかされている船宿で、客として現れた〔白駒(しろこま)〕の幸吉と〔押切〕の定七が、〔傘山〕一味の仕掛けを横からかっさらうために〔風穴〕の仁助を裏切らせたことを話しあったために、粂八に疑われ、尾行(つ)けられ、それぞれの住いが判明し、見張られた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:〔傘山〕の瀬兵衛は、浅草・鳥越橋上で、たまたま行きあった〔風穴〕の仁助の嫉妬の刃で刺殺。仁助はその場で同心・沢田小平次に捕縛された。
押し込み当夜、全員が集まった〔白駒〕の幸吉の盗人宿へ、火盗改メが打ち込むのは時間の問題。

つぶやき:『オセロ』の矮小版である。とりわけ、〔風穴〕の仁助は女房のおひろの躰を無上のものとおもいきわめていたから、定七の告げ口はこたえた。
嫉妬心に火をつけるのは、古今、もっとも有効で、そして、卑劣なテである。嫉妬心につけられて火は、時間とともにひとりでに燃えさかる。

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2005.11.09

〔釜抜(かまぬ)き〕の清兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻11に、[雨隠れの鶴吉]の題名としてあげられている盗人(29歳)と女房のお民(31歳)は、中国筋から上方へかけてをテリトリーとしている〔釜抜(かまぬ)き〕の清兵衛一味で、引き込みを得意としていた。
(参照: 〔雨隠れ〕の鶴吉の項)
(参照: 女賊お民の項)
〔雨隠(あまがく)れ〕とは雨宿りの意で、まさに「引き込み」をあらわしている。
〔釜抜き〕については、「闇夜に釜を抜く」という諺を耳にしたことはあるが、正確な意味は知らない。手元の小学館版『日本国語大辞典』には「大勢の女共は闇夜にへそをぬかれしごとく、うっとりとしていたりしが---」の例文をあげているのみ。これから類推するに、盗まれた側が気がつかないように風のように盗むという本格派の比喩か。


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年齢・容姿:どちらも記述されていない。気前はいい。
生国:不明。

探索の発端:といっても、〔釜抜き〕の清兵衛一味のことではない。
一と仕事を終えて骨休めに江戸見物に戻ってきた鶴吉夫婦が、ひょんなことから生家の室町2丁目の茶問屋〔万屋〕へ宿泊すことになった。
そして、女房のお民が、〔万屋〕へ飯炊き男に化けて引き込みに入っている〔稲荷(とうが)〕の百蔵一味の〔貝月(かいづき)〕の音五郎を見つけた。
(参照: 〔稲荷〕の百蔵の項)
(参照: 〔貝月〕の音五郎の項)
鶴吉は昔なじみの井関録之助へ相談をもちかけ、録之助は高杉道場の同門だった鬼平へ。
こうして、〔稲荷〕の百蔵一味へ監視がついた。

結末:井関録之助の大芝居で、鶴吉夫婦は見逃され、3人は熱海の湯へ。湯からあがるお民の尻に見とれた録之助が、「おい、鶴坊。お前の女房のお尻は、ふっくらと大きくて、いいお尻だなあ」と天下泰平。池波さんの好みの尻でもある。

つぶやき:家出したティーンエイジの鶴吉が東海道で行きくれていたとき、〔釜抜き〕の清兵衛がひろって、一人前の盗人に仕込んだ---というエピソードが挿入され、「産みの親より育ての親」という諺が実証される。
この篇は、「雨隠れ」にはじまり、「釜抜き」、「育ての親」---さらにいうと「小糠三合」「遠い親戚より近い他人」と諺づくめ---世間知で組み立てられている。世間知は、池波小説の根幹でもある。

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2005.11.08

〔市場(いちば)〕の太兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[盗賊婚礼]で、江戸の盗賊の首領〔傘山(かさやま)〕の弥太郎へ、親同士の約束だからと、自分の情婦を花嫁として押しつけようとした名古屋の盗人〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵の側近でも、忠義面をしているのが〔市場(いちば)の太兵衛である。
三三九度の盃ごとがまさにはじまろいとしたとき、あまりのあざとさにたえられなくなった〔長嶋(ながしま)〕の久五郎が「もう、やめて下せえ」と止めたのに、「なにをいうのだ」とくってかかったのが太兵衛だ。
(参照: 〔鳴海〕の繁蔵の項)
(参照: 〔長嶋〕の久五郎の項)

207

年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:「市場」という地名は、それこそ、全国に無数にある。生国をぼやかすために〔落合〕〔追分〕〔稲荷〕などとともによく使われる。
それで、地縁ということから、「鳴海」にもっとも近い「市場」を探した。
三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)市場村(現・愛知県岡崎市市場町)。鳴海へ7里7丁(約29キロメートル)。

探索の発端:鬼平が〔瓢箪屋〕の裏手にさしかかったとき、屋内で起きている騒ぎに気づき、岸井左馬之助と2人で打ちこんでみると、〔傘山〕の弥太郎と〔鳴海〕の繁蔵の妹お糸(じつは繁蔵の情婦お梅)との婚礼中、繁蔵の配下の〔長嶋〕の久五郎が、偽の花嫁の正体を暴露したための混乱であった。

結末:〔鳴海〕の繁蔵の側近面よろしく、〔長嶋〕の久五郎に飛びかかった〔市場〕の太兵衛だったが、こぶしをひ腹にうけてひっくりかえった。
素直に縛についた〔傘山〕一味とは逆に、抵抗した〔鳴海〕一味だったが、全員捕縛。死罪だろう。

つぶやき:先記したように、〔落合〕〔追分〕〔市場〕〔稲荷〕などを「通り名(呼び名)」にしている盗賊の生国探しがもっとも骨だ。
こんどのケースでは地縁を最優先して東海道を距離ではかったが、それもできないばあいは、聖典をなんどもなんども読みこんで、些細な手がかりを見つけ、それをたよりに特定していく。膨大な量のコピーをとらなければならない。この篇の「市場」は愛知県、岐阜県にしぼったが、それでも地名辞書からA4で19枚のコピーをとった。

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2005.11.07

〔火前坊(かぜんぼう)〕権七

『鬼平犯科帳』文庫巻1に入っている、シリーズ初期の秀作の一つ[老盗の夢]で、あと一トばたらきと願う元大盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助へ、〔前砂(まいすな)〕の捨蔵が紹介した、〔野槌(のづち)〕の弥平の配下だった3人の30男の1人が、この〔火前坊(かぜんぼう)〕権七。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔前砂〕の捨蔵 の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項 )
あとの2人も、すでに逮捕・処刑された〔野槌〕一味で生き残りの、〔印代(いしろ)〕の庄助と〔岩坂(いわさか)〕の茂太郎。
(参照: 〔印代〕の庄助の項)
(参照: 〔岩坂〕の茂太郎の項)

201

年齢・容姿:屈強な30男。
生国:「火前坊」は、各種地名辞書に見当たらない。
が、池波さんがこれから造ったなという「我前坊(がぜんぼう)谷」は、江戸にあったし、「我前坊町」は明治2年(1869)から昭和6年(1931)まで港区にあった町名である。
江戸時代、我前坊谷に割り当てられていた先手組組屋敷は、筒(てっぽう)組の第7,8組の2組。うち、第8組は、長谷川平蔵が火盗改メの本役のとき、冬場の助役を2度つとめた松平左金吾定寅の組下だった。
我前坊の由来は、将軍・秀忠の夫人(崇源院殿)をここで火葬にし、建てた御堂「龕前堂(がんぜんどう)」がなまったものという。

探索の発端:(〔印代〕の庄助の項から転載)この盗人仲間同士の決闘物語には、火盗改メは直接にはからんでいない。
引退先の京都郊外の山端(やまはな)の飯屋の座敷で給仕をしている大女おとよの躰に、久しぶりに男性としてのきざしが蘇った〔蓑火〕の喜之助は、おとよとの生活資金をつくるぺく江戸へ下り、〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門の盗人宿の番人〔前砂(まいすな)〕の捨蔵に、臨時の助っ人の世話を頼んだ。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)

結末:〔縄抜け〕の異名をもつ喜之助は、うまく縄から抜け出て、九段下の屋台にいた3人を襲い、まず〔印代(いしろ)〕の庄助と〔火前坊(かぜんぼう)〕権七が刺される。そのあと、喜之助は、〔岩坂〕の茂太郎と相打ちの形で斃れた。

つぶやき:池波さんが「我前坊坂」に気がついた経緯を推理してみる。
ここに組屋敷を賜っていた先手・筒の第8組の存在に気づいたというより、別の津の理由がありそうだ。
というのは、『大武鑑』の寛政3年の先手組頭の項で、長谷川組の組屋敷の所在の「目白台」を平蔵の拝領屋敷と早合点した池波さんである。
『大武鑑』の同じ項に、松平左金吾---「我前坊坂」とあったのを、平蔵と左金吾の確執とは関係なく、おもしろい地名と記憶したのであろう。
松平左金吾は、ことごとに長谷川平蔵に逆らった実在の仁で、久松松平の一族。

付記:
豊島のお幾さんから、〔火前坊〕は妖怪名から採られてはいまいか、とのご教示があった。
さっそくに鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会 1992.12.21)を確かめた。
『鬼平犯科帳』に登場している盗賊のうち、その「通り名(呼び名)」を妖怪から借用したとおもえるのが15名いた。
〔火前坊〕もその中の1人ともいえる(この仁にかぎって「我前坊」の影響も否定しがたい)。
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絵に添えられているのは---、
「鳥部山の煙たちのぼりて、竜門原上に骨をうづまんとする三昧の乳りあやしき形の出たれば、くはぜん坊とは名付けたるならん」
京都郊外の鳥部野には火葬場があった。

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2005.11.06

義母・おすえ

『鬼平犯科帳』文庫巻3に収録の[むかしの男]で、西国から下ってきた盗賊団の首領〔霧(なご)〕の七郎(40歳)の義母おすめ。
(参照: 〔霧〕の七郎の項 )
七郎の目的は、実兄〔小川や〕梅吉(寛政8年 1788 に30男? 七郎より5つ年長)を仕置きした鬼平に復讐するためで、浪人・近藤勘四郎(40代半ば)を使って、久栄夫人(41歳)を呼びだしたあと、養女お順をかどわかして、鬼平を心労させることをもくろむ。
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)
(参照: 近藤勘四郎の項)
久栄夫人への呼び出し状やお順の連れ去りをやったのが、雑司ヶ谷の鬼子母神境内の茶店〔みょうがや〕の老婆になりすましたおすめである。
   
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年齢・容姿:老婆とのみ。七郎は寛政5年(1793)のこのとき40歳だから、その義母というと、55,6歳前後か。というのも、江戸生まれの七郎(幼名・由太郎)は19歳で初代〔霧〕の七郎の養子になっている。養子に迎えたのは、おすめに子を産む能力がないとみさだめがついた34,5歳をすぎたころだろう。
いや、七郎の5つ年少の女房の母親とみても同様。
土くさい物腰。
生国:西国のどこか。

探索の発端:近藤勘四郎の呼び出しに応じた久栄は、中間の鶴造を変装させて伴っていた。
鶴造は、勘四郎を尾行してその隠れ家をつきとめた。

結末:与力・佐嶋忠介らの働きで、滝野川村の岩屋弁天の近くの隠れ家からお順は救出され、捕縛されたおすめは遠島、勘四郎は磔刑。

つぷやき:かすかな疑問がないでもない。おすめが西国育ちとすると、江戸へ下ってきたばかりで、池袋村あたりの百姓の老婆言葉をどうやっておぼえたのか。しっかり者の鶴造はそれを見破らなかったのか。

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2005.11.05

下女泥(げじょどろ)お仙

『鬼平犯科帳』文庫巻8に所載の[白と黒]に描かれている2人の下女泥のうち、20前後と若いくて抜けるように色白のほうがお仙。
もう1人、歳かさので肌が浅黒いほうがお今が当人。。これが篇名のゆえん。
(参照: 下女泥お今の項)
お仙が下女として奉公に入ったのは、深川・佐賀町の菓子舗〔船橋屋〕。10日目に23両を盗んで消えた。
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「舟橋を渡ってきたと杜氏(とうじ)いい」と川柳に詠まれているほどの名菓子舗の〔船橋屋〕である。杜氏は菓子職人。
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)

年増のお今のほうは、深川・海辺大工町の薬種屋〔長崎屋〕方から38両余を盗んでドロン。
捜査を命じられたのは、〔兎忠〕こと同心・木村忠吾(26歳)である。

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年齢・容姿:20歳前後。ぽってりとした顔の色白。いかにも男好きのする豊満な躰つき。
生国:不明。
抜けるような色白というから、越後か会津あたりとおもうが、いちおう不明に分類しておく。

探索の発端:(お今の項から転用)駒込から王子と微行巡回をした帰り、鬼平は亡母の実家、巣鴨村の三沢仙右衛門(53,4歳)宅へ立ち寄り、たまたま来ていた富の市(60近い)に筋肉をもみほぐしてもらった。
夕食を終え、富の市とつれだって感応院・子育稲荷の門前で、鬼平は、{門原〕一味の逮捕のときに取り逃がした軽業゜あがりの〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎を見かけた。
(参照: 〔翻筋斗〕の亀太郎の項)
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)
亀太郎は富の市のお顧客だったから、亀太郎の家も知れ、見張りがついた。
見張られている亀太郎の家へ、とお仙とお今が入って、3人による性の狂乱が行われていた。

結末:火盗改メが踏みこんでみると、お今とお仙はまっ裸のまま捕縛。亀太郎も裸で逃げ出したところを鬼平に捕まった。
亀太郎の自白によると、27歳にもなっているのに、女のお仙・お今から受けた、初めての性のもてなしだったという。

つぶやき:亀太郎が2人の女から受けた性の饗宴だが、男なら一度は---と願わないでもない。そこのところを察して、小説に仕立てた池波さんもなかなかに食えない。
まあ、現実となると、1昼夜で反吐を履きたくなるほどのものだろうが。

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2005.11.04

〔尾君子(びくんし)小僧〕徳太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻1の[座頭と猿]で、お頭の〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門から、〔蛇(くちなわ)〕平十郎(40がらみ)のお盗(つと)めを助(す)けるようにいわれているが、その平十郎一味の引き込み役の座頭・彦の市(50男)の妾・おその(20歳)とできてしまったのが、〔尾君子(びくんし)小僧〕の異名をもつ徳太郎であった。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
(参照: 〔蛇〕平十郎の項)
(参照: 座頭・彦の市の項)
ふだん、おそのは、新宿・麹屋横丁で彦の市と暮らしているが、病父を見舞うといって北新網の裏長屋へくると、隣家の小間物の行商を装っている徳太郎と逢引きをする。
徳太郎がおそのの裸躰のあちこちにつけた唇の斑点や歯の跡を、目明きの徳の市は嫉妬のまなこで見ては、いつか徳太郎を殺してやろうとおもっている。

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年齢・容姿:25歳。色白。ふっくらとした手。身が軽い。〔尾君子〕は猿の異名。
生国:上総(かずさ)の生まれとのみある。が、父親じこみの軽業らしいから、上総も千葉に近いところと推察。夷隅郡(いすみこうり)深谷村あたりとみておこう。(現・千葉県夷隅郡夷隅町深谷)。

探索の発端と結末:彦の市を殺しに麹屋横丁へ行った徳太郎だが、帰ってきた彦の市のほうが一瞬早く、徳太郎を刺殺してしまう。彦の市はそのまま逐電。奉行所に調べられたおそのだが、徳太郎が〔夜兎〕の一味とは知らない。

つぶやき:座頭をお盗めの一味に加えたのは、池波さんが最初?
子母沢寛随筆集『ふところ手帖』に収められていた短編をテレビ化した座頭市シリーズのほうが先か。
いま、googleで〔座頭市〕を検索すると、まず、北野武さんの映画についての記載がならぶ。ぼくたちは勝新太郎さんの〔座頭市〕の映像が意識にのこっているのだが。
もっと起源をたどると、若山富三郎さんの〔座頭市]もある。このあたりが池波さんにヒントを与えていないだろうか。

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2005.11.03

口合人(くちあいにん)・音右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[浮世の顔]で、滝野川あたりで刺殺された盗賊を、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、7年前に口合人の音右衛門から引きあわされたことのある〔薮塚(やぶづか)〕の権太郎(この事件の時は30過ぎ)と証言。
(参照; 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照; 〔藪塚〕の権太郎の項 )
権太郎(当時、24,5歳)をつれてきた音右衛門は「一度、使ってみてくれ」といったが、五郎蔵は「一目見て、こいつは自分の盗めには向かぬ奴だとおもいました。こいつの顔にも手足にも、いえ、躰中から殺(あや)めた人の血のにおいが、ぷうんとにおってくるような気がいたしまして---」
というわけで、五郎蔵は断った。

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年齢・容姿:ともに記述されていないが、口合人というからには、50歳は過ぎていよう。54,5?
生国:この記述もない。〔藪塚〕の権太郎は上州の新田郡藪塚村の生まれだから、あるいは五郎蔵が高崎在の大庄屋・萩原家でお盗めをしたとき(天明8年 1788 の[7-4 [掻掘のおけい]に記述がある)
のことだとすると、高崎辺生まれともいえるが、確かではない。不明が相当。

探索の発端と結末:五郎蔵の回顧談に出ただけなので、ともに言及されていない。

つぶやき:このシリーズで、口合人という、いうなればアンダー・グラウンドの世界の「ハロー・ワーク」、あるいはNY流にいうとパーソナル・エージェンシーが登場したのは、この巻14の第2話[尻毛の長右衛門]の〔鷹田(たかんだ)〕の平十が最初である。
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 〔鷹田〕の平十の項)
で、池波さんは自分がおもいついた新造語〔口合人〕とその仕事がよほどのことに気に入ったのであろう、〔鷹田〕の平十を主人公にした[殿さま栄五郎]をつづけて第3話としておいた。
言葉あるいは人物がきっかけになって、発想が誘発された好例である。
つづく第4話が、この篇。
さらに、第6話[さむらい松五郎]でも、〔赤尾(あかお)〕の清兵衛という口合人が描かれる。
(参照: 〔赤尾〕の清兵衛の項)
さすがにこだわり過ぎたと自省したか、次は巻20の口合人を題名(主人公)にした[寺尾の治兵衛]までひかえている。
(参照: 〔寺尾〕の治兵衛の項)
史料の多用の自制とともに、アイデアの頻用も控えめが好ましい。

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2005.11.02

浪人・林又右衛門

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻3におさめられている[梅安流れ星]で、木挽町3丁目の料亭〔吉野屋〕の亭主・久蔵(47歳)をゆする、浪人・林又右衛門は、市ヶ谷の大崎道場の後継者争いで3人を惨殺して上方へ逐電し、〔吉野屋〕久蔵こと、盗賊〔浅羽(あさば)〕の久蔵一味に加わっていた。
久蔵の正体をばらすとおどし、その愛娘お梅(5歳)を誘拐し、〔唐戸(からと)〕の為八が番をしている麻布・広尾に近い盗人宿へかくまった。
(参照: 〔浅羽〕の久蔵の項)
(参照: 〔唐戸〕の為八の項)

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年齢・容姿:37,8歳。人品はいい。贅沢な身なり。
生国:市ヶ谷の大崎伝左衛門の道場を継げるほどに鵜では熟達したが、同門の争いにまきこまれて上方へ走ったというから、とりあえず、江戸生まれの浪人ということにしておこう。
現在の住まいは、京橋筋の鈴木町。

事件の発端:品川宿の徒行(かち)新宿3丁目で水茶屋をやっている玉屋七兵衛が仕掛人の彦次郎に、浪人・林又右衛門の仕掛けを一度頼んだあと、取り消したことから、梅安と彦次郎が疑惑をもった。

結末:馬を使った仕掛けで、林又右衛門は殺された。また、仕掛けの依頼の作法に外れた玉屋七兵衛も、同様に2人によって始末された。

つぶやき:(〔浅羽〕の久蔵の項に記したものの再録)林又右衛門iによる誘拐と恐喝、さにらは請け負っている小杉十五郎の抹殺、〔玉屋〕七兵衛が仕掛けてくる彦次郎の始末---と、ストーリーは込み入っているが、さすが、池波さんは巧みな筋はこびで、読み手をみちびく。

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2005.11.01

元旗本・永井弥一郎

『鬼平犯科帳』文庫巻17は、長篇第2作[鬼火]である。この篇で謎めいた男、〔権兵衛酒屋〕の亭主の正体が、旗本・永井家(600石)の長男・弥一郎と知れるのは、物語が211ページも進展してからである。
5年前から開いている〔権兵衛酒屋〕の屋号も、看板や暖簾に記されているものではなく、土地の人たちが「名無しの権兵衛」からつけたほど、亭主は無口だし、女房らしい女・お浜(58歳)も愛想がない。
この夫婦が襲われ、亭主が逃亡、斬られたお浜が自害したことから、鬼平の疑惑が始まった。

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年齢・容姿:60歳前後。老いているとのみ。
生国:武蔵国江戸・神田今川小路(現・東京都千代田区神田神保町3丁目あたり)。

探索の発端:先記したとおり、〔権兵衛酒屋〕で呑んだあと、様子をうかがっている妖しい者たちに気づいた鬼平が、襲撃人たちと斬りむすんでいるうちに、亭主が遁走した。
斬られた女房のお浜は、監視の眼を盗んで自害。
それから、鬼平たちの探索がはじまった。

結末:お浜の墓前へあらわれた弥一郎は、養子へ入った伊織に家督をゆずるべく出奔したが、〔名越(なごし)〕の松右衛門という盗賊の世話になってい、その口封じに襲われたことが判明した。
襲った浪人盗賊・滝口金五郎一味は逮捕。死罪であったろう。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)

つぶやき:紆余曲折は長篇の常だが、謎が解けてみると、大身旗本(7000石)の身勝手な行いがおこした波紋と知れる。
池波さんの謎のつくり方の見本ともいえる篇。


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